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そうは問屋が卸さない

「……」

 子爵がベッドサイドから離れる気配がして、しばらく後にすぐ隣でスプリングが弾んだ。

「ハァ、骨が折れる。大きくなられました、リュカ様」

 どうやら、自分より大きなリュカオンを抱えてベッドまで運んだらしい。

 離れていく足音、それから、今日聞いた中で一番真摯で切実な声。

「リュカオン様、アシュレイ様、必ずお二人ともお守りします」

 扉の開閉音に続いて施錠音がして、足音は遠ざかっていった。

「……」

 そろ……と薄目を開けると目の前にリュカオンが横たわっている。その向こうに見える扉の前に人影がないことを確認し、念のため目だけを動かして周囲の状況を探ってから、私はのっそりと起き上がった。


 ふぅ~ッ!とっさの機転で気絶したフリ大成功!!


 去年の女子の新入生は、随身を連れている深窓のご令嬢がとても多かったのだが、彼女らは事あるごとに気分が優れなくて倒れたり、驚いて失神したりしていた。私も従者を連れて通学している令嬢の一人として、失神くらい嗜みの一つかと思い、練習しておいたのだ。

 と言っても、繊細でも何でもない私がやろうと思って気絶出来るはずもなく、実際はそれらしく倒れる演技の練習をしたに過ぎない。

 しかし、こんなところで役に立つのだから、何でもやってみるものね!

 それに常々物語を読んで思ってもいたのだ。

 ピンチの時、気丈に相手を説得するシーンは胸アツ展開だけれど、か弱いフリや意識がないテイを装って油断を誘った方が、事がスムーズに運ぶんじゃないかと。


 それでは早速、事を運ぶと致しましょう。

 私は足音を消すために、靴を脱いで扉に忍寄った。張り付いて耳を澄まし、鍵穴から外を覗く。小さな穴から見た限りは廊下の壁しか見えず、見張りの気配もない。

 念のため慎重にゆっくりとドアノブを回して見たが、動かない。施錠でノブが固定されるタイプのようだ。

 今度は部屋の反対側へ行き、静かにカーテンの外側に体を滑り込ませる。すると天井近くまで高さの、大きな掃き出し窓があるではないか。曇りガラスで外は見えないが、鍵もあり取っ手もあり、はめ殺しの窓ではなく、きちんと開きそうだ。

 これはどんな深窓のご令嬢でも脱出しちゃうでしょ~。それとも、本物というのは、脱出なんて思いもつかないものなのかしら?

 まあ、とにかく。頂きましたね、今回のイベントは。

 意気揚々と窓のカギに手をかけ、音を立てないようやはり慎重に窓を押し……。

 ……ん?あれ?開かな……。

 あ、な~んだ、内開きの窓か。

 いやでも内開きの窓ってなんか変……。

「げぇッ!!」

 今度こそ窓を開けて、私は思わずカエルが潰れたような声を出してしまった。


 窓の外が庭に繋がらず、壁になっている!!


 黒っぽい濃色の壁に、今は消えているが照明器具が設置されている。間接照明か、あるいは窓の向こうは外であると偽装するための設備だろうか。

 天井に近い、高さ2mぐらいのところには、隙間があって、芝生が見える。ということはつまり、そこが地上なのだ。

 階段の上り下りで、一階にいると思っていたのに、いつの間に地下まで降りてきてしまったのだろう。ストレイフ邸は巧妙に錯覚させる構造をしている。

 私は遥か頭上にある隙間を恨めしく睨んだ。

 座敷牢や監禁部屋って、こういう少しだけ光が入る地下ってイメージよね。

 そこにまんまと監禁されている私たち。

 完全にしてやられたわ。


 これはさしずめ……

 既成事実しないと出られない部屋!!


