4
私に自由はなかった。
生まれた時点で王器を受け継ぎ、ソレの存続のために生きてきた。
エスクエス家が最も守らなければならない使命。
そのために父と母は私を生んだと同時に命を落とした。
幼少の頃にそれを知らされた時、私も何れ両親と同じく子を産んで死ぬのだと理解した。
今、私が生きているのは王器を継ぐため。
先代達が受け継いだものを壊す訳にはいかない。
私に拒否権はなかった。
16歳になってロウバート様が婚約を申し出た時、家中の者は王器の存在が知れたのだと恐怖した。
恐怖はロウバート様ではなく、私の王器に向けたものだった。
力が暴走しないよう幼少から使い方を学んできたが、コレは危険すぎた。
一歩間違えれば、周囲を不毛の地に変えることも出来る。
彼は私を身近に置き、強力な兵器として利用する気なのか。
秘匿を第一とする私達にとって、この婚約は脅威でしかなかった。
だが相手は王族の第一王子。
伯爵程度の地位で申し出を断ることは出来ない。
現当主でもある私は頷くしかなかった。
そう、何処まで行っても、私の意志など関係がない。
逆らえずにひたすら流され続ける。
そして後に待っていたのは、他の令嬢からの嫉妬の目だけだった。
いっその事、私に流れる血のように、この身ごと洗い去ってしまえば良いのに。
諦観した私には夜会や晩餐会も、全て些事に思えてならなかった。
そこへ一つの転機が訪れる。
セルジュ様が、未来視によって私達の死を予知した。
婚約破棄の末に国王殺しの罪で惨殺される結末。
ロウバート様は自分に扱える王器を探して、私に近づいたのだ。
だが純血の宝玉は、その血の持ち主以外には扱えない。
彼が思い通りに王器を使える筈がない。
誰かに唆されたのか、思い込みが過ぎたのか。
どちらにせよ、私は死ぬ運命にある。
今更恐怖はない。
死ぬ覚悟はとうに出来ていた。
だから告げられたその瞬間、私はシャーリーに持って来させたナイフで首を切ろうとした。
世界が私を否定している。
だったら、流されるまま此処で死んでやる。
そう思っていたのに、セルジュ様はナイフを叩き落した。
私が死ねば彼の死も回避できるのに、まるで自分の事のような態度を取った。
誰かに怒られたのは始めてだったかもしれない。
そしてセルジュ様もまた、自分の境遇に苦しんでいると知った。
誰もが不幸を抱え、生きている。
折り合いをつけるのは、自分自身なのだと。
その考え方は、私には眩し過ぎた。
本当に、私が自由に生きられる時間があるのだろうか。
分からない。
分からないが、セルジュ様は影を落とした私に光を差し込んだ。
彼の近くにいれば、それが見つかるのかもしれない。
一種の希望のようなものを見た、その矢先だった。
「残念だ、トリニティ。君が父上の暗殺を企んでいたとは」
「ロウバート様! 私は、そのようなことは……!」
「言い訳など無用だ。お前の屋敷から暗殺用の毒物を押収している。これを病床の父上に飲ませ、殺そうとしたのだろう?」
「そんな毒薬は知りません! 身に覚えのないモノです!」
王宮の地下監獄。
鎖に両腕を拘束された私は、身の潔白を訴えた。
ロウバート様は毒薬の入った瓶を見せたが、私には一切覚えがない。
きっと見せかけるために用意したモノだ。
始めから、私達を容疑者にするための罠だったに違いない。
彼は続けて、こう言った。
「毒薬だけではない。お前はエスクエス家に伝わる王器を隠し持っているだろう? いざとなればそれを用いて、我々王族から実権を奪おうと企んでいた。そんな危険なモノは、即刻取り上げなければならない」
「……!」
「王器は何処にある? 屋敷を隈無く探したが、それらしきものは何一つなかった」
彼は純血の宝玉を狙っているが、その正体までは知らない。
セルジュ様が予知した通りだ。
この後私は処断され、無残に殺される。
王器が暴走して周囲一帯を吹き飛ばすのだろう。
だが、そんな事は望んでいない。
これ以上、私のせいで誰かが傷つくのは耐えられない。
私は彼の正気に語り掛けようとした。
「あの王器は、エスクエスの者にしか扱えない! ロウバート様には適合しません! どうか、考え直して下さい!」
「ッ……!? 言わせておけばッ!」
直後、彼の拳が私の頬を殴った。
一瞬何が起きたのか分からず、衝撃と痛みに動揺するばかりだった。
「あうっ!?」
「お前も……お前もそうやって俺を見下すんだな! そうやって、心の中で嘲笑っていたのだろう!?」
次第に生温い感触が口の中に広がる。
ロウバート様は正気ではなかった。
嫉妬と怒りに押し潰され、どす黒い瞳で私を見下ろしている。
もしかすると、私もこんな目をしていたのかもしれない。
自分以外への強烈な嫉妬が、あの未来視を作ったのかもしれない。
不意に、そんな事を思った。
「許さん! 俺はフェルグレイス家の第一王子、ロウバート・フェルグレイスだ! 次期国王は、継承権第一位の座は俺の筈なんだ!」
ロウバート様は叫んだ。
それは自分に言い聞かせているようにも聞こえ、私は何も言えなかった。
直後彼は私から背を向け、看守に向けて一言告げる。
「何をしても構わん。王器の隠し場所を吐かせろ」
「ヘッヘッヘ……お任せ下さいよ」
小太りの看守が不気味に笑う。
何をされるのかは、大体想像がついた。
全身が震え、拘束していた鎖が小刻みに音を立てる。
逃げられない。
いっその事、王器のことを明かそうかと思ったが、血で出来た王器など彼らは信用しないだろう。
仮に信用したとして、血を全て抜き取ろうと私の身体を暴きかねない。
何故だろう。
とても怖かった。
屋敷でセルジュ様に問い詰められた時、死んでも構わないと思っていた筈だった。
でも今は、死ぬ事が堪らなく怖い。
心臓の鼓動に応じて、血の力が脈動する。
駄目だ。
このままでは死への恐怖が引き金になって王器が暴走してしまう。
「ま、待って下さい! これ以上は、私の王器が暴走して……!」
「ほう、それは危険な事だ。即刻取り上げなければ」
必死に訴えても、ロウバート様は一切取り合わなかった。
寧ろ私が王器を隠し持っていると知り、笑みすら溢し始める。
もう、どうする事も出来ない。
言葉だけでは、自分の力だけでは何も変わらない。
望みを失った私は、思わず両目を瞑る。
その瞬間だった。
「な、何だ!?」
困惑するロウバート様の声が聞こえる。
直後、荒々しい物音と鈍い殴打音が鳴り響いた。
一体、何が起きたのだろう。
「無事か、トリニティ!」
ゆっくりと目を開けると迫っていた看守が倒れ、倒したであろう人物、セルジュ様が目の前に現れていた。