ダイナミックOJS
クロードは、デカい・重い・力が強いの三拍子。
体重を支え切れず、私は後ろに倒れ込んで床に頭をぶつけた。
「いたッ」
クロードはそのまま上から、重ね付けしたネックレスをふんふんと鼻でまさぐり、そのうちの一つを口にくわえて引っ張った。ブチンと鎖が千切れる直前に、細い鎖が肌に食い込んだ。
「あでッ」
四肢を付いて犬の様に座るクロードが、起き上がった私の手に落としたのは、紅いサンゴのネックレスだ。今年の誕生日に、他ならぬクロードからプレゼントされた、花の形に細工された犬笛である。
わざわざ渡したのは、これを使って遊べ……ということかな?
しかし『そーれ、取ってこーい!』と投げて遊ぶには小さすぎる。やはり笛なのだから、吹けば良いのだろうか。
遊んでいる場合でもないし、笛の音で人が集まってきても困るのだが……。
珊瑚の犬笛からクロードに視線を移すと、彼はお利口に私の挙動をじっと見守っている。
クロードは、意識が混濁しているというより、自分が犬になったと思い込んでいるようだった。
論理的で複雑な思考はできないようだが、私を認識し、友好的な意思を感じる。
よく懐いている犬、という感じだ。
どういう薬の効果なのか、本当に謎である。
まあ、犬笛は人には聞こえない周波数の音らしいから、ちょっと吹いてみるか。
お願いを聞いたら、私の要望にも応えてくれるかもしれない。期待しよう。
花びらをかたどった一部分に唇を当て、小さい音がなるように恐る恐る息を吹き込んだ。
私の耳にはわずかな息の洩れる音しか聞こえなかったが、クロードは即座に反応し、長く遠吠えを上げた。
「あおん、わおーーーん!」
「ちょっと、クロード、シー!大きな声はだめよ。あなたのこんな姿、人に見られたら困っちゃうでしょう?」
慌ててクロードの口を抑える。
「わっふ」
クロードは判ったと頷いたように見えたが、手を外すと再び。
「わおぉぉん!あおぉぉぉーーーん……!!」
……言葉は通じないようだ。
どうしよう。声を聞きつけて人が来る。
可能性が一番高いのは、私とリュカオンの既成事実計画を言い含められ、異変を警戒している子爵の手の者だろう。
見つからないかも、関係ない人が来るかも、なんて楽天的な賭けはできない。
子爵に引き渡されたら、今度こそ本当に眠らされて終わりだ。
目が覚めたら王子妃コースのレールが引き終わっている。
私はクロードの両手を取って立ち上がらせた。
とりあえずここを離れよう。後のことは逃げてから考える。
窓へ誘導すると、クロードは大人しく付いてきたが、急にはっとなって、私を扉側に押し戻した。
「どうしたの?一緒にここから出ましょう」
私は動かなくなったクロードを全力で押したり引っ張ったりしたが、ずっしりした体幹は根が生えたようにビクともしない。
散歩の終わりを悟った犬か!
もたもたと押し合いへし合いしていると、クロードは突然機敏に動いて、私を抱え込むように庇って身を伏せた。彼の肩口の向こうに、窓の外の人影を見つける。
そこからは、何故か時間がゆっくり流れた。
人影は小さく身を縮め、月明かりの夜空を滑空して近づいてくる。黒い人影は窓を突き破り、轟音が鳴り響いた。細かく砕け散ったガラスが僅かな光を受けて、幻想的に煌めく。
ナニコレ、走馬灯?私、死ぬの?
部屋に飛び込んできた人影は、どっと重い音を立てて、受け身を取った。
ダイナミックお邪魔します……!
