婚約を潰したあとの山も谷も無い日々
大変、間が開いてしまいましたが、王太子視点編を追加しました。
それは一年前の出来事。
同い年である事を理由に十五歳になった自分は嬉しくもない事に、スプルース王国の第二王子の婚約者候補に名前が上がってしまった。顔合わせの日は嫌々登城した。
父侯爵と義母(第二夫人)は目に入れてもいたくない程に可愛がっている次女ではなく、一年後に追い出す予定の、亡き第一夫人の娘の長女が選ばれた事に酷く立腹していた。
まぁ、自分も王子と婚約なんてしたくないんだけどね。
待ち時間の時間潰しの話し相手と称して異母妹を連れて行き、王子と鉢合わせするように仕向けたら、二人は当然のように仲良くなった。運命の出会いだと大喜びしていた。
これ幸いと、自分も異母妹を王子の婚約者に勧めたら当の王子が乗り気になり、国王の反対を押し切って婚約した。
王子は恋愛がしたかったらしく、自分の将来を考えていなかった。いや、例え異母兄がいても、自身が正妃の息子だから当然のように王太子に選ばれると思っていたのだろうね。
当然だが、現実は甘くはなかった。
第二王子は『王子として』の能力が足りない。婚約者の異母妹は『泣いて気を引いて被害者ぶるしか能がない』上に、貴族の令嬢としては及第点以下。
こんな二人が次の国の頂点に立つ。世も末としか言いようがないだろう。
当然のように婚約して一年後、第二王子は男爵に臣籍降下。異母妹は王命で婚約解消出来なくなり、強制的に婚姻させられた。
この事実に父は抗議したが、王太子妃教育の進みが非常に悪い事と魔力無しを理由にされ、何も言い返せず、泣く泣く異母妹を手放した。
その間抜けな様子には呆れるしかない。甘やかした結果だろうに。それに、自分が王子と婚約する事に腹を立て、異母妹が選ばれて喜んでいたのを忘れたのか。
当然だけど、自分が婚約者に選ばれたのには理由が有る。
ぶっちゃけると能力と血筋だ。
まず、亡き産みの母は他国の王家筋公爵令嬢。異母妹の母は自国の弱小伯爵令嬢。
次に、魔法が存在するこの世界で異母妹は魔力を持たない。持っている人間は各国共通で人口のおよそ三割~四割だから、珍しいと言う訳ではない。
でも、他国の王家筋の公爵令嬢を母に持つ魔力持ちの長女と、自国の弱小伯爵令嬢を母に持つ魔力無しの次女のどちらかを選べと言われたら、当然、長女を選ぶ。
魔力持ちで有る事は、貴族にとってはステータスの一種。我が国は他国に比べると魔力持ちは少ない事情も有り、男爵家筋でもそこそこ優遇される。
他国における扱いは知らないが、この国においては魔力持ちの貴族なら例え男爵家の庶子で在っても、王太子以外と言う制限は有るが、王族の婚約者に成れる。
ま、自分は侯爵家の人間なので気にした事はないけどね。
男爵となった王子と異母妹の結婚式を見届けて、自分は家を出る準備を進めた。
家は五つ年下の異母弟が跡を継ぐので気にしなくても良い。血の繋がった同母姉が王子の臣籍降下の原因となったので、家督を継いでも居心地は悪いだろう。異母姉と仲がよろしくない事も拍車を掛けるだろうが、ここは思い切って見捨てる。異母妹と一緒に王子の婚約者に成れなかった事を馬鹿にしていた恨みが有るからね。
自業自得、いや、因果応報か? どちらでも良いけど。
それ以前に、義母と義妹の浪費で借金が嵩んで領地の半分を切り売りしているから、三年以内に没落する。爵位まで担保にしている法律違反の書類を見つけて確保したから確実だ。家を出る前にこれを王城に提出して置こう。
世界によっては『魔力持ちの義務』が発生するんだけど、運の良い事にこの世界には存在しない。学校も無いんだよね。
その代わりに、ファンタジー系の世界でお馴染みの冒険者ギルドやダンジョンが存在する。学校が存在しない世界なので留学は出来ないので、家を出たら冒険者として活動する予定だ。なるべく早くに出るのが一番安全だしね。
……実は、大陸のあちこちで戦争が度々起きていて、幾つかの国が滅びている。小国のウチは攻め込まれたら、速攻で落ちる程に弱い。山に囲まれた攻め難い地形な上に、特徴のない国なので侵略しても旨味のない国だから、未だに永らえているだけの国。
亡き母は何故こんな小国の侯爵家に嫁いだんだろうね? 国を跨いだ政略婚にしても旨味がない。
考えても回答は得られない。いそいそと家を出る準備を進めて行くと、父に絶縁状を渡す前日に手紙がやって来た。
送り主は、今まで疎遠で一度も交流のない、母の実家――スウェア公爵家だった。
「何、これ?」
手紙を二度三度読み返したが、内容は変わらない。
家に仕える老齢の執事が言うには、父にも母の実家から手紙が来ているらしいが、そっちはどうでも良いだろう。
問題は手紙の内容だ。
「何で今更……」
そう、今更になって『こちらの国の王命を果たす為に公爵家に来い(意訳)』と言った内容の手紙が来るのか。
一年前に、王子の婚約者になりかけた事が原因だろうか。それとも、異母妹を使って王子をスルーした事が原因か。
呼び出しの理由は判らないが、国力と家の関係上、拒否は難しい。
仕方がなく、追加の荷物を纏め始めた。
憂鬱な気分で馬車に揺られる。本来の予定で纏めた荷物は道具入れに容れてある。追加で纏めた荷物は馬車の荷物置き場に在る。
着飾る趣味がない事が幸いし、持って行く荷物は少ない。アクセサリー類は母から受け継いだものは全て売り払って個人資産に変えている。ドレスは必要最低限。サイズが合わない事を理由に強請っても買い与えられなかったから、母のドレスをリメイクしたものを着ていた。既製品の私服も最小限だ。
貴族の令嬢としては問題の有る扱いだ。母の実家の面々がキレないかちょっと心配だ。没落確定の法違反書類を提出したからこれで溜飲を下げて貰うしかない。
この世界では、転移魔法陣を使用した移動手段はない。ただ只管、馬車に揺られる。高速馬車なんてものもない。お陰でクッションに座っていたのに腰が痛くなった。道中の費用は全てスウェア公爵家持ちなので文句は言い難いし、扱いは非常に丁寧だった。機嫌を損ねて途中で逃げ出されたら困るって事か?
