09 聖剣の後継者と魔族の剣鬼
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境界領域の危険な森の中、魔族の補給部隊がゾロゾロと通る道の脇に身を潜めながら、静かに合図を待つ。
人間領域において、冒険者と呼ばれる職業の中でも最上位に数えられる者達に取って、一切の気配を消すことなど雑作もない事だ。
それでいながら、野生動物さながらに瞳は標的を見据え、いつでも飛び出せる体勢で力を蓄えており、仮に魔族の誰かが待ち伏せの気配に気づいたとしても、先手を取れるのは冒険者達であろう。
そんな風に、虎視眈々と敵を狙い打つ準備のできている彼等の目前を、魔族の部隊は通りすぎていく。
少し焦れったい思いを抱きながらも、最も森の奥に配置された冒険者一行の前を、魔族達の作る列の最後尾が通過しようとしていた。
その時!
はるか前方、人間領域への出口がある方向から、大きな爆発音のような物が、潜む冒険者達の耳に届く!
さらに、爆ぜた空気の衝撃が森を揺らし、動揺した魔族達がその場で足を止めた!
いまだっ!
誰かが、そう号令をかけた訳ではない!
ただ、冒険者達はこれまでやって来た経験に基づき、襲いかかるならこの瞬間だと判断して、繁みから飛び出して魔族へと襲いかかっていった!
「な、なんだ、こいつらっ!?」
「どこから沸いて出やがった!」
突然の襲撃に浮き足だった魔族達へと目掛け、突っ込んでいった冒険者達は、速やかに戦闘を開始する!
待ち伏せ中に準備万端だった、魔術師による攻撃魔術が降り注ぎ、部隊の動きを止められた所に近接戦闘を得意とする連中が肉薄していった!
「ちいっ!」
「遅えんだよぉ!」
魔術の防御に手を取られていたために、反撃に転ずる前に、魔族の戦士達が冒険者達に倒されていく!
その勢いのままに、暴れまわる冒険者達!
魔族の戦士達もただやられっぱなしだった訳ではないのだが、不意打ちのアドバンテージもさる事ながら、冒険者達の力量がかなり高く、ジリジリと劣勢のまま追い詰められていく!
「バラバラになるな!全員、密集形態を取れ!」
このまま一方的に決着はつくかと思われていたが、そこは人間よりも戦闘力の高さと、戦いの経験を積んでいる魔族達!
襲撃してきた冒険者達の数がそう多くない事を見抜いた連中は、荷台を中心として集まる事で、強固な防御の陣形を展開していった!
「くそっ……魔族の連中、さすがに慣れてやがるな!」
「ちぃっ、人間どもが……この境界領域で襲ってくるなんぞ、イカれてんのか……」
互いに相手を警戒し、はっきりと攻撃と防御という役割ができてしまったためか、両陣営共に動きが止まってしまう。
だが、そんな戦場に、一陣の暴風が吹き荒れた!
いや、正確には風が吹いた訳ではない!
だが、その場にいた全員が、そう感じるほどに荒れ狂う殺気の渦!
まるで巨大なハリケーンを目前にしたような脅威を感じ、誰一人として身動きが取れなくなってしまっていた。
「……騒がしいと思ったが、人間達の襲撃か」
戦場に似つかわしくない、まるで天気の良い日に散歩でもしているかのような、男の声が静かに響く。
その声を聞いた冒険者達は一瞬呆気に取られ、魔族達は血の気の引いた真っ青な顔つきになった。
そんな連中の視線を集めながら、鎧を纏い、腰に細身な剣を下げた男が戦闘の中心まで歩を進める。
そうして人間達へ視線を向けると、値踏みするようにぐるりと見渡した。
「ふむ、冒険者とか言われる連中か……定石に捕らわれない、自由な発想の戦闘を得意とするらしいな」
まるで独り言のように呟きながら、男はごちそうを前にした好事家のように、にんまりとした笑みを浮かべる。
「一度、喰ってみたかった奴等だ……楽しませてもらおう」
そう言って、男が剣の柄に手をかけると同時に、弾かれるように冒険者達は彼から距離を取った!
それは、意識して行れた行動ではない!
上位の冒険者達が持つ、経験からくる危険察知の能力が警報を鳴らし、ほとんど反射的に男から距離を取る事を選ばされたのだ!
そして、それは冒険者達だけでなく、魔族の連中も同様であり、本来ならば守るべき荷を捨てて、一目散に男から逃げていく!
「反応は悪くないな」
素早く行動を起こした冒険者と魔族に、満足気な笑みを浮かべながら、ひとり頷く男。
そんな男に、冒険者の一人が冷や汗を流しながら問いかけた。
「お、お前はいったい……」
「ん?ああ、まだ名乗っていなかったか」
せめて、誰に殺されたかは知りたいよなと微笑んだ男は、冒険者達に向かって名乗りをあげる。
「俺の名は、ジンガ・ハウグロード。魔王デルティメアの長子だ」
「なっ!?」
たかが補給部隊の護衛にしては、まさかの大物が登場した事に、冒険者達は驚愕に顔を歪ませた!
