すれ違わないと出られない部屋
耳を澄まして外の様子を伺っても、何の反応もない。
誰もいない?
私、クローゼットの小さな段差に躓いて前によろけたのかな?それを押されたのと勘違いした?
いや、そうだとしても扉が勝手に閉まるのはおかしい。
やはり誰かが私を中に入れて扉を閉めたのだ。
イリアスやシャロンならこのような悪ふざけをするはずがない。
誰かが軽い気持ちで扉を閉めたのかと思い、先ほどよりもさらに強く扉を叩く。
「開けて!!内側から開かないの!!二人閉じ込められています!!」
切迫した声をあげてみても、扉を開けてくれる者はいない。
「何だって?」
逆に後ろから、リュカオンの驚いた声が上がった。
クローゼットの扉は当然外開きだ。押しても開かないなら、外から鍵がかけられたか、何かがバリケードのようにつかえているか。あるいは防犯上、内側からは開かない仕掛け扉になっている可能性もあるが、どちらにせよ、外からの助けがないということは、この状況は故意に仕組まれたものだ。ならばその人物は、もうこの場をはなれているだろう。
「開かないのか」
すぐ後ろにリュカオンの気配。
「確かめてみてください。場所を替わりましょう」
ぬうっとリュカオンの腕が伸びてきて、閉まっているクローゼットの扉に手をつく音が聞こえた。
私は背中を側面に張り付け、なるべく薄くなるように心掛けながら、横をすり抜けようとする。
が……。ロッカーのように細長い形状のクローゼットは、人間二人がすれ違う幅に足りず、私たちは途中でむぎゅっと詰まってしまった。
狭い……。
人間の体は柔らかくて可動可変だから、多少狭くとも工夫すれば隙間を抜けることが可能のはずである。しかし真っ暗闇で視界が利かないため、どこをどう工夫すれば良いのかわからない。
「うう……、もうちょっと……」
「ぐっ……、君……案外体積があるんだな」
「体積?」
やだ、一週間の缶詰め生活で太ったかしら?でもこの体はまだ成長期。適正な体重増加は健康の証よ。だいたいどう考えても、リュカオンの方が背も高いし、細く見えるだけで筋肉もついていて私よりずっと嵩張っている。そんなことを言われる筋合いはない。
体形のことに言及するなんて、失言に気付いたのか、リュカオンは珍しく言い訳がましく言葉を継いだ。
「いや、君はとても軽いから、もっと小さ……細……華…奢……うう。その、私の目算が誤っていたというだけで、深い意味はないよ」
軽いのに体積がある……。つまり筋肉より軽い脂肪がついているということか。
もっと体を鍛えるべき?でも、私だって貴族令嬢にしては動ける方よ。騎士団相手に奮闘したこともある。逃げ足だけは中々のものなんだから。
身長も割とあるし、そんなに軽いということはないはずなんだけどな。
「言っておきますけど、シャロンが見た目より重いのは、鍛えてるからじゃなくて、こっそり剣を二本も佩いているからですよ!」
「わかった。とにかく一度元に戻ろう」
今現在、私たちは細い通路にギッチリと詰まっている状態だ。
「ええっ?戻る?もうちょっとですよ、なんとかなりませんか?」
「何か引っかかってる。君のドレスを破いたら一大事だからゆっくり」
「ドレスなんか気にしている場合ですか!破いてもかまいませんから強引に移動してください」
「狭くて手足が伸ばせない。すり抜けるのは無理だ」
リュカオンがゆっくり後退し、お互いに圧迫感が無くなって私達は思わずため息が出た。
「狭い所や暗い所は大丈夫か」
「別に怖くはありません」
「おそらくただのイタズラだろうから、無理に出るよりこのまま10分ほど助けを待ってみよう」
「そりゃ、イリアスもシャロンも探してくれるとは思います」
このまま誰にも気付かれないなんてことはないだろう。
「しばらくすれば、案外どちらかの扉が開くかもしれない」
「確かに、イタズラならそうでしょうけど、一歩間違えれば悪質です。相手が王子殿下では、面白半分に実行できないでしょう。誰か心当たりでもお有りですか?」
暗闇で何も見えないなりに、リュカオンが小さく唸って言い淀むのが気配で分かった。
