06 己の気持ち
◆
「それじゃあ、俺とモンドは一旦王都に戻らせてもらうぞ」
魔族対策の結界を作るという仕事があるため、マストルアージとモンドはここで一時別れる事になる。
それは、元より承知していた事だ。
だが、その時が実際に来ると、レイアストの心には言い様のない寂しさと切なさが押し寄せてくる。
本心を言えば、めちゃくちゃな駄々をこねてでもモンドを引き止めたい所だが、さすがにそこまで醜態を晒すのは年上の女性としての矜持が許さなかった。
「転身しての訓練もあるかもしれないし、何かあった時のためにクズノハには残ってもらいますから、元気を出してくださいね」
レイアストを励ますように、モンドは努めて明るく笑う。
なぜなら、自分では上手く隠しているつもりだったかもしれないが、彼女の表情からはモンドと別れたくないという感情がだだ漏れだったからだ。
「まぁ、十日くらいしたら様子見にくるからよ。それまで、エルディファに食らいついて強くなっとけ」
「十日、ですか……」
寂しくはあるものの、それくらいの期間なら耐えられる。
なぜか本調子でない『転身』も気かがりではあるが、何度か合体して慣れればあの時の力も出せるようになるかもしれない。
だから、モンドを心配させないためにも、明るく別れようとレイアストは無理に笑顔を作った。
「モンドくんも、お仕事がんばってね!私も、もっと強くなるから!」
「はい!レイアさんと離れるのは少し寂しいですけど……お互いに頑張りましょうね!」
できれば、温もりと触感と香りを堪能して励みにするために彼を抱きしめたかったが、なんとか自重して握手を交わす。
そうして、去っていく少年と魔術師の背中を見送り、二人が結界を出た所でレイアストは大きなため息を吐いた。
「……随分と露骨に寂しがるじゃないか」
意気消沈するレイアストを励ますように、肩を叩きながらエルディファが話しかけてくる。
「すいません……でも、ちゃんと修行は頑張りますので」
「フフフ……そういう、一度気に入った相手に執着する様子は、フレアマールそっくりだね」
二十年前……魔王討伐の旅の中であった、たくさんの出会いと別れの際、何度か今のレイアストみたいな態度を彼女の母は見せていたと、懐かしむようにエルディファは語った。
そんな一面を知り、自分への想いを残してくれた母への気持ちが、改めて胸の奥が熱くなる。
確かにモンドと離れるのは寂しい所だが、今は強くなるためにその感情は忘れよう!
なによりしばらく離れる事で、モンドの心境にも何らかの変化が現れて、自分を亡き姉に重ねる事なく、一人の女の子として見てくれるきっかけになるかもしれない。
そう決意と希望を新たにし、レイアストはクズノハを抱き上げると、頑張ろうねと明るく声をかける!
それに応えるように、守護狐も軽やかな鳴き声をひとつあげた!
「よぉーし、次にモンドくんと会う時には、びっくりさせてあげよう!」
「その意気だ!なぁに、たった百日ほどの辛抱さ!」
「ええ、ひゃく……百日?」
エルディファの言葉に、怪訝そうな表情を浮かべたレイアストが、ギギギ……と錆びた人形みたいな動きで顔を向ける。
「ん?マストルアージから聞いていないのか?私の結界の中では、時間の流れが外界と違うと」
そういえば、そんな事を言っていた気もするし、彼女とマストルアージが顔を会わせた時にもそれっぽい会話はしていた。
しかし、まさか結界の中と外で、そんなにも時間の流れに違いがあるとは、予想すらしていなかったレイアストは、愕然とした表情を浮かべる!
「な、なぜそんなに時間の流れが違うんですか!?」
「いや、私みたいな長命種は、外界との時間の流れの差があるとちょうどいいから……」
確かに、人間や魔族よりもはるかに長生きな彼女達にとって、そのくらいの時間感覚の差があった方がちょうどいいのかもしれない。
しかし、レイアストにとって、その差は相当な負担だった!
(た、体感時間で、百日も……モンドくんに会えない……)
たったいま固まった決意に、あっさりとヒビが入る音をレイアストは聞いた気がする。
確かに会えない時間が絆を育てる場合も有るだろうが、そこまで長い時間となると話は別であった!