スタイリッシュ乱入者に見覚えがあると思ったら、金髪巻毛が特徴的な庭師のフィリップだ。今日は御者の装いをしている。付いてきていたのか。全然気づかなかった。
「お迎えが遅くなりました。すぐにここを離れましょう」
クロードは喜んでいるのか興奮しているのか、私とフィリップの間を八の字に走り回る。
本人は子犬にでもなったつもりなのかもしれないが、実際には巨体で隙間をすり抜けるので、私は何度もぶつかって、そのたびによろけた。
「どうしたんです、クロードのやつ」
明らかに様子がおかしいので、フィリップは返答の期待できないクロードではなく、私に質問した。
「変な薬を打たれて、犬になったと思い込んでいるようなの」
「そんなことあるんですね?」
ほんとソレ。
「よしよし、クロード。応援を呼べてお利口だったな」
クロードは表情に乏しいが、フィリップに耳の後ろと襟足を撫でられて、どことなく嬉しそうである。
犬になりきっているクロードを、私もフィリップもついつい犬の様に褒めてしまう。傍目にはシュールでも、演技に引き込まれている私には違和感がなかった。
「行きましょう。抱えますよ、失礼します」
フィリップは話のついでの様にさらりと言うと、私を軽々と横抱きに抱え上げた。
「えっ?」
足が地面から離れて、思わずフィリップにしがみつく。
大柄なクロードならともかく、スラリどころかヒョロリと細いフィリップに抱えられると、なんとなく怖い。信じないわけではないけれど、重いだろうと心配になる。
しかし私の心配を他所に、フィリップは信じられないスピードで走り出した。
「行くよ、クロード。付いてこい」
「うぉん!」
ガラスの割れた窓枠を素早く飛び越え、足場の悪い屋根の上を駆け抜け、何度か跳躍した。
「ヒェッ、は……速……!」
「口を開けていると舌を噛みますよ!」
視界の上下に耐えきれず、目を回して何が何だかわからないうちに、私はそっと屋根の上へ降ろされた。
ココどこ?
寒い……。
ユグドラは、夏でも夜の屋外は冷える。
イブニングドレスはデコルテと肩が丸出しなので、高台で風が強いとどんどん体温を奪われてしまう。
両腕を抱えて身を縮めていると、クロードが上からのしかかってきて、覆うようにその腕の中に私を収めた。
犬が寄り添っているイメージなのかな?
あ、ありがとう。温かいわ。それ以上にすっごく重くて這いつくばりそうだけど気持ちは嬉しい。
フィリップは膝をついて首を垂れた。
「ご指示をどうぞ」
「そうね、まずホールのウィリアム様パーシヴァル様と合流するわ。危険はないと思うけど、リュカオン様が今一人きりでいらっしゃるの。それを伝えて、なるべく早く誰かがお側に付かなければ。私を人目のある安全なところまで送ってもらえる?」
「御意」
人目のあるところならば、婚約推進派、反対派どちらの勢力も手出しできないはずだ。
「それが片付いたら、クロードと待っているから人目のないところへ車を回して。私たちだけで離宮へ帰りましょう。事情はその時に話すわ」
「畏まりました」
私は、クロードの重みに耐えながら周囲を見渡す。
先ほど居た屋敷の裏側よりもホールに近いらしく、夜会の喧騒が伝わってくる。
屋根の上でも平らな場所だ。鐘楼の登り口があるため、夜陰に紛れて人目に付かないが、こちらは上から灯りの洩れるいくつかのバルコニーの様子が伺えた。人のいないバルコニーへ降りられれば話が早い。
いや……、私これ降りられる?