「数が多すぎて個人の特定は出来ないが……、今回のような企みが、激しく追及されることはないと打算する連中は一定数いる」
「リュカオン様は厳格に罰を与える方ではありませんものね」
「私の性格や方針は関係ない。おそらくこの一件は婚約推進派の仕業だ」
「婚約……推進派……」
それでやることがイタズラ?なに、その馬鹿みたいな派閥。
「うん。今現在、王立学院と騎士団には、私たちの婚約推進派と反対派があって、勢力が拮抗している」
誰彼構わずイタズラを仕掛けて、カっプルをくっつけて回るのが趣味というわけではなくて、私とリュカオン個人攻撃なのか。
人の進路で勝手に派閥争いをしないでほしい。
「そして君も知っての通り、私が君を密かに恋慕しているというまことしやかな噂は、学院中に流布している。そのせいもあって、推進派は私を応援している面目が立つのだろう。思い切った行動に出てもおかしくはない」
その噂を流したの、他でもないあなたなんですが。
「彼らの目的は、私たちの仲を進展させること。あるいは既成事実を作ることだ。噂を信じているかは、派閥の中でも分かれるところだが、暗闇に二人きりなんて状況に陥った場合、私が素直に喜ぶか、少なくとも君の名誉を守るだろうと踏んでいるわけだな」
「予想に反して事態が大きくなったとしたら、既成事実は避けられない。婚約に一歩前進するので、推進派はどちらに転んでも良いのですね」
「そうだ。話が早い」
「ん~、でも。私たちの婚約を後押ししたとして、その方たちに何か得がありますか?」
「大抵は家の事情だろう。第二王子派や中央貴族の権力争いだ」
「バーレイウォールの後ろ盾が付いたほうがいいとか、ライバル領の年頃の娘が妃としてあがるよりは、中央政権から遠い我が家の方がマシだとか?」
「そういうこと。婚約反対派はもっと複雑だ。もっと格下の家の娘と縁組させたい第一王子派と、ケルン公爵家のヴィクトリア殿と縁組させたい第二王子派が手を結んでいる」
ああ、そういう政治的な理由か。迷惑ではあるけど馬鹿な派閥ってわけではなかったのね。
「私はてっきり、ドラマチックな噂話が成就したら妬ましいのが反対派で、リュカオン様が婚約者を決めないと、いつまでたっても女子が婚活してくれないと思っているのが推進派なのかと思ってしまいました」
改めて口にしてみると身も蓋もない。
「そういう奴もいる」
やっぱり馬鹿な理由の人もいるんだ。
「君は私が外堀を埋めていると思っていたようだが、そういうのは主に推進派の連中のやっていることだ。私一人では、あれほど強固な情報操作は出来ないよ」
「そうでしょうか?労力をかけずに上手くけしかけたように見えますが」
「否定はしない」
暗闇でも、リュカオンが意地悪く唇の端を吊り上げるのが見えるようだ。
腹黒王子の路線は健在である。
私は優しそうな顔のリュカオンが好きだけど、こういうのがグッとくるって乙女も多いのだろう。
「しかし最近はタガを外れて暴走気味だ」
この口ぶりからすると……、既成事実のくだりは想定外ってことかしら。
頭がいいリュカオンなら、策に嵌ったというより、わざと策に乗った可能性もあるかと思ったんだけど、違うみたい。
第一王子の側近マーカスも、既成事実は最も忌避されるべき問題だとか過去に言っていたし、王族には握られてもいい弱みなんてないか。
いや、虫よけに婚約はしたいけど、結婚はしたくないという、悪役令嬢もののテンプレという線も……。
わずかな沈黙から、私の思考回路を正確にトレースしたようにリュカオンが言う。
「勿論、君の将来に責任をとることはやぶさかでないよ」
読めたとしても、怖いから心の中の声に返事しないでください。
「でも私の情報操作の目的は、周囲の牽制であって、君の退路を断つことじゃない」
壁に沿って伸ばしたままだった指を、リュカオンがほんの軽く握った。
「君に恋焦がれられたいなんて、高望みはしていない。それでも私は、いくつかある選択肢として君自身に選ばれたい。追い詰められた先の、袋小路のような結婚生活なんて虚しすぎる」
その言葉が、暗闇の中でも目の前を晴らすような光を放った。
そう!!!
そうなのよ!
