君が泣くまで踏むのをやめない
扉を破ってしまったことを報告するために事務室を探している途中で、私を探しまわって息を切らしているイリアス、シャロンと行き会った。
二人は血相を変えて取り乱し、まるで何年も行方不明だったかのように私の無事を確かめる。私たちは地位も名誉も金もある家の人間なので、心配されるのは仕方がないと思うが、幼子が保護者とはぐれたわけではないのだから、10分程度姿が見えないだけでこの反応は大袈裟だ。
そんな状態の二人に、何者かに閉じ込められた等とはとても言えなかった。言えば砦を挙げての犯人捜しで大事になるに決まっている。
そこで、私自身が、手違いでリュカオンをクローゼットに閉じ込めてしまったと内容を脚色した。私は助けを呼びに行ったが行き違いになり、動揺して右往左往しているうちに、リュカオンが自力で扉を破って脱出したという話に、リュカオンも口裏を合わせてくれた。本当のことを伝えるのは、離宮へ帰り、落ち着いてからの方がいいだろう。実際、行動内容に大差はないのだから。
砦の一般公開を管理している事務室へ、扉の破損と弁済の旨を報告しに行き、お互いに大事に至らず良かったと折り合いが着いた。
砦側も、王子殿下に何かあっては責任問題なので、大ごとにしたくない私たちと利害が一致したのだ。
しかし、報告を受けて状況を確認に行ってくれた学芸員が言うには、隠し通路の部屋は、過去には公開していたこともあるのだが、現在は展示コースに含まれていないのだそうだ。クローゼットの扉どころか、部屋の扉が開いていないのだとか。
隠し通路に関する案内は誰かが勝手に用意したものということになる。言われてみれば、簡略すぎて不自然だったかもしれない。私たちが脱出した時には、すでに持ち去られており、証拠の品は残っていない。
件の場所は何もない部屋なので、鍵はかかっておらず、誰でも開けることは出来たと言う。物見台に登っていた私たちの動向は、不特定多数の人間が把握していたはずだ。やはり、現在駐屯中の婚約推進派とやらの仕業なのか……。
犯人捜しに乗り出せば、狭く暗い密室で二人きりという事実が公になり、婚約推進派の思惑通りだ。そうできないが故に、犯人は追及を免れる。やっている事はしょうもないが、良く練られた計画だ。
危険なタイプの事件ではないからまあいいかと思ったのは私だけで、あとの3人は、ピリピリして外出を楽しむ雰囲気ではなくなってしまい、少しだけ残っていた見学は切り上げた。
大したイタズラではないと判っているリュカオンまで深刻になる必要はないと思うけど……。
軽食もそこそこに、喉だけ潤し、私たちは砦を辞して離宮へと帰ることとなった。
日が傾いた帰り道は、夏でも風が涼しく、馬上では肌寒いくらいだった。
離宮に帰り着く間際、砦にかかった夕日は赤く燃えているようで、オレンジと紫に色づいた雲も、夕焼けと迫りくる夜のグラデーションが掛かった空もとても美しかった。
少々トラブルがあったものの、この夕焼けで締めくくった外出は、総じて楽しいものだったと思えた。
自分の中で納得して離宮へ帰りつき、ひとまず留守番の皆にただいまの挨拶をしようと応接室へ向かうと
「おーっほっほっほっほっほ!!おーーーほほほほほ!!」
突然中から大きな高笑いが聞こえてきて、私はビクッと動揺した。
リュカオンとイリアスも驚いたようで、三人で顔を見合わせ、そっと応接室を覗き込んだ。
練習用の特別テンポのゆったりしたワルツがかかっており、パーシヴァルとケイトリンが手に手を取り、寄り添って踊っている。
あ、あら?和解したのかな?それにしたって、有効射程が半径2mくらいあるラッキースケベ体質者にそんな近寄って大丈夫だろうか。
パーシヴァルはダンスが苦手だと、シャロンが言っていた通り、リードがぎこちない。それでもケイトリンは優雅に踊っている。私はダンスの講義を取っていないので知らなかったのだけれど、どうやら彼女は踊りが上手いようだ。
ハラハラしながら見守っていると、さっそくパーシヴァルがバランスを崩した。
あーーー!!ほら!だから言わんこっちゃない!!
