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仕方なく王宮から出た俺は腕を組んで考える。
野心の高い兄上だ。
どうして名声の低い伯爵令嬢と婚約するのかと思っていたが、やっと納得した。
「やっぱり狙いは、トリニティの王器だ。兄上は昔から、自分だけが扱える王器を探していた。罪人に仕立て上げて、残されたソレを自分の物にするって算段か」
「どうされますか?」
「こうなったら、いっそ俺の王器を渡して……」
「ロウバート様には適合しなかった、という話でしたが」
「……そうなんだよなぁ。コイツが物好きじゃなければなぁ」
ルークのツッコミに、俺は耳元の王器を軽く揺らす。
天望のイヤリングに適合したのは、兄弟の中で俺一人だけだ。
何でまたコイツは、よりによって俺なんかを選んだのか。
兄上を選んでくれていれば、ここまで話は拗れなかっただろうに。
まぁ、今更そんな事を悔やんでも意味はない。
今すべきなのは、死の未来をどう変えるかだ。
「兄上が見張ってる以上、父上にも近づけねぇ。無理に行けば話も拗れそうだしな。一旦、話の分かる奴に会いに行くべきか」
「と、申されますと?」
「トリニティの実家、エスクエス家の屋敷だ。何か掴めるかもしれねぇ」
「でしたら影武者を用意し、諦めたように装うべきでしょう。根負けして拠点に戻った事を周りに見せつけておけば、王宮内の警戒も薄れて動きやすくなります」
「おぉ……流石、ルーク! 頭が回るぜ!」
「いえ、そのようなことは……では、他の者と事を調整します」
間者にいる影武者を使って内偵する、か。
成程、こういう頭を使うことはルークの方が向いている。
やっぱり一緒に連れてきて正解だったな。
危うくこのまま乗り込むところだった。
影武者との調整を任せると、少しの間が開いて、ルークはおもむろに口を開いた。
「一つ、窺ってもよろしいですか?」
「ん? どうした?」
「殿下の予知に……僕はいましたか?」
「そうだな……最後まで一緒にいたと思うぜ。って言うかアレは多分、一緒に死んだ感じだったかもしれねぇ」
「……そうですか」
ハッキリとは映っていなかったが、確かにあの場にはルークもいた。
となれば、共にやられたのが自然だろう。
そう言うと、ルークは安堵したように息を吐いた。
まさかコイツ、俺と一緒に死ねて良かったと思っているんじゃないだろうな。
下らないことを考えてそうなので、俺は指で軽く頬を突いてやる。
「で、殿下!?」
「なーにホッとしてんだ? お前だって死んでんだぞ?」
「し、しかし、殿下を守れないどころか生き残るなんて、従者の恥さらし……!」
「ったく、お前はまだそんな事を……俺は命を無駄に捨てろなんて言ってないだろ。死ぬ事よりもこれから先、どう生きるかを考えな」
ルークは優秀だが、依存し過ぎる一面がある。
俺が死ねと言えば、死にかねない勢いすらある。
重いから止めろと言っているんだが、未だに治りそうにない。
そういう所も成長すればマシにはなるだろうが、先の舵取りはしてやらないとな。
そんなこんなで日が暮れ、俺達は影武者を用意して王都から去るように仕向けた。
なるべく衆目に晒すような形で立ち去るのを確認した後、残った俺達はエスクエス家に赴いた。
「どちら様ですか?」
「夜分遅くに悪いが、中に入れさせてもらうぜ」
従者らしき老婆が現れたので、雨具の笠を取って素顔を晒す。
流石に第三王子ともなれば、名乗らなくても顔だけで通じるから便利なものだ。
彼女はサッと身を引いて、屋敷に招き入れた。
「セルジュ様がお出でになるとは……噂はかねがね聞いております」
「噂?」
「これまでの数々の武功。国内屈指の兵を率いる手腕。第三王子でありながら、王位継承権の主力候補であるとか」
「おっと、それは口説き文句か? 悪いが今は、何も出せないな」
「お聞き苦しかったでしょうか。雲の上を見上げるとなると、手は数える程度にしかありませんので……ご容赦下さい」
「いや、そういったアプローチは滅多にない。思わず手を取りたくなるもんだ」
中々、口の立つ女性だ。
機転も回りそうな思慮深さが見えてくる。
しかし、この屋敷に従者は彼女だけなのか。
他に誰かがいる様子がない。
と思っていた所に、奥からゆっくりと歩み寄って来る気配が現れる。
「シャーリー? 一体、誰が来て……あっ!」
視線を向けると、そこには王宮で会ったばかりの少女がいた。
まさか、王都を去ったばかりの男がいるとは思わなかっただろう。
前の無表情とは変わって、驚いた様子で俺達を迎えた。
「まさか、アンタがいるとは思わなかったよ。トリニティ嬢」
互いにとって意外な来客だったが、トリニティは俺達を応接間へと進ませた。
話を聞くと、兄上から実家の様子を見てくるように指示を受けたらしい。
婚約者となってから、あまり家にも帰ってなかったのだろう。
兄上の気遣いなのかは分からないが、表向きには俺も立ち去ったし、彼女は言われた通りに戻ってきたという訳だ。
