05 若者の想いとおっさんの苦悩
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聖剣の後継者とのひと悶着があった日から一夜明け、少しばかり寝覚めの悪さを覚えながらモンドは上体を起こした。
「……ふぅ」
その体勢のまま、ひとつため息を吐いた少年は、気を取り直すようにグッと伸びをすると、ベッドから降りて身支度を始める。
寝覚めの悪さの原因は、言わずもがなレイアスト絡みの事だ。
昨夜、彼女がこっそりモンドの部屋の前まで来ていた事など知るよしもないが、少年もまたレイアストと同じようにモンモンとした夜を過ごしていた。
以前の醜態を思い出したレイアストが、彼の部屋の前から逃避したため事なきを得ていたが、もしも二人があの夜に邂逅していたなら、ある程度の一線を超えていたかもしれない。
それほどに、ライドスとリセピア……公然と色事を口にできるほどの関係を持つ二人の間柄に、少年は衝撃を受けていたのである。
「……僕も頑張らないとな!」
何を……という訳ではない。
しかし、彼の故郷である龍州では、表向きには男性側がリードするのが当たり前だという暗黙のルールがある。
未熟者ではあるが、自分も男である以上、レイアストともっと関係性を深めたいと思うならば、モンドが積極的にならねばならないと、少年は密かに奮起する。
「まずは……口づけ……だよなぁ」
ライドス達に当てられたという訳ではないが、わずかながらにでもレイアストとのそういった接触をした事がある行為と言えば、額にされたキスくらいの物だ。
もっとも、あの時のレイアストはモンドの一族の繁栄も守護するクズノハと魂霊合身して(少し性的な)興奮状態にあったし、額にキスなんていかにも子供相手の愛情表現である。
いわゆる、家族とのスキンシップ系ではなく、恋人同士が交わすキス……それを当面の目標に掲げ、モンドは「やるぞ!」と気合いを入れた!
そうして部屋を出て、朝食を兼ねた今後の話し合いが行われる食堂へ向かう。
すると、廊下の先に見知った人物の背中を見つけた。
「おはようございます、フォルアさん」
「あら、おはようモンド少年」
レイアストの姉フォルアは、どうやら朝からご機嫌な様子だ。
モンドとレイアストがお付き合いする事に、あまり良い顔をしない彼女が、こうもにこやかに挨拶を返してくるとは……。
少しばかりモンドは意外に思いつつも、それを顔に出さないようにして食堂までの道を並んで歩く。
──だが、なんだろうか。
モンドへ向けるフォルアの笑顔には、どこか勝者の余裕というか、勝ち誇るような物が混じっているように思える。
なんとなく居心地の悪さを感じて、モンドはフォルアにそれとなく尋ねてみる事にした。
「なんだか今日のフォルアさんは、朝からご機嫌ですね」
「ウフフ……まぁ、昨日レイアとちょっと、ね」
若干の含みを持たせる返事……しかもレイアスト絡みとなれば、妹の彼氏に対してシスコンがマウントを取ろうとしているのだなと、少年は確信する!
いったい、今度は何を言い出すのかと内心身構えていると、その心の内を読んだかのようにフォルアはクスリと笑った。
「レイアもそうだったけど、貴方も昨日の聖剣の後継者達のやり取りを見て、だいぶ意識していたんでしょう?」
「……」
レイアストとモンドは、まだまだお互いの想いを告げ、付き合い始めて間もない二人だ。
その眼前に上位互換の恋人同士が現れれば、意識するなという方が無理だろう。
そんなモンドの沈黙を肯定と受け取ったフォルアは、笑みを深めながら「ごめんなさいね」と小さく呟く。
「悪いのだけれど、レイアとのキス……ワタクシが先にさせてもらったわ!」
己の頬を撫で、妹からされたキスを思い出しながら告げるフォルアは、特に根拠のない勝利を確信しながら、その事を告げた!
「…………はぁ、そうですか」
「!?」
驚きのあまり呆然と……というより、それが特になんでもない事のように、あっさり答えるモンドに、逆にフォルアが驚愕する!
(な、なんなのっ!? ワタクシがレイアとキスをしたと言っているのに、モンド少年のこの落ち着き様は!?)
恋人よりも自分の方が先んじた事を告げ、地団駄を踏む少年に姉妹愛の強さを見せつけたつもりだったのに、まったく効いていない!
