一難去ってまた一難どころじゃない
さあ、脱出したからと言って、のんびりはしていられない。クロードに外から窓を閉めて貰い、側近たちを探しに行くために立ち上がったところで、私は初めて、もう一人知らない人間がすぐ側にいる事に気づいた。
びっっっ……くりしたぁ……。
すすすとクロードの後ろに隠れる。
「ああ、ローゼリカ様。彼はテオと言って、お二人の危機を知らせに来てくれた人物です」
ケイトリンたちを送って帰るイリアスとシャロンを見送った後、知らせに来た彼と協力してここを探し当てたという。
「そうでしたか。おかげで助かりました」
「ご無事で何よりです」
テオはそう言って口角を吊り上げた。
黒に近い暗色の髪色に、下男のような服装。しかし肌が透き通るように白く、とても野良仕事をしているようには見えない。年の頃は二十歳前後といったところか。綺麗な顔の男だが、どことなく軽薄で胡散臭い印象だ。
テオが何者でどういう経緯なのか詳しく聞きたいところだが、こんな所でゆっくり話をしている場合ではない。
用心深く、鋭いクロードが信用したのだから、問題はないのだろう。
「早く戻ってウィリアム様たちに知らせなくては」
「おそらくホールの隅の方で、目立たたないようにお戻りを待っているはずです」
「こちらです、ご案内いたしましょう」
テオが先頭に立って走り出した。私はクロードに手を引いてもらい、後をついていく。
ストライフ邸の表側は、来客に分かりやすく、全てがホール廻りに集まる造りになっている。反対に裏側であるプライベートスペースは、互い違いに層が組まれ、廊下と階段が多い入り組んだ構造だ。
屋敷の中を練り歩いた際に、方向感覚を失っていたけれど、三階の大きなバルコニーが見当たらず、人の喧騒もないことから、現在地は屋敷の東側だと推測できる。
私たちは、清掃・整備用の階段を登り、屋根の上を伝って、あらかじめ鍵を開けておいたのであろう腰高の窓を乗り越えて室内に入った。
暗い……。
忍び込んだ部屋の中は照明が付いていない。ぼんやり調度品と扉が三つ見える。おそらく一つは廊下へ繋がっていて、残りの二つはバスルームや衣裳部屋か、あるいは使用人通路や控室に繋がっているはずだ。
「次はどっちへ行けばいいの?」
普通に廊下へ出ればいいのかな?使用人通路を抜ける線も有り得る。
「お嬢様、こちらの部屋で終点です」
真後ろで不穏な声が聞こえて、驚いて振り返ろうとすると。
「危ない!」
クロードに付き飛ばされて、床に倒れ込んだ。床から見上げた私が目にしたものは、クロードの首に深々と突き刺さっている注射器だった。
「ああッ、そんな……クロード!」
あらん限りの大声で絶叫したかった。しかし、喉が引きつって咄嗟に出たのは小さな呟きだけだ。
クロードは注射器を振り払い、よろけながらも、テオを拘束しようとしたが、腕は虚しく空を切る。暗がりの中でも、窓から洩れるわずかな逆光で二人のシルエットが一層黒く浮かび上がった。
そのまま格闘戦に持ち込もうとするクロードの足に、私は縋りつくようにして動きを止めた。
「動かないで!じっとして!!」
もしも注射器に入っていたのが毒だったら。
なるべく毒が回らないようにして、急ぎ解毒剤で処置しなければならない。
「クロードに何を打ったの?毒なのだとしたら、一緒に解毒薬も持っているわよね?お願い、何でもあなたの言うことを聞くから解毒薬を頂戴。命だけは取らないで」
「いけません、ローゼリカ様!」