ここから有り得ないほどこじれて、スカートの中に突っ込むわよ!
私は駆け寄る準備で前のめりになった。
しかし、倒れ込んでラッキースケベを発動しようとするパーシヴァルの足を、ケイトリンはすかさず叩きつけるように踏みぬいた。
「うぐッ」
パーシヴァルは痛みで顔をしかめ呻いたが、体制を立て直すことができた。
すごい!ラッキースケベキャンセラーを習得してる!!
ラッキースケベキャンセラーは、ラッキースケベが起こった後には必ず怒られてオチがつくという性質を利用し、先にオチをつけて途中経過のスケベをスキップする荒業だ。普段の行いによって、『まだ何もしてないのに怒られる』現象もよくあるネタとして成立している。
ケイトリンはパーシヴァルの顔が苦痛に歪むのをみて、楽しそうに笑い声を上げた。
「姿勢が崩れるのはステップを覚えていない証拠です。文武両道の名が泣きますわぁ~。詩の暗唱をしながらでも踊れるように体に覚え込ませませんと!」
さっきの高笑いは紛れもなくケイトリンのものだった。
「黙って踊ればいいってものじゃありませんのよ!!会話と気遣い、リードの全てが出来ないと社交では役立ちません」
スパルタである。
パーシヴァルはリードどころか、ケイトリンに振り回され、叱咤されて、いつもの冷静さを失い目を回している。
あわわ……。友人を嗜虐趣味に目覚めさせてしまったわ……。
またよろけたパーシヴァルの足が、ガツンと踏みつけられて、私は思わず身をすくめた。
「い゛ッ……!」
「未熟者!力を抜くってそういう事じゃなくてよ!!体の芯は大木のようにブレなく保って、末端だけしなやかに、流れに身を任せるのです!!」
ふとリュカオン、イリアスに目をやると、二人は揃って苦虫を嚙み潰したような顔をしている。足を踏まれる痛みに覚えがあるのか、それとも指導内容が身につまされるのか。
このままでは、パーシヴァルがあと何回足を踏まれるか見当もつかない。
私たち3人は見かねて目配せしあい、リュカオンを先頭に応接室へと入っていった。
ケイトリンは最後にクルリとターンしてダンスを終え、会釈した。
「今戻った」
「皆様おかえりなさいませ。砦の見学はいかがでございましたか?」
「砦の構造がよくわかって実りが多かったよ。少し埃っぽいが、風の気持ちいいところだった。次の機会は君も是非」
「ありがとう存じます」
「騎士団の演習も見学したのよ。最後に騎士が、時代劇みたいに愛の誓いを立てる演出があってロマンチックだったわ!」
「ローゼリカも楽しかったのね、良かったわぁ」
リュカオンが移動するのに付き従い、全員テーブルの方へ移動する。イリアスがさりげなく私とケイトリンの椅子を引いてくれた。
「今日の君はダンスの先生かな?」
「パーシヴァル卿は殆どダンスを踊ったことがないと仰いましたので、力及ばずながら、練習相手を買って出ましたの」
ケイトリンはリュカオンの問いに、にこやかに返答する。そこに昨日の件に関する怒りはないどころか、晴れ晴れとした表情で、むしろ上機嫌である。
よほど、パーシヴァルを痛い目に合わせるのが……、いやいや、ラッキースケベを封殺出来たのが嬉しかったようだ。
「あれは昔からダンスだけは不得手で、教師も手を焼いていた。君もくたびれたことだろう」
「少しくらいの弱点は、可愛げというものですわ、殿下。でも非常にお困りと聞いて、心を鬼にして少しばかりアドバイスさせていただきました」
まぁ〜……!オブラートを何重にも包んだ会話。上流階級っぽい!
