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07 姉からの提案

 わずかにカールのかかった、夜の闇を紡いだような黒髪を指先でもてあそび、漆黒のドレスを思わせる法衣に身を包む、貴族然とした女性魔族。

 レイアストを妹と呼び、優雅に佇むその姿からは、確かに魔王の娘と呼ぶに相応しい気品のような物が感じられた。

 その女性魔族……フォルアは、チラリとエルディファを一瞥すると、レイアストへと視線を戻して「ふぅ……」と小さなため息を漏らす。


「まったく……貴女は何をしているのかしら、レイアスト?」

「何を……とは?」

「お父様に反旗を翻した事に、決まっているでしょう」

 やはり、そのための刺客か……そんな事を思いながら、レイアストが緊張の度合いを高める。

 だが、そんな妹とは裏腹に、フォルアは芝居がかった調子で肩をすくめて見せた。


「まぁ、人間の魔法使いが撃退(・・・・・・・・・・)したとはいえ(・・・・・・)、あのアガルイアお兄様を退けた場にいたのだから、おバカな貴女が勘違いしてしまうのも無理はないわ。でもね、お父様に逆らうのは無謀すぎでしょう?」

「え?」

「ん?」

 姉の言葉に思わず声を出してしまったレイアストに、フォルアもまた怪訝そうな目を向けてくる。

 彼女の言葉をそのまま受け入れるなら、人間の魔法使い……つまり、マストルアージかモンドがアガルイアを撃退したと、魔族サイドには伝わっているという事なのかもしれない。


(お、お姉様達には、どんな風にあの戦いが伝えられたんだろう……)

 確かにレイアスト一人で成しえた事ではないし、他の強者が兄を退けたという話の方が、納得されやすいのも道理ではある。

 しかし、レイアスト自身が活躍したとは一ミリも思われていない事に、兄姉達からどう思われていたのかを再確認したような気分になり、心の古傷がチクリと痛んだような気がした。


「……まぁいいわ。それよりも喜びなさい、レイアスト。今日は貴女に、千載一遇のいい話を持ってきてあげたわ」

「いい話……ですか?」

「ええ。貴女、ワタクシの部下として、魔王軍に戻ってらっしゃいな」

「……はい?」

 突拍子もない提案に、思わずレイアストの目が点になる。

 しかし、提案者であるフォルアは、これ以上の申し出はないでしょうと言わんばかりに、微笑みを浮かべながら妹へと手を差し伸べた。


「おバカで弱い貴女でも、おとなしくワタクシの庇護下に入るのなら、お父様への助命も嘆願してあげるわ。もちろん、ワタクシへの絶対服従が条件だけど、そこは問題ではないわよね。ちゃんと言う事を聞くなら、可愛がってあげてもいいわ」

 ころころと笑いながら、フォルアは慈悲深い己の提案に跪いて手をとるよう、気配でレイアストに促す。

 だが……。


「申し訳ありませんが、その申し出はお断りします!」

「……は?」

 まさか、断られるとは思っても見なかったのか、フォルアは驚きというよりも困惑したような表情を浮かべた。


「ワタクシの聞き間違いかしら……『断る』と言ったように、聞こえたのだけれど?」

「間違っていませんよ、お姉様。私は、もう魔王軍に戻るつもりは無いし、貴女のペットになるつもりもありません!」

 レイアストの否定の言葉に、フォルアの顔から笑みが消える。


「貴女のような落ちこぼれが、お父様やお兄様達を敵にまわして生き延びられるつもりなの?」

「私ひとりでは無理でしょうね……でも、今は頼れる仲間がいます」

「他人の力をあてにするような発言を、よくも恥ずかしげもなく……」

 呆れたのか、妹の不甲斐なさが情けないのか……フォルアは、大きくため息を吐きながら、首を振ってみせた。

 そうして顔をあげると、キッと鋭い目付きでレイアストを睨み付ける!


「そんな薄っぺらい志で、よくも下克上など宣言できたものね!」

「確かに、半分は勢いで宣言してしまったのも事実です。でも……」

 目を閉じ、胸に手を当てれば、思い出されるのは、大好きな少年の姿。

 彼がレイアストの側にいてくれると思えば、力と勇気が湧いてくる!


