12 キスと覚醒
「なっ!?」
「えっ!?」
「っ!?」
突然のキスシーンに、レイアストとモンドは驚愕し、フォルアも絶句する!
「モ、モ、モンドくん……ふ、二人はいったい何を……」
「キ……キス、ですね……なぜ今なのかは分かりませんけど……」
「キス!? あ、あれが!?」
レイアストの知るキスとは、親しい間柄の者達が頬や額に口付ける物止まりでしかない。
それだけに、お互いの唇を重ねるといったそれはライドスとリセピアのそれは、完全に理外の行為であった。
「こ、恋人同士だと、ああやってより濃密なキスをして愛情を確かめあうんです……」
少々、刺激が強すぎる光景に、モンドは赤くなりながらもレイアストに説明する。
彼からの説明を聞きながら、レイアストは人間の文化の奥の深さに改めてカルチャーショックを受けていた。
(こ、これが家族ではなく、恋人同士の行為……なら、私とモンドくんも……)
目の前の光景に思考を奪われ、なぜ今ライドス達がそんな事をしているのかなどという疑問すらも脳裏に浮かばない。
ただ、これがやがて訪れる自分達の未来かもしれないと思うと、我知らずゴクリと喉が鳴った。
そんな彼女達の思惑をよそに、ライドスとリセピアはひたすらに口付けを交わす。
ただ、時間にすれば一分にも満たなかっただろうが、その間レイアスト達は二人から目を離す事ができず、ようやく体が離れるまで呼吸すら忘れている有り様だった。
「あ、あ、あなた達……いったいなんの真似……」
ハレンチな行為を我に返ったフォルアが問いただそうとした、次の瞬間!
ライドスの身体が発光し、炎のような肉体強化の魔力が噴き上がる!
その様子を見て、皆が二人の行為の意味を理解した。
キスを媒介にした、身体能力の超強化魔術……これが、ライドスとリセピアの奥の手なのだ、と!
「ありがとうな、リセピア」
「頑張ってね、ライくん!」
恋人からの励ましに頷き、ライドスはレイアスト達へ顔を向ける。
「あいつの足止めは任せろ。お前達は、思い切りぶちかませ!」
頼むぞと言い残し、ライドスは荒れ狂う剣風へ向かって走っていく!
それを援護するように、マストルアージ達もジンガ周辺へ魔術を展開し始めた!
「ジンガァァァァッ!」
「聖剣使いかっ!上等だぁ!」
超強化されたライドスの聖剣と、狂気にまみれたジンガの魔剣が、激しい金属音を響かせながらぶつかり合う!
そして、そんな音さえも置き去りにするような、目にも止まらぬ打ち合いが、無数の火花を舞い散らした!
さらに、マストルアージ達の援護の魔術が、斬り結ぶ剣士達の環境を目まぐるしく彩っていく!
現実離れしたその激しい戦いは、さながら派手な舞台演劇の一幕のようでもあった!
その光景を、少し離れていた所から見ていたレイアストとモンドは、ジンガの隙を突いて攻撃を決めるべく、魔力を練り始める。
しかし、レイアストの頭の一角を支配していたのは、戦いとはまったく別の思考であった。
すなわち……「キスしてみたい」である!
無論、そんな事を考えている場合で無い事は、レイアスト自身がよく分かっているのだが、乙女にとって色恋事への関心が消えるはずもない。
それ故に、レイアストの脳内ではどうにかしてキスへと持ち込むべく、自分のアバター達がそれらしい理由を探してごちゃごちゃと揉めていた。
そして、ひとつの答えが導き出される!
「………………モンドくん」
「はい?」
隣で術式を組んでいたモンドに、レイアストは静かに語りかけた。
「あのね……今の私達のテンションでは、あの時みたいな高い威力が出せるか、ちょっと分からないと思うの」
「それは、まぁ……確かに……」
以前にフォルアの襲撃を退けた時は、お互いの気持ちを伝えあった事での精神の高揚も相まって、凄まじい力を発揮する事ができた。
しかし、今の状態では緊張感の方が場を支配しているために、ジンガを仕止めるほどの高威力が出せるかどうかは、分が悪いと言わざるを得ない。
「だから、ね……私達の気持ちを盛り上げるためにも、ライドスさん達みたいに……してみたらいい……と思うんだけど……」
言葉の後半は消え入りそうな物ではあったが、意図は確実にモンドへと伝わった!
後は、真面目な彼がなんと答えるかである!