リュカオンはホントよくわかってる!!
彼は策謀で回り込むような手法を使うから腹黒い印象を受けるけれど、自分の信じることのためには手段を選ばないというだけで、善良な筋の通った人間だ。
乙女ゲーム、少女小説に限らず、この世の全ての悪役令嬢に、耳をかっぽじって聞かせてやりたい。
友情でも恋愛でも、お互いに選び合った関係にこそ意味がある。
一時的に選択肢を奪って、相手を思い通りにしても、自分で選び取らなかった道には覚悟も何もありはしない。分岐点に立つたびに、相手の選択を信じられなくなってしまう。
「しがらみ多く生まれついて、そのうえ伴侶の後悔に怯えながら生きるなんて、私は御免だ」
「私も全くの同意見です……!!!」
道半ばの裏切りは、共に歩んだ分だけ一層虚しいだろう。一片の陰りもない人生なんてあり得ない。順風満帆に見える生き方でさえ、運と意思によって危機を乗り越えた結果に過ぎないのだ。
「あなたは本当に友人としては最高の、同じ価値観を持った尊敬できるおかたです」
思わず感動したわ。
そんなリュカオンとなら、彼がヒロインと恋に落ちるまでの間、虫よけとして婚約してあげてもいいような気がしてしまう。でもやっぱりケンドリックにチョロいって怒られるから要らないことは言わないでおこうっと。
「私たちの階級の婚姻に友情があろうものなら、上出来だと思うがなあ。ま、こんなところで妙な話は止そう」
リュカオンは指を放し、身じろぎしたかと思うと、奥の壁をあちこちノックし始めた。
「10分経つ頃だ。そろそろ脱出しよう」
音の反響で材質やら向こう側の様子を確認しているらしい。
「ガタつきも取っ手もなく、まず開け方がわからない。無理やり開けたとして、通路がちゃんと繋がっているか不明だから、やはり入ってきた方から出るのがいいと思う」
そうね。私側の扉は外開きで、これ一枚破れば脱出できるんだもの。
「私が体当たりしてみますか?」
私もリュカオンのマネをして、扉に張り付いてコツコツ叩いてみた。
「最後の手段として頼むかもしれないが、もう少し私がそちらへ入れ替わる方法を試してみよう。さっきは肩や……、の嵩張るところがぶつかってすれ違えなかったが、足なら体積が小さい。かがむから、君は上を乗り越えてくれ」
左右ではなく、今度は上下にわかれて場所交代するってことね。
「私が、かがみます。リュカオン様の方が、背も高くて足が長いですから、上を乗り越えてください」
「断る。私は鉄板を仕込んだ軍靴を履いている。万が一、君の指など踏んで怪我をさせたくない」
そんなことを言ったら、私だってうずくまっている王族を跨ぐなんて嫌である。
扉の様子を探るために張り付いていた状態からくるりとリュカオンの方へ向き直って、ふと思いついた。
「あ、その場で回転することは出来ますか?」
「ああ、それくらいなら」
「さっきはなるべく離れてすれ違おうとしたから、狭いうえに引っ掛かったんだと思います。二人くっついて、くるんと半回転すれば前後が入れ替われるのではないでしょうか」
「くっついてって……」
私は思わず身振り手振りで状況を構想を説明したが、当然見えるはずはなく、伝わらない。
「コンパクトにキュッとまとまればいいんですよ、腕を前に出してください」
「こうか?当たるなよ」
広げられた両腕を確認しながら細くなっている腰辺りにしがみつく
「わあぁ」
リュカオンが聞いたことのない、情けない声を上げた。
「くすぐったいですか?すみません」
恥ずかしがって遠慮していたらかえってこそばゆいものだ。私は思い切り腕に力を込めた。
「さあ、今です!ぐるんと!回ってください」
肩に覆いかぶさるように重みがのしかかり、少し浮き上がったかと思うとすぐ着地した。
真っ暗だから回転した実感がない。
直後に、ドガっとリュカオンが扉に体当たりする衝撃、木材が裂ける音とともに、暗闇に光が差し込んだ。
来週か、再来週から、しばらくの間
土曜更新→日曜更新
に変更になるかもしれません。
あとそろそろ幕間にクロード編を上げられそうです。
またお知らせしますのでよろしくお願いいたします。