そもそも王命って何だろう? 一度も会った事のない姪をわざわざ呼び寄せる程の内容。どんな無茶な内容なのか気になる。
母の実家である、スウェア公爵家に関しては余り調べていない。当然、その国の事も国名が『エマニュエル王国』で、『自国よりも大きな国』と言う、この程度の情報しか知らない。
到着すれば嫌でも覚えるんだろうから、今調べなくても良いだろう。
二十日近い時間を掛けて漸く、エマニュエル王国の王都に存在する母の実家に到着した。日が結構傾いており、夕方と言って良い時間だ。
王家筋の公爵家の邸宅なだけ在って実家よりも大きい。ある意味当然か。
執事を名乗る白髪の老齢の男性のエスコートで馬車から降り、邸宅内を移動する。
応接室にしては女性好みの華やかな内装の部屋――恐らく夫人用のサロンに足を踏み入れる。室内には五人の金髪の男女がいた。うち一人は侍女服を着ている。
淑女の礼を取り、形式的な挨拶口上を述べて名乗る。
相手方は自分の顔を見て最初こそ驚いていたが、自分の挨拶と名乗りを聞くと直ぐに挨拶を返して来た。
最初に母の兄であり自分から見ると伯父に当たるスウェア公爵(外務大臣)の自己紹介から始まり、公爵夫人と二人の息子に、この屋敷にいる間の専属侍女が次々と紹介されて行く。
……一人も黒髪がいない。そう言えば、産みの母も金髪だったな。自分を嫌ったのも『祖父と同じ髪色』だから。皆が最初驚いていたのは、祖父と同じ色彩だからか。そう考えると、非常に面倒臭さを感じる。
互いの自己紹介を終えると、呼び出しの本当の理由を伯父が語り始めた。
内容は何処かで聞いた事のある話だった。
周辺国で戦争が多発している中、国が真っ二つに割れるのではないかと危惧する程に、二大派閥の軋轢が深まる事件(何が起きたかは教えて貰えなかった)が発生した。危惧を防ぐ為に、国を二分する派閥トップの公爵家同士の令息令嬢で婚約しろ王命が下ったが、互いの家に令嬢がいない。両家の親戚筋に年頃の令嬢は一人しかいないと言う状況だ。その一人が自分だ。
で、年頃の令嬢として自分が見つかったから相手の家(宰相)の次男坊(三男はいない)と婚約すれば王命を果たしたので終わりとなる。
なるのだが、ここで一つ問題が発生した。
相手の次男坊には、男爵令嬢の恋人がいた。家の格の差も有るが、容姿以外に褒められるところのない我儘令嬢で、更に浪費癖が有る。当然のように周囲から別れろと何度も言われたが、逆に意地を張って拒んでいる。
件の令嬢と見事別れる事が出来れば、王太子の側近候補に選ばれる程度には優秀らしいが、その全てを水の泡にする程に意地っ張りらしい。
おいおい。そんな男と婚約しなきゃならんのか? 孫の代じゃ駄目な案件なのか?
疑問が顔に出ていたんだろう。伯父が謝って来た。
「済まない。本来ならば国内の貴族だけで解決すべき問題だ。それを……」
伯父が本気で嘆息している。
少し驚いた。『貴族令嬢だから政略婚は当たり前』と言う思考ではなかったか。
いや、この場合は無関係な姪に押し付ける事を嘆いているのか。それとも、こんな王命が下った事を嘆いているのか。
まぁいい。呼び出された事情は理解した。理解したけど、確認しなくてはならない事が在る。
「一つ確認をしても宜しいですか?」
「む? 何かな?」
「事情は理解しましたが、恋人がいる方と王命とは言え強制的に婚約した場合、相手の令息から婚約破棄を叩き付けられる可能性が有るのではありませんか?」
何処の世界にも在った『真実の愛を見付けた云々から始まる婚約破棄騒動』は、当然ながらこの世界にも存在する。
国によっては、『一方的に婚約破棄を叩き付けたら、いかなる理由が有っても、破棄した奴が悪い』と法律で明記しているところも在る。
実際にやったら『一族ごと』嘲笑の対象となり、消えない醜聞として残る。
異母妹のアレも『運命だ』とか言っていたから、王家の醜聞として残るだろう。一年で息子を切り捨てた王の判断は英断かは数年後に解る。
「その可能性は考えなかった訳ではない。だが、な」
公爵の地位にいるだけ在って、その程度は容易に想像出来たんだろう。でも、途中から奥歯に物が挟まったような顔をするのか。
「どう言う訳か、王太子殿下が『是非とも』と強行したのだ」
おい、王太子。何アホな事を考えてんだ?
伯父の顔が曇っている。恐らく、王太子の思惑に気づいている。
「もしや、私も試されておりますか?」
「いや、それは彼だけだろう」
何を試されているのか暈して訊ねれば、伯父から否定が入る。
そうか。王太子は『王命の為に親しい人間が切り捨てられる人間』を側近に求めているのか。
非情だと、非難はしない。親しい人間が犯罪を犯した時に『庇わずに法に則って切り捨てられる』かは難しい。
ましてや、犯罪者を庇うような人間を王太子の側近にする事は出来ない。
こんな判断が下るって事は、その男爵令嬢と実家には何か有るのかもしれない。
伯父も同じ事を思ったんだろうね。起きそうな事に対する対策について話し合いがしたいと申し出れば、二つ返事で同意してくれた。
しかし、今日はもう旅の疲れを癒せ、細かい打ち合わせは明日行う事が決まり、伯父の鶴の一声で一旦解散となった。
旅装のままだった事を思い出し、専属侍女の案内で滞在する部屋に向かう。到着した部屋は質素上品な部屋だった。持って来た荷物は全て運び込まれていた。旅装から普段着のワンピースに着替えて侍女を下がらせ、室内探索を始めた。何処に何があるか把握していないのだ。
クローゼット、サイドチェスト、机にベッド周りを見て回る。
持って来た荷物は全て、クローゼットに収納されていた。サイドチェストと机の引き出しは空っぽ。今のところ入れるものはないので放置。
ベッドに腰かけてこれから一時的に使う部屋を眺めていると、ドアがノックされた。応答すると先程の侍女がやって来た。夕食の時間だから呼びに来たと言う。
そう言えば、夕方に到着したから夕食の時間になるのか。
抜けているなと思いつつ、侍女の先導で食堂に向かう。歩きながら、明日屋敷内の案内をして貰おうと考える。
到着した食堂にはスウェア一家が勢揃いしていた。夕食はなるべく一家で取る決まりでも有るのか。ずっと独りで取っていたから何だか新鮮だ。
勧められた席に腰を下ろすと、伯父が話しかけて来た。思っていた通り、朝と夕方は全員で取るのが決まりだと言う。この家に居る間は家族と同じように扱うと先程も言われた。これから、一家の決まり事を沢山教わる事になるのだろう。
歓談しながらの食事を取る。食事作法絡みで視線を貰わなかったので、及第点には届いているのだろう。
デザートのフルーツタルトまで食べ終え、食後のお茶を一杯貰う。そのまま再び歓談時間となり、とある疑問を思い出した。
――亡き母は何故この国の侯爵に嫁いだんだろう。国を跨いだ政略婚にしても旨味がない。
母の性格は攻撃的だった。伯父の性格は非常に穏やかで、母と血が繋がっているのかと勘繰ってしまう程。
今ここで尋ねて見ようかと思ったが、和やかな雰囲気を壊してまでする質問とは思えない。
その内解るだろうと、後回しにした。
お風呂を済ませてからこの日は就寝した。
翌日。
午前中に再び幾つかの確認を行い、午後は公爵夫人と買い物に出る事になった。『娘がいないから一緒に買い物がしたい』と言う申し出は、予想範囲内なので二つ返事で了承した。娘がいない母親は、何処でも似たような希望を持つのね。
費用は全て公爵家持ち。昨日クローゼットに荷物が収められていたので、所有ドレス(しかも既製品やリメイク品)の数が少ない事はバレているだろうと思っていた。アクセサリー類に至っては持っていない。
夫人は持参した荷物の中身を知っていたらしく、買うアクセサリーはどれも買い込んだドレスに合わせたものばかり。どれも公爵家の人間用なのでとっても高価。どれ程のお金を使ったのか考えたくもない。
一つ一つ楽しそうに選んでいるので口も挟めず、買い物が終わるまで黙って着せ替え人形でいましたよ。
この翌々日の午後。
遂に王命で決まった婚約者と顔合わせをする。
前日に夫人と一緒に選んだドレスとアクセサリーを身に纏い登城した。
そして、予想通りの事態になった。唯一の予想外は、アホ令息が件の男爵令嬢を連れて来た事か。
アホの父親はエマニュエル王国の宰相って聞いたんだけど、どうなっているんだ?