普通なら、そんな場合じゃないでしょう!と、一蹴される可能性の方が高い。
しかし、少年の口から溢れ出たのは……。
「ぼ、僕も……レイアさんと同じ事を考えてました」
頬を赤く染めながら、モンドはきっぱりと答える。
さらに、レイアストの目を見つめながら言葉を続けた。
「でも、攻撃の威力を高めるための作戦とか、そういうのじゃないんです……そんな事は関係なく、僕自身がレイアさんとキスをしたいと思っています!」
裏表のないモンドの告白に、思わず「んんっ♥」と唸って倒れそうになる程のトキメキが、レイアストの胸を貫く!
「嬉しいよ、モンドくん……」
「レイアさん……」
同じことを望んでいた喜びが胸中に溢れ、心が満たされるようで身体が震える。
しかし、本番はこれからだ!
レイアストは顔を半分覆うバイザーを上げ、モンドと正面から向き合う。
そんな彼女へ、モンドもゆっくりと顔を近づけていった。
やがて、自然と目を閉じていたレイアスト達の唇の先が、軽く触れあう。
一瞬、ビクッとした二人ではあったが、そこから覚悟を決めて一歩踏み込んだ!
「んっ……」
モンドとレイアストの声と唇が重なり合い、柔らかな感触が脳にまで伝わっていく!
そして、その未知なる感触と感動は全身を駆け巡り、様々な脳内汁が決壊したダムの如く大放出され、大いなる多幸感が二人を包んでいった!
(こ、これが……恋人同士のキス……!)
母や姉にしていた親愛のキスとはまるで違う。
全身が火照り、幸せと愛おしさが溢れてくるようだ。
もっと繋がりたい……もっと貪りたいといった欲求が止められないほどムクムクと膨れ上がり、レイアストを支配していく!
(モンドくん、モンドくん……モンドくんっ♥)
マッサージでもするように唇をわずかに動かし、わずかに舌先で相手の口中を確かめながら、その存在全てを堪能する。
その度に心臓がドクドクと高鳴り、下腹部がキュンキュンと疼いた。
もはや二人は互いの事しか頭に無くなり、キスのその先へ……もっと深く、もっと強く繋がりたいと心から願う。
その瞬間!
(キャウゥン!)
レイアストと融合していた、クズノハの吠える声が二人の脳内に響き渡った!
夢見心地の心境から一気に現実へと引き戻され、レイアスト達は唇を離して顔を見合わせる。
そこへ、再びクズノハの声……いや、言葉が響いた!
『両者の運命力同調値が、基準段階を越えました。これより奥義の限定解除を行います』
「っ!?」
普段は可愛らしい狐にしか見えない、クズノハに似つかわしくない機械的な物言いに、レイアストとモンドは驚きを隠せない。
さらに、二人の頭の中にとある術式の構築法が流れ込んできて、ますます彼女達を驚愕させた!
「え、ええっ!? モンドくん、これっていったい……」
「ぼ、僕も驚いてます……クズノハはうちの一族に代々仕えてくれてる使い魔ですけど、こんな事は初めてで……」
自らも知らなかった使い魔の能力……それは、もしも両親が亡くならなければ、ちゃんと教わっていた力だったのかもしれない力だ。
そんな可能性を思うと、モンドは父と母の事をふと思い出し、少しだけ胸が締め付けられるような感情を覚えた。
「モンドくん……」
「あ……すいません、レイアさん。大丈夫……です」
物寂しげな少年の姿に庇護欲を掻き立てられたレイアストが、そっと彼を抱き締める。
モンドもまた、暖かな彼女の胸に顔を埋めると、わずかに疼いていた心の痛みが癒えていくのを感じていた。
「おまえらぁ!イチャイチャすんのは後にしろよ!マジで頼むぞ、おいぃっ!」
その時、やや切羽つまったようなマストルアージの声がレイアスト達に叩きつけられる!
見れば、ジンガの注意はいまや完全にライドスへと向けられており、横から攻撃を加えるにはまさに好機といった状況だ!
「モンドくん!」
「レイアさん!」
二人は改めて頷きあうと、たったいま限定解除とやらをされた奥義を使うべく術式を展開させはじめた!
「はあっ!」
気合いの声と共に、レイアストが全身にモンドからの術式を受け入れるための経路を作る。
同時に、彼女の九尾にも似た縦ロールの髪が大きく広がり、大輪の華を思わせる様相となった!
