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事の顛末

 フィリップは、ウィリアムとパーシヴァルの位置を把握していたようで、送り届けてくれた場所のすぐ傍で二人は待っていた。

 仕事が完璧だ。御庭番としての実力は確かである。

 屋敷の奥の方へ向かったのに、突然バルコニーから現れた私に、ウィリアムとパーシヴァルは驚いていた。

 リュカオンが地下の部屋で眠っていること、ストレイフ子爵が私とリュカオンの既成事実を画策していたことを簡潔に伝えると、二人は血相を変えた。

 目立たないように中心を避けつつ、急いでホールを横切る私たちは、奥へ続く廊下の直前でストレイフ子爵とばったり行き会った。

 両脇にはグラスゴー夫人とミルフォード夫人を、両手に花と侍らせている。今からリュカオンのいる部屋へと送り届けて、ひと芝居というつもりでいたのだろうか。

 子爵は私の姿を見て、一瞬驚きで目を瞠ったが、すぐに笑顔で感情を覆い隠した。

「これはこれは……。早いお戻りで」

 よくもまあ、ぬけぬけと。

 しかし憎めない。

 悪事を許してしまいそうになるほどの愛嬌こそ、最上級イケオジの証と、私は思うのよね。

 私は負けじと、精一杯虚勢を張って微笑んだ。

「なんてことありませんでしたわ。側近のお二人を呼びに行って下さったお屋敷の侍従があまりに遅いので、お忙しいに違いないと、自分で飛び出してまいりましたの」

 訳:あんな地下室出ることくらい、朝飯前よ。余裕過ぎて私から会いに来てあげたわ。

「なるほど。あなたは頼りになるお方のようだ」


 私の稚拙な挑発に乗ることもなく、ストレイフ子爵は穏やかな瞳で私を見た後、ふいに両隣の貴婦人たちに向き直った。

「こちらのご令嬢のパートナーで、お二人にも所縁のあるおかた……、訳あってここではお名前を伏せますが……」

「存じておりますわ。さきほどご挨拶くださいましたの」

 グラスゴー夫人が心得たように頷く。

「ああ、ありがたい。ならば話が早いですな」

 ストレイフ子爵は、私までギリギリ届く程度に声を潜めた。

「実は、そのお方が軽度の過労でお倒れになったのです」

 私がここにいることで、子爵の企みは潰えた。余計なことを言われる前に話の筋道をつけてしまう算段らしい。私としても、事を構えてあらぬ方向へ話が転がるよりは、無難なシナリオでやり過ごしたい。私自身も考えていたように、リュカオンが大事ない程度の病気で卒倒するのが、当たり障りのない落としどころだ。

 それを私に聞こえるように言ったのは和解の合図だろう。

「まあ!大変……!!」

 子爵の作り話に、二人の貴婦人は息を吞んで青ざめる。

 お可愛らしい。

 グラスゴー夫人とミルフォード夫人は、私の親よりまだ年上で、子供がとっくに成人している頃合いであるが、今でも少女のような純粋さを持ち合わせているようにお見受けする。

