手をかざせば1億光年
高校3年春休みは顧問の先生が引率として付き、夜の学校への出入りを許された。
毎年、僕たち天文部は校舎の屋上へ天体望遠鏡を運び、夜空にレンズを向ける。
都会と違い地方は空気が奇麗で、光害が少ない為、純粋に星の輝きを満喫できる。
先生は部員の星への好奇心を試すように問題を出した。
それは持てる天文学の知識を使い「春の大三角」を探すというものだ。
広大な星の海から特定の形を探すのは慣れていないと難しいもので、コツは北の方角で一番輝く北極星を基準に、子熊座を見つける。
子の側には親が寄り添う。
子熊座から近くの大熊座を見つけたら、その尾っぽにあたるスプーン型の北斗七星を目で捉えてスプーンの取っ手から牛飼い座まで、春の大曲線を描き、曲線に囲まれた牛飼い座の足に位置するアルクトゥルス、獅子座の尾に位置するデネボラ、乙女座の膝位置するスピカ、三点を一直線に結んで三角形を導き出す。
何度もやっているので、我ながら慣れたものだ。
密かに発見した僕は、腕を大三角へと伸ばしブラックホールに飲み込まれるように、手のひらをかざした
「ようやく見つけたんだ?」
ハンドベルを重ね合わせた演奏のように、心地よく響く"彼女"の声が背中を押したので星から目をそらし、そちらへ向く。
呆れ顔で僕を見つめるクラスメイトの女子。
長い髪は月明かりに照らされ、天の川銀河のように煌めき、斜から見た横顔は顎が三日月のように綺麗な湾曲を見せ、目は数多の星の光を収束させたように瞳が爛漫と輝いている。
細く整った眉は芽吹いた葉のように美しく、唇は惑星の大気かと思わせるほど色素が薄いピンク色。
口元をやんわり上げると、陽のあたる場所のように、温かみのある笑顔を見せた。
何より、人を引きつける目の輝きは、僕の気持ちを彼女の魅力へワープさせるほどだ。
要するに僕は彼女のことが好きなんだ。
改めて思うと恥ずかしくなるけど、宇宙の神秘になぞらえてしまうほど、彼女の虜だ。
彼方の星が人を引きつけるように、彼女は僕の心を魅了する。
でもそれは、何百光年も先にある星へ思いをはせるように、片思いでしかないのだ。
僕は彼女と仲良くなる為に、天文に関する知識をあれこれ覚えた。
その介あって、彼女との会話に困ることはない。
「まぁね。思いのほか簡単だったよ」
嘘だ。
これはただの虚勢。
「へぇ~感心感心」
僕のそばまで来た彼女は、2つの星の間に指を寝かせるようかざす。
指の先が片方の星を差した、第3関節がもう片方の星を乗せるように重なる。
2つの星間を彼女の針のように伸びる、人差し指が繋いだ。
彼女は屈託のない笑顔で僕に言う。
「ほら? 見てよ?」
彼女が肩寄せてくると横顔がすぐそばまで迫った。
地球に寄り添う月を眺めている気になる。
間近の彼女を眺めていることに、気持ちが耐えられなくなると、天空へ目をそらした。
彼女は呟くように語る。
「こうやって星と星の間に指を重ねると、私の指は何百光年や何千光年っていう距離と同じ長さになるんだよ。スゴいよね?」
「どこが? 同じじゃないよ」
「もぉ~。夢がないな~。君はつまらない大人への道をまっしぐらだね」
「何言ってるのか全然わからない」
彼女は閉じていた指を広げて、めいいっぱい手の平を夜空へ近づける。
「星空に手をかざすと何万光年や何億光年、もっと広大な銀河団が私の手に収まるんだよ? 宇宙の全ての光が私の手の中」
昔の人は湖に反射して写る月を両手ですくい上げ、月を持ち帰ろうとしたが、それと同じくらい彼女の言っていることはバカバカしくて、それでいて素敵な感性だった。
星々とテレパシーで交信しているのではないかと、錯覚させるほど彼女は他のクラスメイトとは違う、不思議な魅力に僕は惹きつけられる。
この惑星で彼女だけは特別な存在だと感じてしまう。
でも、その時の僕は彼女の感性を素直に受け止めることができず、ひねた受け答えしかできなかった。
「聞いていて恥ずかしくなるよ」
「あ~、ひどいな~……ねぇ、一緒にやろうよ?」
「無理」
「ほら?」
周りに生徒達がいてカッコつけていたこともあり、彼女が強引に僕の腕を掴んで夜空にかざそうとしたので、思わず。
「いいよ!」
振り払ってソッポを向いた。
僕の反応に面を食らった彼女は、ようやく声を振り絞り答える。
「……ごめん」
彼女の声がか細くなると、天界から突き落とされた天使のように、現実へ引き戻された。
これが去年、高2の春休みに起きた出来事。
それから2ヶ月後に、彼女は交通事故に巻き込まれて重体におちいった。
回復の見込みはない。
彼女の太陽のように照らす明るい笑顔は、宇宙の冷たい空間ように凍った。
夜空を見ると思い出す。
どうして素直に内に秘めた思いを伝えなかったのか、酷く後悔した。
これから先、思いを伝える瞬間が訪れないと考えるだけで、破れたグラスのように心がバラバラになりそうだ。
神様が僕に教えた教訓は、同じチャンスは二度と訪れないというこだ。
この後悔は、永遠に降りられない観覧車に乗せられたのと同じ。
もう二度と、次は……。
不意に、耳をくすぐる鈴の音のような声が、背中を撫でた。
「もしかして、私の真似してた?」
振り向くと彼女がいた。
僕は自然に受け答えする。
「まぁね。何でも試してみないと、面白いかどうか解らないからね」
「へぇ~、私が寝てる間、成長した訳だ? 感心感心」
事故から数カ月間、昏睡状態だった彼女は、意識を取り戻し奇跡的に回復したものの、後遺症が残ってしまい車椅子生活を余儀なくされた。
手でタイヤを押す彼女を見かねて、僕は車椅子の後ろへ回り地平線が見える所まで運ぶ。
2人で光の海を見上げると、光の瞬きが僕らの会話を奪った。
僕は改めて胸の秘めた思いを確認する。
同じ瞬間は、また来るとは限らない。
セカンドチャンスになんか期待してたらダメだ。
今、この時、この瞬間、後悔を残さない為にも僕の思いを伝えよう。
手を上げて無数に存在するであろう銀河へかざし、星の力を借りて自分に勇気を与える。
「あの、さ」
「何?」
「君のことが、ずっと前から――――――――好き、だったんだ……」
彼女は天を仰いだまま時を止める。
すごく焦れったい。
時が流れて行くように彼女の口は自然と開かれた。
彼女の返事は――――――――。
fin