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02 異文化

           ◆


 魔族の補給路の一つを潰し、強敵であるジンガをかろうじて退けたレイアスト達は、英雄の如く迎えられ凱旋を果たしてた。

 当初、魔族側からの寝返りであったフォルアからの情報を危険視する意見もあったが、この一件でそのような声も鳴りを潜め、人間領域に進行している魔族の補給線を完全に潰すべく様々な陣営が動き始める。


 クルアスタ国軍だけではなく、前作戦で有効だった冒険者達との共同作戦なども本格的に計画され、そのアドバイザーとしてマストルアージやフォルア、また冒険者資格を持つ『聖剣の英雄(ライドス)』達なども仲介役として、バタバタと忙しそうに動き回っていた。

 そんな中、レイアストとモンドは……。


           ◆


「フンッ!」

「グハッ!」

 気合いの声と共に打ち込まれた神速の拳が、レイアストの腹部を貫く!

 防御し損ねてモロにその一撃を受けてしまった彼女は、ふらつきながら後方によろめいた後、ガクリと膝をついてキラキラ光る吐瀉物を盛大に吐き出した!

「やれやれ……」

 そんなレイアストの様子に、彼女の母の戦友であり、今は武術の師匠でもあるエルフのエルディファは、構えを解いて肩をすくめる。


 現在、レイアストとモンドは前聖剣の英雄パーティの一人でもある、エルフの武闘家エルディファの元に身を寄せていた。

 本来なら、『聖女』などと呼ばれる羽目になったレイアストも王都でやる事がありそうな物だが、「今は特になんもねぇ」というマストルアージの一言で、しばらくお役御免となった。