 魔法や不思議な力が存在しない世界観で無理やり状況を作り出そうとするとこうなるわけか。

 通称『〇〇しないと出られない部屋』というのは、一種の舞台装置である。

 一定の条件を満たさないと出られない部屋に、超越的な力で閉じ込められるというもので、理由も説明も一切不要の優れて便利な概念なのだ。 

 この画期的発明概念により、物語の導入を省略し、状況下に置かれたキャラクターの反応だけを手っ取り早く楽しむことができる。

 必要は発明の母。怠惰は発明の父。そして生まれ出た便利な道具は世代を超えて受け継がれてゆく。人気のシチュエーションに流行り廃れはあれど、『〇〇しないと出られない部屋』という概念がこの世からなくなる日は来ないであろう。

 

 さて、『〇〇しないと出られない部屋』は超越的な力を持つと説明したが、希望を捨てるにはまだ早い。この部屋の存在意義は、実は条件達成ではなく、状況下に置かれたキャラクターの反応を見ることだからである。

 私は徹底抗戦で条件達成を阻止して見せる。

 天井と壁の隙間は、私が余裕でくぐれそうな縦幅ではあるものの、台に乗ってもそこまで這い上がれそうにない。

 でも椅子に乗ったリュカオンに肩車してもらえれば届きそうだ。

 私はベッドに戻り、昏倒しているリュカオンを小声で揺すった。

「リュカオン様!起きてください」

 長いまつげをひっつかんで、まぶたをビョーンと押し上げてみたが、白目を剝くばかり。まつげが2,3本抜けても安らかな寝顔に変化はない。じっとしていると、端正すぎる顔はますます生気のない人形のようだ。

 ちゃんと生きているわよね?

 顔廻りに手をかざして、手のひらに鼻息を確認する。

 よしよし、胸も呼吸で上下しているし、本当に眠っているだけだ。

 ストレイフ子爵の言葉から考えても、彼にはリュカオンを害するつもりはない。ただこうやって既成事実を作ることが、大切な王子たちを守る事に繋がると信じているらしい。

 そのために歴戦の近衛兵長が眠らせたリュカオンを、私が何とか目覚めさせるというのは望み薄かもしれない。


 カバーをめくり、ベッドの足元を覗き込む。ベッド下は潜り込んで隠れられそうな空間があった。

 脱出できないなら、隠れていればいい。タイミングは難しいかもしれないけど、推理小説の密室トリックで使い古された方法を使い、人が入ってきた時に隙を見て部屋を出られたら、密室に二人きりだったという事実はなかったことになる。

 たとえ見つかったとしても、私たちが同衾さえしていなければ、決定的な状況とは言い難い。ストレイフ子爵の計画は、私が実際には気絶していなかったことで、すでにほとんど破綻している。このような状況下でも比較的落ち着いていられるのはそのおかげだ。

 リュカオンが過労で倒れた、という設定で押し通せば切り抜けられる。

 今はまだ、花火が終わっていくらも経っていない。大人の時間はこれからだ。歓談やらダンスで夜会はあと二時間くらい、子爵が事を急いだとしても、あと一時間はミルフォード夫人たちが戻ってくることはない。

 その間に、説得力が増すようそれらしく自然な状況を整えておこう。


 まずはリュカオンの靴を脱がして、ベッドサイドに揃えて置いた。テイルコートとウエストコートも苦心して脱がし、ハンガーにかける。脱力しているリュカオンは見かけ以上に重く、腕一本持ち上げて袖を抜くにもかなりの苦労が要った。

 それから部屋中の引き出しを開けて裁縫道具を探し出し、床にはいつくばって飛び散ったボタンを拾って、前がはだけているシャツを補修。裁縫が得意でなくとも、ボタン付けくらいなら出来る。上二つを残してボタンを閉め、体裁を整えて上掛けを掛ける。これもまた体の下から引き抜くのに苦労し、私は汗をかいた。

 男の人って本当に重いわ。これを担ぎ上げるのだから、ストレイフ子爵は齢70の今でも相当鍛えているのだろう。

 あとはサイドテーブルに水差し、応接セットにお茶を用意し、念のため浴室や洗面に乱れがないかチェック!これで怪しいところは何もなし。

 リュカオンが過労で倒れ、一人にすることもできないため、従僕に側近たちを呼んでもらうまでの間、私は正規の手続きを踏んでこの部屋に案内された。この設定で行きましょう。