(や、やっぱり抱きしめて、モンドくんを堪能しとけばよかったあぁぁっ!)
後悔先に立たず……これより、時々枕を涙で濡らす事になるレイアストの声にならない絶叫が、彼女の心の中にいつまでも谺していた……。
◆
集中して仕事をしていると、時間の流れは早いものだ。
師と共に結界作りに励んでいたモンドだったが、とりあえず一区切りとなるポイントまでの作業を終える事ができた。
大陸で主に使われている魔術体系と、龍州の五行術式を組み合わせたまったく新しい結界構築の作業は困難ではあったが、ここまで来るのにほぼマストルアージが見立てた通りの日数で順調に進んでいる。
そうして明日、一旦現場を離れてレイアストに修行をつけてくれている、エルディファの元へ向かうために、魔術師の師弟は少し豪華な夕食を取りながら、鋭気を養っていた。
(……明日は十日ぶりにレイアさんに会える)
そんな事を思う度に、モンドは我知らず笑みが浮かんでしまう。
しかし、浮かれている弟子の様子を見ていたマストルアージは、食事の手を緩めながらモンドへと問いかけた。
「なぁ、モンド……お前、レイアストの嬢ちゃんに会えるのが嬉しそうなわりに、妙に悩んでるみたいじゃねえか?」
突然、師から振られた質問に、モンドはギクリとしてわずかに固まってしまう!
「ど、どうして……ですか……」
なぜ、自分が悩んでいたのがわかったのかと問う弟子に、マストルアージはあからさまなため息を吐いてみせた。
「端から見てて、バレバレだっつーの!」
マストルアージの指摘に、モンドの顔はみるみる赤くなっていく。
あそこまで分かりやすくレイアストに対して好意を晒していたのに、もしかしたら本人は秘めた恋のつもりだったのかもしれないと思うと、弟子のちょっと抜けた面に苦笑しか出てこない。
やれやれと呟きながら、マストルアージは話を進めた。
「別に、色恋沙汰が悪いとは言わんさ。だが、これから旅に出る際に悩みを抱えてると、おもわぬ所で足を掬われる事になるかもしれんからな」
レイアストとモンド、二人の様子を見るに、モヤモヤしているよりもキッチリ自分の気持ちにけじめをつけた方が、良いパフォーマンスができるはず。
そう判断したからこそ、マストルアージはレイアストと再会する前に、まずはモンドの悩みを解消させる事にしたのだ。
「…………」
聡明な少年は、そんな師の意図を察したのだろう。
しばらく沈黙していたモンドだったが、やがて想いを吐き出すようにして口を開いた。
レイアストへの好意、自分の使命、身分の違い……胸の内に抱えていた、たくさんの想いが、堰を切ったように言葉の奔流となって溢れていく!
そうしてすべての気持ちを吐露し、ようやく訪れたわずかな沈黙の時間に、マストルアージは眉間を指で押さえてから、下を向く弟子へと声をかけた。
「真面目な奴だとは思っていたが、ここまで馬鹿が付くほどとはな……」
呆れたような師の言葉に、モンドも項垂れていた頭を上げてマストルアージの顔を見る。
そうして苦笑する師に、戸惑ったような表情を浮かべた。
「まぁ、俺の結論から言わせてもらえばだがな……ごちゃごちゃ考えてねえで、嬢ちゃんにキッチリお前の想いを告げろ!」
モンドの悩みをバッサリと切り捨てるように、マストルアージの言葉は続く!
「大体だなぁ、お前が気にしてる身分の差なんざ、レイアストの嬢ちゃんは気にしてねえよ!」
「で、ですが、レイアさんの将来を考えると……」
「そうやって、まだ来てもいねえ未来に対して腰が引けてるから、嬢ちゃんも不安になってるんじゃねえのか?」
マストルアージの一言に、モンドは衝撃を受けたような顔で小さく震えた!
