ドヤ顔で笑うものはドヤ顔に泣く
「俺の受けた依頼は、お嬢さんと第二王子殿下を結婚させないことなんだよね。だから地下の部屋を脱出した時点で、一応仕事は終わってる。だけど、契約期間中にまた同じようなことが起こったら報酬を貰い損ねるからさ、手っ取り早く他の人と結婚してくれないかなあ?」
テオはまるでおすすめメニューを紹介するような気軽さで話を続ける。その表情は明るく、爽やかですらある。
彼の足元で、クロードはますます強く苦しみだした。いつも澄まして近侍としての体裁を忘れないクロードが、こらえきれずにあげる低い獣じみた唸り声は、私の冷静な判断力を奪うに充分だった。
テオは何故、自分が盛った毒で苦しむ人を目の前にして、平然としていられるのだろう?
自分の大切な人ではないから?
どうしてこんなことになったの?
私は何を間違えた?
周囲の状況が私の許容量を超えてしまい、テオを見上げた瞳から生理的な涙がポロポロ零れた。
「何故私が……、あなたの報酬のためなんかに、一生の決断を二人分負わなければならないの……」
結婚は家の契約でもあるが、二人のことだ。私一人で、クロードの決断まで背負うなんて重すぎる。せめてクロードの意識がハッキリしていれば、二人で相談して決められたのに。
「報酬なんかって何?これが俺の仕事だ。仕事をせずにどうやって生きる。お前の生活だって、誰かの犠牲の上に成り立っているはずだろうが」
テオは一瞬声を荒げたが、すぐはっと我に返って明るい笑顔に戻った。
「まあ、そんな悲観的になんないでさ。これでも俺、あんたが幸せになれそうな相手を、ちゃんと調査して吟味したんだよ」
確かに、リュカオンと結婚させないために、私から妃の資格を奪う方法は、他にいくらでもある。考えるのもおぞましいやり方を興味本位や効率重視で選ぶこともできたはずだ。
近くにいて手っ取り早かっただけかもしれないが、クロードを相手に選んでくれたことは良心的だ。
……なんて……。
言うとでも思ったか!
賊に説教されたぐらいで、凹む私じゃないわ!
生きていくためなら人を傷つけ苦しめても仕方ない?だとしても開き直るな。私には文句を言う権利がある。
環境の違いを理由に理解を諦めるなんて、それこそ偏見、差別の元よ。
「この近侍はあんたのためなら命も捨てる覚悟だろうに、泣くほど嫌がるなんて酷いなあ。後で知ったら悲しむだろうね」
辛くて悲しくて泣いているわけじゃない。毅然とした目でテオを見据える。
「勝手な想像で、罪悪感をなすり付けないで。クロードと結婚するのが嫌なんじゃない。あなたの言いなりになるのが嫌なのよ」
「政略結婚とそんなに変わんないだろ。相手が嫌いじゃないならそれでいいじゃん」
「相手が誰でも、どんな結婚でも、最終的に自分で選んだことなら納得する。でも脅しで人の意思を捻じ曲げるのは卑劣よ。自分の行いを、もう一度よく考えることね」
とめどなく溢れる涙を拭うことを諦め、零れるに任せた。
「それで、私はどうすればいいの?今ここで、彼と結婚すると誓えば、助ける解毒薬をくれるということ?」
「だから死ぬような薬じゃないって。効果も二時間くらいで、長くても六時間で抜けてしまうんだ」
リュカオンの代わりに結婚させようというのだから、クロードに死なれてはテオも困るわけだ。でもいったいどうやって既成事実を作るつもりでいるのだろう。また目撃者が用意されているのだろうか。しかし家の使用人であるクロードと一緒にいるのは自然なことだ。リュカオン以上に極端な状況でなければ誤解は生まれない。
その時、クロードが低音で唸りながらもゆっくりと身を起こした。私はその肩を支えて、なだめるように体をさすった。
「クロード、大丈夫よ。危険な毒ではないのですって。後は私が何とかするから安心して」
「効いてきたのかな。使ったのは、理性を奪って獣のようになる薬だ。意識が朦朧とするのに抵抗して苦しんでいたのかもね」
「理性を奪う?」
「そう。記憶や感情はそのままに、秘めたる願望を押さえつける理性をとかしてしまう薬だよ。好きな女を前にした男がどうなるか、箱入りのお嬢様だってわかるよな」
そんな……!