一瞬、ハッタリではないのか……という思考が脳裏を過りはしたが、それが無意味である事と、なにより目の前の男が醸す殺気と佇まいから、彼の言動が本当であるという事をわからされてしまう!
「ちっ……ヤベぇな」
「おお……準備もねえのに、ドラゴンと出くわしたみたいな感じだ」
「まだ、想定ほどの損害は与えていないが……いつでも逃げられるようにしておかなねぇと」
相手の脅威度によって、臨機応変に立ち回るのが生業の冒険者達だけに、不足の事態には無理せず撤退の二文字が頭に浮かぶ。
しかし、そんな冒険者達の一団から、敢えて前に出る者達がいた!
「……魔王の長子と聞いちゃ、逃げるわけにはいかないな」
「ほぅ……」
怖じ気づく連中の中から、歩み出てきたのは、大剣を携えた青年と、そのパートナーらしき少女。
彼の持つ剣に注目しながら、ジンガは目を細めた。
「なにやら、面白そうな剣を持っているじゃないか」
「そうだろう……なんせ、お前の親父をぶった斬る寸前までいった得物だからな!」
父から受け継いだ聖剣を構えた青年……ライドスは、ジンガに対してその切っ先を向ける!
対して、ジンガも鞘から片刃の刀身を抜き放ち、どこか喜びを感じさせる雰囲気のまま、ゆらりと戦闘の体勢を取った。
「そうか、聖剣の後継者……お前が、予感の正体か」
「あん……?」
「フッ、こちらの話だ……では、行くぞ!」
顔を会わせたばかりだが、もはや言葉はいらないと、ジンガがライドスに迫る!
まるで野獣のごとき速さで間合いを詰め、その白刃がライドスの下段から振るわれた!
しかし、ライドスの体を刃が斬り裂く前に、激しい金属音が響き、聖剣がその斬撃を弾いた!
重々しい大剣を振っているとは思えぬ速度で、ライドスはジンガの攻撃を受けながら、流れるように反撃に移る!
だが、その一撃は軽々と受け返されてしまった!
「うおぉぉぉっ!」
「ふははははっ!」
ライドスの気合いの咆哮と、ジンガの楽しげな笑い声が折り重なり、稲妻のようにきらめく無数の斬撃と響音が二人の間で火花を散らす!
さながら、剣撃の嵐と化した二人に誰も近づく事はできず、次の瞬間にはどちらが斬られてもおかしくない攻防を、冒険者も魔族も固唾を飲んで見守っていた。
「はあっ!」
ひときわ高い、雄叫びと金属音がぶつかり合うと同時に、ようやくライドスとジンガの間にわずかな間合いが開く!
一旦、仕切り直しといった雰囲気ではあるが、はぁはぁと呼吸を荒げるライドスに対して、ジンガは息を乱す事もなく、余裕の態度を維持していた。
「思ったよりもやるものだ……楽しいぞ、聖剣の使い手よ」
「ふぅ、ふぅ……そりゃどーも」
息を整えながら軽く汗を拭い、ライドスは上からの物言いなジンガの言葉を受け流す。
確かに、このわずかな攻防で、剣の腕はジンガの方が上なのだと実感していた。
だが、それでもライドスの顔に浮かぶのは、勝算ありといった風の笑顔だ!
そして、それを受けたジンガの顔にも、笑みが浮かぶ!
「なにやら、まだ奥の手がありそうではないか」
「まぁな……純粋な剣の勝負ならお前の勝ちだったかもしれんが、二人なら……俺達の勝ちだ!」
そう叫んだライドスの身体が、突然光に包まれた!
見れば、彼のパートナーである少女のリセピアが、いくつかの魔術を発動させ、ライドスの身体能力を底上げしている!
さらに、ライドス自身も聖剣を掲げ、奥の手を使った!
「聖剣解放!」
キーワードと共に、彼の掲げ聖剣の刀身から青白い炎を思わせるオーラが吹き上がって天を突く!
その圧倒的な存在感と迫力に、回りで見ていたその他大勢はよろけ、腰を抜かしかけていたが、対峙するジンガだけは更なる狂喜の顔を浮かべた!
「面白い!その力、全て見せてみろぉ!」
踏み込むジンガ!
受けて立つライドス!
剣を振りかぶり、二つの地を駆ける流星となった剣士達は、目映い輝きを放ちながらぶつかり合った!
再び剣撃が交差し、刃が二人の身体を掠める!
互いに傷は深くないだろうが、かすり傷とは思えぬほどの血飛沫が舞い、宙空に無数の赤い花を咲かせた!
だが、相討ちとも思えた斬り合いの中、ジンガはわずかな違和感を感じて眉を潜めた。
それを見抜いたライドスが、またも間合いを取って剣を構え直す。
「ふむ……俺の斬撃を邪魔するような、妙な手応えがあったな。あの女の仕業か」
「気づいたようだな、魔王の息子……さすがと言っておくぜ」
「ククク、随分と見くびられていたんだな、俺は」
愉快そうに笑いながら、ジンガは近くの小石をライドスに向けて蹴りあげる!
