10 姉の真意
「なるほど、お父様に造反しようと思うのも、無理はないわね……見違えたわ、レイアスト」
レイアストが発生させた植物に絡め取られ、沈黙した岩石兵を眺めながら、フォルアは感嘆のため息と共に言葉を漏らした。
かつて、魔族領域にいた頃の妹とは確かに違うのだと実感した彼女は、静かに……そして確認するように、レイアストへ語りかける。
「レイアスト……本当に貴女は、その人間の少年と添い遂げる気なの?」
「モチロンです!」
若干、食いぎみになるほどの即答!
さらに、そんなレイアストにモンドも同意するように、大きく頷いた!
「そう……」
一瞬、悩むように視線を下に向けるフォルアだったが、何かを心に決めたような、覚悟の籠った表情で顔を上げる!
「人間と魔族……この二つの種族が結ばれるなど、絶対に認める事はできないわ!」
フレアマール様の悲劇を繰り返さないために……そう言いかけた言葉を飲み込み、フォルアは彼女自身で最大の魔法を発動させるために、魔力を集中させた!
「豪火球!」
フォルアの右手を起点として、身の丈よりも巨大な炎の塊が生成される!
「暴風砲!」
さらにフォルアの左手からは、小型の台風を思わせる魔力の暴風が沸き立ち渦を巻いた!
炎と風、二つの異なる属性魔法を同時に発動させたフォルアに、レイアストとモンドだけでなく、エルディファまで目を見開いて驚きを顕にする!
「に、二属性の同時展開だと!? そんな真似ができる魔族など、私も聞いたことがないぞ!?」
エルディファが、ここまで驚愕するのも無理はない。
フォルアが様々な属性の魔法を使えるとはいえ、『色々と使える』のと『同時に使える』のでは、難易度の桁が違いすぎるのだ!
たとえ魔力制御に重きを置いた、数多い人間の『魔術』使いの中でも、そんな真似ができるのは彼女が知る限り一人しかいない!
基本的に力任せな魔族において、それほどまでに複雑で高等な技術を使いこなすフォルアは、まさに『万魔』の異名に相応しい傑物と言っていいだろう。
そんなフォルアは、展開した二つの魔法を維持しながら、最後の警告とも手向けともとれる言葉を、レイアスト達に放った。
「レイアスト……貴女が本気でお父様に勝つつもりなら、今からワタクシの放つ魔法を打ち破ってみなさい」
「フォルアお姉様……」
「ワタクシに勝てれば、例えお父様が相手でも勝機はあるでしょう……でも、それが無理ならこの先で地獄を見る前に、苦しむ間も無く殺してあげるわ」
それがせめてもの慈悲だと、フォルアは優しく微笑んだ。
その笑顔に、どこか悲痛な想いを感じたレイアストとモンドは、互いに頷き合うと正面からフォルアの魔法に対抗すべく、指を絡めて固く手を繋ぐ!
逃げる事無く戦う姿勢を見せた妹の姿に、フォルアも意を決し、自身の最強魔法を放つべく二つの属性魔法を融合させていった!
「受けてみなさい、レイアスト!」
豪火は暴風の渦に煽られ、炎の竜巻となって荒れ狂う!
それは、魔族最強の炎使いが放つ炎よりも高い威力を持った、フォルアの奥の手である最強の魔法!
「火炎旋風砲!」
指向性を持つ炎の竜巻が、怒り猛る龍のごとく、レイアストとモンドへ向かって牙を剥く!
大都市ですら壊滅させる災害の名を冠したその魔法は、まさに必殺の一撃!
飲み込まれればフォルアの言う通り、二人は一瞬で消し炭となって苦しむ間も無く息絶えるだろう!
だが、迫る炎を前にして、レイアストとモンドの顔に絶望の色はない!
「いきます、レイアさん!」
「いこう、モンドくん!」
繋いだ手に力を込め、二人は同時に叫んだ!
「金気展開!」
モンドの体から深山の朝霧のような、金気を象徴する白い輝きが溢れ出す!
「水気展開!」
彼と同時に別の属性を展開した、レイアストの巫女服の下でインナーのように彼女の体を保護している黒のボディースーツから、深海の水底を思わせる黒い魔力が溢れ出した!
「金生水!気を以て、水気を助く!」
五行相生の法則に従い、モンドの繰り出した白い金気がレイアストの黒い水気と溶け合い、その総量を増していく!