疑問は直ぐに解消された。思い合っている令嬢がいるから嫌だと主張する為だけに連れて来たのだ。流石に公爵邸からは連れて来なかった――正確には出来なかったが正しいか――が、王城で合流するとは予想外だ。
でもね。常識に則った行動を取ろうぜ。今日の顔合わせは王命で決まったんだぞ。
宰相改め、ノウリッジ公爵とその嫡男は今にも倒れそうな顔をしている。ノウリッジ公爵夫人に至っては忌々しそうに男爵令嬢を睨んでいる。その全てを無視して見つめ合う宰相の次男坊と男爵令嬢。ある意味強心臓を持っている。
しかし、国王からのお叱りは免れられず、二人纏めて追い出された。ノウリッジ公爵一家も退出する。
前途多難な状況にエマニュエル国王は頭を抱えた。同席していた王太子は黒い笑みを深めた。
スウェア公爵一家は予想通りの結末に、誰一人として反応しない。夫人が笑顔を張り付けたままなのが怖い。
顔合わせはこうして終わった。
そして、馬鹿令息と王の御前で正式に婚約してから半年が経過した。
見事なまでに、こちらが予測した通りの事が起きた。王に頼んで隠密護衛を付けて貰って正解だった。
夜会や昼間の茶会のエスコートをしない。手紙のやり取りはおろか、相互理解の為のお茶会までも拒む。挙句の果てに、婚約者の誕生日を無視する始末。これに加えて、会った事のない男爵令嬢に嫌がらせをしたとスウェア公爵家に怒鳴り込んで喚き散らす。
ここまで婚約者としての『最低限の義務』を果たさず、事実確認すら取らない阿呆だとは思わず、国王と伯父共々呆れ果てた。
これには馬鹿の父ノウリッジ公爵も頭を抱えている。婚約の意味を理解している上に、妻の愚行も入っているので、二重の意味で頭と胃が痛いだろう。
馬鹿の母は仲の良い侯爵夫人の娘を息子の嫁にしたいと、幼少期からよく引き会わせていたらしい。それが、突然現れた男爵令嬢に奪われて怒り心頭だそうだ。
男爵令嬢への嫌がらせの主犯は『自身の母と幼馴染の侯爵令嬢と侯爵夫人の三人』なのだが、馬鹿は何故か自分が犯人だと思い込んでいる。これは男爵令嬢が嘘を吐いているのが原因である。男爵令嬢を侮辱罪で訴えても問題ないな。
自分と令息の婚約は王命である事は誰もが知っている事なのに、主犯三人と男爵令嬢の頭は一体どんな作りをしているんだか。
散々な結果に、派閥を超えて、誰もが頭を抱えている。
特にダメージが大きいのは、代々宰相を務めて来たノウリッジ公爵家を頂点とした派閥だ。自身が所属する派閥のトップの息子が『醜聞を垂れ流している』状態を見て、派閥から離脱する家が続出した。離脱した家はサークルレベルの集まりを作り、各々好き勝手にしている。
派閥の争いで国が真っ二つに割れるどころか、派閥が乱立する結果となった。
スウェア公爵家は王命を果たす事のみ考えて行動した結果、以前よりも派閥が大きくなり、国内トップ派閥となった。
国が二つに割れる程の事件が起きたにしては、纏まりが良過ぎる気もする。けれど、気にしても意味はない。エマニュエル王国において『女性は政治に口出しするものではない』からだ。面倒くさい政治に関わらなくて良いのなら、喜んで目を逸らすとも。
この散々な結果を齎した馬鹿令息はと言うと、何とも恐ろしい事に、この状況に気づいていない。
ノウリッジ公爵が、現在の宰相を務めているので簡単に役職を解く事は出来ない。だが、次代の宰相は他家の子息(嫡男に宰相の仕事をやらせたくない家が幾つか在った)が選ばれる見込みだ。
ノウリッジ公爵家の嫡男は宰相になれず、家を継いだら零落の一途を辿る。正直に言おう。哀れとしか言いようがない。
そして、事態はノウリッジ公爵家にとって、非常に最悪な結末を辿ろうとしていた。
月末、王城の大ホールが、その結末の舞台となった。
外務大臣の伯父夫婦は、一家で他国の夜会に出席しているので、本日の夜会は欠席。何が起きても良いように事前準備はしている。王家とは事前に打ち合わせをしているから、自分にとっては悪い方向に転がる事はない、筈だ。
故に、単独参加でも気にならない。
王太子の人脈作りが目的の『王太子主催』の夜会で、あの馬鹿令息は何時ものように男爵令嬢を侍らせて堂々とやって来た挙句、『貴様のような底意地悪い女とは婚約破棄だ!』と叫んだ。胸を押し付けるように馬鹿の腕にしがみ付いている金髪碧眼の令嬢は、確かに端麗な顔立ちをしている。しかし、身に纏うプリンセスラインのドレスが豪奢過ぎて下品。評価はプラスマイナスゼロと言ったところか。でも、馬鹿には見えないように『公爵令嬢に勝った』と下劣な笑みを浮かべているのでマイナスか。
余りにも馬鹿な所業に参加者全員の顔が凍り付き、恐る恐る、主催者の王太子を見る。
会場の視線を一身に受けた美貌の王太子は……俯いてから長い黒髪を掻き上げて、とっても良い笑顔を浮かべていた。内心では怒髪天を衝く勢いで怒っているのだろうが、怒りが強過ぎて逆に笑顔になっていると見た。
自ら止めを刺す結末に、国王は天井を仰ぎ、ノウリッジ公爵は倒れかけて近くの侍従に支えられている。
そして自分は、馬鹿の妄言を全て聞き流した。
何もやっていないし、事実無根の証明も出来る。
猿のように顔を真っ赤にして捲し立てる令息の、言葉の切れ間を狙って一言差し込む。勿論、扇子(カバーを付けた愛用の鉄扇)を広げて口元を隠す事も忘れない。
「王命の婚約を、貴方の一存で婚約破棄出来るものでしょうかね」
「王命であっても、婚姻していないのだから破棄は可能だろう!」
阿呆な理論が返って来た。
婚姻していないから、王命であっても婚約破棄出来る? こいつ本当に宰相の息子かよ。こんな認識持ちでよく王太子の側近候補になれたな。
「何て愚かしい。貴方は自身が『国王陛下よりも上の身分』だとでも言うのですか?」
「そ、そんな事は言っていない! 婚約なら、許可がなくとも出来るだろう!」
「王命でなくとも、家同士の契約に相当するので『普通は』出来ませんよ。……水掛け論になる前に誰かに確認を取らなくてはならないですね」
面倒になって来たので、数段高い壇上にいる国王を見る。会場の視線も一緒に動く。会場の注目を一身に受けた国王は、黒髪に白髪が交じった頭を掻いて考えを纏め、咳払いを零してから宰相に問いかける。
「宰相よ。ノウリッジ公爵家は何時から王家よりも上になったのだ? 我が国は『ノウリッジ大公国』ではないぞ」
「誠に申し訳ございません。息子の不敬極まりない妄言、何とお詫び申し上げればよいのか」
王に問われ、宰相は土下座するような姿勢で王に謝罪の言葉を口にした。
その息子は二人のやり取りを見て、漸く『致命的な失態』を犯したと気付いたのか、顔から血の気が引いて行く。
「この状況をどうするかは殿下に委ねます。私は一切関わりませんので、自力でどうにかして下さい」
「は? 何故殿下の名が――」
「おや? お忘れですか。本日の夜会の主催者は王太子殿下ですよ」
「っ!?」
忘れていたのか、指摘してやれば面白い位に馬鹿の顔色が変わって行く。空気になっている令嬢にも追い打ちも掛けて置こう。
