5
槍を担ぎ、昨日と変わらない様子で鎖に繋がれた私を見る。
幻覚ではない。
屋敷で私が連れ去られた事を知ったのだろう。
予知を防ぐために王宮まで駆けつけてきたのだ。
彼は動揺する実の兄に向けて、槍の切っ先を向ける。
「乱心したな兄上。昔のアンタは、こんな真似をする男じゃなかった」
「馬鹿な、セルジュ!? 何の騒ぎも立てずに、どうやってここまで……!」
「この城には、王族だけが知っている隠し通路があるだろう? そこをちょいと利用させてもらったのさ」
悪戯をする子供のように微笑む。
そこには一種の潔さすらあった。
兄と敵対する事も恐れず、過去を振り払ったような強さが窺える。
私が呆然とその様子を見ていると、彼はもう一度振り返った。
「やっぱり、死にたいだなんて嘘だろう? その顔を見れば、直ぐに分かる」
「っ……! わ、私は……!」
「今更意味はないかもしれねぇが、お前自身の言葉で聞かせてくれ。お前は、どうしたいんだ?」
「わたし……は……」
自由なんて何処にもない筈だった。
子を産んで王器を託すことだけが、私の存在理由だと思っていた。
でも、それは違ったのか。
父や母も、それだけのために私を産んだとは思いたくなかった。
死ぬ事ではなく、生きる事に意味があると信じたい。
私は声を震わせる。
「死にたく……ありません……」
「……」
「私、死にたくありません! このまま死ぬなんて、絶対に嫌……!」
「……決まりだな」
直後、彼は槍を振るった。
拘束していた鎖が断ち切られ、自由の身となる。
解放された反動でその場に尻餅を付き、思わず息が漏れる。
「動けるか? 悪いが白馬の王子にはなれねぇ。自分で立って、自分の力で走れ!」
彼も誰かを抱えるだけの余裕はない。
発破を掛けられ、私は自分の力で立ち上がる。
しかし、それを阻む人がいた。
ロウバート様が両肩を震わせ、腰に提げられた剣を抜く。
その眼は私ではなく、弟のセルジュ様しか見ていなかった。
「……お前は、また奪うのか? そうやって俺から、何もかも奪い去るのか!?」
「奪ったつもりはないぜ、兄上。アンタ自身が、持っていたモノを手放した。それだけだ」
「黙れッ! 貴様さえ……貴様さえいなければ、俺はッ……!」
震える切っ先が、セルジュ様に向けられる。
先程私に向けたものとは違う、圧倒的な殺意がそこにはあった。
これまでも、そうして家族を憎んできたのだろうか。
時の運に見放され、歪んでしまったのだろうか。
セルジュ様は悲しそうな表情をして、静かに口を開く。
「もう、止めにしましょう。アンタとの押し問答も、俺は全てケリをつけるつもりで、此処に来たんだ」
彼は兄の怒りを受け入れるだけだった。
受け入れた上で槍をゆっくりと構える。
ただ少し、深く息を吐く。
「あぁ、でも一つだけ言わせて下さい。俺がまだガキだった頃、アンタは俺の憧れだった」
「セルジュ……! セルジュウウウゥゥゥッッ!!」
「今まで、世話になりました」
狂気に呑まれて斬りかかってきたロウバート様に、彼は槍を振るう。
互いの戦いは一瞬で決着が付いた。
峰打ちで顔面を殴り飛ばされ、ロウバート様はそのまま気絶。
看守と同じように倒れ伏した。
槍を収めたセルジュ様は、立ち尽くす私に手を差し伸ばす。
その掌は槍を強く握りしめた跡が、ハッキリと残っていた。
私は何も言わずにその手を掴む。
地下監獄から脱出した私達は、狼狽える王宮の人々を前に姿を現した。
そして先陣を切ってセルジュ様が叫ぶ。
「聞け! 我が兄、ロウバート・フェルグレイスは乱心した! 己が妻を国王暗殺の容疑に掛け、後の実権を得ようという度し難い過ちを起こした! このような蛮行、断じて認められるべきではない! 故にトリニティ・エスクエスの身柄は、このセルジュ・フェルグレイスが預かる!」
王宮の人々は、私が嫌疑に掛けられた事を知っている。
今の発言が、第一王子に背くものである事も当然理解するだろう。
間もなく衛兵たちが、一斉に私達の元に迫ってくる。
「ええい、何をしている! 即刻あの者を追え!」
「しかし、あの方は第三王子……」
「第三王子は先日、ここを発ったばかり! 偽者に決まっておろう! 矢を放て! 殺しても構わん!」
彼らは全員ロウバート様配下の兵士達だ。
セルジュ様を偽者と断じて、皆が武器を構える。
当然、黙って見ているつもりはないらしい。
彼は私に隠し通路の場所を教え、そこまで駆け抜けるように指示した。
「露払いは任せろ! 何も気にせず、そのまま突っ走れ!」
喧騒に呑まれた王宮で、四方八方からやって来る兵士たちを、彼は物ともせずに追い払う。
様々な武功を立てた彼の力は確かなものだった。
一騎当千と言わんばかりに、無傷で私の進む道を開いていく。
私は迷うことなく書物庫の隠し扉まで辿り着き、その向こうにある滑り台のような通路へ進んだ。
斜面に沿って、王宮外壁へと一直線に滑り落ちていく。
彼の言う通り、元々これは王族が非常時に脱出するためのものだったようだ。
通路を抜けて外壁へと到達すると、セルジュ様が用意したであろう馬が待っていた。
私は馬に飛び乗り、後から来た彼と共にその場から出立した。
騒ぎはまだ市街には広がっていない。
