魔性の妹
よろしくお願いします
紹介を求めてちらりと私を見るモニカの視線を受けて、私は二人が向き合うように一歩下がった。
「モニカ、こちらはカーマイン・オーランド。イリアスの妹よ」
「い、妹……」
「カーマイン、こちらはレディ・モニカ・カンタベリー。私とは長い付き合いで、ウィリアム様の妹でもあるの」
「長い付き合い……」
カーマインは少し面食らったようだが、すぐに気を取り直し、すっと頭を下げて挨拶した。
「初めまして、レディ・モニカ・カンタベリー」
モニカは相手が頭を下げている隙に、一瞬値踏みするような目になったが、すぐにニッコリと相好を崩した。
「初めまして!カーマイン様。気軽にモニカと呼んでくださいませ」
「恐れ入ります」
「良ければこれから三人でお茶を飲みませんこと?これもご縁ですから」
「えっ、あ、あの、……お姉様」
モニカは心配そうにちらちらと私を見上げる。気乗りしないが、直接断ることも出来ないのだろう。先ほども礼儀作法が不十分だと言っていた。
この学校では、年上の男子が、女子の、その上新入生に目くじらを立てることは、ほとんどないとカーマインも直感的に感じているようだが、女性間での立ち回りはそれよりはるかに繊細で複雑だ。
「カーマイン、身内でお喋りするのに礼儀作法を気にする人なんていないわ。それほど心配なら練習ということにしてもいいし……。緊張するなら短く切り上げるから、少しだけでも」
「わかりました。それではご相伴にあずかります」
カーマインはそれ以上の異は唱えず、すぐに覚悟を決めて従順に頷いた。
うう~ん、流石。頭が良くて空気が読める。
「嬉しい!ありがとうお姉様。今年はわたくしも談話室を設えましたのよ。そちらへ参りましょう」
モニカは無邪気に喜んで見せた。
「驚くほど私だけに不利な提案だな……」
いつも微笑みを絶やさないリュカオンの渋い表情は珍しい。
「何か競争でもなさっているのですか?」
モニカの談話室を使って、リュカオンだけが不利なことってなんだろう?
談話室の使用頻度で競争でもしてるとか?
「王子殿下はいつだって一番に君臨していらっしゃいますでしょう?これくらは許していただかないと」
モニカは話を切り上げ、私の腕をとって歩き出す。
「それじゃ皆さま御機嫌よう~。カーマイン様参りましょう」
「リュカオン様、皆様も、また午後の授業で」
置いていかれる男子の中で、リュカオンがポツリと呟く。
「私も頼りになる妹が欲しいなあ」
「あげませんよ」
「あげませんからね」
イリアスとウィリアムが食い気味に反応していた。
アカデミーは都市部にありながら、小さな男爵領ほどの敷地があり、その全てが防犯のため城塞の如き堅固な壁で囲まれている。敷地面積が大きいのは、ボート部のための川や乗馬部のパドックと森を敷地内に有するからで、正門から端まで移動することは殆どないが、日常的に行き来する校舎廻りだけでも建物が多く、移動にはそれなりの時間がかかる。
正門から入ってすぐの前庭は、木々と花が美しく手入れされているだけでなく、芝生や多くのベンチが設置され、気候の良い季節は休憩場所として人気だ。
前庭の正面奥に堂々と佇むのが本校舎。王城と同じアルフレーディアン様式で、白と金の豪華な装飾が、空の青と夏の緑に映えるアカデミーの顔である。ここは講義室だけでなく、学長室や貴賓室の重要施設が集まっている学校の中心舞台だ。
本校舎の中を通り抜けると現れるのが、向かい合って立つ通称・右校舎左校舎。正式には典雅な名前がついているが誰もそう呼んでいない。そしてコの字型に立つ三つの校舎の中心にあるのが、先ほどまで私たちがいた主食堂である。
その他様々な建物……、図書館や講堂はもちろん、研究棟、部活棟、音楽ホール、格技棟。生徒を増やした際に増築した大型教室専門の講義棟、菜園、温室、厩舎。二つの副食堂に三つのカフェテリアが、植え込みや渡り廊下でうまく繋がるように建てられている。
それで肝心の談話室がどこにあるかというと、談話室ばかりが集められた談話棟と部活棟近くのクラブハウス中心に多いが、実は構内の様々なところに点在している。
アカデミーの部屋は、教師だけでなく生徒でも、申請して許可を得れば誰でも使用することが出来る。もちろん教員による授業での使用が最優先だが、その合間に例えばクラブでの臨時会議をする目的で、生徒が人を集めて教室を使用することも可能だ。