「木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生む……」
モンドが五行の生相となる力の流れを構築していくと、五つの輝く球体がレイアストの背後に出現し、回転しながら円を描きはじめる!
その回転の速さは徐々に増していき、さながら日輪の如く光を放つ!
『蒼、赤、黄、白、玄の発動を確認。五行術式奥義の始動を開始します。術者への負担上昇に伴い、対衝撃防御装甲を展開。続いて……』
機械的なクズノハの詠唱(?)に伴って、レイアストの手甲がパキパキと音を立てながら、大きくゴツい形状へと変化していく。
さらに彼女の全身を金色に輝くオーラが覆い、神々しい姿となって存在感を増していった!
「っ!?」
さすがにレイアスト達の組み上げる力に異様な物を感じたのか、ジンガ本人だけでなく、対峙していたライドスや援護していたマストルアージ達までも、こちらに気を引かれて一瞬だけ動きが止まる。
その刹那の時を見逃さず、レイアストは撃ち出された弾丸のような速度でジンガへと迫った!
「五行術式『生相天輪・五色破砕拳』!」
レイアストとモンド、そして内なるクズノハの声が重なり、奥義の名を叫ぶ!
眩い光を纏わせて打ち出すその拳は、反射的に防御しようとしたジンガの腕を弾いて、彼の胸板に突き刺さった!
「ゴッ!……ガアァァァッ!」
「オオオォォォォッッ!」
ダメージに吼えるジンガの声と、レイアストの雄叫びが重なる!
彼女の一撃は剣鬼の胸部鎧を打ち砕き、深いダメージを与えた!
さらに振り抜いた彼女の拳の威力は、踏ん張ろうとするジンガの足元に轍を作りながら、無理矢理に後方へと押し出していく!
そのまま、水平に移動させられた彼の身体がようやく停止したのは、百メートルほど飛ばされてからだった!
「ごぶっ……ククク……ハアァァァ!効いたぞ、レイアストォ!」
言葉と血を吐きながら、ジンガは狂気と苦痛と笑みに歪む顔をもちあげる!
だが、その視線の先にいるレイアストとモンドの攻撃も終わった訳ではなかった!
「爆発!」
レイアストの打撃に乗せられた、五行術式の生相循環によって蓄えられたエネルギーがジンガを中心として解放され、天を貫く光の柱となって巨大な爆発を起こす!
本来なら彼女達もその爆発に巻き込まれるほどの広域爆発だったが、衝撃の広がり方に指向性を持たせていたため、叩きつけるような振動は思いのほか小さく、ジンガの周辺にいた仲間達への被害はほとんど有りはしない。
しかし、目の前で起こった光景はかなりショッキングだったようで、まだレイアスト達のめちゃくちゃに慣れていないライドス達は、呆然とした表情で爆発の余韻を見つめていた。
「…………ふうぅぅぅ」
長く吐き出した呼気と共に、レイアストの変身が解ける。
いつもの様相に戻った彼女の頭に、こちらもいつもの雰囲気に戻ったクズノハがポンと乗った。
「レイアさん!」
「モンドくん♥」
「キャウン!」
モンドがレイアストに駆け寄り、彼女が少年を抱き止める。
そして、嬉しそうに一声鳴く使い魔という日常の雰囲気に、ようやく勝利の実感がライドス達へも伝わってきた。
緊張感から解放され、ため息をつきながら座り込むマストルアージとフォルアの顔にも、笑みが浮かぶ。
だが……。
「…………見事だ」
吹き飛んだはずの男の声が静かに響き、弾かれたように全員がそちらに顔を向ける!