それが思わぬ偶然を呼んだ。
俺は差し出された紅茶を飲んだ後、トリニティに未来視のことを語った。
最低限動揺させないように、予防線を張った上で、先に起きる死の連鎖を告げる。
彼女は始めこそ真っ黒な瞳を見開いたが、俺を拒絶することはなかった。
代わりに段々と、それは諦めの色を帯び始めた。
「セルジュ様の王器が、私の死を予知した……と?」
「あぁ。そしてそれは俺の死に繋がる。いや、きっと俺だけじゃない。あれだけ強大な力だ。王宮どころか、国内全域に影響が及ぶかもしれない」
「……」
「教えてくれ。エスクエス家に王器があるってのは、本当か?」
「……本当です。今まで秘匿されてきましたが、私の家系には代々、王器が受け継がれてきました。そしてロウバート様は、それを知った」
「王器狙いの婚約だって、始めから気付いていたのか」
「両親のいない、後ろ盾のない当主である私に求婚する理由は限られています。それに、ロウバート様から直接、王器の在処を聞かれたこともありましたから」
「第一王子の婚約者となれば、地位も名声も思いのまま。なのに、アンタはいつも浮かない顔だったな。一月前の夜会の時もそうだった。他の連中と違って、明らかに浮いていた」
自分が婚約された理由も薄々分かっていたらしい。
だったら、以前参加した夜会にも説明がつく。
あの時は猫なで声で近づいて来る令嬢達をあしらうので精一杯だったが、その中でも彼女は異彩を放っていた。
踊りに加わる様子はなく、楽しんでいるようにも見えなかった。
まるで自分が籠の中にいると自覚しているかのようだった。
触れれば崩れそうな、そんな佇まい。
俺の指摘にトリニティは悲しそうに笑う。
「分不相応な立場に待っているのは嫉妬だけです。どうしてあの女が第一王子と……そう言われることも少なくありませんでした」
「……」
「ですが、それだけではありません。私は多分……」
何かを言い掛けたが、それ以上は語らなかった。
不意に彼女は従者に向けて片手を差し出す。
「シャーリー、ナイフを」
「お嬢様……!」
「良いのよ。未来視を持つこの方だからこそ、明かす意味がある」
一瞬抵抗するも主の命には逆らえない。
すぐさま退室し、間もなくソレを持ってくる。
トリニティはシャーリーに礼を言いつつ、小型のナイフを受け取った。
そしてナイフを持った手の真下、テーブルの上に銀皿を置く。
大道芸を始めるわけでもなし、一体何をするつもりなんだ。
俺は黙ってそれを見届けていると、彼女は急に切っ先を自身の親指に沿わせた。
切り傷が出来、次第に少量の血が流れる。
銀皿に一滴の血が落ちると、トリニティはナイフを仕舞い込み、血の落ちた皿を俺の方へと進ませた。
「何を……?」
「コレが王器、純血の宝玉です」
聞き間違えかと思ったが、そうじゃない。
トリニティは目の前の血そのものを、王器だと明かした。
「私に流れる、先祖から代々受け継がれてきたこの血こそ、エスクエス家の王器なのです」
「血液が王器だって言うのか!? そんなモノが……!」
「この血は、私の意志に従って力を発します。これだけ微小な量であっても、周りを吹き飛ばすだけの威力はあるでしょう」
「何てこった……」
「絶大な力があることは、私達も理解しています。だからこそ、来る日が来るまでは秘匿されなければなりませんでした。ロウバート様がどうやって王器の存在を知ったのかは分かりません。ただ、その正体までは気付いていないようです」
「だろうな。知っていたなら、婚約破棄の果てにあんな真似する筈がねぇ」
処刑をするのは、兄上がトリニティの王器の正体を知らないからだ。
当然、俺も知らなかった。
王器はどんな形であれ、固体のものばかり。
コレみたいに、液状の王器があるとは聞いたことがない。
それだけ特殊で、危険なモノという訳か。
今まで秘匿されてきた理由が何となく分かってきたな。
だが、ソレも兄上に知れてしまった。
今更誤魔化すことは出来ない。
「もう一度確認するが、父上の暗殺を企てている訳じゃないんだろう?」
「当然です……!」
「だったら話は早い。俺と一緒に来い。今のままじゃ、アンタは一週間も経たずに殺される」
「……ですが、私は婚約者という立場にあります。ここで動けば、きっと事態は悪化してしまいます」
「死ぬよりも悪いことにはならねぇさ。兎に角、急ごう!」
俺はトリニティを連れ出そうとしたが、どうにも動かない。
自分が死ぬと分かっていて、何故か煮え切らない。
死ぬことに対して恐れを抱いていないのか。
俯いた彼女は不意に呟く。
「セルジュ様、良い方法があります。誰にも迷惑を掛けない。最善の方法が……」
最善の方法、そんなモノがあるのか。
何か考えがあるのだろうと、俺は返答を待つ。
するとおもむろに彼女は仕舞っていたナイフを取り出した。
まさか、と思う間もない。
今度は親指ではなく、あろうことかナイフを自分の喉元に向けた。