「こおぉぉ……っ!」
呼気と共に、より深い漆黒の気を増幅させるレイアスト。
その宵闇を切り取ったような水気の中に、モンドから受け取った金気の粒の星を煌めかせ、フォルアへと向けた左手に、魔力を集中させる!
螺旋を描いて集まっていく魔力は、ブラックホールを連想させるほどに超圧縮され、野球ボールほどの大きさまで縮んだその水気の塊に、レイアストは指向性を持たせて撃ち放った!
「水剋火!水気を以て火気を剋す!」
迫り来る全てを焼きつくす炎の龍を、レイアストの放つ高圧カッターと化した水気の一閃が貫いていく!
その黒き一撃は、水蒸気の爆ぜる音を響かせながら、猛る炎を射貫き、蹴散らして突き進んでいった!
そして……全ての炎が輝きを失うのとほぼ同時に、術者であるフォルアはわずかに口の端を上げて笑みの形を作る!
その胸に、水気の黒閃を受けた事による、血の花を咲かせながら!
「…………見事よ、レイアスト」
溢れ落ちた血で濡れた唇から、か細い称賛の言葉を漏らしながら、フォルアはガクリと膝をつく。
そのまま、どこか満足げな表情で倒れそうになる姉を、駆けつけたレイアストが抱き止めた!
「フォルアお姉様!」
転身が解け、素の姿に戻ったレイアストが彼女へ呼びかける!
そんな悲痛な声で叫ぶ妹に、フォルアはまた優しげな笑みを浮かべた。
「なによ、その顔は……ワタクシの最強魔法を破ったのだから、もっと喜びなさい……」
「……喜べませんよ。あなたの攻撃からは、レイアさんを思う気持ちが溢れてましたから」
一足遅れて駆けつけたモンドが言うと、レイアストも同意するようにジワリと目に涙を浮かべながら頷いた。
「……フフッ、初対面の少年に見透かされるなんて、さすがのワタクシも演技は苦手だったみたいね」
痛みに少しばかり顔を歪めながら、自嘲しながら他人事のように冗談を口にするフォルア。
そんな彼女を抱えるレイアストは、どうしても聞きたかった事を質問した。
「お姉様は……なぜ、私を守ろうとしてくれたんですか?」
思い返してみると、最後に放った強大な魔法を除けば、レイアスト達を自分の配下に誘った事や、彼女に近づく人間を排除しようとしていた事など、それらは妹を守るための行動だったと取れなくもない。
さらに言うなら、かつて魔王城でレイアストに魔法を教えてくれていた頃も、魔力コントロールができずに失神することはあったが、大怪我をするような事はなかった。
他の指南役の魔族からは、落ちこぼれのレイアストなど死んでも構わんし、そのつもりで鍛えると目の前で言われた事もあったのにだ。
それを思えば、あの最後の魔法とて、これから訪れるであろう地獄のような苦しみから解放させるために、涙を飲んで放ったような気配があった。
魔族領域では、フレアマールを覗けば誰からも夏の蚊ぐらいに疎まれていた自分を、密かにとはいえ何故気にかけていてくれたのか?
レイアストの問いかけには、そんな思いが込められていた。
「なぜ……ね。決まっているじゃない……妹だからよ」
「え……」
妹だから守ろうとした。
その何でもない、当たり前すぎる答えを聞いたレイアストは、逆に何も言えなくなってしまう。
そんな戸惑う妹の顔に手を伸ばし、フォルアはソッと頬を撫でた。
「貴女は覚えてないでしょうけど……ワタクシは、貴女が生まれて間もない頃、一度会いに行っていたのよ」
◆
──そう、あれは十八前。
当時、齢三歳にして頭角を現し始めていたフォルアは、父が人間に産ませた妹がいるという話を聞いて、それを見物に行ったのだ。
正直に言えば、数日前に生まれたばかりだというその娘の事は、珍しい小動物の見物にでも行くような心持ちしかなかった。
ついでに、人間の女が言うことを聞かないようなら、調教してやろうとか……そんな傲慢な思いを抱きつつ、人間の女……フレアマールの部屋に到着したフォルアは、意気揚々と思いきり扉を開け放った!
「いるかしら、人間の女!ワタクシが、妹の見物に……」
「静かになさいっ!」
部屋に入った瞬間、怒号と共に頭に強烈な痛みが走り、フォルアは思わず床に倒れこんだ!
それが、フレアマールの放った拳骨だと理解した瞬間、涙目で立ち上がろうとする!