一部の市民が不思議そうに私達を見ていたが、構わず街を抜けて、森の中へと逃げ込んだ。
それから暫らくは走らせたままで、誰も追ってくる様子はなかった。
「撒いた、か……?」
夕日が微かに正面を照らす森の中、足場が獣道に近いこともあって、馬の足が次第に遅くなっていく。
私は自分の身体を何度も確かめながら、無事である事を理解した。
あれだけ死にたがっていたのに、今では生きている事に心底安堵している。
しかし、屋敷の皆は無事だろうか。
ゆっくりと歩く程度の速さになった時、セルジュ様の小声が聞こえた。
「安心しな。シャーリーを含めて屋敷の従者は、俺の領地で預かっている。後はこの先にいるルーク達と合流するだけ……もう、大丈夫だろ……」
「ありがとうございます、セルジュ様。あんな無茶をしてまで私の事を……なんとお礼を言えば良いか」
「ま、気にすんな……俺が勝手にやっただけの事だ……」
セルジュ様は大したことではないように言うが、そんな筈はない。
第一王子に刃を向けたことが何を意味するか分からない訳もない。
彼は兄と敵対する覚悟を決めた上で、私を助けたのだ。
自分の死を回避するための行動だったとしても、感謝せずにはいられなかった。
「私は、自由に生きる権利なんてないと思って、諦めていました。でも、やっぱり怖かったんです。何も出来ないまま死ぬ事が、堪らなく怖かった。それを押し殺して、私はただ、意固地に強がっていただけなのかもしれません」
「……」
「こんな身体でも出来ることがある。まだ何が出来るのかは分かりませんけど……それでも、死ぬと分かっていても、その間の生き方は変えられる筈です。だから、貴方に救われた命で、探していこうと思います」
「そうか……良かった……」
「……セルジュ様?」
徐々に彼の声が小さくなっていく。
異変に気付いた私が振り返った瞬間だった。
セルジュ様がその場から落馬し、森の茂みに倒れ込む。
私は思わず馬を止め、彼の元に駆け寄った。
「セルジュ様!? 一体、何がっ……!」
「クソ……剣も矢も、全部捌いてやったんだがな……。やっぱり、運命ってヤツには敵わねぇか……」
「運命……? ま、まさかっ!」
ようやく気付く。
彼の身体からは大量の血が流れていた。
今まで一切傷を受けた様子はなく、鎧にも全く傷が付いていない。
それなのに、まるで身体の内側から広がったように、傷が自然と生まれていた。
運命の収束。
それを聞いて私は一つの結論に達した。
セルジュ様は新たな未来を見たのだ。
私を助け、その道中で自分が死ぬ未来を。
だったらどうして、と疑問ばかりが生まれるが、先に弱々しい声が聞こえた。
「どうしてコイツが、俺に未来視を見せたのか……今、分かった。俺を生かすためじゃない。俺にケジメを付けさせるためだった」
「何を……!」
「俺はずっと、兄上から逃げていた……。王宮から離れたのも、国境に領地を持ったのも……全部、兄上達から逃げるためだった……。もし、またここで逃げていたら……俺は何も踏ん切りも出来ないまま、無様に死んでただろうよ……」
皆が不幸を抱えて生きている。
セルジュ様にとっての不幸は、王器に選ばれてから始まったのだろう。
栄誉と栄冠の象徴が、彼自身を苦しめていた。
薄れゆく意識の独白からは、後悔の念があった。
ただ、今の彼には苦しそうな様子はない。
「死ぬと分かっていても、生き方を変えることは出来る……その通りだ、トリニティ……俺は兄上から決別できた……今は……とても、晴れた気持ちだ……」
「セルジュ様! 駄目ですっ! そんな……そんな事って……!」
セルジュ様は死を受け入れようとしている。
それは、それだけは絶対に駄目だ。
私は懸命に彼の鎧を外し、処置を施そうとするも、それよりも先に彼の手が視界に入った。
その手には天望のイヤリングが握られていた。
「これを……持て……」
「っ……!」
「俺を変えるためとは言え……コイツはお前の死を変えた……認めたんだ……きっと、お前ならコイツを扱える……」
元は私の婚約破棄から始まった騒動。
天望のイヤリングは、それを止める為に未来視を見せてくれた。
つまりは私を救う為にセルジュ様を動かした事になる。
きっと彼はそれを理解して、私に王器を託そうとしているのだろう。
だが、それは受け取れない。
私は彼の手を握り、そのまま突き返した。
「……出来ません。その王器は、貴方のモノです」
「何を……する……?」
「あの時、言いましたよね……? お前にも、生きていてほしいと思う人がいるって……私は、貴方に生きていてほしい……!」
私は彼の傷口に手を当てて、力を込める。
そして私の中にある純血の宝玉に問い掛けた。
天望のイヤリングが視た予知は不変ではない。
私が死ななかったように、誰かの行動が変わればその先の未来も変わる。
仮にそれが王器によって定められた運命だとしても、私の中にも同じ王器がある。
互いの力を相殺することが出来るかもしれない。
僅かな望みに託して、私は肖像でしか見たことがない両親の顔を思い浮かべた。
「お父様、お母様……お願い、力を貸して……!」
瞬間、私に流れる血が呼応する。
掌に赤い光が灯り、私達の身体を取り巻く。
そして次第に、周囲一帯をゆっくりと包み込んだ。




