01 幹部会
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その日、魔族領域内において激震が起こった。
もちろん、実際に地震などが起こったという訳ではない。
ただ、もたらされた情報は、そんな自然災害に匹敵するほどに魔族達へ衝撃を与えた事は間違いなかった。
──『剣鬼』ジンガ、敗れる!
それがそんな情報は、到底信じられる物ではない。
しかし、人間領域に向かった補給部隊にジンガが同行し、その部隊が壊滅して補給用の隠し通路が人間達に占拠された事は事実として伝わってきている。
かの王子がついていながら、敵に重要な補給路を奪われるような事態。
そして、人間側に『聖剣の英雄』の後継者が現れ、戦ったという報告。
さらには、出来損ないである裏切り者の末姫の存在など、デマや憶測に拍車がかかりやすい状況も影響してか、一般の魔族だけでなく軍人階級の者達まで動揺は広がり、魔王軍の誰もが浮き足だっていた。
◆
コツコツと靴音を立てながら、魔王城の長い通路を歩く男が一人。
猛るような禍々しいオーラを漏らす魔剣を腰に下げながら、どこか機嫌良さげに進むのは、魔族領域において今もっとも注目を集める男、ジンガである。
数日前、ボロボロの格好ながら妙にハイテンションで帰還した彼の口から、補給部隊の壊滅と補給路が敵の手に落ちたという最悪の情報がもたらされた。
当の本人はケロリとした物だったが、魔王を初めとする幹部達にとっては一大事である。
実際、この国にも混乱が訪れているため、それをどうにかする話し合いが今日これから行われる予定なのだ。
荒れる事は目に見えているが、元凶であるジンガは気にした様子もない。
むしろ、先ほどから魔剣が漏らすオーラが、それを望むように時折揺らめいていた。
「遅くなったな」
会議の行われる部屋の扉を開け、ジンガは中にいた者達に声をかける。
だが、そこに集まっていた連中を見て、彼の表情は怪訝そうな物になった。
中にいたのは、たったの二人。
魔王の三子『氷神』ザルウォスと、四子で長女の『屍姫』アルビスである。
よく見慣れた弟と、あまり顔を合わせる機会がない妹が、どうぞとジンガを席へと促す。
以前、レイアストが離反した際に集まった幹部会を想定していたジンガは、この二人だけの集まりに首を傾げつつ、指定された席に座る。
そして、それを見届けたザルウォスが口火を切った。
「では、今後の件について打ち合わせをしましょう」
いつもの仕切り役であるザルウォスが挨拶もそこそこに本題に入ろうとすると、ジンガが口を挟んだ。
「ザルウォス、魔王様はどうした?」
問いかけるジンガの口調に、ザルウォスはギョッとする。
いつもなら、王都にいる間くらいはそれなりにまともな言葉使いをしていた兄だったはずなのに、今はまるで戦場にでもいる時のようだ。
それだけ彼の精神が昂っているのだとすれば、最悪の事態も招いていてかもしれない。
「……父上は今回は出席しません。後程、話し合いの結果を報告させてもらいます」
「なんだ、つまらん」
「ついでに言えば、ここにいる私とアルビス以外も出張っています」
「やれやれ……それなら、わざわざ顔を出す必要もなかったな」
自分に突っかかってきそうな面子がいない事に、肩透かしでも食らったような様子でジンガは背もたれにのしかかった。
彼の拍子抜けした態度に呼応したのか、立て掛けてあったジンガの魔剣からも漏れ出ていた邪悪なオーラも、スッと消え失せていく。
そんな様子に、ザルウォスは大きくため息を吐いた。
これ以上、面倒は起こさないでほしいものだ、と。
「さて……今回の一件で、当然ながら私達の父、魔王デルティメア様も怒り心頭といった様子です」
話しはじめたザルウォスの口調は重い。
レイアストの反乱に始まり、それを討伐にいったはずのフォルアが妹に呼応してまさかの謀反。
そこに、護衛すべき補給部隊をが壊滅状態にもかかわらず、悪びれもせずに平然と帰ってきたジンガである。
彼がこのような態度で接すれば、父の怒りは頂点に達するだろう。
そんな事になれば、かつて国を傾きかけた伝説の親子喧嘩の再来ともなりかねない。