降り口があるにはあるが、整備用の梯子がかかっているばかり。フィリップは私を抱えたまま、どうやって登ったのやら。
「では早速」
さも当然とフィリップは再び私を抱えた。
高いところで宙に浮くと余計に怖い。
「何とか私でも降りられそうなところはない?」
フィリップはだめとは言わなかった。ただ面白い冗談を聞いたように笑った。
「今日は慣れないお靴を履いていらっしゃいます。うっかり足を滑らせたら死にますよ」
ですよねー。
慣れない靴で鈍くさ二割増しの私 VS 人を抱えて軽々走るフィリップなら、信頼度は後者の方が上か。
「よろしくお願いします」
覚悟を決めて、フィリップの首に回した手に力を込めた。
「はい。任されました」
フィリップは登ってきた時よりはゆっくりと、しかし体重を感じさせない足取りで移動を始めた。後ろからクロードも大人しくついてくる。
「フィリップって見た目よりずっと力持ちなのね」
侮っていたのではなく、驚くほどの怪力だ。並の鍛え方ではこうはいくまい。
「バーレイウォール家の庭師ですから、このくらいは」
「土仕事は足腰が丈夫でないとつとまらないでしょうけど、それにしたって凄いわ」
「おや?庭師の仕事は植物の相手ではないですよ。護衛よりも、遠く広い範囲で、主に仇なす害虫を駆除するのが勤めです」
「害虫……ってつまり、不審者とか曲者?」
「そうとも言いますね」
「えぇ!?庭師ってそういう職業なの?花壇やお庭の手入れじゃなくて?」
「バーレイウォール家ではそうですね。庭の番人として、ついでに手入れもしているだけで。他家で密偵をするにも便利ですから」
「密偵!?まさかビル爺も!?」
ビルは庭師の棟梁で、フィリップの師匠でもある。よく2人で他の屋敷へ出張している。
「はい。ビル爺は僕など足元にも及ばない一流の密偵です」
うちの庭師って、そんなお庭番みたいな職業なの!?
好々爺が服を着て歩いているようなビル爺なら、人に警戒されずに首尾良く情報を得られそうだけど……。そうか。そういうギャップが一流の証……。
「姫様はとっくにご存知かと思っていました」
「え、なんで?」
なぜそう思った?
今でもまだ訳わかってないくらいなのに。
「密偵の仕事で、制服を着てアカデミーに居るのを見ても、何もお聞きにならなかったので、てっきり事情を把握しておいでなのかと」
ああ、私の誕生日直前にあった例の一件ね。シャロンとフィリップがアカデミーの一角で、人知れず愛を語らっていたのよね。
あの現場を目撃して、私はシナリオが始まっている可能性に気付き、進行度と二人の親密度を知るために、いろいろと策を弄しているってわけ。
私は現在の状況も忘れ、心の中の回想にうんうんと頷いた。
離宮でのバカンスも残り少しだというのに、打開策も見つからず、全て空回っているけど、大丈夫。悲しくないわ。諦めるまでは負けじゃない。
「待って!?あの時私が見ていた事、気付いてたの!?」
ノリツッコミのごとく、ワンテンポ遅れて驚きがやってきた。
「そりゃ気付きますよ。むしろ、気付かなかったシャロンはまだ修行不足ですねぇ。誰にも言ってませんが、僕は姫様の風変わりな散歩コースも全部知っていますよ」
フィリップはにこりとあざとく微笑む。
私の『イベント起きそうスポット』巡り、バレてた!!
「ちょ……っと、それはいったん置いとこう。そうじゃなくて、えっと……。気付いてたのなら単刀直入に聞くけど、シャロンとあなたって……付き合っているのよね……?」
「あ、なるほど。事情を知っているからではなくて、僕とシャロンが特別な関係だと勘違いなさったので、問い詰めなかったのですね」
「勘違いなわけないわ。だって愛してるって言ってたもん!」
見たもん。嘘じゃないもん。
「あれは密偵の仕事で使うお芝居です」
「あなたハニートラップなんてやってるのぉ!?」
私の絶叫と同時に、人のいないバルコニーへ着地した。
「さあ、着きました。行ってらっしゃいませ」
今ここで放り出すの!?そんな殺生な!!
「気になってそれどころじゃないわよ。もっとちゃんと説明して!」
「事情は帰りの馬車でというご指示でしたよね」
「あと五分!いや一分!!ザックリでいいから!密偵でどんなことしてるのか、姫様に話してみ?」
フィリップは花がほころぶような柔らかい笑顔で、有無を言わせず私をホールの中へと投げ入れた。
力が強い。