その制度の延長線上にあるのが談話室で、一部の飲食禁止の場所を除き、庭でも、空き教室でも、自由にお茶を飲みながらお喋りして良いのである。その年度、通じて空き部屋になっている場所ならば持ち出しで改装も可能だ。その代わり、場所を保障されるのは一年間だけ。次の年、教授が空き教室を準備室や教室として使いたいと申請すれば談話室は没収となる。
リュカオンもこれまでは学校が談話室用に用意した場所を改装して使っていたが、去年は生徒数が多く、使用時間の譲り合いで気まずい思いをしたようだ。それで今年からは制度の隙間を突くような方法を紹介してもらい、左校舎の端の方へ談話室を構えた。
リュカオンから話を聞くまで私も知らなかったんだけど、そりゃそんな方法があるなら、用途の違う音楽練習室を使わずに、空き教室でやりなさいって学長先生も怒るよね。
モニカに連れられて向かったのは、クラブハウスや談話棟でなく、右校舎の一室だった。彼女もウィリアム経由でリュカオンの事情を聞いたのだろう。
「こちらがわたくしの『紅蜜蜂の間』でございます。お姉様でしたらいつでも大歓迎ですわ」
紅蜜蜂の名に合っているのかどうなのか。白を基調とした桃色とレモン色の、非常に少女趣味な内装だ。
「わあ、かわいい」
カーマインにも好印象だ。
「素敵ね。お喋りが弾みそう。私も来年は談話室を改装するつもりだから、参考にするわね」
「ありがとうございます。お兄様がもっと重厚で落ち着いた調度にするよううるさかったのですけれど、自分の思う通りにしてみて満足です」
「そうね。成功も失敗も、自分で考えて決断してこそ身になることだもの」
年とか格とか体面とか、相応なんて枠にはまるのは馬鹿らしいし、何をするにも選ぶにも、早すぎるも遅すぎるもない。
少女趣味に浸るのも、大人に憧れてちょっと背伸びをするのも今しかできないことで、年を取ってから若いころの憧れを叶えることは大人にしかできない。
やりたいと思った時こそやるべき時。たとえ間違ったとしても、失敗は早いうちにしたほうがいい。人生でいつだって、常に!今が!一番若い時だ!!思ったとおりにやるのが、もっとも後悔が少ない生き方よ。
「では早速お湯と茶器をお持ちします」
一緒についてきたクロードが三人分の椅子を引いて、私たちを順番に座らせてから、いそいそとお茶の準備をしに行った。
「お姉様とカーマイン様、お二人は本当の姉妹のように仲がよろしいですわね」
モニカはにこやかに、しかし抜け目なく探りのジャブを繰り出してきた。
「我が家はバーレイウォール家の傍流で、姉妹だなんて恐れ多い事ですが、お姉様とは正真正銘の親戚ではあります」
カーマインもすかさず笑顔で答える。
「それでお姉様も可愛くて仕方がないご様子なのね。わたくしはお姉様より一つ年下で、入学4年目の15才ですけれど、カーマイン様はおいくつでいらっしゃるの?」
「私はお姉様より4つ下の12才です。モニカ様はお姉様と付き合いが長くて、気心もしれていらっしゃる大切なご友人と見ていてわかります」
「カーマイン様とお姉様の方が」
「モニカ様とお姉様の方が」
接点のない2人の美少女からお姉様お姉様と連呼されて、『お姉様』がゲシュタルト崩壊しそうなんですけれども。
『お姉様』……。それは甘美にして耽美なる敬愛の響き。姉妹間で用いられる年長者の呼称だ。
この場合の姉妹とは、血縁関係だけでなく、魂の結びつきを得た間柄にも適用される。主に上級生と下級生、とどのつまり赤の他人でもOKだ。その発祥は古く、女学校文化に端を発する。これぞ原始の百合である。
百合は女性同士のカップリングを指す単語だが、その関係性は恋愛限定ではない。
疑似恋愛、友愛、憧憬、主従、果ては好敵手まで、ありとあらゆる関係が濃厚でさえあれば良い。
プラトニックも性愛も包括し、組み合わせの順番さえも厳しく言及されないという寛容さを持つ。
その中で、『お姉様』呼びに象徴される他人同士による姉妹愛は、原点にして王道。最もポピュラーで間口の広いライト感と入門的な分かりやすさがありながら、深淵へ至る底なし沼のごとき奥深さも兼ね備えている。
閉鎖された環境で、出口をなくして渦巻く思春期の繊細で不安定な感情はエモさ爆発。
理解者を得ようともがく二人の少女の交流は尊みの塊り、藤原鎌足。
その聖域は不可侵ゆえに、『百合に挟まりたがる男は死刑』と伝統的に決まっている。
濃厚すぎる友情と、名前の付けられないクソデカ感情が大好きな私には、もちろん大・大・大好物!