(あの時は、父上と兄が上散々やり合っている最中に敵国の介入があり、そちらで発散する事ができたから少しはおとなしくなってくれていた……あの頃の兄上の野生を甦らせるほど、レイアストとの戦いは激しかったのか)
報告を精査すれば巷で流れるようなジンガの敗北の噂と、実際の勝敗の様子はだいぶ違う。
レイアスト達の勝利はいわば戦略的な勝利であり、単純な強さという点だけでいえばジンガにまだ分があった。
しかし、それでも最強の剣鬼をあの落ちこぼれが退けたという事実がある以上、侮れない存在になっているというのは間違いないだろう。
加えて、幹部の一人であったフォルアの裏切りもあって、国内の混乱っぷりに拍車をかけているのだ。
(まったく……面倒な小娘どもだ)
ただでさえ、人間達や他の魔族の国と争っている現状でザルウォスのやる事は多いというのに、余計な問題を増やしてくれたレイアスト達には素直に死んでおけと悪態のひとつも付きたくなる。
ただ、こうなってしまった以上は、この状況を利用するためのプランを建てねばならない。
それをこの会議で打ち立てるべく、ひとつ咳払いをして気を取り直したザルウォスは口を開いた。
「さて……それではまず国内の状況ですが、前々から芽吹きつつあった反乱の種が、この状況下になって勢力を増してきていますね」
机の上に置かれた数枚の用紙に、ジンガ達は目を通す。
そこには、国内や軍における有力な魔族達の名前が数名分記されていた。
「都合がいいので、大々的に他国との戦闘が始まる前に、そいつらを焚き付けて反乱を起こさせましょう」
「それは面白いな」
とんでもない提案を口にしたザルウォスだったが、ジンガもすぐに賛同する。
「こいつらをぶった斬ればいいトレーニングになるし、退屈もしなさそうだ」
リストの中には、とある上級魔族に仕える強者達やそれらが動員しそうな予想兵数も明記してあるのだが、ジンガにとってはまるで問題ではないらしい。
なにより、彼は一人でそれらの鎮圧をやるつもりなのだ。
そんな無謀な作戦など本来ならあり得ないが、ジンガのそれは自惚れなどではなく、確固たる実力に基づいた言動であるとザルウォスは知っている。
(まったく、恐ろしい人だな……)
自分の兄ではあるものの、その戦闘狂っぷりに寒気を感じながら、ザルウォスは話を進めた。
「次に……人間領域で戦闘を行っている、我々の兵達への輸送ルートの再構築についてです」
今回のレイアスト達による襲撃は、まさに人間領域方面で展開している自陣にとって急所への一突きと呼べるものだ。
たまたまジンガが動向していたため、物資はともかく人的被害はだいぶ少なかった。
だが、魔族サイドの秘密輸送ルートは、元幹部であるフォルアからの情報によって、ほぼ敵方にバレてしまっていると考えた方がいいだろう。
だからこそ、早々に新しいルートを確保しなければならない。
「こちらは少々……いえ、かなり難航しそうです」
それもそうだろう。
現在ある道でさえ、魔獣や邪人の跋扈するあの境界領域に作る事が、どれだけの労力を要した事か……。
さらに新しい別の道を、しかも早急に作ろうというのだから、金も人材もどれだけ必要になるか知れた物ではない。
だが……。
「ウフフ……」
うんざりした感情が顔に出ていたザルウォスが、笑い声のした方に目を向ける。
彼の妹でもあり、女連中では長女のアルビスが、口元に手を当てながら小さく笑っていた。
長い黒髪に病的なまでの白い肌が映える、美人といってもいい顔立ちをしている。
しかし、滲みでるような陰鬱で退廃的な雰囲気が、彼女になにか近寄りがたい印象を与えていた。
「新しく道を作る必要はありませんわ。物資の運搬は、私に任せて下さいお兄様」
「なに?」
アルビスの申し出に、ザルウォスが怪訝そうな顔になる。
「例え敵の手に落ちていたとしても、被害を考慮せずに物資を送るのなら、私のお人形達なら最適でしょう?」
白磁の肌に赤い切れ目が入るように、彼女の口が笑みの形に裂けていく。
アルビスの『屍姫』という二つ名が示す通り、彼女は魔族領域全土の中でも最高ランクの死霊魔法の使い手である。