さすがのフォルアにとっても、この反応の薄さは想定外だった!
だが……元々キスは魔族には無い風習であり、フォルアとてレイアストと同程度の知識しか持っていない。
しかし、そんな彼女達とは違って、モンドは大陸の国々ではそういった文化がある事を、よく知っている。
そう考えれば、フォルアの告白など「家族間で挨拶したよ♥️」と告げられたくらいの話なので、まったくもって驚くに値しなかった。
(なぜ……驚きと悔しさで、転がり回らないのっ!ワタクシが彼の立場だったら、そうしていてもおかしくないのに……ハッ!)
さっぱり動じないモンドを見て、フォルアはふとした可能性に気づく!
そう、目の前の少年は、キスなんて目じゃない、もっと大人の関係を目指しているのではないのか、と!
ならば、キスなどしょせん通過点に過ぎず、姉妹という関係ではそれ以上は行けないだろうと、分かっているからこその余裕なのではないか?
そんな考えに思い至り、フォルアはモンドがとんだ狼なのでは……と、息を飲んだ!
「……ハレンチだわ、モンド少年!」
「ええっ!?」
キスをしてもらったと勝ち誇っていた態度から一転、警戒心を露にしながらモンドを責めるフォルア!
その、ジェットコースター並みな感情の起伏とスピードに、モンドも困惑せざるを得なかった。
それから、何とはなしに並んで廊下を進んでいると、向こうから歩いてくるレイアストの姿を発見する!
その瞬間、二人の表情がパッと明るくなった!
「レイア、おはよ~♥️」
「わっ、お姉様!お、おはようございます」
フォルアは残像を残す勢いで間合いを詰め、妹バカ全開な顔でレイアストに抱きつく!
そんな姉に驚きながらも、レイアストはしっかり彼女を受け止めた。
「おはようございます、レイアさん」
「あ……お、おはよう……」
フォルアに続いて、追い付いてきたモンドがレイアストに挨拶をすると、彼女は顔を赤らめなが一瞬だけ複雑な表情をして、ふいっと顔を背けてしまう。
その仕草に、かつてのモンドならば悪い意味で衝撃を受けていた事だろう。
だが、今は違う!
微妙な言葉のニュアンス、そしてちょっとした表情の具合から、これはレイアストがモンドを意識しているのだと、彼は読み取った!
なぜ、意識するのか……決まっている、それはモンドと同じ理由だろう。
つまりは、レイアストも昨日のライドス達から何らかの刺激を受けて、モンモンとしているのだ。
出会ってからの時間は短いが、付き合いの深さから相手への理解度をモンドは高めている。
そんな、魔族と人間の文化の違いも相まった複雑な乙女心からくるレイアストの反応に対して、少年は高度な読みを可能としていた(ただしレイアストに限る)!
だからこそ、彼はあまり慌てず下手な追及もせずに、レイアストからのリアクションを待つ事にして普通に接する。
それが功を奏したのか、とりあえずはいつも通りに近い雰囲気となったレイアストも加えて、三人は食堂へと入っていった。
◆
「おう、来たな」
食堂へ入ると、すでに来ていたマストルアージが、レイアスト達を迎えてくれる。
野宿をしている時でもないのに、自分よりも先に来ていた師匠の姿を見たモンドは、思わず「えっ!」と声に出して驚いていてしまった。
「そんなに驚く事か?」
「屋内に泊まった時、先生が僕より早く起きるのは十回に一回あるかないかですし……」
「……まぁ、今はそれだけやる事が多いんだよ」
マストルアージの言う通り、彼の顔には少しばかり疲れたような色が浮かんでいる。
それが、仕事のせいか加齢から来るものなのかはわからないが、大変なのだという事だけは伝わってきた。
しかし、そんな事を言いはしたが、マストルアージの側かすれば、部屋に入ってきたレイアスト達の様子に、どこかいつもと違う違和感を感じる。
うつむき気味なレイアストに、普段以上に妹にベッタリなフォルア。
そして、そんな二人の間に、割って入ろうとしないモンド。
微妙なぎこちなさが漂う若者達に、マストルアージはやはりな……と、自分の危惧していた事が起きていると感じていた。
普段は十人以上が座る大テーブルに、全員が着席したのを受けて、城の給仕達が動き出す。
そうして、本格的な朝食が始まる前に、マストルアージは若者達に対して口を開いた。
「あー、まずはお前らが落ち込んで無さそうで、なによりだ」
急な労いの言葉に一瞬、こんな時まで自分達の煩悩優先で物を考えていた事を見透かされた気がして、嫌味のような物を飛ばされたのかと、レイアスト達の動きが固まる!