「それでも私は、自分を卑下する事は止めて、想いのままにまっすぐ生きると決めたんです!それが……仲間とお母さんの願いでもあるから!」

「貴女のお母様……フレアマール()の……」

「え……?」

 フォルアが母に敬称をつけて呟いた事があまりにも以外で、レイアストは思わず驚きの声を漏らす。

 そんな妹の態度に、姉はわずかな笑みを見せた。


「人間とはいえ、正式な王妃の一人ですもの……敬称くらいはつけますわ」

 好戦的で武闘派な魔族内に置いて、さすがは魔法を得意とする頭脳派なフォルアである。

 どんな相手であろうとも、地位を持つ者には一定の敬意を払うくらいの礼儀は待ち合わせているようだった。

 恐ろしい人ではあるが、見習うべき点もあると、少しだけ姉に対して恐怖が薄らいだ気がしたレイアストの口元がついほころぶ。

 そんな彼女に、フォルアの方は眉をひそめたが、気を取り直したようにコホンと咳払いをひとつした。


「とにかく……おとなしくワタクシの提案を受け入れられないと言うのなら、あとは力ずくで立場をわからせるしかないわね」

「そうですね……」

 戦う姿勢を見せるレイアストを、フォルアは鼻で笑う。

 それがどれだけ無謀な抵抗であるか、すぐに教えてやると言わんばかりだ。


「ワタクシの指導(・・)の際、貴女は手も足も出なくて、惨めに気絶するばかりだったわね……」

「……あの頃とは、違いますよ」

「同じよ!すぐに思い出させてあげるわ!」

「あー、ちょっといいかな?」

 高まる緊張感の中、急に横からかけられた気の抜けた声に、姉妹は思わずそちらに目をやった。

 そんな二人の視線の先にいたのは、こちらに歩を進めてくる、エルディファの姿である。

 彼女は、場にそぐわないリラックスした様子で、さらに言葉を続けた。


「いや、姉妹水入らずの話し合いに、口を挟むのも不粋かと思って黙っていたんだがね。交渉決裂となれば、私が参戦しても問題はないだろう?」

 軽く体をほぐしつつ、エルディファはフォルアへと向かって指をクイクイと動かして誘いをかける!

 そのあまりにも不遜な態度は、魔王の娘でもあるフォルアのプライドを刺激し、攻撃の標的を彼女の方へと導いた。


「エルフごときが……部外者の分際で、ワタクシと妹の間に入らないでくださる?」

「いやいや、まったくの部外者という訳ではないぞ。このレイアストは、私の生徒でもあるからな」

「はぁ!?」

 エルディファの発言に、思った以上のリアクションをするフォルア!

 そして、彼女はレイアストを睨み付けた!


「どういう事なの、レイアスト……ワタクシという魔法の指導者がありながら、こんな女に師事するなどと……!」

 まるで、浮気を咎めるようなフォルアからの圧力に、レイアストは思わず気圧されてしまう。

 しかし、そんな彼女を庇うように、エルディファが口を挟んだ!


「魔術だけが生きる術でもあるまいに、色々な人に師事して力を伸ばすのは、いい事じゃないか。それに私の見立てでは、なかなかの才能がレイアストには有りそうだしね」

「エルディファさん……」

 自分を褒めてくれるエルディファの言葉に、レイアストは嬉しくなって、つい表情を緩める。

 そんな風に、目を輝かせてエルフを見つめる妹の姿を見て、フォルアはより不機嫌そうに口の端を歪めた。


「小賢しいエルフが……おバカなレイアストを取り込んで、どうするつもり?」

「なにか酷い言われようだが、私がレイアストを鍛えているのは、人の(えにし)と純粋な善意だぞ?」

「そんなもので、レイアストに(なつ)かれたとでも言うの?……とんだ泥棒猫だわ」

 後半の消え入るような呟きはレイアスト達の耳にも届かなかったが、フォルアはエルディファを睨み付けたまま、不意に胸の谷間へと指を突っ込む!

 そうして、そこから判子ほどの小さな筒状の物を取り出すと、それを握り込んで魔力を流し込む!

 すると、その両端が勢いよく伸びて、瞬く間に先端に濃い紫色の炎を宿した一本の杖と化した!


「レイアストを連れ戻すには、まず貴女を排除する必要がありそうね!」

 魔力の炎に照らされ、濃い影のできたフォルアの形相は、元が整っているだけに壮絶な迫力を醸し出す。

 しかも、なぜかレイアストに執着している様子も相まって、情念のようなものまでメラメラと燃えているように感じられた。


「……なんとも、禍々しいな」

「フォルアお姉様が魔法の杖を使う以上、本気で来ますよ……気をつけて下さい!」

 エルディファへ忠告しつつ、自身も油断なく姉の挙動を見つめながら、レイアストはいつでも『転身』できるよう、クズノハへ向けて手を伸ばす。

 それを察してか、クズノハの方もそのタイミングがくれば『魂霊ドライバー』に変化できるように、スタンバっている気配が伝わってきた!


 沈黙が支配する結界の中で、しばし静かな睨み合いが続く。

 しかし、その沈黙の気配は徐々に圧縮されていき、息苦しささえ覚えるほどだった!

「………………」

 レイアストの顔を伝う汗が、ポトリと彼女から離れる。

 それが、地面に落ちた瞬間!

 フォルアの口角がわずかに上がり、レイアストの伸ばした手にクズノハが触れると、ほぼ同時に二人の姉妹は動きだした!


「豪火球!」

「『転身』!」


 フォルアの放った豪火の光と、レイアストとクズノハが転身した際の発光とが重なり、結界内は凄まじい光が包み込まれていった!

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