 ならば忙しそうな王都の中でフラフラしているより、少しでも修行しておこうとモンドと共にエルディファの所へやってきたのだが……この有り様という訳である。


「戻ってきたから、基礎を怠ってないか試してみたが……集中できていないな、レイアスト。そんな呆けた心構えじゃ、鍛練とはいえ大怪我するよ」

「す、すびばせん……」

「まったくよぉ……そんな(ザマ)で姐さんの教えを受けようなんざ、なっちゃいねぇぜ!」

「同感だな……もしも素手でなく剣での組み手だったなら、死んでいてもおかしくはない」

「…………」

 ようやく吐き終えたレイアストが、エルディファの両隣に陣取りながらダメ出しをしてくる人物達に冷ややかな視線を送った。


「……っていうか、なんであなた達がエルディファさんの弟子みたいな顔でここにいるんですか?」

 視線の先にいる二人……たしか、チャカルマンとサベールという名前だったとレイアストは記憶している。

 二人とも兄達の配下でそれなりの地位にいた連中であり、フォルアがレイアストとの戦いで敗北した際、漁夫の利を狙おうとしていた連中だ。

 だが、その場にいたマストルアージとエルディファにボコボコにされ、その後は捕虜としてエルディファに預けられていたはずだった。

 その後の事についてはよく知らなかったのだが……この変わりようはどうした事かと、レイアストは疑問に思わずにはいられない。


「……あなた達は、魔王軍に戻らなくていいんですか?確か、それぞれの軍の幹部ですよね?」

「ああ、それならもう辞めた」

「は?」

「敗北した私達は、戻った所で居場所などありません。何より今の私達には、魔王軍などよりも重要な事がある……」

 上役の寝首をかこうとするほど、野心を持っていた者達の言葉とは思えない。

 しかし、思わぬ台詞を口にしながらも、なぜかチラチラとエルディファを盗み見しながらアピールする二人の魔族に、ハイエルフの戦士はうんざりといった顔つきになっていた。

 その様子に、レイアストのはある嫌な予感が脳裏を過る。


「エ、エルディファさん……もしかして……」

「……『自分達の子を産んでほしい』とは言われたな」

 やっぱり……レイアストは、思わず顔を覆いたくなった。


 魔族は基本的に強い者に惹かれる傾向があり、特に子孫を残すためとなれば、その傾向はさらに顕著になっていくものだ。

 それ故に、魔王や一部貴族的な例外を除けば一対一の婚姻関係を持つことはなく、実力を認めた相手との子を成す事が多い。

 しかし、それはあくまで魔族内での常識であって、他種族の目から見れば眉をひそめるような習慣にも思えるだろう。

 エルディファにとってはチャカルマン達は、近くに置いておきたくはないが目を離すわけにもいかないという、面倒かつ厄介な存在になっているようだった。


「以前、寝込みを襲われた時に足腰立たなくなるほどボコボコにしてやったんだが……余計に執着されるようになってしまってな……」

 大きくため息を吐くエルディファに対して、チャカルマン達は忘れられない素敵な思い出を反芻するかのような、うっとりとした表情を浮かべる。

「あの時の手も足も出ず、一方的に肉を打たれ、骨が軋む感触……いいよな……」

「いい……」

 ボコボコにされた事を喜ぶような二人の魔族に、ますますエルディファの顔が「うわぁ……」といったものになっていく。

 そんなく場の空気に、なぜかレイアストの方が居たたまれない気持ちになっていた。


「ち、違うんです。この二人が特にアレなだけで、魔族全体がストーカーじみた変態なわけでは……」

「誰が変態だ、この野郎!」

「そうだ!貴女こそ、人間の小僧に執着する特殊な趣味の持ち主のくせに!」

「と、特殊な趣味って、人聞きの悪い!私とモンド君は、ちゃんと愛し合ってます!」

 勢いのままに大声で断言してしまったが、自身の言動にレイアストは顔を赤らめる。

 そんな彼女を見て、チャカルマンとサベールは顔を見合わせた。


「愛……だと?」

「なんだ、そりゃ?」

 まるで、初耳と言わんばかりの二人だが無理もない。

 強さが全ての価値観の元である魔族にとって、相手を思いやる『愛』などという感情を理解する土台がないのだから。


「愛を知らない、悲しいケダモノ……」

 しかし、エルディファがポツリと呟くと、それを知らないとマズいと考えたのか、チャカルマン達はレイアストに迫ってきた!

「おい!その愛ってのを理解するには、どうすればいい!」

「具体的なやり方を教えなさい!」

「ぐ、具体的なやり方!?」

 そんな事を言われても、どちらかといえばレイアスト自身がその感情に振り回される立場である。

 堂々と、「これが愛だ!」と示せるほど恋愛強者などではないのだ。


(な、なんて言えば……はっ!)

 戸惑っていたレイアストだったが、彼女の脳裏に電流が走る!

 そう、今のレイアストが自信を持って愛を体現できる行為が、ひとつだけあるではないか!


「キス……」

「キ……ス……?」

 聞きなれない単語にきょとんとする魔族達をさておいて、レイアストはモンドと交わした甘い記憶に思いを馳せる。

 あの時の、脳が痺れるような幸せの奔流。

 そして互いを求め、貪りあう本能を刺激する唇への感触。

 自分がこの人を好きだと全力で思い知らされる恋人達の行為は、まさに愛を知る上で欠かす事はできないだろう。


(モンドくん……ニヘヘ……)

「なんか、めちゃくちゃニヤついてるな……」

「なんという気の抜けた間抜け面だ……」

 つい、愛しい少年との脳内メモリーに浸っていたレイアストだったが、そんな彼女に引いたチャカルマン達の呟きで現実に引き戻され、こほんと小さく咳払いをした。


「と、とにかく!キスというのは、人間領域で暮らす種族達の間で交わされる、親しい者同士のコミュニケーションのひとつです!それができるくらい親しくなれない内は、エルディファさんがあなた達に心を許す事はありません!」

「な、なんと……」

「人間領域には、そんな儀式があったとは……」

 カルチャーショックに震える魔族の二人に、精神的優位に立ったレイアストはフフンと鼻を鳴らす。

 今まで魔族からは見下されてばかりだったので、ほんの少しだけだが優越感に浸れるのは悪くない気分であった。

 しかし、そんな溢れる余裕の態度からか、チャカルマン達は思わぬ事を言い始める!


「じゃ、じゃあよぉ……そのキスってやつを実際にやってみせてくれ!」

「え?」

「私達はキスという行為を何も知らない……だから教えてほしいのです」

「お、教えてほしいと言われても……」

 まさか、兄達の軍勢で幹部クラスであった筋金入りの魔族達が、そんな事を言い出すとは思わなかった。

 さらに、二人は深々と頭を下げながら、レイアストに教えを乞う。


「頼む!キスを教えてくれ!」

「私達にもキスを!」

 なにやら、レイアストが彼等にキスするような流れができつつあるが、それは絶対に拒否したい!

 そう思った彼女は、行為の仕方についてすぐ口を割った。


「キ、キスというのは、自分の唇を相手にくっつける事です!親しい間柄の人なら、頬や額に。こ、恋人同士なら……唇同士をくっつけたり……」

 最後は恥ずかしくなったのか、レイアストの声は小さくなっていったが、自分の片寄っていた知識に人間領域の常識を学んで補正しての説明なので、だいたい合っているだろう。

 現にエルディファも、まぁそんな感じだな……といった顔で話を聞いていた。


「そ、そうか……そんな儀式が、人間領域にはあったのか……」

「一種のマーキングか……確かにそれをできるくらい距離を縮めれば、エルディファ殿と子作りする事はできるだろうな……」

「言っておきますけど、相手の承諾がなければ無効ですからね」

 一応、念押ししておかなくては、力の信奉者である魔族だけに、無理矢理にでもキスをして自分の物だと言いかねない。

 そして、そんな考えが少しはあったのか、チャカルマン達の顔に一筋の冷や汗が流れていった。

 まぁなんにせよ、これでこの魔族達もまったくの逆効果であった自分達の行動を、少しは控える事だろう。

 だが、師への迷惑行為を抑える事ができそうでホッと安心したレイアストへ、チャカルマン達は思わぬ事を言い始めた。


「……ところでよ、キスの実践は見せてくれねぇのか?」

「……え?」

「いや、だからよ。キスっていう行為があるのはわかった。だけど、俺達はそれを見た事がないんでな」

「なので、貴女に実演してもらいたい」

「え、ええぇぇっ!?」

 予想外な提案をしてきたチャカルマンとサベールに、レイアストは驚きの声をあげる!