確かに、補給もいらず被害も度外視できる彼女のお人形……ゾンビやスケルトンは、運搬などの単純作業をやらせるなら最高の労働力だろう。
しかし、数百……下手をすれば千を越えるであろう死体の群れを作り出すというのは、どれだけ膨大な魔力を持ったとしても現実的ではない。
「──そこはご心配なく。確かに無から作り出すならお兄様の懸念通りですが、お人形の素体があれば大幅にコストダウンできますから」
「だからといって、どこにそんな数の死体が……」
「ウフフ……」
再びアルビスは不気味な笑みを浮かべ、収納魔法を発動させると、空間にポッカリと黒い穴が浮かびあがった。
「ここに、私が赴任されていた戦地で……死んだすべての者達を収納しています」
「なっ!?」
「ざっ、と三千体は超えています。素体を使ってお人形を作るだけなら、たいした魔力も使わず簡単に用意できるんですよ」
三千体以上……。
それだけの死体を集めながら、平然と……いやむしろ誇らしげな妹の異常性と精神性に、ザルウォスは言葉を失った。
「ウフ。この中には、ザコだけじゃなくて上位魔族の死体なんかも混ざっているんです。それらをカスタマイズして、特別なお人形にもできるんですよ。たとえば……」
コレクションを自慢したがるコレクター魂に火が点いたのか、アルビスは聞いてもいない話をどんどん続ける。
しかし、こんな場所でそのようなアンデッドを引きずり出されたらたまった物ではない。
「……ああ、わかった!もう、そっちはお前に任せるから、何か足りないものがあった時だけ俺に連絡しろ!」
辟易しながら、無理矢理にアルビスのアンデッド話を断ち切ったザルウォスは、半ばやけくそ気味にそう宣言して会議の終了を告げた。
そうして、他の仕事もあるからと足早に去っていくザルウォスを見送り、部屋にはジンガとアルビスだけが残される。
自然、話はレイアストの事についてとなっていった。
「……ふぅん。あの子に、そんな仲間ができていたんですね」
「おお、楽しい連中だったぜ」
見所のある人間達の事を話すジンガは、本当に楽しそうだ。
常にまともな勝負に飢えている彼にとって、まだまだ強くなる相手というのは好意すら抱く存在なのだろう。
もっとも、それはある意味で家畜の成長を見守る生産者のような気分なのかもしれないが。
「でも……お兄様がそんなに楽しみにしているのだとすると、少し心配です」
「なにが心配なんだ?」
「私の今回のお仕事上、レイアスト達と絡む可能性は大きいでしょう?あの子達を殺してしまったら、お兄様ががっかりするのではと思いまして……」
「フッ、そんな事は気にするな。お前に殺られるようなら、それまでの連中だったということだ」
「まぁ……さすがお兄様!」
異母妹とはいえ、肉親の生き死にをキャッキャッと明るく語る二人は、端から見ればかなり異常に見える。
きっと、ザルウォスがこの場にいたとしたら、眉をひそめていた事だろう。
「──あら、もうこんな時間。少し話し込んでしまいましたわね……それではお兄様、お先に失礼いたします」
談笑も一段落ついた所で、アルビスはジンガに別れを告げて部屋を出ていった。
◆
コツコツと長い廊下を歩きながら、アルビスは記憶の中のレイアストを思い浮かべる。
なにをやっても落ちこぼれですぐにベソをかき、それでも折れる事はなく鍛練を重ねていた妹。
元より天才的な一芸に長けた兄弟達とは違って、泥臭い努力を積むしかなかったあの娘がそんなにも成長したというなら、姉として褒めてあげたい気持ちも無くはない。
(きっと、フォルアもこんな気持ちだったのでしょうね)
国を裏切ってレイアストについた上の妹は、きっと下の妹を守ってやりたかったのだろうと想定すると、それがあまりにも可愛らしく思え、我知らずアルビスは笑みを浮かべていた。
「そうだわ、あの子達も私のお人形の仲間にしてあげましょう!」
ナイスアイデアとばかりに、アルビスは呟きながらポンと手を叩く!
「それで、お兄様の遊び相手にしてあげれば、どちらにも楽しんでもらえそうだわ」
あまりにもイカれた発想だが、アルビスの心情はいたって普通である。
どうせなら妹達を素敵なアンデッドに仕立てようと、姉は鼻歌を交えながら頭の中で構想を組み立てていった。