リュカオンとケイトリンの2人、すごくお似合いなのでは……!!
それに比べて「演出がロマンチックだったー!」とか私の小並感ときたら。
会話を二人に任せ、そっと後ろを伺うと、一方のパーシヴァルは、特訓からようやく解放されてもまだ呆然としている。イリアスが目の前で指を鳴らして、パーシヴァルの焦点を確かめていた。
そこへ侍従が現れて、恭しく告げた。
「皆様、お夕食の用意が整いました」
ダイニングへ移動する途中、パーシヴァルがこっそりケイトリンに近づくのを私は見逃さなかった。
淑女耳!!全身全霊で2人の会話を聞き漏らすまいと集中する。
聞き耳を立てていると悟られないよう、会話を途切れさせずに生返事していたが、実はこの時、リュカオンとイリアスもパーシヴァルの発言に集中するあまり、会話がかみ合っていなかった。と後からイリアスに教えてもらった。
「ダルトンデール、もし君さえ良かったら……。また、ダンスの練習につきあってもらえないだろうか」
「あれだけ足を踏まれて、まだ足りませんのぉ?」
「僕はこれまで、誰に練習相手を頼んでも、まともに踊れた試しがなかったんだ」
「今日のダンスをまともというのは無理がありますわぁ~」
「僕のダンスは下手だったけれど、ちゃんとした練習になっていたと思うんだ。今までは五分も立っていられなかった」
「ま、まぁ……。それはどんな状況なのか、逆に気になります」
「ダンスが上達すれば、すぐ他人を巻き込んで転んでしまう悪癖もマシになるかもしれない」
「……あなたが苦労も努力もなさっていることは判りましたわ。足が治ったらまたいらしてください」
「ありがとう、ダルトンデール。恩に着る」
「まだ許した訳ではありませんもの。わたくしの気が済むまで踏んで差し上げてよ」
「望むところだ」
イイハナシ……ダッタノカナー?
新しい絆の生まれた瞬間には違いないが、会話の最後は、女王様と強気M男みたいな妙な感じになっていた。
何はともあれ、険悪な雰囲気を自分たちで克服してくれたのはありがたい。
私たちは楽しいバカンスを過ごすことができるだろう。
その代償として、ケイトリンは新しい扉を開いてしまったけれどね……。
その後再びケイトリンとパーシヴァルの仲がこじれることもなく、私たちは楽しいバカンスを過ごしていた。
離宮の探検に近くの森へピクニック、夜はカードゲームをしたりして、一日に沢山予定が詰めこめるのは、朝から晩まで一緒にいるお泊りならでは。この調子で夏の楽しみを味わい尽くすつもりだ。
四日目にボート遊びをした日の夜。
その日は早めに解散して、部屋で寛ぐ私の傍には、シャロン、クロード、フィリップが控えていた。
あとは寝るだけなので、下がっていいと伝えたが、彼らはまだやることがあると言う。
そうなの?仕事が残っているようには見えないけど。
仕方なく、猫足の寝椅子の上でゴロゴロしながらーーーというと聞こえは悪いが、自然体で集中出来る体勢で、私は策を練っていた。
ケイトリンとパーシヴァルの件は解決した。
砦での閉じ込め事件も、犯人は特定出来ていないが、政治の一派閥による下らないイタズラだと判っている。
そう、問題は。
かねてからの懸案である、シャロンとフィリップの親密度。それに伴うシナリオ進行度の確認だ。
私にとってもっとも重要な課題と言っても過言ではない。さっさと取り掛かって片づけたい楽しい課題でもあるが、バカンスは始まったばかりだ。焦らず確実に、できれば夏のイベントに絡めて、確認しつつ進展のお手伝いもしたいところだ。
夏。お泊り。ならば定番の!
「よし!肝試ししま……」
「却下」
クロードから食い気味に反対された。
「反対です」
「皆様ご迷惑でしょう」
総スカンだわ。
泣いちゃいそう。