「ああ、空気になって誤魔化す腹積もりでしょうが、そちらの御令嬢も抗命幇助で何かしらの罪に問われるでしょうね。御実家は男爵家でしたね。潰れずに残れば良いですね。下手をすれば、一家で身分爵位剝奪の上で強制労働か、僻地の領地運営をさせられるかもしれませんね」
「……え?」
令嬢が呆けた声を上げる。
「当然でしょう。事の発端である貴女がこのまま無罪で済む筈が有りません」
「そ、そんなっ。で、でも、嫌がらせは受けたのよ!」
「それは私がやったように細工されたもの。主犯はノウリッジ公爵夫人と、夫人と仲の良い侯爵夫人とその御息女で、お隣の方の幼馴染ですよ。私は不測の事態に備えて、王家の隠密護衛を付けて頂いていたので、事実無根の証明は出来ます」
王家の隠密護衛は『所属する人間が公表されていない』護衛専門部隊。誰が所属しているのかを知っているのは国王のみ。
「そんな、母上が……」「嘘、嘘でしょう。何でこうなるのよ」
暴露情報を口にすると、二人は床に座り込んだ。同時に会場の数か所に視線が集中する。視線の先には主犯の三人がいた。真っ赤な顔をして震えている。
「まったく。そもそも、好いてもいない人の為に嫌がらせを画策する訳ないでしょうに」
ため息と一緒にそう言えば、馬鹿二人は茫然と自分を見上げる。
主犯三人は今にも何かを叫びそうな顔をしている。馬鹿な台詞を吐かれて面倒事になる前に、主催者に対応を丸投げしよう。
「王太子殿下。長々とお待たせして申し訳ありません」
「いいや。気にしなくても良い。彼の為人を見定める良い機会になった」
壇上に向けて淑女の礼を取って詫びれば、王太子からそんな台詞が飛び出した。
……やっぱり、この馬鹿を試していたのか。
背中に冷たいものを感じる。
王太子は口から白い靄を吐き出している国王を無視して、警備兵を呼び、馬鹿二人と主犯の三人を拘束させた。主犯三人は何かを叫ぼうとしたが、即座に猿轡を噛まされた。
五人が強制退場となり、国王と宰相が体調不良で中座した。
非常に気まずい空気の中、王太子は良い作り笑顔を浮かべて、夜会再開の口上を述べた。王太子が浮かべた笑顔に黒い何かが見えた。完全にブチ切れているな。
まぁ、何はともあれ、夜会は再開した。
自分は色々と喋って喉が渇いた。ドリンクを飲んでから中座しよう。
会場中央で流麗な音楽に合わせて行われているダンスを、葡萄ジュースが注がれたグラスを片手にのんびりと眺める。たまに料理も摘まんだ。この世界の料理はそこそこに美味しいので安心して食べられる。
ドリンクを飲んで中座しようかと思ったが、王太子から『取り調べが終わるまで王城にいてくれ』と言われてしまい、仕方がなく壁の花となっている。
周囲から好奇の視線を貰っても無視。背を向けて料理を摘まんでいると視線は消えた。呆れてくれて興味を失くしてくれたのかな? 周囲よりも考える事が有る。
婚約がなくなり、自由の身となった。これからどうしようか。
スウェア公爵家の養女として縁組をしている訳でもない。予定通りに家を出るのが無難かな? 出るんだったら、スプルース王国の実家に絶縁状を出して貴族籍から戸籍を抜かないと。
あれこれと考えていると、側近を連れた一人の青年が近付いて来た。王家の証たる肩下まで伸びた艶やかな黒髪はそこらの令嬢よりも艶めいていて、整った容姿を際立たせていた。
青年に向かって頭を下げようとしたが制止される。
目の前にいるこの青年こそが、エマニュエル王国のヴァレリアン王太子。三人いる王子の長男。
髪と瞳の色は自分と同じ黒色。この国に来て知ったが、黒は王家の色で王族として生まれてくる子は皆この色を持って産まれて来る。稀に髪色が黒以外の色だった場合も在ったらしいが、瞳の色が黒だったので正式に王族として認められる。代わりに王位継承権の順位は低くなる、と言う事は無い。
雑学を思い出していると、王太子が用件を口にした。
先程拘束された五人の処罰が決まったそうだ。
まず、元婚約者のアホ令息。身分剥奪の上で国外追放。
次に、男爵令嬢。こちらも身分剥奪の上で国外追放となったが、アホ令息とは真逆の方向に追放するそうだ。男爵家は一代限りの準男爵位に降格。
最後に、嫌がらせ主犯の三人。修道院に放り込むそうだが、流石に押し込む修道院は別だ。嫌がらせが最も悪質で多かったノウリッジ公爵夫人は国内で最も戒律の厳しい修道院に送られる。
修道院に放り込むだけでは示しがつかないので、二つの家の資産の三割と領地を二割没収し、別で持っていた全ての爵位を剥奪。
厳しいのか厳しくないのか微妙に分からない処罰だ。でも口を挿む気はない。他国の事情だからね。
態々教えてくれた事に対して王太子に礼を述べる。が、王太子は気にしなくても良いと良い笑顔を浮かべた。何かを企んでいそうな笑顔だな、おい。
「ああ。一つ言い忘れていた事が有った」
王太子は去り際に何かを思い出したような顔をしたが、爽やかな笑顔を浮かべているので多分演技だ。そしてこれが引き留めの本命だろう。
「十日後に国賓を招いた夜会が行われる。その夜会に、君もぜひ参加して欲しい」
「参加は構いませんが、戸籍上で私は、まだスプルース王国の侯爵令嬢となっている筈です。それでも参加せよと仰るのですか?」
戸籍が移動したと言う話しは伯父からも聞いていない。自分はスウェア公爵の姪と言う扱いでここに居る。
「そうだよ。五日後にちょっと打ち合わせをするから公爵と一緒に登城してくれ」
笑顔で頷く王太子に、引っ掛かりと言うか奇妙なものを感じる。
……何を企んでいるんだろう、この王子。
ストレートに問い質せないので、ここは了承を返す。王太子は満足そうに頷いてから去った。
その背中を見送り思う。
絶対に何かの企みに巻き込むつもりだ。
確信めいた予感に、人目も憚らずため息を吐いた。
五日後の登城しての打ち合わせ内容は、『自力でどうにかしろよ!』と言いたくなるような内容だった。ついでに知りたくもないような事も知らされた。
もう五日後に行われる夜会で『女除け』として王太子の横に立て? しかも、婚約者がいない? 適当な女を見繕えよ。
しかも、知らない間に戸籍がスウェア公爵家に移されていた。スウェア公爵家の二代前の当主は臣籍降下した王弟だった事から、緊急時に備えて順位は低いが王位継承権が与えられている。そこに王家の血が色濃く出ている自分が入った事で、王位継承権が二位に昇格(王太子の弟二人の髪色が金髪黒目の為)。しかも継承権を持つのは自分。何一つ知らされていないんだけど。思わず伯父を見ると目を逸らされた。極秘にやっていたって事か。
戸籍はともかく、夜会に関しては承服したくない。と言うか、二十歳になってるのに、まだ婚約者がいないのかよ。
婚約者でもないのに横に立つ必要性が感じられないが、その夜会で自分が王位継承権持ちになった事を発表するんだと。
「そう言う事だ。お前が継承権持ちだと発表すれば、国内も多少は落ち着くだろう」
王の言葉に若干目を眇めた。
……派閥、いや、国内貴族の連携強化に利用する気なのね。止めて欲しいわー。