「僕の態度が、レイアさんを……」
「おうよ!お前がごちゃごちゃ考え過ぎて一線を引くから、嬢ちゃんもごちゃごちゃ考えて悩んじまう……まぁ、悪循環だな!」
師の言葉に思う所があったのか、モンドは口元をおさえて黙ってしまった。
おそらく、また頭の中で色々と迷っているのだろう。
しかし、家族や帰るべき家を無くして、ようやくマストルアージとクズノハにだけ心を開いていたモンドが、ああもあっさりと心を許して歳相応の顔を見せたレイアストが、彼にとって特別でない訳がない!
そして、クズノハとの合体で窮地を脱するほどの力を見せたレイアストにとっても、彼の存在は特別なのだと確信している!
だからこそ、マストルアージはモンドに再び問うた。
「モンド……色々な諸事情は、ひとまず忘れろ。今、お前が嬢ちゃんに対して想う事はなんだ?」
「レイアさんに……僕は……」
「その気持ちを、素直に嬢ちゃんへ告げればいい。それからの事は、二人で考えていけばいいんだからよ」
「…………はいっ!」
吹っ切れたような表情で、力強く頷くモンドに、マストルアージも笑顔をみせる。
そうして、若い二人が上手くいくようにと声には出さず祈りながら、酒の入った杯をひとり掲げるのだった。
◆
(……そろそろ、モンドくん達が来る時期ね)
彼等と別れてから、体感時間で約百日……毎日、指折り数えて再会までの日にちを数えていたレイアストは、間も無く訪れるその日を一日千秋の思いで待ち焦がれていた!
この時に至るまで、エルディファとのマンツーマンでも訓練は熾烈を極めたと言っていい。
しかし、それでもレイアストの心は折れる事はなかった。
それは、魔族領域にいた時にはまったく無かった、上達の手応えや喜びなどが感じられた事もあっただろう。
だが、何よりもモチベーションとして大きかったのは、やはりモンドとの再会だった。
最初は寂しさのあまり、寝床でクズノハを抱きしめながら落ち込む事もしばしばあったが、モンドだって頑張っているのだと思うと、いつまでもへこんでばかりはいられない。
何より、自分に自信がつく事で、彼から姉の面影を重ねられているだけではないのかという不安が払拭されていくような気がして、修行にも熱が入っていったのだ。
(自分に自信を持つって、こんなに大事だったんだな……)
過去の扱いから自己肯定感の低かったレイアストだったが、流し汗や重ねた努力、そして修行をつけてくれたエルディファから認められたという経験が、彼女の気持ちを前向きにさせてくれた。
今のレイアストなら、余計な不安に惑わされる事なく、モンドへ気持ちを伝えられるかもしれない。
(フフフ……再会が楽しみだよ、モンドくん!)
高揚感にも似た気持ちを抱きながら、エルディファから課せられた基礎訓練を終えたレイアストに、クズノハが持ってきてくれたタオルを持ってきてくれた。
「ありがとう、クズノハちゃん」
「キュウン!」
汗を拭いながら礼を告げるレイアストに、クズノハも楽しげな鳴き声で応える。
そんな二人の元にエルディファもやって来て、一休みしてから行うメニューについて説明をし始めた。
(よぉし……がんばるぞ!)
そんな風に、レイアストが気合いを入れた、その時!
バキン!という金属が割れるような音が響き、結界の空間にヒビが入る!
「えっ!?」
驚くレイアストを尻目に、厳しい目付きで臨戦態勢となったエルディファが、空間の一点を睨み付けた!
すると、再び嫌な不協和音が鳴り響いて、結界の一部が砕け散る!
「…………」
「…………」
無言で見つめるレイアストとエルディファの視界の先、ぽっかりと空いた結界の穴から、ふわりと降臨する一人の女性。
おそらく、彼女が結界を破壊した張本人なのだろう。
「……こんな所に雲隠れしていたのね、レイアスト」
片膝をつきながら、投げ掛けられるのは穏やかな声。
しかし、その声を聞いた瞬間、レイアストの顔はみるみる青ざめていった!
「久しぶりね、不出来な妹……まさか、ワタクシを忘れるほど、無能ではないわよねぇ?」
「……忘れてはいませんよ……フォルアお姉様……」
緊張した硬い声色のレイアストとは裏腹に、『万魔』の異名を持つ彼女の腹違いの姉、魔王の六子であるフォルア・ハウグロードは、にこやかな笑みを浮べながら優雅に立ち上がった。




