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槍を担ぎ、昨日と変わらない様子で鎖に繋がれた私を見る。

幻覚ではない。

屋敷で私が連れ去られた事を知ったのだろう。

予知を防ぐために王宮まで駆けつけてきたのだ。

彼は動揺する実の兄に向けて、槍の切っ先を向ける。


「乱心したな兄上。昔のアンタは、こんな真似をする男じゃなかった」

「馬鹿な、セルジュ!? 何の騒ぎも立てずに、どうやってここまで……!」

「この城には、王族だけが知っている隠し通路があるだろう? そこをちょいと利用させてもらったのさ」


悪戯をする子供のように微笑む。

そこには一種の潔さすらあった。

兄と敵対する事も恐れず、過去を振り払ったような強さが窺える。

私が呆然とその様子を見ていると、彼はもう一度振り返った。


「やっぱり、死にたいだなんて嘘だろう? その顔を見れば、直ぐに分かる」

「っ……! わ、私は……!」

「今更意味はないかもしれねぇが、お前自身の言葉で聞かせてくれ。お前は、どうしたいんだ?」

「わたし……は……」


自由なんて何処にもない筈だった。

子を産んで王器を託すことだけが、私の存在理由だと思っていた。

でも、それは違ったのか。

父や母も、それだけのために私を産んだとは思いたくなかった。

死ぬ事ではなく、生きる事に意味があると信じたい。

私は声を震わせる。


「死にたく……ありません……」

「……」

「私、死にたくありません! このまま死ぬなんて、絶対に嫌……!」

「……決まりだな」


直後、彼は槍を振るった。

拘束していた鎖が断ち切られ、自由の身となる。

解放された反動でその場に尻餅を付き、思わず息が漏れる。


「動けるか? 悪いが白馬の王子にはなれねぇ。自分で立って、自分の力で走れ!」


彼も誰かを抱えるだけの余裕はない。

発破を掛けられ、私は自分の力で立ち上がる。

しかし、それを阻む人がいた。

ロウバート様が両肩を震わせ、腰に提げられた剣を抜く。

その眼は私ではなく、弟のセルジュ様しか見ていなかった。


「……お前は、また奪うのか? そうやって俺から、何もかも奪い去るのか!?」

「奪ったつもりはないぜ、兄上。アンタ自身が、持っていたモノを手放した。それだけだ」

「黙れッ! 貴様さえ……貴様さえいなければ、俺はッ……!」


震える切っ先が、セルジュ様に向けられる。

先程私に向けたものとは違う、圧倒的な殺意がそこにはあった。

これまでも、そうして家族を憎んできたのだろうか。

時の運に見放され、歪んでしまったのだろうか。

セルジュ様は悲しそうな表情をして、静かに口を開く。


「もう、止めにしましょう。アンタとの押し問答も、俺は全てケリをつけるつもりで、此処に来たんだ」


彼は兄の怒りを受け入れるだけだった。

受け入れた上で槍をゆっくりと構える。

ただ少し、深く息を吐く。


「あぁ、でも一つだけ言わせて下さい。俺がまだガキだった頃、アンタは俺の憧れだった」

「セルジュ……! セルジュウウウゥゥゥッッ!!」

「今まで、世話になりました」


狂気に呑まれて斬りかかってきたロウバート様に、彼は槍を振るう。

互いの戦いは一瞬で決着が付いた。

峰打ちで顔面を殴り飛ばされ、ロウバート様はそのまま気絶。

看守と同じように倒れ伏した。


槍を収めたセルジュ様は、立ち尽くす私に手を差し伸ばす。

その掌は槍を強く握りしめた跡が、ハッキリと残っていた。

私は何も言わずにその手を掴む。

地下監獄から脱出した私達は、狼狽える王宮の人々を前に姿を現した。

そして先陣を切ってセルジュ様が叫ぶ。


「聞け! 我が兄、ロウバート・フェルグレイスは乱心した! 己が妻を国王暗殺の容疑に掛け、後の実権を得ようという度し難い過ちを起こした! このような蛮行、断じて認められるべきではない! 故にトリニティ・エスクエスの身柄は、このセルジュ・フェルグレイスが預かる!」