 ミルフォード夫人が入ってきたら……。

 お見舞いに来て下さったのですか?殿下は体調が優れずお倒れになって。

 あとは……うーん……。側近が遅いから呼びに行くとかなんとか言って、この場を任せ離脱する。

 完璧だ。

 

 その時、先ほど確認した窓をコツコツと叩く音がした。

 気のせいかとも思ったが、耳を澄ますとやはり音がする。

 誰かが助けに来てくれたのかな?

 場所がわかるはずもなし、さすがにそれは都合が良すぎるか。

 コツコツ。また窓をたたく音。

「……」

 助けが来た以外に、こうやって窓を叩く理由なんてないよね。

 でも万が一、不審者だった場合、眠っているリュカオンを危険にさらすことになる。

 どうしよう。

 迷っていると、窓の向こうの人物は、業を煮やしたように強く窓を叩いた。

 ガンガン!

 窓が割られる!! 

「ど、どなたですか?」

「その声はローゼリカ様!クロードです!!」

「クロード!?」

 慌てて窓を開けると、本当にクロードが上方の隙間からこちらを覗き込んでいた。

「来てくれたのね、ありがとう!」

「今引き上げます、何か台に乗ってはやくこちらへ!」

「でも、リュカオン様が……」

「殿下がどうなさったのです!?」

「ストレイフ子爵に秘孔?を突かれて眠ってしまったのよ。考えたのだけど、無理に逃げなくても分かってもらえるのと思うの。リュカオン様をお一人にするより、あなたが降りてきてはどうかしら?それなら二人きりじゃないから大丈夫でしょう?」

「悠長なことを!子爵がもう一度確認にいらっしゃらないとも限りません。ここから脱出する方が安全です」

 それもそうか。せっかく助けが来たんだし、どんな計略も逃げるにしかずというからね。


「なんとかリュカオン様も連れて上がれない?」

「子爵は殿下を傷つけません。それより、気絶している殿下を運んでいて人に見つかったら、最悪の場合、反逆罪の疑いをかけられることもありえます。ここを離れたら、すぐに側近たちを向かわせますから」

「わ、わかった。窓際に台があったら不自然で騒ぎになるわ。よじ登るからロープを下ろして」

「わかりました、すぐに!」

 水差しはそのままでいいとして、堂々と居座る構えの小道具として、ティーセットを用意したのは失敗だったな。私は急いで茶道具を元の通りに片付ける。まだ湯を入れる前で良かった。

 改めて部屋の中を見渡す。

 不審な点、見落としはないわね。


「姫様、お速く!」

 自分の靴を拾って、クロードに向かって放り投げる。

「受け取って!」

 それからカーテンをキチンと閉めて、その内側で、一つ拝借したクッションを背中に咬ませてロープを腰にくくりつけた。上から引き上げて助けて貰いながら、壁に足を突いてロープをよじ登っていく。

 明日は筋肉痛間違いなし!しかしここが正念場。筋肉痛に負けてはいられない。

 クロードがロープを牽引してくれたおかげで、垂直移動もさほど時間はかからず、最後は直接手を引いて貰い、無事地上に脱出できた。私たちはお互いに抱きしめあって、疲労と安堵で深い溜息をついた。

「良かった……!ローゼリカ様……!!」

「ありがとうクロード。あなたのおかげよ」

「当然です。たとえお相手がどなたであろうと、姫様の結婚を政略の道具になどさせません」

 顔は見えなかったが、クロードの声は震えている。

 はあ。脱出って文字で読むよりずっと大変ね。


なんとか今週の分、間に合いました。

おそらく来週は間に合わなくて一週飛ぶかなと思います。

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[一言] こんなときも考察やめないなんて余裕がすごいよ姫様
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