拒否権が無いまま、打ち合わせと言う名の一方的な通告が終わると、夫人と二人でドレス選びをする事になった。黙ったまま着せ替え人形状態でいたとも。布地は指定されていたので、デザインを決めるだけだったのが幸いだった。結果、王位継承権を持つ人間のみが着れる色である、黒地に金の刺繍が入った細身のドレスになった。夫人は楽しそうだが、コルセットを思いっきり締め付けられてこちらはぐったりだ。アクセサリーは指定のものを着けるので選ぶ必要が無い。
そして夜会当日。
王位継承権保持者が増えた事を広める、お披露目式っぽい事をしたあと、外交を兼ねた夜会が始まった。
王太子の横に立つ際には、終始不機嫌オーラ全開にして『義務としています』感を前面に出した。王太子に近づく女共には『てめぇらのせいで横に立つ羽目になったんだぞ、ゴラァ』と言った感じに威嚇しまくった。殺気が微妙に漏れてしまった事も在り、近づく女共は皆血相を変えて逃げた。
この王太子の婚約者の地位を狙っていた他国の王女もやって来た。この王女がべたべたと付き纏うのが嫌で『女除けになってくれ』と言われたのだと知り、見下す笑みを浮かべる品なく派手に着飾った王女には殺意込みで威嚇を叩き付けてしまった。結果、王女はその場で腰を抜かして失禁をした。
王女が外交問題を引き起こしかねない発言をした直後に威嚇をしてしまったので、相殺と言う形で見逃して貰った。
会話を知らない方々からすると、『喧嘩を売った馬鹿な王女が、反撃されて失禁した』としか見えないだろう。
夜会が終わった後日。この王女には大変不名誉な渾名が付いた事を知った。
威張り散らして反撃に遭い、何も言い返せずに腰を抜かした『お漏らし姫』と。
第三者からすれば、見たそのままの状況がそのまま渾名になっただけとしか思わない。
王女にはこれまでのやらかしが沢山有ったらしく、表向きは謹慎として、生涯離宮に幽閉された。余りの我が儘っぷりに求婚者もいなかったそうだ。
自分は王女の不名誉な渾名が広まった時点で『ザマァ(笑)』と内心で笑ってスッキリさせていたので、そのあとどうなろうが興味は無かった。
興味が無かったと言うよりも、王太子の婚約者に担ぎ上げられそうになり、拒むのに忙しかったので気にする暇が無かったが正しいか。
王太子妃は面倒。やっかみは酷いし、仕事は多いし、何を言われても笑顔で対応せねばならんのが一番嫌。王子が馬鹿だと更に大変だし。
スプルース王国で義妹を利用してフラグをへし折ったのに、何故再びフラグが立つのか。
本気で逃亡を考えたが『王継承権保持者同士で婚約させるよりも、緊急時に備えてそれぞれで婚約者を得た方が良い』と言う意見が多く、王太子との婚約は無くなった。言い出しっぺの内務大臣には感謝しかないが、宰相の馬鹿息子との婚約で暫く婚約話は聞きたくない。
何よりね。王位継承権保持者にされてしまった事で、大量の書類仕事をやる羽目になった。余りの量の多さに、執務出来る奴を増やす為に自分に王位継承権を押し付けたのかと邪推してしまう。何しろ、第二・第三王子は十歳と八歳と言うお子様で、とてもではないが仕事はさせられない。王妃は他国から嫁いできた元王女だが、仕事サボりの常習犯。外交と公式行事に出席する以外は、ほぼ仕事をしない。
そこに十代半ばの自分がいたら……押し付けるよね。
幸いにも、仕事を手伝ってくれる側近らしい人は付けてくれるらしい。エマニュエル王国の事は令嬢としての一般常識レベルでしか知らん。帝王学を学んだ奴と同レベルの仕事を押し付けるなよと言いたい。悲しいのは過去の経験が活きて出来てしまう事か。
過去の経験に則って執務を始めたら、数ヶ月後……エライ事になった。
失敗はしていない。気になった点を調べるようにと指示を出したら、不正が大量に見つかったのだ。不正の量・質共に有り得ない事になっていたので、王太子を巻き込んで国王に報告相談し、全て王太子に丸投げした。
「この程度の事で大量に不正が見つかるって、世も末と言うか、恐ろしいわね」
「……確かにその通りですが、狙いすましたかのように不正箇所を言い当てる姫殿下の勘の方が恐ろしいです」
お茶を飲みながらの休憩時に呟いたら、侍従長からそんな返答を貰った。執務室で一緒に仕事をしている側近一同で頷いているのでちょっと言い返し難い。
ちなみに、姫殿下と言うのは『継承権保持者になってからの渾名』のようなものだ。少し前までは公女と呼ばれていたのだが、今は姫殿下と呼ばれている。
スウェア公爵の姪で養女で、王家の色を持ち、王位継承権を与えられても、『女だから』と言う理由で色々とやっかみを受けた。
望んで継承権を得た訳ではないが、『女性は政治に口出しするものではない』と言う考えの下、主に文官から嫌われた。最近になって少し和らいだが。
武官連中は、売られた喧嘩を買い叩いた結果、誰一人として文句を言わなくなった。やはり、叩き潰したのが近衛騎士団長だったのが不味かったんだろう。でも、年を考えないで喧嘩を売ってきた向こうが悪い。四十路のオッサンが、何を考えて小娘に喧嘩を売るのか。本当に謎だねえ。この一件で姫殿下の呼称が広く定着してしまった。王女じゃないから止めてくれと言っても聞いてくれないから、あんまり好きじゃないんだよね。
「姫殿下。遠い目をしてどうしましたか?」
「何でも無いよ。近衛騎士団長はどうして喧嘩を売って来たんだろうって、今になって疑問に思っただけ」
「条件反射で完膚なきまでに叩き潰し、今になってそんな疑問を抱くのですか」
「仕事に戻るから呆れないで」
ティーカップを下げて貰い、宣言通りに仕事を再開した。
このあとの日々は概ね平和だった。
少し離れたところの国で何度か戦争が起きて、物価や情勢に変化は起きたがエマニュエル王国は平和と言える状況を保った。
王太子が友人を連れて執務室にやって来たり、婚約話を蒸し返されたり、他国からの婚約話をどうやって蹴り飛ばせば良いのか。そんな事で頭を抱えられる程度には暢気だった。
刺激が足りないとかそんな気はしなくも無いが、個人的な事情を考えるとたまには良いかと思ってしまう。
出奔の計画も当然立てている。けれども、この世界に尋ね人はいない。
いっその事、魔法の研究の失敗か余波で『不老になってしまった』事にしようかと考えた事も在る。
マジでどうしようかな。
大量の書類を捌きながら、山も谷も無い今後の人生を思い――内心で深いため息を吐いた。
Fin
閑話~二人の王太子~(ヴァレリアン王太子視点)
昼下がりの執務室。私の侍従長が友人の来訪を告げた。
「殿下。マーブル王国の王太子殿下がお見えになりました」
「ウィルが来たのか。サロンに案内してくれ」
「かしこまりました」
侍従長と視線を合わせて指示を出す。一礼して下がった彼の背を見送り、ペン立てにペンを挿し込む。仕事は一時中断。ウィルは友好関係を結んでいる隣国の王太子だが、外交で来ている訳ではない。今日は半年に一度の親交を深める目的の歓談の日だ。とは言え、何かしらの目的を有してやって来る事には変わらない。
護衛を引き連れサロンに向かう。
これから会う人物は、気を引き締めないと会話からどんな情報を持って行かれるか分からない、そんな底の知れない相手だ。