 生粋にして、無菌培養のお姫様だ。さぞや家族と御夫君、果ては使用人にも大切に守られていらっしゃるに違いない。

 疑うことを知らない純真無垢な貴婦人が、悪い男に騙される現場をLIVEで見てしまった。

 興奮するなぁ。控えめに言っても興奮する。

「なんでも、今日花火を見に来るために、根をつめてお勉強なさったとか」

 本当はこのイケオジが秘孔を突いたんですけどね。

「お忍びでいらっしゃったので対応に窮しまして。信頼を寄せるお二方の力をお借りできないかと」

 対応に窮したなどと、そんな嘘がバレないものだろうかと思ったが、子爵の弱ったふりを見て、大人しそうなミルフォード夫人も俄然やる気にみなぎった。

「勿論ですわ。わたくしたちにお任せください」

「では侍従に案内させますので、先にお部屋へ向かってください。儂もすぐに追いかけます」

 ストレイフ子爵は、適当なセリフで貴婦人たちをリュカオンのもとへ追い払った。

 その後をパーシヴァルだけが付いていく。ウィリアムは用心のため、私の側に残ってくれた。


「気絶した振りとは、したたかなお嬢様ですな。あなたを甘く見たことは謝ります」

 罠にかけたことは謝らんのかい。

「次もこうはいかないと仰いますか?しかしそれはお互い様です」

「いいえ。是非あなたを妃に、という想いは強まりましたが、もう強硬な手段はとりません。騙し打ちのような勝負に負けておいて、これ以上は恥の上塗りだ」

「お眼鏡にかなったようで光栄です。生憎と妃の座に興味はございませんけれど、反対派の意向に沿うつもりもありません。私達は協力関係を築けるはずです」

「あなたをめぐる思惑は多岐に及んでいます。お力になれるならそうしたいが……全ては殿下のお許し次第でしょう」

 なかなか好感触だ。こんな怖いおじさんは、味方につけるに限る。

「つい今しがたもその思惑の一つを退けてきました。閣下のお力添えがあれば更に容易いことです」

 途端にギラリと、ストレイフ子爵の目が光る。私は内心すくみあがった。

「当家にネズミが入り込んでおりましたか」

 よかった。私に向けられた眼光ではなかったみたいだ。

「え、ええ。有り体に言えばそうですね。その毛色をお聞きになりますか」

「それには及びません。しかし少々やることが出来ました。今宵はこれにて」

 ストレイフ子爵は、落ち着き払っていたが、軍人らしい足の速さで屋敷の奥へ消えていき、私は胸をなでおろす。ひとまず危機は去った。今やっておかねばならない手回しも。

 こうして、私の波乱に満ちたお忍び夜会は幕を下ろした。




「で?いつ元に戻るんです、コレ」

 馬車の中で、向かいの席に座ったフィリップが二コリともせず真顔で言った。

 御者として今夜の夜会についてきたフィリップだが、子爵に言い含められた侍従が、厚意で御者ごと馬車を貸してくれて、その方が護衛がしやすいと言うので、3人一緒に車内に収まっている。

 コレというのは勿論クロードのことだ。

 クロードは私の膝にアゴを乗せ、長い足を窮屈そうに折りたたんで、座席ではなく床に座り込んでいる。

 まだ犬のままだ。

 形は人でも、普段なら絶対に見せないような姿のクロードは、よく似た別人のような……、擬人化した犬みたいに感じてしまう。手ごろなところにある頭を撫でると、彼は満足そうにピスピスと鼻を鳴らした。

 不思議だな……。どうして人間の鼻なのに犬みたいに鳴るんだろ……。

「薬を盛った人は、効果は2時間から6時間と言っていたわよ」

 私はクロードの鼻を覗き込みながら答えた。嫌がられたけど。

「そうですか。明日の業務に支障はなさそうですね」

 ほっとしたのか、フィリップの表情はいつもの柔らかな微笑に戻った。

「それで、早速なのだけど。あなた、愛の告白の演技だなんて、一体どういう仕事を……」

 そう!私はこれを聞きたくて、巻きで事態を収拾してきたのよ。しっかり話してもらおうじゃない。

「お話すると約束しましたが、姫様も馬車の中で事情を話すと仰いました。そちらが先です」

 柔らかくても、押しに弱い訳ではないらしい。


 ストレイフ子爵に閉じ込められ、リュカオンが眠らされたところから、クロードの救援、それから賊に一杯食わされた経緯を急いで説明した。賊の名はなんと言ったか。フィリップがダイナミックに飛び込んできた衝撃で、大小様々なことが霞のように吹き飛んでしまい、何度も補足を要求されて説明には思っていた以上に時間がかかってしまった。早く終わらせないと、馬車が離宮に着いてしまうというのに。

 話を聞き終えると、フィリップは頭を抱えて深刻に大きなため息をついた。

「結果的に大事に至らず済みましたが……、僕が付いていながら危ない目に合わせてしまうなんて……庭師失格です。親方と上様に合わせる顔がありません」

「何を言うの。あなたが来てくれて助かったわ。ありがとう」

「いえ、クロードは、意識を手放しても忠誠心は忘れなかった。おそらく一人でも姫様を守り切ったと思います。お手柄でした」

 今のクロードに言うと、どうしても犬を褒めている感じになっちゃうな。


「しかし妙ですね。クロードは人を見る目が確かで、簡単に思惑に乗せられるような奴ではないのですが」

「ああ、クロードは心理術の特殊技能があるんですって?」

 フィリップは取り乱しはしなかったが、表情筋が脱力するように柔らかい雰囲気が抜け落ちた。

「それを、どこで……?」

「賊が言っていたのよ。知っていたらいくらでも対策できるのに、技能がある人間は油断している、みたいなことを」

「クロードは人の感情を読み取り、嘘や敵意を察知できます。しかし、誓って人の思考が読める訳ではありません。健康管理の点で、姫様のご機嫌や体調を伺うこともありますが、頭の中を覗いたりしておりませんのでご安心ください」

