ざまあとハーレムの両立はできない!
書きたかったんです!
タイトルの通りである。
私はこの2つの両立はできないと思っている。
なぜなら一貫性がないからである。
例えば寝取られざまあ物
私はなぜ寝取られたのにそこからハーレムになってしまうのだろうか...と。
普通目的に取り憑かれてしまった者はそれ以外考えられなくなってしまうものである。
ところがだ、主人公はざまあとハーレムを両立してしまっている。
確かにご都合主義と言ってしまえば簡単であるし、その簡単さがなろうの魅力であり、
なろうらしさであると言っても良いだろう。
だがしかし、生粋の文学ファンにしてみれば少しの矛盾にも気になってしまう
ものなのである。
勿論例外もあり沢山の作品がそういった作品ではないことも知っている。
だがしかし今回紹介したような作品が増え、またそれらの作品が
ランキングなどにのってしまい、その結果それを見て真似をする人が
増えてしまっていることも事実なのである。
ただここで誤解してほしくないのは私もなろう愛読者の一人なのである。
別にこのような小説も嫌いではないのだ。
ただ、私はこれ以外の系統の小説も見てみたいだけなのだ。
少し短いがこれで失礼する。
ありがとう御座いました