王宮の人々は、私が嫌疑に掛けられた事を知っている。

今の発言が、第一王子に背くものである事も当然理解するだろう。

間もなく衛兵たちが、一斉に私達の元に迫ってくる。


「ええい、何をしている! 即刻あの者を追え!」

「しかし、あの方は第三王子……」

「第三王子は先日、ここを発ったばかり! 偽者に決まっておろう! 矢を放て! 殺しても構わん!」


彼らは全員ロウバート様配下の兵士達だ。

セルジュ様を偽者と断じて、皆が武器を構える。

当然、黙って見ているつもりはないらしい。

彼は私に隠し通路の場所を教え、そこまで駆け抜けるように指示した。


「露払いは任せろ! 何も気にせず、そのまま突っ走れ!」


喧騒に呑まれた王宮で、四方八方からやって来る兵士たちを、彼は物ともせずに追い払う。

様々な武功を立てた彼の力は確かなものだった。

一騎当千と言わんばかりに、無傷で私の進む道を開いていく。

私は迷うことなく書物庫の隠し扉まで辿り着き、その向こうにある滑り台のような通路へ進んだ。

斜面に沿って、王宮外壁へと一直線に滑り落ちていく。

彼の言う通り、元々これは王族が非常時に脱出するためのものだったようだ。

通路を抜けて外壁へと到達すると、セルジュ様が用意したであろう馬が待っていた。

私は馬に飛び乗り、後から来た彼と共にその場から出立した。

騒ぎはまだ市街には広がっていない。

一部の市民が不思議そうに私達を見ていたが、構わず街を抜けて、森の中へと逃げ込んだ。

それから暫らくは走らせたままで、誰も追ってくる様子はなかった。


「撒いた、か……?」


夕日が微かに正面を照らす森の中、足場が獣道に近いこともあって、馬の足が次第に遅くなっていく。

私は自分の身体を何度も確かめながら、無事である事を理解した。

あれだけ死にたがっていたのに、今では生きている事に心底安堵している。

しかし、屋敷の皆は無事だろうか。

ゆっくりと歩く程度の速さになった時、セルジュ様の小声が聞こえた。


「安心しな。シャーリーを含めて屋敷の従者は、俺の領地で預かっている。後はこの先にいるルーク達と合流するだけ……もう、大丈夫だろ……」

「ありがとうございます、セルジュ様。あんな無茶をしてまで私の事を……なんとお礼を言えば良いか」

「ま、気にすんな……俺が勝手にやっただけの事だ……」


セルジュ様は大したことではないように言うが、そんな筈はない。

第一王子に刃を向けたことが何を意味するか分からない訳もない。

彼は兄と敵対する覚悟を決めた上で、私を助けたのだ。

自分の死を回避するための行動だったとしても、感謝せずにはいられなかった。


「私は、自由に生きる権利なんてないと思って、諦めていました。でも、やっぱり怖かったんです。何も出来ないまま死ぬ事が、堪らなく怖かった。それを押し殺して、私はただ、意固地に強がっていただけなのかもしれません」

「……」

「こんな身体でも出来ることがある。まだ何が出来るのかは分かりませんけど……それでも、死ぬと分かっていても、その間の生き方は変えられる筈です。だから、貴方に救われた命で、探していこうと思います」

「そうか……良かった……」

「……セルジュ様?」


徐々に彼の声が小さくなっていく。

異変に気付いた私が振り返った瞬間だった。

セルジュ様がその場から落馬し、森の茂みに倒れ込む。

私は思わず馬を止め、彼の元に駆け寄った。


「セルジュ様!? 一体、何がっ……!」

「クソ……剣も矢も、全部捌いてやったんだがな……。やっぱり、運命ってヤツには敵わねぇか……」

「運命……? ま、まさかっ!」


ようやく気付く。

彼の身体からは大量の血が流れていた。

今まで一切傷を受けた様子はなく、鎧にも全く傷が付いていない。

それなのに、まるで身体の内側から広がったように、傷が自然と生まれていた。

運命の収束。

それを聞いて私は一つの結論に達した。

セルジュ様は新たな未来を見たのだ。

私を助け、その道中で自分が死ぬ未来を。

だったらどうして、と疑問ばかりが生まれるが、先に弱々しい声が聞こえた。


「どうしてコイツが、俺に未来視を見せたのか……今、分かった。俺を生かすためじゃない。俺にケジメを付けさせるためだった」

「何を……!」

「俺はずっと、兄上から逃げていた……。王宮から離れたのも、国境に領地を持ったのも……全部、兄上達から逃げるためだった……。もし、またここで逃げていたら……俺は何も踏ん切りも出来ないまま、無様に死んでただろうよ……」


皆が不幸を抱えて生きている。

セルジュ様にとっての不幸は、王器に選ばれてから始まったのだろう。

栄誉と栄冠の象徴が、彼自身を苦しめていた。

薄れゆく意識の独白からは、後悔の念があった。

ただ、今の彼には苦しそうな様子はない。


「死ぬと分かっていても、生き方を変えることは出来る……その通りだ、トリニティ……俺は兄上から決別できた……今は……とても、晴れた気持ちだ……」

「セルジュ様! 駄目ですっ! そんな……そんな事って……!」


セルジュ様は死を受け入れようとしている。

それは、それだけは絶対に駄目だ。

私は懸命に彼の鎧を外し、処置を施そうとするも、それよりも先に彼の手が視界に入った。

その手には天望のイヤリングが握られていた。


「これを……持て……」

「っ……!」

「俺を変えるためとは言え……コイツはお前の死を変えた……認めたんだ……きっと、お前ならコイツを扱える……」


元は私の婚約破棄から始まった騒動。

天望のイヤリングは、それを止める為に未来視を見せてくれた。

つまりは私を救う為にセルジュ様を動かした事になる。

きっと彼はそれを理解して、私に王器を託そうとしているのだろう。

だが、それは受け取れない。

私は彼の手を握り、そのまま突き返した。


「……出来ません。その王器は、貴方のモノです」

「何を……する……?」

「あの時、言いましたよね……? お前にも、生きていてほしいと思う人がいるって……私は、貴方に生きていてほしい……!」


私は彼の傷口に手を当てて、力を込める。

そして私の中にある純血の宝玉に問い掛けた。

天望のイヤリングが視た予知は不変ではない。

私が死ななかったように、誰かの行動が変わればその先の未来も変わる。

仮にそれが王器によって定められた運命だとしても、私の中にも同じ王器がある。

互いの力を相殺することが出来るかもしれない。

僅かな望みに託して、私は肖像でしか見たことがない両親の顔を思い浮かべた。


「お父様、お母様……お願い、力を貸して……!」


瞬間、私に流れる血が呼応する。

掌に赤い光が灯り、私達の身体を取り巻く。

そして次第に、周囲一帯をゆっくりと包み込んだ。

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