3
「お嬢様ッ!」
シャーリーが叫ぶと同時に、俺の身体は動いていた。
テーブルを乗り越え、トリニティが持つ震えたナイフを手で叩き落とす。
ナイフは重い音を響かせて俺の手に渡った。
クソッ。
これが最善の方法だって言うのか。
ふざけやがって。
「あっ……!」
「馬鹿かお前!? 一体何を考えてる!」
「王器を知られた時点で、こうするべきだったんです! 私がここで潔く死ねば、皆が助かる……!」
「ったく、どいつもこいつも死に急ぎ過ぎだろ。考え直せよ。俺はそんな事をさせるために此処に来たわけじゃねぇんだ」
「でも……! それでも……! この血のせいで、父や母の命は奪われたんです! 私はもう、誰も傷つけたくありません!」
トリニティは悲痛な声で叫んだ。
その辺りの事情は俺には分からない。
アッサリと死を選ぶなんて簡単に出来ることじゃない。
余程、腹に据えかねるものがあるんだろう。
それでも逃げることと、死ぬことは同じじゃない。
死ねばそこで終わりなんだ。
静まり返った部屋で俺は語り掛けた。
「きっと俺には与り知らねぇ辛いことがあったんだろう。だがな、お前に生きててほしいと思う奴だっている筈だ」
「そんな人なんて……」
「いないのか? それは卑屈になり過ぎだぞ。なぁ、シャーリーさんよ」
そう言いつつ、俺は彼女の従者に目を向けた。
当然、それを黙って見過ごす訳もない。
シャーリーは身を乗り出して懇願する。
「その通りです、お嬢様! 自ら命を絶つなど、お止めください! 今は亡き当主様達も、そのようなことは望んでおりません!」
長年連れ添ってきた従者の言葉だ。
トリニティは複雑な顔をして目を逸らす。
曇った表情は未だに晴れそうにないが、少しだけ分かったことがある。
彼女は、以前の俺と似ていた。
「生まれてきたことが罪みてぇな顔しやがって。生まれた事に良いも悪いもねぇんだよ。大事なのは、そこからどう乗り越えていくかだ」
「乗り越える?」
「俺は昔、王器に……コイツに選ばれた。兄弟達が全く扱えなかった『天望のイヤリング』を、偶然とはいえ使ってみせたんだ。その時の兄上達の顔ときたら……嫉妬と殺意が入り混じったナニカだった。ありゃ、実の弟にしていい顔じゃなかったな」
「そんな事が……」
「王族の家系は、王器を扱える者が代々王を継ぐ。そんなこんなで、事故に見せかけて殺されそうになった事は何度もあった。まぁ、証拠なんてないんだけどな。でもあからさま過ぎて、流石の俺でも気付く位だったよ」
当時は父上も息災だった。
告げ口をする事なんて幾らでも出来た。
それでも俺は何も言わなかった。
王器に選ばれなかった兄上の苦悩も分かっていたからだ。
周囲からの落胆、失望の目。
時の運が違っていれば、立場も違っていたかもしれない。
だから兄上を恨むことなんて出来なかった。
「自分だけが不幸って訳じゃない。ソレが見えないってだけで、誰だって何かしらの不幸を抱えて生きてる。だから俺達は、それを持って前に進むしかないのさ。もし、進むだけの力がないなら……それを貸すために、俺は来た」
「……」
「少し頭を冷やしな。明朝にまた来るから、そこで改めて答えを聞く。あぁ、そうそう、紅茶美味かったぜ」
今のトリニティは連れ出せない。
まだ時間の融通は利くが、それでも死を選ぶって言うなら俺は何も言えない。
今日の所は退散することにした。
紅茶を飲み干し、背後に控えるルークに声を掛けて屋敷を出る。
「貴方はとても強い方なのですね。私も……出来ることなら……」
去り際に彼女の呟きが聞こえた気がしたが、俺は何も言わなかった。
屋敷の外から公道に出て、夜風に当たりながら一つだけ息を吐く。
視線を横に向けると、ルークが不安そうな表情をしていた。