今日は恐らく、彼女――リオノーラの情報を求めている筈。顔が見たいと言うかもしれない。
一年前。エマニュエル王国に突然現れた、先王弟の孫にして、王位継承権第二位を持つ女性。何処にでも居そうな感じの女性だが、いざ探すと中々見つからないと言う、不思議な人物。怖ろしいまでに見聞が広く、博識で、物理的に強い。あの何処にでも居そうな外見は擬態か。
特に、無手のリオノーラに喧嘩を売った近衛騎士団長が秒殺された話しは国内では有名だ。あの一件で軍部上層部は彼女に剣を向ければ『物理的に木っ端にされる』と震え上がった。大げさに聞こえるかもしれないが、冗談にしか聞こえない光景が目の前で実際に起きた。
ドレス格好の令嬢が、大柄な近衛騎士団長を殴り飛ばす。
実際に見なければ『何の冗談か』と笑い飛ばされる現実が実際に起き、ちょっと問題になった。先に喧嘩を売ったのが近衛騎士団長だった事も在り、リオノーラ自身は正当防衛とされた。過剰過ぎると言う声は確かに上がったが、彼女は魔法を使用したとは言え『素手で』近衛騎士団長を下した。武器(実際の戦闘で使う剣)を持ち、先に喧嘩を売った方が負けた。この事実も有り、正当防衛が通った。
近衛騎士団長は暫くの間謹慎処分を受けた。無手の令嬢に斬りかかった点で騎士の在り方について厳しく問われ、秒殺された事について弛んでいると批判を受けた。そもそもの話し、『王位継承権保持者に斬りかかったのだから、地位と身分を剥奪して反逆罪に問うべきでは?』と言う声まで上がった。
男尊女卑の思想が有るとは言え、近衛騎士団長は有能で職務に忠実で、身分に関係なく人望を集めている人物だ。彼の地位を剥奪しては、どれ程の損失が生まれるか分からなかったが、私には彼の擁護が出来なかった。
それは、近衛騎士団長がリオノーラに喧嘩を売った理由が私と弟二人に有るからだ。
近衛騎士団長は常々、
『守られるしか能が無い令嬢に――それも婚約破棄されるような傷物を、スウェア公爵家の養女にして王位継承権を持たせるとは陛下は何を考えているのか。それも、第二王子殿下と第三王子殿下を差し置いて。最近になって、知らぬ間に護衛騎士が増えている。これでヴァレリアン殿下よりも厚遇にされるなど有り得ん』
こんな事を言っていた。
……ちなみに、リオノーラの護衛騎士の数が増えた事には確りとした理由がある。
それは彼女に襲い掛かった暗殺者を『返り討ちついでに行われる拷問死させない為』の『露払い』だ。悲しいが現実である。軍部上層部はこの事実も知っているからこそ、近衛騎士団長が下された時に震え上がったのだ。
彼女は『暗殺者を返り討ちにする』程度の事を片手間で行ってしまう。魔法の実力に至っては宮廷魔道士師団団長よりも高い。剣の実力も総騎士団長が認める程。
ここまで護衛騎士が要らない程の実力を持った令嬢はまずいない。大量にいたら別の意味で恐ろしい。
そして、彼女が厚遇されるのにも理由が在る。
婚約も、養子縁組も、王位継承権授与も、全てエマニュエル王国の都合で一方的に行われた。リオノーラの意思は完全に排除されている。何もかも、王命と言う名の権力を振り翳して、無理矢理受け入れさせた。
挙句の果てに、私の母である王妃の仕事を『公務の一つ』として強制的にやらせている。その母は仕事を放棄している。それ以外にも、同伴者を必要とする公務や外交の手伝いまでも頼んでいる。彼女に頼み過ぎな気もするが、頼れる婚約者が見つかっていないので、他に頼める人物はいない。実質王太子妃扱いされている。
地位身分権力のどれにも興味を示さない彼女にとっては苦痛以外の何物でもない。不満もそれなりに溜まっているだろう。それが多少の厚遇で解消されるのなら、厚遇するのはある意味当然だろう。厚遇と言っても彼女は我儘らしい我が儘を言わないので、空回りしているが。
事実、彼女の側近達は『顔・身分・家の権力』の三拍子揃ったもの達で固めている。だが、悲しい事にリオノーラは彼らに見惚れるどころか、興味すら示さなかった。やや振り回しているが、側近一同に適切な仕事を割り振り、適度な上司部下の関係で接し、執務を行っている。つまり、彼らを『異性』と見ていないのだ。
一度、リオノーラに仕事の進捗状況ついでに側近達や護衛騎士との仲について尋ねたところ、『やっかみが増えた』としか返答されなかった。
……そうか。他の令嬢の嫉妬が目障り過ぎて、異性として見れないのか。
眼の保養で観賞して癒やされないのかと思ったが、稀に令嬢が執務室に乗り込んで来るらしく、追い返しが面倒らしい。これが原因で、たまにやって来る暗殺者は完全にリオノーラの鬱憤晴らしと化している。うっかり拷問死はそのせいだろう。
思い返すと、エマニュエル王国の思惑が諸悪の根源に思える。大臣を始めとした文官達が最近になって、彼女を悪く言わなくなったのはこれに気づいたからか。
それを考えると、近衛騎士団長は『何が原因か』を考えなかったとしか思えない。
大体、継承権保持者が暗殺者に襲われた情報は彼の元に届いている筈だし、護衛騎士の数を増やす際にも説明がなされている筈。
それでも喧嘩を売ったと言う事は『聞き流した』と言う事なのだろう。職務に忠実な彼の、騎士団長として有るまじき行為だ。地位を剥奪されても文句は言えない。
にも関わらず、処分が謹慎程度で済んだのは、偏にリオノーラのお蔭だ。
『報告すべき情報が上に行き届いていない可能性が有ります。踊らされた騎士団長よりも、報告していない馬鹿を処罰して下さい』
近衛騎士団長の身分と地位の剝奪を叫び紛糾する議会で、彼女は沈着冷静に淡々とそう言った。
何故と尋ねれば、彼女は首を傾げてこう言った。
『近衛騎士は王族や高位貴族の護衛をする立場で、近衛騎士団長はその統括。知らぬ間に護衛騎士の数が増えていると、普通は愚痴らないでしょう?』
言われてみると確かにその通りだ。似たような内容のぼやきを毎日聞いていたこちらが聞き流していたのかもしれない。
総騎士団長指揮の下、調査を始め――間者が近衛騎士団から何匹も出て来た。
まさか騎士団に間者がいるとは思わなかった。彼女を襲う暗殺者は、リオノーラを排除して娘を王太子妃に据えたい家か、国内の混乱を狙う他国から送り出されていた。その彼女を守る側の騎士団に間者が潜り込んでいて、近衛騎士団長に届くべき報告が届いていなかった。
間者は全員捕まえたし、持っていた情報は全て吐かせたが、この事実は別の意味で議会を紛糾させ、騎士団を良く思わないものは追及を強めた。
前回は文官同士だったが、今度は文官と軍部と言う水と油の対立になる。このままでは、再び国内が真っ二つに割れるのではないかと言う危機感を覚える程。父王ですら、表情を険しくした。
真っ二つにならなかったのは、これまたリオノーラのお蔭だ。顔に堂々と『面倒臭い』と書いて在ったが。
『騎士団への追及は止めませんが、間者を送り込んで来た敵国への追及は放置で宜しいのですか?』
混乱の極みにある状況を纏める為か。間者を送り込んで来た国を、彼女は敢えて『敵国』と称し、無駄な議論をする大人達に問うた。
――共通の敵を放置したままで良いのか?