しかし、その小石はライドスに届く前に、壁のような物に弾かれてしまった。
「なるほど、その障壁が違和感の正体か」
「ああ……相棒に防御を任せ、俺は攻撃に全振りする。それが、俺達の必勝パターンだ!」
あっさりと、手の内を話すライドス。
しかし、内容がバレても構わないという揺るぎない自信は、彼等があらゆる強敵やモンスターを屠ってきた実績に裏打ちされた物だ。
そして、今までの交戦の手応えから勝利を確信したライドスは、聖剣を大上段に構えながらジンガに最終通告を突きつけた!
「降伏しろ……お前からは、色々と聞きたい事がある」
「クッ……」
ライドスの言葉に、ジンガが肩を揺らす。
魔王の長子として、屈辱的ではあるだろうが、今のままでは勝ち目が無い事をジンガ自身がよくわかっている。
そう思っていたライドスだったが、微かに震えていたジンガの体がより大きく震え始めると、怪訝そうな表情を浮かべた。
「ククク……ハハハ……ハーッハッハッハッ!」
突きつけられた現実にうち震えていたかと思われていたジンガは、のけぞりながれ顔を押さえ、高らかに哄笑の声を響かせる!
その異様な反応に、思わずライドス達も呆気に取られてしまった。
「はぁー……いやいや、まさかあの程度のやり取りで勝ち誇るとはな……これも若さ故か」
「何っ!?」
「奥の手を持つのが、お前だけだと思ったのか、小僧!」
吼えながら、ジンガは手にした自分の刀を逆手に持つと、先ほど聖剣の力を解放したライドスのように起動のための言葉を口にした!
「魔剣解放・起動『羅刹』!」
力ある言葉と共に、怪しい光がジンガの刀剣を包んでいく!
と、同時に、ほんの一瞬前とは桁違いの圧力が、ライドス達を襲った!
それはまるで、子犬がドラゴンに化けたかのような重圧感!
直接対峙しているライドスは身体が硬直し、遠巻きに見ていた冒険者や魔族達の一部は、意識を失って崩れ落ちていった!
「あ、ああ……」
「ラ、ライくん……」
パートナーであるリセピアは涙目になり、失禁しそうなほどの恐怖に辛うじて耐えながら、ライドスの名を呼ぶ。
だが、当の本人もガクガクと手足が震え、言葉にならない声を漏らすのがやっとだった。
まさか、隠していた奥の手に、これほどまでの差があったとは……!
歯を食い縛り、聖剣を握る手に力を込めながら、ライドスは折れそうになる心に活を入れて戦意を保とうとしていた。
「……どうした、来ないのか?」
挑発するように、ジンガは手招きするようなジェスチャーを取るが、ライドスの足は動かない。
そんな彼等の様子に、つまらなさそうな表情になって小さくため息をついた剣鬼は、ゆらりと一歩踏み出した。
「そら」
まるで、虫でも払うかのように振るわれた剣撃。
しかし、その雑な一閃はライドスを守る魔力の障壁を軽々と破壊した!
「ぐっ!」
「そらそら、ボーッとしていると首が飛ぶぞ?」
次々と繰り出される斬撃を、ライドスは何とか防御するが、それでも徐々に削られていく!
反撃の手立ても無いまま、ジリジリと追い詰められていくライドスをリセピアも援護するが、まさに焼け石に水といった現状であり、状況が好転する目は見えなかった!
「ちっ……もう少しくらい、楽しめると思ったんだがな」
一方的に攻められるままのライドスに、ジンガは小さく舌打ちすると、幕引きだと言わんばかりに大きく刀を振りかぶった!
「終わりだ」
感情の籠らぬ呟き。
それが、自分の聞く最後の言葉かと、ライドスの心が折れかけた、その時!
突然、道の向こうから駆けつける数人の乱入者が現れた!
「あ、あそこ!あそこで誰か争ってます!」
「本当だわ!って、きゃあっ!」
慌てた様子で走ってきた一行は、倒れていた冒険者や魔族達に気づかなかったようで、思い切りそれに躓くと盛大にコケて地面を滑る!
しかも、縺れて団子状になりながらも勢いは止まらず、ライドス達を通りすぎていくと、藪に突っ込んでようやく動きを止めた!
「いったた……み、みんな大丈夫?」
「な、なんとか……」
「お前、なに躓いてんだよ、フォルア!」
「う、うるさいわね!貴方こそ、足を縺れさせてたじゃないの、マストルアージ!」
「しょうがねぇだろ!おっさんになると、足くらい縺れるわ!」
「自慢気に言うんじゃないわよ!」
「二人とも、落ち着いてください!それよりも敵の前なんですから……」
そこまで言いかけて、顔をあげた乱入者達の内、女性二人がジンガと目が合い硬直する。
「レイアスト……フォルア……?」
呟くような声で名前を呼ばれた姉妹は、まさかこんな所にいるはずもないであろう長兄の姿に、淑女らしからぬ驚愕の表情を浮かべて対峙していた!