「宜しいのでしょうか」
「晩餐会まで時間はある。それに今、無理に連れて行った所で、彼女は自分に刃を向けるだろうよ」
「……」
「安心しろ。もう早まった真似はしねぇ。俺はそう信じてる」
俺にはトリニティの意志を捻じ曲げるような無理強いは出来ない。
ただ、彼女は奪われたナイフを取り返そうとはしなかった。
つまりはそういう事だ。
死にたいと言ってはいたが、本心は別の所にある。
熱も冷めれば考え方も変わる筈だ。
気付くことを信じて、今はこの場を立ち去ることにした。
だが、その翌日。
早朝にエスクエス家に辿り着いた俺達は、目の前の状況に息を呑んだ。
「一体……何がどうなってる!?」
そこにいたのは、傷を負った従者のシャーリーだけだった。
トリニティの姿は見当たらず、屋敷内を荒らされた形跡すらあった。
強盗か。
いや、この荒らされようは何処か違う。
俺はルークと共に、シャーリーの手当てを行った。
傷は浅く、多少殴られた程度のものだが、老体という事を考えると看過できない。
治療の最中、彼女は必死に俺達へ事の次第を告げた。
「数刻前にロウバート様の親衛隊がやって来て、お嬢様を連行したのです! 国王暗殺の容疑で、嫌疑に掛けると!」
「馬鹿な! 暗殺容疑を掛けるのは、明日の晩餐会の筈だ!」
トリニティが拘束されるのは晩餐会の最中だ。
見間違えなどという凡ミスじゃない。
天望のイヤリングが予知した通りに動けば、必ずその未来に辿り着く。
だが、その予知に反した動きをすればどうなるか。
俺は今までの自分の行動を思い返して理解する。
「そうか! 未来視を見た俺が動いたから、先の未来が変わったのか! 油断した……!」
「セルジュ様! どうか、どうかお嬢様をお救い下さい! 昨日の問答から、お嬢様も覚悟したのです! 亡き当主様達の命を抱え、前に進むと!」
兄上め。
元々そうするためにトリニティを屋敷に帰らせたのか。
俺は舌打ちを堪えながらもシャーリーの言葉の真意を測りかねていた。
亡き当主とは両親の事だろうか。
聞き返すよりも先に彼女が説明した。
「王器、純血の宝玉は先代当主様から受け継がれて来ました。子を産み、王器としての力を子孫に託すのです。自らの命と引き換えに」
「!?」
「お嬢様は憂いていたのです。何れは自身も子を宿し、その重荷を子に背負わせて命を落とすという、耐えがたい連鎖に。ですがそれは、王器を守護するエスクエス家にとって、果たさなければならない役目でした」
そういう事か。
彼女の王器は、他の王器みたく譲渡で終わるモノじゃない。
血液そのものが力の根源である以上、それだけの代償が必要という事なのか。
今までエスクエス家の者全員が、子供に力を託して死んだという訳だ。
生半可な覚悟で出来るとは思えない。
トリニティの濁った瞳には、それだけの理由があったという事だ。
そして従者はその秘密を俺に教えた。
「シャーリー、教えてくれてありがとう」
だったら、俺に出来ることは一つしかない。
「ルーク! エスクエス家の人間を匿うぞ! お前は他の仲間と協力して、彼女達を俺の領地まで避難させろ!」
「何を成さるつもりですか?」
「決まってる! 王宮に向かってトリニティを救い出す!」
国王暗殺の容疑となれば、何れエスクエスの人間も拘束される。
ここで匿わなければ縛り首にされなかねない。
治療を終えたルークに声を掛け、俺は王宮へ向かおうと踵を返す。
と、その矢先だった。
耳元で天望のイヤリングが光り出す。
この感覚、予知夢を見た時と同じだ。
反応する間もなく、イヤリングから発した光が俺の視界を奪っていく。
「こ、コイツは!?」
瞬間、俺はその先にある未来を視た。