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飛んで火に入る鴨とネギ

 ストライフ邸のホールは、屋敷の中央にあり、吹き抜け構造となっている。正面の玄関から短い階段を上がった中二階にあることで、三階の天井までの距離が半階分高く、広々とした印象を与えている。その分、一階は場所によって地上から掘り下げた半地下となっていたり、物置は天井が低かったり、互い違いに組み合わせることで空間を有効活用していた。シンプルなように見えて、非常に凝った造りをしているようだ。

 花火を鑑賞した三階のバルコニーから中に入ると廊下がコの字になっていて、下のホールが見渡せる。六割程度の人がすでにホールへと戻っていた。

 ホールの様子ををわき目に見ながら、移動する廊下の途中には、休憩用のソファが設えてあり、そこで談笑する大人たちの何人かは、リュカオンの存在に気づいたようだが、おいそれとは声をかけられない。結局、リュカオンを呼び止めたのは高位貴族と思しき二人組のマダムだけだった。


「あら、これは……。珍しいお方に思いがけずお会いしましたこと」

 社交上手なマダムは未成年のリュカオンが夜会に参加している事実を考慮して、不用意な事は口走らないよう上手く挨拶した。

「こんばんは、夫人。今宵のドレスも素敵ですね」

 いつもは高貴で尊大なリュカオンも、態度で身分が明らかにならないように、今日は猫を被っている。

 二言三言社交辞令を交わした後、マダムがチラリと私を一瞥する。

 話を振られる!と思い、こわばりそうになるところを、なんとか微笑みをキープしたまま踏みとどまった。

「隣の可愛らしいお方を、ご紹介してはくださいませんの?」

「今日はただ花火にと連れ出した次第です。相応しい時にはいずれ」

「楽しみですわ」

「名残惜しいが、あまり遅くなるわけにもいきません。子爵に一言挨拶した後は屋敷を辞すつもりです」

「賢明でいらっしゃいますこと。それがよろしいでしょうね。帰りはお気をつけて」

「お二人も良い夜を」

 私はなるべく丁寧に会釈してから、リュカオンに付き従ってマダムたちの前を通り過ぎた。

 また他の人に声を掛けられるかもしれないと思うと途端に緊張してきた。

 悪いことをしているわけではないが、王子殿下が遊びに来ていると騒ぎになっては面倒だ。 それに私は、まだ夜会での作法や振る舞いについて習っていない。何か失敗をして無作法な女をパートナーに連れていたと、リュカオンの評判に泥塗るのも困る。借りを作るわけにはいかないのだ。


 階段を降り、ホールから離れて廊下を奥へ進んで、人気ひとけがなくなった所で、開いた扇に隠れてようやくほうっと息をついた。

「今のはグラスゴー公爵夫人とミルフォード伯爵夫人。臣籍に降下した家の出自だが、たしか二人とも祖父の従妹か……また従妹だったかな」

 なるほど。マダムたちは堂々としていて、出自に相応しいオーラがあった。

「彼女らはメルヴィンの熱心なファンでね。王宮の行事にもよく参加しているから、君も会ったことがあるはずだ」

「お名前は知っていますが、お顔までは覚えておらず、申し訳ありません。失礼はなかったでしょうか」

 王宮で行事を見学させてもらう時も、クロードがさも王宮の侍従ですという顔で私にピッタリ張り付いていて、人の名前を耳打ちしてくれるので、人の顔と名前を覚える習慣が全然身についていない。

「私が喋らせなかったのだから気にするな。世話好きな親戚の女性だから、神経質にならなくていい」


 半階分の短い階段の前で、従僕が一旦止まって振り返った。

「ご足労をおかけして申し訳ありません。当屋敷は、お客様用のお部屋をホール周辺に分りやすく集めております関係上、奥が少々入り組んでおります。防犯の意味でも、プライベートスペースに続く廊下は一本のみとなっておりまして、ここから階段の上り下りがございますが、どうかご容赦ください」

 全体の間取りの効率を無視したような思い切った構造だ。家というより劇場のイメージに近い。

「お気遣いありがとうございます」

 半階分の階段を上がり、しばらく廊下を進む。

「変わっていますが、とても理にかなった造りですね。このお屋敷の構造は、子爵閣下自ら考案して依頼されたものなのでしょうか?」

 世間話代わりの私の質問に、従僕が丁寧に答えてくれる。

「もともと群雄割拠時代に建てられたもので、建物自体は古いと聞いております。そこを主が気に入って、内装をやり直しました」

「内装も素敵です。子爵閣下はご趣味がよろしいですね」

「恐れ入ります」

 廊下の先にはまた階段があり、今度は一階分降りた。

 中二階にあったホールと同じ階層から半分上がって二階、そこから降りたので今は一階に居る訳ね。

 喋りながらだったので、息が切れるほどではなくとも、少々息苦しくて、階段を下りて思わず小さなため息をつくと、隣のリュカオンがからかうように言った。

「君を抱えるくらい何でもない。つらくなったらいつでも言いなさい」

 いつもヒールで走り込みしているのよ。これくらいなんともないわ。ただ、いつもと違い、大人の服はウエストが締まっていて苦しい。将来のことを考えて、これからはコルセットも追加で走り込んだ方がよいかもしれない。