問いの答えは『否』一択。
その後の議会は多少揉めたが、共通の敵の存在が齎す『利害の一致』で纏まってくれた。
近衛騎士団長の事など忘れて、誰もが功績挙げに集中した結果、間者を送り込んで来た国に見事な仕返しが出来た。すっかり忘れ去られてしまった近衛騎士団長はほとぼりが冷めるまで謹慎となった。
ある意味最大の功労者はリオノーラと言っても良いが『余計な騒動が起きると、こちらも迷惑です』と真顔で言われてしまった。
国が真っ二つに割れる状況も、彼女からすると『余計な騒動』なのか。しかも、迷惑って何だろう。
父と一緒に遠い目をしてしまった。
この一件で『リオノーラの方が王に相応しい』と言い出す輩が増えた。しかし、彼女が王位に興味を持っていないのは周知の事実。
何せ、大量に見つけた不正の処理を父と私に押し付けて来たから。アレを全て捌けば間違いなく王位が狙える功績になる。にも拘らず、
『私がやると後々面倒になるので其方でお願いします』
そう言って大量の仕事を私に押し付けて逃げた。お蔭で私と側近達は二ヶ月間休み無しで仕事をする羽目になった。
過労で側近の半数以上が倒れたので別の意味で惨事だったが、父の方に比べればまだマシだった。あちらは父を含む全員が、胃薬と頭痛薬を飲みながら、寝る間を惜しんで仕事をしていたのだ。仕事が終わると同時に、大臣閣僚級の方々がバタバタと倒れて行ったので『新手の疫病が流行っているのか!?』と、根も葉もない噂が飛び交った。ただの過労と判ると直ぐに消えた。過労死したものが奇跡的に出なかった事だけが不幸中の幸いと言うべき状況だった。
あの不正は量・質共に、知れば知る程『国家の醜聞』としか言いようのないものばかりだった。それが王妃の仕事に紛れ込んでいた事に、父と一緒に肝を冷やしながら慎重に調査を進めた結果……激怒した父は母を問い詰めた。
リオノーラが見つけた不正は、王妃が水面下で進めていた『売国活動』だった。
他国から嫁いだ王女が、嫁ぎ先の国を売る活動をする。元他国の人間とは言え『今は』この国の王妃なのだ。どう考えても嫁ぎ先を優先するのが当たり前だろう。しかも母は、エマニュエル王国の国力を落としたあとに『国に帰る準備まで進めていた』のだから、私は怒りを通り越して呆れてしまった。
この一件で、母は離宮に幽閉が決まった。表向きは患った難病の治療とした。まだ幼い弟達は急に母に会えなくなった事に不満を零す――事はなかった。母は国母として君臨出来れば『自身の子供の事はどうでも良い』と言う人物だった。弟達も『自身を産んだ女』程度にしか思っていない。その程度の親子関係なのだ。
母の祖国――隣国グスタヴス王国の国王(母の兄)は売国活動の指示と協力をしていただけでなく、エマニュエル王国の乗っ取りまで計画していた。押収した証拠の手紙をグスタヴス王国に突き付け、慰謝料代わりに揉めていた案件全てを『エマニュエル王国にとって有利な条件で結ばせ、向こう十年間の関税を二倍にする』形で決着は着いた。
事前に発覚したので良かったが、とんでもない計画だ。王妃が仕事をしない人間だったからこそ、発覚したと言えよう。
リオノーラにも第三者として処々色々確認させ、普段の業務も任せた。見つけてしまった事に責任を感じたのか、任せた際には何も言わなかった。彼女の側近達に尋ねると『この程度の事で何故こんなにも不正が見つかるんだ?』とたまに愚痴を零していたそうだ。
この程度の事じゃないだろうと、声高に言いたいが言ったところで意味が無い事ぐらいは解った。
そもそも、彼女に仕事をさせたのはこちらだ。何も知らずに仕事をこなした彼女を責めるのはお門違い。それに加えて、国内の主要案件に首を突っ込む気が無い事も知っているから、文句が言い難い。
「……ヴァレリアン殿下?」
色々と思い出していたらサロンに到着していた。侍従に呼びかけられるまで回想に耽ってしまっていたようだ。何でもないと返し、頭を振ってから思考を切り替える。その間に侍従がサロンの扉を開けた。
中に足を踏み入れると、ソファーに腰掛けた見知った人物が手を振って迎えてくれた。
「ヴァル、久しいな」
「久し振りだね、ウィル」
色の濃い金の髪と碧い瞳を持った青年――隣国マーブル王国のウィリアム王太子は屈託のない笑みを浮かべている。
「疲れているようだがどうした?」
「気にしないでくれ。最近ちょっとばかし仕事が多くてね」
「グスタヴス王国の件か?」
「相変わらず耳が早いね。説明の手間が省けるよ」
情報通の友人は既に知っていた。国の醜聞としか言いようのない不正だが、事前に発見された事で国の利点となり本当に良かった。
ソファーに対面で腰を下ろし、互いの近況を話す。
マーブル王国との付き合いは長く、何か遭った時に互いに頼りながら続いた友好は、国交を結んで四百年近くも経つ。
共に次代に王としての友好を深めよと、幼い頃から度々会っていた。
会話は他愛のないものから次第にリオノーラの話題に変わって行く。
予測出来た事なので驚きはしない。流石の情報通でも彼女の事は知らなかったようだ。
リオノーラの人物像を聞かれるが、そのまま話す。裏取りはされるのは確実だろうから嘘の情報は教えない。
全て話し終えるとウィルの表情が強張り、動きを止めた。
何となく解る。彼女のような令嬢は、まず、いないからね。
ウィルが情報の咀嚼し終え、再起動するまで黙ってお茶を啜る。
「……事実かな?」
「ははは。調べて貰っても構わないよ。嘘は言わなかったからね」
笑えばウィル顔が引き攣った。彼のこんな表情を見るのは久し振りだ。少々愉快な気分を味わいながらお茶菓子に手を伸ばす。私の様子を見た親友は何か思うところが在ったのだろう。明らかにこちらの動揺を狙った言葉を呟いた。
「ふーん。で、ヴァルは彼女に求婚したのかい?」
単刀直入な言い方だ。リオノーラとの婚約話は何度か出たが『王位継承権を持つ者同士での婚約はいかがなものか』と無くなった。
「求婚も何もしていないよ。夜会の女性除けを頼んだら『適当な女性を見繕ってはどうですか』と言い返されてしまってね」
「……ヴァルに興味を持たないとは本当に稀有な女性だね」
「確かに稀有な女性だ」
貴族の令嬢は大体、容姿・地位・権力だけを見て男性、特に王族に群がる。我儘な令嬢だと、家の格を利用して他の貴族令嬢の虐めを行ったりするから、本当に面倒なのだ。中には両親に命じられて『仕方が無く』行動する令嬢もいるので、諫め突き放し追い払うには見極めが難しい。
そんな令嬢達の中、リオノーラはどうだろう。
興味関心の無い人間(男女問わず)には興味を持たず関心も示さない。着飾る趣味も無いし、見目麗しい異性にも興味を示さない。
少々枯れ過ぎではないかと思わなくも無いが、元を辿ると王家が原因としか言いようがない。
「どんな事に興味を持つ御令嬢なんだい?」
「興味か。魔力持ちだからかは不明だが、魔法に関する個人研究はしていたな」
「へぇ、魔力持ちなのか」
ウィルが興味深げな表情になる。
「言って置くが、他国への輿入れは不可能だからな」
「分かっているよ」
念の為に釘を差せば、ウィルは理解していると笑みを浮かべた。
魔力持ちは何処の国でも貴重な人材なので、基本的に出国させない。リオノーラの場合は、外交圧力を掛けて出国させた。
スプルース王国にはかなりの圧力を掛けたが、リオノーラを王太子妃にしたいから待ってくれと非常に粘られた。