しかし、マストルアージはそれを、ライドス達の破局の原因をとなった事を、レイアストが気にやんでいたからこその硬直だと勘違いした!
なので、そのトラウマ的な物を取り除いてやろうと、マストルアージはポンとレイアストの肩に手を置いた。
「まぁ、あんな形で決裂したら、お前達が気にするのも分かるが、それでもなんとか関係性は保てるように……」
「え?」
「は?」
「?」
「……ん?」
マストルアージの言葉に、怪訝そうな顔をするレイアスト達。
その表情からは、言葉にしなくても「何の話?」といった思考が滲み出ているようだった。
「いや……魔族の血が入ってるって事でライドスに責められたから、それを気にして元気がないのかと……」
「…………ああっ!」
戸惑うマストルアージの言葉に、合点がいったとばかりにレイアストは、ポン!と手を打つ!
「いえ、違いますよ。ちょっと別の考え事をしてて、ボーッとはしちゃいましたけど……」
「別の考え事?」
「ええ、モンドくんとキス……」
そこまで言いかけて、レイアストはハッとした顔になり、口を噤いだ!
さらに、どうやら聞き逃していなかったらしいモンドは顔を赤らめ、フォルアの表情はビキビキと険しくなっていった!
だが、そんなレイアスト達の様子を見たマストルアージは、愕然とも忘我とも取れる呆けた表情になり、顔を隠すように手を充てて深い深いため息を吐く。
「お前ら……俺達おっさんが、色々な調整にどんだけ頭悩ませてたか。なのに、チュッチュッすることばかり考えていたって事かよ……」
地の底から絞り出すような声で呟いた魔術師は、思い切り頭を上げて若者達を睨み付けた!
「馬鹿か、お前ら!馬鹿じゃねえの!? もしくはアホか!」
かつて、仲間達と共に敗走を余儀なくされただけに、魔王の恐ろしさを知るマストルアージからすれば、レイアスト達が色恋沙汰に気を取られている姿は、能天気過ぎる。
いい大人ではあるが、思わず罵声のひとつも投げつけたくなるのも無理はないだろう。
「ああ、もうこれから命懸けの戦いもあるからか?そんなに目の前のイチャラブが大事か!大事だろうな、若いんだし!羨ましいな、こんちくしょう!」
もはや、叱っているのか僻んでいるのかわからないが、濁流のごとく流れ出すマストルアージの愚痴に圧倒されて、レイアスト達はただただ恐縮するのであった……。
◆
「…………」
ひとまず言いたい事を言い尽くしたようだが、朝食を終えた後もマストルアージの機嫌はあまり晴れていないようだ。
その証拠に、ガラの悪いチンピラよろしく、行儀悪く椅子にもたれかかって天井を仰いでいる。
「あ、あの……先生?」
恐る恐る、モンドがマストルアージに声をかけると、魔術師は返事代わりに気の抜けた息を漏らすような音で返してきた。
だが、やがて頭を掻きながら、モンド達に対して向き直る。
「……えっと、すいません……私ってば、自分の事で頭がいっぱいになっちゃってて……」
「いやまぁ、なんだ……逆に考えれば、そんだけ心に余裕があるというか、気の抜き所を心得てるというか……そう考えればまだ、な」
正直言えば小一時間ほど説教してやりたいところだが、若い頃は誰でも自分の事だけに視野が狭まってしまう事もあるだろうと、頭を冷やすマストルアージ。
実際、自分も昔はそんな感じであったし、変に恐縮されても困ると判断して、もうちょっと真面目に頼むとだけ言って、その話はおしまいとばかりに一旦、話を切った。
「さて、それはさて置くとして、今後のでかい作戦について打ち合わせするとしよう」
「でかい……作戦?」
「そうだ。これより一週間後、境界領域内にある、魔族側の補給ルートを強襲する!」
「なっ!?」
いきなり、敵陣の真ん中に突っ込む!と公言したマストルアージの言葉に、レイアスト達も二の句が繋げずにいた。