「こちらのお部屋です。中で主人がお待ちしております」

「案内ありがとう」

「ご苦労だった」

 従僕が開けてくれた扉から中に入った部屋は、応接間というより寝室のようだった。

 大きな寝台が置いてあり、ソファもあるにあるがこじんまりしていて、テーブルを囲んで話し合うと言った雰囲気の調度ではない。

 その上肝心のストレイフ子爵の姿も見えない。

 不思議に思って周囲を見回すと、バタンと閉じた扉の影から子爵が現れた。どうやら、入った時は死角になっていたらしい。

「ご足労をおかけ致しました」

子爵はニコニコと人の良さそうな顔で笑う。こうしてみると、歴戦の兵士とは思えない好々爺だ。

「お二人には、このまま朝までこのお部屋で過ごしていただきます」

 エッ!?そんなに長くかかる話なの?

 それなら後日に改めるから、今日はもっと巻きで話して貰えないかしら。

 なんの準備もなく、いきなり徹夜の話とかキツイんですけど。今日のドレス、慣れなくて疲れるし。

 リュカオンが私を庇うように、一歩前へ出た。

「どういうことだ、メルヴィン。未婚女性の無断外泊が、どのような醜聞に繋がるか、充分知っているだろう」

 あ、ああ。そうよね。よく言ったわ、リュカオン。

 そんな事になったら、また外堀を埋められちゃう。困るわ。

 リュカオンを見上げると、いつになく険しい表情をしている。

 対照的に、ストレイフ子爵は楽しい提案をする様ににこやかだ。

「無論、重々承知しております。つまり、お二人には今夜既成事実を作っていただきたいのです」

 へぇッ!??最近よく聞くその単語!聞き間違いだと思いたいのですが!!

 聞き間違いでなかった場合、こんな奥の部屋までまんまと付いてきた私たち、完全に詰んでますよね!?

 

 ゆっくりでありながら、隙のない動きでストレイフ子爵が距離を詰める。伸びてきた腕がリュカオンの襟元を掴み、シャツとウエストコートをまとめて引き裂いた。

 エエエェェッ!

 何コレ、どういうこと?一体何を見せられているの!?

 リュカオンは衣服の乱れを代償に、カウンターを狙って、拳で子爵の顎を突き上げた。しかしストレイフ子爵は難なく避けて、後ろへ退がった。

「今のは判断ミスですな。儂が御身を傷つけるはずはないと踏んだのでしょうが、接近した意図をもっと慎重に考えるべきでした。そのお姿では、もう側近を呼びにホールへ戻ることもできますまい」

「今ならまだ理由を聞こう。メルヴィン、なぜこんな強硬手段に出た」

 リュカオンは質問で時間を稼ぎながら、私に囁く。

「私が前に出て抑えているうちに、掴まらないよう大廻りで扉を目指せ」

「し、しかし……」 

 確かに二人一緒でなければ、醜聞は避けられるだろう。ここで何かの役に立つ訳でもない。それでも、リュカオンを置いて一人逃げてもいいものか?


「このままでは、必ず後悔なさるからです。悪いことは申しませんから、じいやの言う通りになさい」

「たとえ正しい選択でも、自分で選ばなければ後悔が付きまとうと、教えてくれたのはあなただ」

「小さいころの話をそんなにも覚えていてくださるとは……。ですが、これは選択ではなく方法の話です。嵐が来ると分かっていれば、時期尚早でも収穫を急ぐでしょう。最悪の結果を避けるために、最良の選択肢でなくとも、次善の策で手を打つのは、基本的な危機回避の戦略です」

「嵐の詳細も聞かず指示に従う者はいない」

「ですからこのような方法で」

「あくまで、理由は話さないと」

「それはこの身のを超えております」


 リュカオンは全身ピリピリと緊張しているが、ストレイフ子爵はゆったりと構えて余裕すらある。リュカオンは緊張を逃がすように大きく息を吐いた。

「ならば私もあなたに従わない。大体、このような所に閉じ込めたくらいで、思い通りにいくと思ったら大間違いだ」

 それもそうね。密室に二人きりだからって、既成事実は生まれないわ。少なくとも、どちらか一方にはその気がなくては。子爵の考えでは、私たちのどちらかは強引にでも結婚したいはずだと踏んでいたのかしら?