しかし、代わりに提示されたものはどれも我が国にとっては何の益も無かった。圧力を強めて強引に彼女を諦めさせた。
侵略しても属国にしても旨味が無いから残っている国。それが周辺国からの評価で、殆ど忘れられているも同然の国だった。
そう、『だった』と過去形になっている。あの国は今、非常に愉快な事になっているからだ。
何せ正妃を母に持つ第二王子が『運命』だの、『真実の愛』だのと言って、その身を滅ぼした。その余波で、相手の令嬢の実家も没落に導いている。三文芝居のような出来事を、王族が引き起こしたとして数多の国から興味関心を引いた。それだけでなく、詳細が描かれた作者不明の小説までもが大量にバラ撒かれた。結果、大陸で話題の『喜劇』として演劇も行われている。
この演劇のお蔭で、長年存在すら忘れられがちだった国が、現在大陸でもっとも有名な国と化している。
演劇や小説では、王子が相手の令嬢の実家を没落に導いたとされているが、その真実は爵位剥奪確定の国法違反が元でのお家取り潰しだ。
没落に関してはリオノーラが手引きした模様だが、没落の理由が他にも在る為表向きには取り上げられていない。その他の理由は後妻と次女の散財による領地の切り売りと債務過多である。貴族が没落する理由の一つとしては典型例だからか、国法違反が原因と気づいている貴族は少ない。
没落の要因の一つの散財も、王子と釣り合う為に無理をしたものと思われている。実際は、第二夫人とその娘の散財癖が原因である。
ちなみに、この喜劇にリオノーラは登場せず、限りなく実話に近い創作と扱われている。
ウィルも話題の喜劇の原作となった小説を読んだらしく、『実際に見て書いたかのような内容の小説で、描写が非常に現実的だった』と感想を漏らした。
小説にリオノーラが関わっていないか一度調べた結果、リオノーラ付きの元侍女が作者だったと判明した。彼女は無関係と知り胸を撫で下ろしたのは内緒だ。
「ヴァル?」
「っ、ああ、何でもない。少しばかり長考してしまっていたようだ」
名を呼ばれて我に返り、何でも無いと笑顔を作る。しかし、ウィルは何かに気づいたのだろう。意味有り気な表情を作って頷いた。
「どんな女性かは一度会わないと解らないか」
「そう、だろうな」
一度と言わず、何度会っても会話をしても理解出来ない女性だが。
……一度、ウィルと引き合わせて見れば何か判るかも知れない。
向こうの目的達成に手を貸しているようにも思えるが、付き合いの無い人物からの第一印象で何か新しい事が判明するかもしれない。
「ウィル。彼女に会って見るか?」
「おや。どう言う風の吹き回しだ? そちらが一番妨害したい事では無いのか?」
図星を突かれた。やっぱり見透かされていたか。
「ウィルから見た彼女の印象が聞きたい。それじゃ駄目かな?」
「駄目では無いが……どうやら、お互いに利点が有るようだな」
互いの利点。そこまで見透かされるとは。顔に出てしまっていたのか、あるいはそこまで読まれたのか、その両方か。
「会えるならいいさ。それで、今日は何処にいるんだい?」
「今日は、執務室で書類仕事をしている筈だ」
リオノーラの今日の予定を思い出しながら答える。
彼女には母が抜けた穴を埋めて貰っている。書類を捌く速度が思っていた以上に速く、不審な点の炙り出しを確実に行うので、このまま文官として残って欲しいぐらいだ。不正が見つかった場合、過労で数人倒れる事は確定だろうが。
ウィルを連れ立って移動する。
到着したリオノーラの執務室は、一言で言えば修羅場だった。そして、侍従を含む側近達の姿が一人も見えないのは何故なのか。
リオノーラの側近達の婚約者の立場が目当てで突撃して来た複数の令嬢達が、恐ろしい剣幕で彼女を罵っている。やって来た私達に気づかない程に高笑いをしている場合では無いだろうに。随伴の護衛に彼女達を摘まみ出しと、令嬢達の父親を呼び出すように指示を飛ばす。
リオノーラを罵っていた令嬢達は私達に気づくと、顔を真っ青にして慌てて取り繕ったが、遅過ぎた。ウィルが『婚約者探しで自国に来られると面倒だから、あとで彼女達の名を教えてくれ』と止めを刺したのも効いている。涙声で許しを請い始めたが、全員追い出した。
扉が完全に閉まったところで、完全に無視していたリオノーラが書類から顔を上げた。
「全く。毎日毎日、飽きないのかしら」
「完全に無視している君が言う事では無いと思うんだが」
「魔法で雑音を完全に遮断しているので、そもそも聞いていません」
「……そうか」
令嬢達の罵り文句は雑音か。一体彼女はどう言う神経をしているのだろう。
そんな感想を抱いた直後、彼女は指をパチンと鳴らした。すると大気が揺らめき、姿の見えなかった側近達が現れた。しかし、魔法で隠されていたのかと感心は出来なかった。何故なら、側近達の目が死んでいたからだ。
己の婚約者に成りたい令嬢達の、見たくも無い裏の側面を見たからだろう。高笑いをしながら悪役のように他人を罵るような令嬢が、己の婚約者に成るかも知れない未来は確かに嫌だ。全力で拒否する。令嬢達の名簿を彼らにも進呈するか。
「それで、後ろの方はどちら様ですか?」
少しばかり現実逃避をしていた間に、リオノーラは椅子から立ち上がり近づいて来た。王族が連れて来た人物だから、座ったままの対応では問題の有る高位の人間と判断したのだろう。来る途中で手を叩いて、側近達の意識を現実に引き戻す。我に返った彼らは慌ただしく姿勢を正す。
状況が落ち着いた頃合いを見計らってウィルを紹介する。
「彼は隣国マーブル王国のウィリアム王太子だ」
「初めまして。ウィリアムだ」
「スウェア家養女のリオノーラになります」
爽やかな笑顔を浮かべるウィルと、淑女の礼を取るものの愛想が欠片も無いリオノーラ。実に正反対の対応だ。
予想以上に興味を持たれていない事に、ウィルの顔は若干引き攣り気味だ。
何も無かったかのように席を勧めるリオノーラ。侍従が慌ててお茶を出す。
お茶が行き渡ったところで用件を訊ねられた。単純に『会いに来た』と思っていない当たり疑り深い。隣国とは言え、他国の王太子が気軽に会いに来るのは少しおかしいかも知れないな。
彼女が全力で拒否しそうな縁談の話しを持って来たと思っているのかもしれない。
雑談を交えつつ、早急に誤解を解き掛かるが、ウィルが所々で要らぬ茶々を入れてくれたせいで誤解は更に深まる。何故婚約話を今ここで蒸し返すのか。
何を言っても胡乱な眼差しを貰う。今後の仕事に障りが生じるからこれ以上は止めて欲しい。
それと友好の為とは言え、自分の従兄弟を生贄のように差し出すのはどうかと思うぞ。如何に婚約者がいないとは言え。ついでに今思い出したが、極度の女性嫌いだった筈。それを言うのなら、リオノーラも男性嫌いの気が有る。
笑顔と無表情。真逆の二人の攻防はもう暫く続いた。
「あれは手放したらいけない子だ。いるだけで国に利益を齎す子なんて滅多にいないよ。引き留め頑張ってね。相談にだけは乗るよ」
帰国の際に、ウィルはそんな事を言った。
見放されたと感じたのは、私の勘違いだと思いたい。
END
ここまでお読み頂きありがとうございます。
連投二つ目です。
婚約破棄ものを連続投稿はアレかなと思いましたが、書き上がった作品なので投稿。王太子視点を書いて加筆しようか検討中です。
誤字脱字報告ありがとうございます。