クロードはしがみつく私を振り払うことが出来ず、打撃をかわしたテオとの間には距離ができた。そうなることで私たちには話し合いの余地が生まれた。
「話の分かるお嬢さんだ。だけど心配しなさんな。そいつはあんたに使う予定だった媚薬だよ」
「死ぬようなものではないのね」
「貴族のご令嬢を殺すとなったら、国外逃亡のルートに一生遊んで暮らせるカネ、調査に計画、人集めと、大がかりな仕事になる。そんな割に合わないことを依頼するやつも受けるやつもいないよ」
テオの口調は場に似つかわしくなく軽薄だが、噓ではないだろう。
実権を持たない貴族の娘を殺しても、政治経済の情勢に大きな変化は望めないのに、追求だけは厳しい。彼の見解は尤もだ。
さらに、要求があるなら、嘘でも解毒剤をやると言って従わせればいい。つまり彼には、すでに目的を達成する算段が付いている。嘘をつく必要すらないくらい、私たちは追い詰められている。
だが、命さえあれば。
生きてさえいればなんとかなる。時間があれば、選択肢が増える。
私は立ち上がり、そして高飛車にふんぞり返った。
「それで目的は?要求を聞くわ」
「お気遣いなく、お嬢様。俺の仕事はあんたたちをこの部屋に閉じ込めておくことなんでね」
「殿下の次は、近侍と既成事実を作れってわけ?」
「そうとも。2回も閉じ込められりゃあ、察しも良くなるかい」
くっそう。ウィットに富んだジョークのつもりだったのに。当てたくない正解を出してしまった。
「ストレイフ子爵は、第二王子とバーレイウォール家の縁組を望んでいるが、俺の依頼主はその結婚には断固反対なんだとさ」
どいつもこいつも。人の結婚や就職で、勝手に勢力争いをするのはやめてくれないかしら?
私の進路は私のものよ。
周囲の希望や状況に気を使うことはあっても、最後の決断をするのは私自身。その決断を他の誰にも譲るつもりはないわ。
「依頼主からの仕事なら、あなたの意思や怨恨ではないのね。報酬を三倍出すわ。こちらに付きなさい」
テオは驚いて口笛を短く吹きあげた。
恨みや目的のある人間に、金銭面での交渉は逆効果だが、依頼主とビジネスライクな関係ならば、金額次第でこちらにも付け入る隙はある筈だ。
実際、彼は首を横に振ったが、残念そうではあった。
「魅力的な話だけどさ、そんなことをすれば信用問題で客が付かなくなる。依頼人がよっぽどのクズ野郎なら話は別なんだが」
よそ様の娘の縁組に、無理矢理介入してくる時点で、かなりの危険人物だと思いますが?
私の顔に余程不満が現れていたらしく、一言を飲み込んだにも関わらず、テオは取り成すように言った。
「そんな顔すんなって。今回の依頼人は良心的なほうだぜ」
お前が言うな。
加害者がそんなに悪いヤツではないなんて、被害者に言われても説得力ゼロなのよ。
「あんたを必要以上に傷つける指示はなかったし、充分な調査期間の間も費用をケチったりしなかったからな」
言う事がイチイチ不穏で、気を抜くと卒倒しそうだ。
テオが裏社会の住人であることは明らかだが、その性格は饒舌で快活だ。正体を現わしてからは、最初に感じていた胡散臭い雰囲気はなくなっている。
「その気前のいい依頼人は誰なの?」
「俺にとって、金持ちの顔なんてみんな一緒さ」
おしゃべりだからと言って、口が軽い訳ではないらしい。
「お気の毒!本当に裕福な人間とは仕事をしたことがないみたいね。うちと敵対するのがいい証拠よ」
普通の金持ちではなく、本物の大金持ちであるバーレイウォール家と仕事をしたことがないあなたは、つまり二流ってこと!!