「そ、そ、そんな急に!だいたい、私はあなた達とそこまで親しくないでしょうに!」

「別に、俺達にしろとは言わねぇよ」

「貴女には、愛し合っていると豪語する少年がいるのでしょう?なら、その少年としている所を見せてほしいのです」

「モ、モンド君と……」

 思わず、ゴクリと生唾を飲み込むレイアスト。

 実を言えば、あのジンガとの戦い以来、ずっとその事を考えていた。

 極限状態だった事もあったが、あの時の恋人同士のキスは常にレイアストの脳裏で燻り続けている。

 なんなら、それがエルディファとの組み手に身が入っていなかった一因であるとも言えるほどに。


(モンド君と、またキス……し、したい!)

 身の内に荒ぶる乙女(けもの)が、このチャンスは逃がすなと雄叫びをあげている!

 もしかしたら、モンドは人前でキスの実演なんて恥ずかしがって拒否するかもしれないが、この魔族達へ人間領域に住む者達の流儀を教えるためなのだと説得すれば、受け入れてくれる可能性は高いだろう。

(モンド君……)

 再び顔が緩んでいたレイアストに、魔族達が奇異な物を見るような表情を浮かべていた、その時。


「レイアさーん!」

 レイアストの耳に、モンドが自分の名を呼ぶ声が響いた!

 瞬間、だらしない表情から一転してキラキラと輝くような笑みを浮かべたレイアストが、少年の方へと振り返る!

 そして、モンドの姿を視認すると同時に、彼の元に向かって身体は動いていた!


「モンドくーん!」

 まるで加速をつけた体当たりのような勢いだったにも関わらず、モンドにダメージを与えぬようレイアストは少年を優しく抱き止める!

 そんな彼女の胸の谷間に顔を挟まれる形になったモンドだったが、驚きと恥ずかしさを表情に浮かべつつもレイアストに負けない輝く笑顔を見せた。


「修行中にすいません、少しいいですか?」

「もちろん!モンド君は、自己鍛練が終わったの?」

「ちょっと一息……といった所です」

 エルディファに修行をつけてもらえるレイアストと違い、特殊すぎるモンドの五行術式は個人で磨いていくしかない。

 そのため、彼は少し離れた場所で一人鍛練を積んでいたのだが、その合間に顔を見せてくれた事にレイアストはたまらない喜びを感じていた。


「それでですね……」

「ちょうどいい所に来たな。早速、この二人に実践してもらおうぜ」

「うむ、それがいい」

 何か言いかけたモンドの言葉に割って入ってきた、魔族達の会話に少年は小首を傾げる。

「いったい、何の事ですか?」

「なに、ちょっとお前とレイアストに『キス』ってやつをやって見せてほしいんだよ」

「なっ!?」

「私達が、人間領域の常識を学ぶためだ」

 有無を言わさぬ、一方的な協力しろというオーラを放つ魔族達。

「実はね……」

 少し困った顔をしながら、レイアストは話の経緯をモンドに説明する。


「……そういう事ですか」

 なんとも失礼な話と申し出ではあったが、それよりもモンドの思考を支配したのは「レイアストとのキス」という単語だった。

 すでに恋人同士のキスを知ってしまったモンド達に実演を求めるのだから、見せろというのは頬にキスなどという生ぬるい物では無いだろう。

 一瞬、公許良俗を乱すのは……といった常識を重んじる内なるモンドが頭をもたげるが、初めて交わしたキスの感触が思い出されるとすぐにおとなしくなる。

 真面目なモンドにとっても、恋人(レイアスト)とのキスはそれだけ衝撃的な体験であった。


「モンド君……」

 囁くように自分を呼ぶ声に顔を上げれば、潤んだ瞳でモンドを見つめるレイアストと目が合う。

 その照れながらも求めるような表情に、少年の胸は高鳴り、彼女しか見えなくなってしまった。

 やがて、二人の世界に入ってしまったレイアストとモンドの顔が近づいていき……。


『ちょっと待ちなさい!』

 突如、モンドの懐から小さな影のような物が飛び出し、唇が触れあう寸前だった二人の間に挟まってキスを阻止した!

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