「この近侍とは付き合いも長くて、嫌いじゃないんだろ。見た目もいいし、優秀で気が利く忠義者。その上主人に献身的な愛を抱いてる。きっと、普通とは順序が違っても幸せになれるさ」
……そんな。
「そんなご都合媚薬のような薬があってたまるかーい!!」
「うわ、びっくりした。なんだよ、急に」
「どこが危険な毒ではないのよ!?精神に作用するなんて、すっごく危険じゃない!」
「危険じゃないなんて言ってないよ。そっちが勝手に判断したんだろ。俺は死にはしないって言ったんだ。俺個人としては、危険な部類じゃないと思っているけど」
「後遺症が残ったりしないでしょうね!?」
「多分ね。すぐ分解される、効果の短い薬なんだって」
「どんな成分が、どこにどう作用してそうなるの!?きちんと理屈を説明してもらわないと、納得できないわ」
命の危険がなくて、後遺症もなくて、すぐ効き目が切れて、理性だけがなくなるなんて、都合が良すぎるわ。ご都合媚薬よ!これぞご都合媚薬!!絶対かかる催眠術みたいなモノ。
ずるい!!そういう反則級アイテムの存在は、前もって伏線を張っておかなきゃ卑怯だわ!断固抗議する!!
「感度3000倍になったりしないわね?」
「感度三千倍?そんなことになったら、感覚が尖りすぎて痛いんじゃないか?」
「そうね!私もそう思うわ!」
「えぇ……?このお嬢さん、うぜェ……」
うざくて結構!嫌がらせ上等!!
そうしたやりとりの隙に、クロードが唸りながら起き上がった。
「ヴルルルルル……」
暗くて表情は見えないが、猛獣のように凶悪な音がその喉から鳴っている。
テオは勝負あったと言わんばかりにせせら笑った。
「失敗だったな。あんたはさっき逃げておくべきだったんだ。最後まで見届けるような趣味はないけど、念のためドレスが引き裂かれるところまでは確認させてもらうよ」
テオが窓の方へ後ずさる。私は蛇に睨まれたカエルの様に動けなかった。
上から見下ろすクロードのことを、初めて怖いと感じた。
事ここに至っては、私がクロードから逃れる方法はないだろう。
テオの言う通り、クロードが倒れている内に逃げておくのが正解だった。
数時間、意識が混濁するだけの薬なら、不祥事を起こすよりも逃げてほしかったとクロードも思うだろう。
だがそれは結果論だ。
全てがわかった後だから言えることで、知る前の私に逃げるという選択肢はなかった。
もしあの時逃げて、その後二度とクロードに会えなかったら?