「そりゃあそうよね。勿論わかっているわ」

 テレパシーなんて、超能力者ではあるまいし、クロードの技能はそんな非現実的な能力ではないだろう。

「どういう仕組みなの?」

「人の微細な仕草から心の機微を読み取る技です」

 微細な仕草……。マイクロジェスチャーってやつかしら。

 人間が無意識に行ってしまう生理的動作だ。嘘をつくときの気まずさや動揺が行動に現れてしまうのである。

 喜怒哀楽の感情は誰にでも読み取れる。それが正直な反応かどうか分らないから、人の心は難しい。すなわち、嘘が分かれば本当の心も見えてくるということだ。

「でもそれって、相手のことをよく知らないと見極めが出来ないんじゃない?」

 不安や動揺がどような仕草に現れるか、一定の傾向があるとしても、人の癖は千差万別だ。

「事前調査が出来れば精度は更に上がります。しかし相手の癖を引き出す会話術や、少ない事例で傾向を割り出す人格分析を心得ています。初対面で即座に対応できなければ、役には立ちませんので」

「きっと、私を助けるのに協力してくれたから、クロードも信用してしまったのね」

 それに加えて、敵はクロードの特殊技能に対策を立てていた。

 今日の賊、ええと、名前は何だっけ……。思い出せないけど、とにかく彼は嘘をつかないよう、言動に気を付けていたように思う。今思い返してみると、『こちらです』と先導されたものの、ホールへ案内するとは言われていない。

 毒薬ではなく、効果の弱い媚薬などを使用したのも、強い害意はクロードに勘づかれてしまうためか。

 賊が不安や動揺を感じにくい性質だった可能性もある。

「クロードの心理術があまりに便利で有能なので、僕も甘えていました。離宮を探っていた不審人物について、情報を得られないかとつい別行動を……」

「リュカオン様と懇意にされている方のお屋敷で、全員が油断していたわ。取返しのつく程度の失敗で、勉強できたと考えましょう」

「今後は肝に銘じます」

 今日の敗因は、チーム全体の配置ミスだ。それをクロード一人でよくカバーしてくれた。毒薬を持ち出されて命のやり取りをせずに済んだのも、強い敵意を察知してくれるクロードの技能の恩恵だ。

 さっすがクロード!本日のMVP!!

 万能ではなくとも、心理術は社交における駆け引きにも、護衛にも非常に役立つ。

 クロードが味方でよかった!

 疚しいことなんてないし、たとえ心が読まれるとしても、前世だの乙女ゲームだの、強めの幻覚だとしか思えない私に死角はありませんからね!


「車が離宮の敷地内に入りました。クロードがまだこんな状態ですから、人目に付かず部屋に入るにはどうしたものか……」

 窓をの外を覗きながら、フィリップが呟く。馬車が止まってしまう前に、私も聞きたいことを聞いておかなきゃ。

「じゃあ今度こそ私の番ね」

「僕に関する事でしたら、いつでもお答えします。別に今でなくても」

「改まって聞きにくいこともあるのよ。今でなきゃ機会を逃してしまうわ」

 フィリップはそれどころではないと言いたげだが、私の質問だって、ちゃんと進退に関わる事だわ。乙女ゲームのシナリオ的に!

「わかりました。僕とシャロンは、姫様がお疑いのような関係ではありませんが、何でも聞いてください」

 私をなだめすかすより、質問に答えた方が早いと判断したようだ。観念して頷く。

「本当に?将来的には?あなたの気持ちはどう?照れ隠しではなく?」

「想像を超えて食いつきが凄い……」

 思わず腰を上げて詰め寄った私の膝から、クロードは滑り落ちて目をパチパチさせた。

「もし職場恋愛が禁止なのだとしても、私には隠さないで。むしろ、私に話した方がお得よ。絶対に役に立って見せるわ」

「隠す理由がありませんので、残念ながら、僕たちが恋人関係という事実は全くありません」

「残念ながら?少なくともあなたは残念に思っているということ?」

「本当に食らいつくなぁ。言葉のアヤです。それに職場恋愛禁止どころか、バーレイウォール家の方針は、徹底した恋愛結婚至上主義ですよ」

 それは初耳だ。

「でも、好きでもない相手と結婚するのはおかしいって言ったら、不満がなかったら結婚するのが普通だって、皆で口を揃えて言ったでしょう。もう何年も前の話だけれど」

「あれは、主の行き過ぎた恋愛主義の反動といいますか……。僕たちは、条件や釣り合いも大事だと答えるように、教育されているのです」

「我が家ってそんなに行き過ぎた恋愛脳かしら?側近の子供たちに教育を徹底するほどに?」

「伝え聞く限りでは、先祖代々恋愛結婚だと」

 政略結婚が主流の貴族社会で、それは確かに徹底した恋愛結婚主義と言える。


 でもこれってつまり……。

 リュカオンが8年にも渡って外堀工事を進めているのに、一向に縁談がまとまらないのは、『恋愛結婚こそ望ましい』という家の方針によるものだったんだ。

 親は私に、恋愛をした先に結婚してほしいと思っている。それこそが難しい場合もあるだろうけど、少なくとも、望まない縁談を無理やり押し付けられることはない。

 リュカオンの動向を無闇に恐れる必要はないんだわ……!!


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