とはいえ、当事者になりたいという野望は持っていない。間に挟まる男が死刑なら、女でもそれなりに重罪だろう。
モニカが私をお姉様と呼ぶのは、昔にままごと遊びで姉役をやった名残であり、カーマインの場合はお嬢様と呼ばせないための代価案で、特に深い意味はない。
「カーマインは将来的にうちの養女になる予定だから、あなたにも気にかけてもらえると助かるわ」
「まあ養女!うばらましいですわッ!」
「なんて?」
「あ、素晴らしいと言おうとして噛んでしまいました~」
モニカは可愛らしく取り繕う、が。
いや、嘘つけ。羨ましいと言いかけて誤魔化そうとしたんでしょ。
「あなたには素敵な本当のお姉様が二人もいらっしゃるでしょう」
「お姉様は何人いたっていいものですわ」
「そうかなあ……」
血縁の姉というものは、本来支配層の捕食者であり、私は何人いても良いとは全く思わないが、人間を支配下に置く猫のごとく、兄姉を統べる魔性の妹・モニカの場合は、そうなのかもしれない。
「あら?では今年たった一人だけの新入生というのはカーマイン様のことでしたの?」
「あ、いいえ。私は今年入学の奨学生です」
「ご兄妹そろって優秀でいらっしゃるのね」
「教養では足りないことが多いですから、得意分野で努力しました」
カーマインは嫌味になり過ぎないよう謙遜する。
国内最難関の選抜考査を突破した奨学生は講義でも成績優秀であり、身分にかかわらず尊敬される。莫大な学費も免除となり、貴族であっても金と名誉を得るために、奨学生となる者は一定数居る。
カーマインの学費は、私の父が持つつもりでいたようだが、イリアスも侯爵家に頼らないですむよう事業を起こして金を工面していた。しかし結局彼女は奨学生となった。
奨学生は領主免許と士官予備役の実習を完了せねばならず、非常に忙しい。当然公的機関から学費を支給される以上、素行と成績は厳しく監督される。
加えて、年間と月間の学習計画、進捗、実績、成績など詳細な報告レポートの作成提出も必要だ。
イリアスが奨学生を選ばなかったのも、報告や更新手続きといった煩雑な事務作業に割く時間を惜しんだためだと聞いている。その分の時間で、彼はより多くの資格を取得し、金策を講じることにも成功している。
「私は、誰の目にも明らかな程の秀才である兄とは違いますから、今後のために分かりやすい肩書が欲しかったのです」
「12才入学の女子は数が少なくて、ただでさえ目立ちますもの。賢明なご判断だと思いますわ」
「その上、今年の女子の一般生は一人きりだとか。監督生のお姉様はどんな方かご存じですか?」
突然話がオンリーワンの女子新入生・ヒロインの話になった。
やはりヒロイン!注目の的!きっとこんな風に学内のあらゆるところで話題になっているに違いないわ。そんな人物が一目で釘付けになるほどのカリスマを備えているんだから、登校し始めたら華々しいヒロイン街道まっしぐらよね!
「同じ年だから、困っていたら手助けするように、教授からも頼まれているのだけれど、実は私も先ほど遠目にお見かけしたのが初めてなのよ」
「一人しかいない新入生の話は皆知っているのに、どんな人物か話題に上らないなんて、ミステリアスな人ですね」
「目立たないように配慮なさっているのかしら」
事情があって学校を休んでいたことは勝手に話さない方がいいわよね。尾ひれがついて広がっても困るから。
「直接話したわけではないけれど、礼儀正しくて快活そうな人だったわよ。可愛らしい感じで、燃えるような赤毛だったから、これから見かけることがあればすぐわかるはず……」
その途端、空気が冷たく凍ってピシっとひび割れた。
「はあ、やはり……」
「お姉様の赤毛好き……」
私の赤毛好きの悪名は、噂の発端となった本人たちの耳にも届いているようだ。
赤毛の件は黙っていた方が良かったかな?
でも!今回も私はヒロインの世話を焼き倒すつもりよ!遅かれ早かれ赤毛大好き伝説が更新されるなら、誤差よ、誤差!
モニカが最高に愛くるしい笑顔でぐいと身を乗り出してきた。
「そんな赤毛大好きなお姉様に朗報がありま~す!」