まあ……、ホントのところはよく知らんけど。
私のあからさまな挑発に、テオも一瞬ムッと眉をしかめた。
クロードが警戒して、庇うように私の前に立つ。
「クロード、体はどう?」
「変わりありません」
足取りのしっかりしたクロードに、薬を盛った張本人であるテオは拍子抜けしたようだ。
「あれ、そーなの?」
媚薬なんて、プラシーボ効果の眉唾モノか、単なる栄養剤よ。せいぜい出来るのは、やる気に溢れた人をさらにやる気にさせることくらい。創作に出てくるような、強制的に発情させる空恐ろしい媚薬は、『○○しないと出られない部屋』と同じで、シチュエーションを作るための便利アイテムである。
「よろしい。ならばやっておしまいクロード!」
「はい。我が君」
私たちは窓から入って部屋の中央へ進んだところで、いつの間にか回り込んでいたテオに背後を取られた。よって、窓と私たちの間にはテオが立ちふさがっており、私の背後側に廊下へ続く扉がある。
わざわざそのように位置取ったということは、おそらく後ろの扉は施錠されている。
となると、リュカオンの時と同じ作戦で、クロードに相手を抑えてもらっているうちに、回り込んで窓から逃げ出すしかないだろう。
ターゲットであり、この中で1番動きの鈍い私逃げおおせれば、問題は解決も同然だ。クロードは適当に切り上げて後を追いかけてくる。私たちなら、その程度は打ち合わせしなくても息が合う。
身長193㎝のクロードと対峙しても、テオに臆するところはなく、呑気に薬の効能についてぼやいている。
余程腕が立つのか、あるいは余程のバカだ。
頼む!バカのほうであってくれ〜!
「即効性で、すぐ腰が砕けるって聞いてたのに、元気なもんだ」
危なっ……!!
それは媚薬じゃなくて、暴れないようにするための鎮静剤ね!
そんなの盛られて、クロードは本当に大丈夫なのかしら。
「薬物耐性まであるなんて、さすがバーレイウォールの近侍は高性能だな」
「馬鹿らしい。主とは体格が違う。粗悪品をつかまされたのでなければ、薬剤の有効量に足りなかっただけだろう」
「あんた、心理術の特殊技能を持ってるくせに嘘が下手だなぁ」
「……」
「おいおい、そこで黙ったら肯定してるようなもんだろう。嘘や感情が見抜けるから、出し抜かれることはないと思ってるんだろうが、わかってりゃいくらでも対策できるんだぜ」
スゴイ!クロードってそんな特技があるんだ!
言われてみれば思い当たる節がある。心の機微に鋭かったり、人を見る目が確かなのはそういうわけだったのか。
「うるさい。お前のでたらめに付き合っていられないだけだ」
クロードは最大の利点であるリーチを活かし、テオの腕をつかんで扉方向へ投げ飛ばした。
ナイス!でかしたクロード!
身軽なテオは受け身を取って着地し、すぐに体勢を立て直したが、位置が入れ替わった意義は大きい。
私は一目散に窓へ駆け寄り、入ってきたときのまま、まだ開いている侵入口を乗り越えた。
「行くわよ、クロード!」
しかし振り返ると、相手を投げ飛ばしたクロードの方が首を押さえてうずくまっている。
部屋の隅の陰から、ゆっくりと月明かりの下へ出てきたテオの手には、またしても注射器が。
「技能持ちは逆境に弱いよな。そっちの選択肢がお嬢さんを守るの一択しかない時点で肚の読み合いは無意味なんだよ」
ちょっとあんたァ!さっきからブッサブッサとクロードの首をなんだと思ってんの!?そんなとんがったもん振り回して危ないじゃないの!
私は逃げることを諦め、再び窓枠を乗り越えてクロードに駆け寄った。
「姫様……。逃げて、くださ……」
さきほどと違い、クロードは苦しそうだ。
「こんな状態のあなたを置いていけるわけないでしょ!?」
「あなたさえ、ご無事なら……」
それを言うのがやっとで、クロードは腕で体を支えることができなくなって肩から崩れた。
すぐ傍まで歩み寄ってきたテオの靴が視界に入り、声が上から降ってくる。
「この男に用意したのも、やっぱり死ぬような毒じゃないから安心していいよ」
クロードは苦痛に表情を歪め、呼吸が浅い。それから頭を抱えて呻いた。
「本当?本当に大丈夫なの?」
「この男はお嬢さんのことが好きみたいだし、あんたも逃げる機会をふいにして戻ってくるほどこいつのことが大切なんだよな?だったら二人が結婚してくれれば全部丸く収まる」