私は卑怯な自分を責めて、残りの人生を後悔しながら生き、決して幸せになれない。
その悔恨は、今感じている不本意よりもずっと重く苦しいものだ。
私は先の見えない二つの道で、後悔しないほうを選んだ。だからあるのは勝負に負けた悔しさだけだ。
しかし、クロードの次の行動は、私もテオも予想外のものだった。
私には目もくれず、テオに飛び掛かったのである。
「ガァッ!」
咆哮して枝の様にしならせ、横薙ぎに腕を振ると、ばちいと痛々しい音が響いた。テオは防御したものの、油断していて避けられずに吹き飛び、床に転がった。
「嘘だろ、マジかよ……」
そうか。理性のタガが外れて、テオへの怒りも剥きだしなんだわ。
いいわよ、クロード。もっとやれ。
「自分の色事なんかより、敵の排除が優先よ。彼の忠義を甘く見たわね」
私は自分も驚いたことを棚に上げ、盛大にドヤった。
テオはクロードに追い回されて、窓から外へ逃げ出した。
「しゃーない。今日のところは引き上げる。これからは誰にも利用されないように気をつけろよな」
「余計なお世話よ、おととい来なさい!」
私たちはお互いに捨て台詞を吐く。外へ出たテオは暗闇の中に消え、私はそれを見送った。
クロードは後を追おうとしたが、判断力のない状態では危険だ。
「だめよ、クロード。戻って」
表情の見えない後姿を思わず呼び止めた。
私の声を聴き、クロードが振り返る。
その瞳は、獰猛に炯々と光り、いつもの慈愛に満ちた彼の眼差しではなかった。
呼び止めたのは失敗だったか。
だからと言って、他にいい考えも浮かばない。
この窮地をどう切り抜ける……?
いや、この期に及んで、あがくのはやめよう。
私は確かに、『何でもするからクロードの命を取らないでくれ』と頼んだ。
望みは叶っている。この結果を受け入れるしかない。
「……ウウゥゥ……」
クロードが近づいてきた。喉から小さく唸り声が漏れている。
ちょっと怖いけど。自分で選んだことだ。
「クロードお疲れ様。助けてくれてありがとう」
「うぉん!」
「…………。なんて?今うおんって言った?」
「わん!わんわん!!」
い、犬の鳴きマネ巧ぁ…!?
「ど、どうしちゃったの、クロード」
私がオロオロすると、クロードも私の周りをグルグルと右往左往した。
四つ這いにこそならなかったものの、私の周囲にまとわりついた後、撫でてくれと言わんばかりにグイグイ頭を押し付けてくる。
犬……?犬になってる?
犬を撫でる時のように、恐る恐る顔廻りから耳の後ろをさするようにすると、クロードはきゅうぅ~んと鼻を鳴らした。
その音どうやって出してるの?
さらにクロードは床に仰向けで転がり、大きく伸びをして服従のポーズを取った。
理性を失った獣って、てっきり性のケダモノという意味かと思ったけど、単に動物のことを指していたのか。なんか勘違いしていたわ。
それとも、私の忠犬になることがクロードの秘めたる願望なのかしら。一口に好きと言っても、いろんな感情があるものね。
とにかく、覚悟を決めなきゃいけないようような事態は免れたようだ。
ほーっとため息をついて、私はクロードの腹をウエストコートの上からわしわしっと撫でた。
「よかった~ッ……!」
安堵で思わず涙が零れた。
今日は散々な目に遭ったが、取り返しのつかないようなことにはならずに済んだ。
「ひょわッ」
クロードは私の涙を目ざとく見つけて起き上がり、大きな舌で涙の跡をベロリと舐める。
「うん、ありがとう。私は大丈夫だからね」
「わん!」
本当に鳴き真似が上手い。きっと離宮で村人たちを追い込んだのも、この特技によるものだろう。
さて、この後はどうしたものか。
私は座り込んで、同様に隣に座るクロードの背中を撫でながら思案した。
いつまでもここにいて人が来ては困るし、リュカオンのことも側近たちに知らせなくてはならない。しかしこの状態のクロードを連れ出せるだろうか。うまく連れ出せたとして、人に見られず馬車に乗せ、私はもう一度ホールに戻って……。うぅ~ん……。
「どうしたらいいと思う?賢いクロードは私の後をちゃんと付いてきてくれるかしら。せめてもう一人いればなぁ」
こうなると、シャロンとイリアスを帰してしまったのが痛い。
そもそも、もう一人居たらこんな事態になっていないだろうけど。
私の呟きを聞きながら、じっと目を覗き込んでいたクロードが、おもむろに胸元へなだれ込んできた。
いきなり出てきた新キャラだかモブだかが、めちゃくちゃ喋るので、お前誰だよって気持ちを抑えきれませんが、とりあえず先に進む所存。