「ワ、ワタクシになんて真似を……」
「……!」
文句を言おとしたフォルアに、フレアマールが威圧の籠った視線を向ける!
それだけで、幼かった彼女は失禁しそうなほどの恐怖感に、身動きが取れなくなってしまった。
「あう……ううぅ……」
「あら、貴女……フォルアちゃんね」
「え……」
自分の名前を呼ばれた途端、フレアマールからの威圧は霧散して、思わず尻餅をつきそうになった。
だが、そんな無様な姿は見せないと、気丈にも立ち続けるフォルアに、フレアマールの頬が緩んで優しげな笑みが浮かぶ。
「あ、貴女は、ワタクシを知っているの?」
「それはそうよ。なんたって、私のレイアストのお姉ちゃんですもの」
「お姉ちゃん……」
初めてそう呼ばれたフォルアの胸に、なんだか照れくさく、むず痒いような感情が沸き上がる。
しかし、それは決して不快な物ではなく、むしろ皆に誇りたくなるような気分を少女は味わっていた。
「もしかして、あなたの妹……レイアストを見に来たの?」
「え、ええ……」
頷くフォルアに、フレアマールは嬉しそうに微笑み、「ちょっと待っててね」と囁くとベッドの方へと歩いていく。
そうして、何かを抱きかかえながら、フォルアの元へ戻ってきた。
「ほぅら、レイアスト。お姉ちゃんが、お顔を見に来てくれたわよ~」
柔らかな産着にくるまれた、小さな小さな女の子。
始めて見る人間の赤ん坊に、フォルアが目を見開いていると、その赤ん坊がうっすらと目を開けた。
そうして、フォルアと目が合うと、レイアストは幸せそうにニッコリと笑う。
「つっっっっ!」
その笑顔を見た瞬間、フォルアは心臓を射貫かれたような衝撃を受け、言葉を失った!
(こ……この子、この子は……っ!)
胸を掻きむしりたくなるほどの衝動!
そして、全身を駆けめぐるたったひとつの想い!
「フ……フレアマール……様!」
「ん?」
「ワタクシが……ワタクシが、妹を守りますわ!」
小首を傾げた妹の母に、フォルアは宣誓する騎士のごとく誓いを立てる。
その言葉があまりにも真剣だったため、フレアマールは彼女を抱き寄せながら、「ありがとう、お願いね」と耳元で囁いた。
力強く頷くフォルアに、フレアマールはレイアストを抱いてあげてと、腕の中の赤ん坊をソッと手渡す。
先ほどよりも間近で見て、実際に抱いてみた妹は、思ったよりも小さて暖かった。
すぅすぅと寝息を立て始めた可愛い宝物に、フォルアは優しく頬擦りしながら、この子を守ってみせると誓いを新たにするのだった。
◆
「……それからワタクシは、魔法の腕を研き、表向きには貴女の指導者となる事で、他の連中から守ってきたつもりだったわ」
「……うっ、くっ……」
フォルアの話を聞いている内に、レイアストの目から大粒の涙が溢れ出す。
厳しくも恐ろしいと思っていた姉が、こんなにも自分の事を考えていてくれてたなんて……。
怯えるばかりで本質を見抜けなかった自分の不甲斐なさと、本心を隠して自分を守ってくれていたフォルアへの感謝で、涙が止まらなかった。
「ご、ごめんなざい、おねえざま……わ、私、なんにも知らなぐで……」
「いいの……ワタクシも、知られないようにしていたのだから……」
ゼハー、ゼハー……。
「むしろ、ワタクシの方こそごめんなさい、レイアスト」
「な、なんでお姉様が謝るんですか!」
ハァー、ハァー……ゲホッ!
「フレアマール様が追放された当時……地位も無かったワタクシは、何もできなかったから……」
「そんな……お姉様のせいじゃありません!それに、私だって長い間なにも気がつかなかった、とんだお間抜けだし……」
ふぅー、はぁー……おえっ、ゴホゴホ……。
「それこそ仕方ないわ、フレアマール様の追放は秘匿されて……」
はぁー、やべえ……おっさんになると、体力の減少が身に染みるな……。
「でも、私も……」
おう、モンド。いま、何がどうなってんだ?
『って、やかましい!』
思わず、姉妹の声がシンクロする!
そうして向けられた視線の先では、ようやくこの場にたどり着いたマストルアージが、荒い息を整えながら滝のような汗を拭い、モンドやエルディファに状況を尋ねている所だった。