その集中する視線の先で、爆発の煙が晴れていくと爆心地の真ん中で佇むひとつの人影があった。
口元から血を流し、鎧は吹き飛んでほぼ全裸、さらに髪はボサボサになりながらも手にした魔剣だけは決して離さない……手負いの剣鬼がよろめきながら、驚愕するレイアストの方へと一歩踏み出す。
だが、警戒して構える彼女達へ、ジンガは驚くほど穏やかに話しかけてきた。
「ああ、落ち着け。今日は満足したからここまでだ」
戦場において、狂戦士もかくやといった暴れ方をする男から放たれた停戦の申し出に、レイアスト達は思わず顔を見合わせた。
「……こっちは決着をつけてもいいんだぜ?」
ライドスが立ち上がり、聖剣を構える。
こちらも疲労のピークに近かったが、停戦を申し出るジンガはそれ以上に満身創痍に思えた。
しかし、そんな思惑は見抜いているであろうジンガは小さく笑うと、スッと二本の指を立てて見せる。
「あと二段階」
「え?」
「俺はあと二段階、この魔剣の力を開放する事ができる」
「なっ!?」
それが虚勢や嘘でない事は魔剣士の態度、そして怪しいオーラを纏う魔剣自身からも察せられる。
この男とは、そこまでの差があるのか……そう愕然とするライドスの顔を眺め、ジンガはレイアストへと視線を移した。
「どうしてもとことんやり合いたいと言うなら構わんが……今、お前達を殺すのは少々もったいない」
「もったい……ない?」
「ああ。フォルアの助力に、人間と群れていた事を加味しても、あの落ちこぼれのレイアストにここまで追い込まれるとは思いもしなかったぞ……強くなったな」
「…………」
かつては、路傍の石かそれ以下程度にしか認識されていなかったレイアストを、ジンガは認め称賛する。
その言葉に対して、長年兄姉から存在そのものを疎ましがられていたレイアストの心情に、嬉しいような恥ずかしいようなムズムズとした物が沸き上がってくるようだった。
「……本当に強くなった。俺の獲物に相応しいほどに」
「え?」
大ダメージを負っているにも関わらず、ジンガからの殺気は膨れ上がっていく!
肉食動物さながらに舌舐めずりをする兄の姿に、彼の言う「もったいない」の意味を知ったレイアストは、本能的な恐怖から思わず防御姿勢を取る!
「ククッ、そう怯えるな。今日はここまでと言ったはずだ」
パッと殺気を霧散させながら、ジンガはレイアスト達へ背を向けて魔族領域の方へ向かって歩き始めた。
「この戦いはお前達の勝ちでいい。物資やら何やらは、好きにしろ」
そう言われてから、この輸送部隊を、魔族の襲い補給線を断つ事が今作戦の主目的だったことを思い出す。
それほどまでに濃密な戦いと存在感を焼き付けたジンガの背中は、無防備に見えて一切隙がない。
確かに、彼にはまだ余力のような物がある事を感じ、誰かが……いや、レイアスト達全員が息を飲んだ。
「俺は親父の城で待っている。もっと強くなれよ、レイアスト。あと……聖剣の英雄ライドス、お前もな」
背中越しにそう言い残し、ジンガの姿は深い森の奥へと消えていった。
沈黙の時間が流れ、完全に彼の姿と気配がなくった事を確認した瞬間、レイアスト達も大きく息を吐き出して弛緩する。
そして、緊張感から解放された事もあってか、皆が一斉に口を開いた。
「こ、怖かったぁ~……」
「すごい強敵でしたね……」
「まさか、こんな場所であの人とかち合うとは、思わなかったわ……」
「つーか、なんだあの化け物みたいな強さは……肉体面で言うなら、前にやり合った魔王より強いんじゃねぇか?」
かつて、レイアスト達の父である魔王と戦った事あるマストルアージの言葉だけに、ジンガに対する感想には実感が込もっている。
そして、その評価はあながち間違いでもないだろう。
そんな緩んだ雰囲気で話すレイアスト達とは裏腹に、魔剣士から名指しされたライドスは静かに闘志を燃やす。
「本当に奴は強かった……俺は、まだ未熟だったな……」
「ライくん……」
父である先代を越えるべく、修行はしてきた。
だが、剣士としての高みを見せつけられて、己の至らなさを実感させられた思いだ。
「もっと鍛えないとな……そして、次は俺の力だけで奴に勝つ!」
「あれ~?私の助けはいらないと?」
「……俺とリセピアの力で勝つ」
「よろしい!」
敵とはいえ、あれほどの強者に認められた事は、剣士として誉れである事に間違いはない。
来るべき日に向けて、奮起するライドス達。
そんな彼等とは裏腹に、時間が経つにつれてレイアストは「とほほ……」と呟きながら肩を落とした。
「それにしても……まさか、私があのジンガお兄様に狙われてしまうなんて……」
「大丈夫よ、レイア!ワタクシが助けるわ!」
「僕だって、全力で協力します!」
「お姉様……モンドくん……」
心から励ましてくれる、フォルアとモンドの言葉は嬉しい。
しかし、それでもいずれ来るであろう恐ろしい兄とのリターンマッチの日を想像して、レイアストは胃が痛くなるような思いのこもった重苦しいため息を吐くのであった。