「あなた様をそこまで侮ってはおりません」

 侮っていて欲しかったなあ……。

「必要なのは、真実ではなく、それらしい状況のみ。今日この部屋には、ミルフォード夫人が宿泊の予定です」

 それを聞いただけで、リュカオンが青ざめた。平静を装ってはいたが、一瞬表情が抜け落ち、動揺が見て取れる。

「お可愛らしい方です。部屋の数が足らず、奥の部屋へ泊まっていただくのはあなた方くらい親しい人にしか頼めないと申しましたら、快諾してくださいました」

 推しからの特別扱いは、そりゃあ嬉しいだろう。ストレイフ子爵は、宮中の花形職を長年勤めあげただけのことはある。ファン心理のツボを心得ている。

「夜会を終えて楽しく部屋へ入ったら、装束の乱れた殿下がパートナーの女性と二人きりとなれば……、隣室のグラスゴー夫人と一緒になって大騒ぎとなるに違いありません」

 ストレイフ子爵は、私たちを青ざめさせるに足る謀り事を、最初にホールで会った時と同じ、人の好さそうな笑顔で淡々と話した。

 悪いイケオジ……!そんな場合じゃないけど、めちゃくちゃ格好いい……!!物語だったら他人事で萌えられるのに、もったいない!

「マリウス砦で私たちを隠し通路に閉じ込めたのも、子爵閣下の指示によるものですか?」

「そのようなことがありましたか。指示はしておりませんが、儂の意思を密かに汲んだ者が、騎士団にいたとしても不思議はありません」

 ストレイフ子爵は引退した後も、未だに強い影響力と大きな派閥持っているようだ。

 外堀工事が一夜城レベルの物凄い工法で、今まさに完成しようとしている!

 王族とその側近は、こういう企みと日々戦っているのね。シャロンがこの場の護衛を譲ったのも、ウィリアムとパーシヴァルの方がノウハウを持っていると判断したからだろう。

 ああ……シャロン。こんな事になってごめんね。あなたがウィリアムとパーシヴァルにキレ散らかしている姿が目に浮かぶわ。

「ですから何もご心配召されますな。醜聞になどさせません。ご婦人のロマンチックな想像に沿うように純愛路線で推せば、元々お似合いのお二人ですから、同情が集まり祝福されますとも」

「ヒェ……」

 思わず喉から情けない声が洩れた。

 悲恋をプロデュースされちゃう……!恋愛小説みたいに!恋愛小説みたいに!!


「やってみろ。全ては私をここに閉じ込めておけた場合の目算に過ぎない」

「久々に手合わせと参りましょうか。この場を切り抜けられるのであれば、或いは嵐に打ち勝つ目もあるかもしれません」

 ストレイフ子爵は構えもしなかったが、突然体が何倍にも膨れ上がったと感じるような気迫を発し、私はゾワっと肌が粟立った。それに合わせてリュカオンが子爵に向かって打って出る。

「走れ!助けを呼ぶのが君の役目だ」

 子爵は私たちと扉の間に立ちふさがるように位置取りしている。私はリュカオンの後ろをすり抜け、ひとまず部屋の端へ、それから角度をつけて扉へ向かおうとした。

「青いですな」

 私の目には、子爵はただ腕を前に出して押しただけのように見えたが、たったそれだけでリュカオンは何歩も後ずさり、私のいた方向へよろめいてぶつかってきた。

「わっ……ぷ」

 リュカオンに体当たりされ、私はさらに後ろにあったベッドに倒れ込む。

「ほかに選択肢もないとはいえ、自分より力量の勝るものを出し抜こうとするなら、予想を裏切る奇策を用いねば話になりませんぞ」

 腕前が同じくらいだと言うシャロンとの組打ちとはまるで違う。リュカオンは子供の様にあしらわれ、あっという間に背後を取られて身動きを封じられた。

「とはいえ、殿下は聡明で行動力もお有りです。時間があれば想像もつかないことをしでかす恐れがある。朝まで眠っていてください」

「ローズ!早く!!」

 その言葉を最後に、リュカオンは脱力して沈黙した。何が起こったのか分らない。でもそんなことはどうでもいい。私はとにかく、リュカオンが作った時間を無駄にしないように逃げなければ。

 急いでベッドを降りようとして、視線を外したその一瞬に、視界が陰る。思わず顔を上げると、子爵がもう目の前に迫っていた。

「ヒェェ……」

「ご安心ください。長年の仕事で身に着けた技術で、眠くなるツボを押すだけです。ちょっとしたコツさえあれば、痛くもなんともありませんから」

 はい、絶対ウソ。

 私は恐怖で涙目になっていた。

 そして子爵の手が伸びてくるより先に、目を回してそのままベッドに倒れ込んだ。


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[一言] ヤダー主人公みたいじゃーん(主人公だったわ)
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