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絶対領域で現実逃避

 どっち……と?


 ・リュカオンの手を取る

 ・イリアスの手を取る


 いや、なんで私に選択肢が出てんだ。しかも二択?

 自分ひとりで馬に乗るという選択はないのかしら。

 私だって馬に乗れるわ。練習したんだから。

 ここはどちらの手も取らず、「一人で乗る」に決まってる。


 待てよ?

 令嬢モノの乗馬イベントで、馬が突然暴れるシーンは定番中の定番だ。

 生き物だものね。仕方ないのよ。誰にも完璧に制御することは出来ない。

 ただでさえ鈍臭い私が、知らない土地で乗馬をするなんて、イベントの地雷原を突っ切る様なもの。イベント発動のあおりを受けて、怪我ならまだしも、うっかり亡き者になってしまうかもしれない。

 となれば、ここはどちらかの手を取った方がまだマシか。


 考えながら、私に向かって差し伸べられた二人の手をじっと見た。

 彼らの手は、上質な革でぴたりと誂えられた薄手の手袋に包まれている。


 上流階級の人間は、男女ともに手袋をするのがマナーだ。

 完璧にフィットしたオーダーメイドの手袋は、単なる防寒着ではなく、ファッションアイテムであり、マナーであり、富の象徴である。

 しかし我々は学生であり、学校では書き物の邪魔になるため手袋をしない。

 男性が手袋をする理由には、素手で直接女性の肌に触れないという意味合いもあるが、子供のころから親しくしているリュカオンと、家族であるイリアスなら、私に対してそういった気遣いは必要ないし、マナー違反にもあたらない。

 近侍の仕事で手袋をしているクロードと違い、二人が私の前で手袋を装備しているのは案外レアなのである。


 腕を前方に伸ばしたことで、ジャケットと手袋の間から手首が覗いている。

 この素晴らしき隙間は『絶対領域』である。


 『絶対領域』とは、そもそもオーバーニーソックスとミニスカートとの間に見える太もものことだ。厳密に言うと、隙間から覗く肌であっても、太もも以外の部位を絶対領域と呼ぶのは誤用に他ならない。オペラグローブから覗く二の腕や、その他の箇所について、『相対領域』という言葉も提案されたようだが、あまり浸透はしなかった。

 しかしそのパワーワードからも解るように、『絶対領域』は隠された部分と露出部分の対比により、強烈なフェティシズムとエロティシズムを持っている。他の部位に名前がつかなかったために、『絶対領域』は隙間のフェティシズムの代名詞となった。

 好みは分かれるだろうが、手首の隙間も官能的な部位である。

 手は顔の次に感情と表情が現れる。そこを覆い隠してしまう手袋は禁欲的なアイテムだ。手袋から少しの肌が見える状態は、隠された部分への妄想をかきたてる。

 つまり、ジャケットと手袋の隙間から見える手首は『絶対領域』ではないが、太もものそれと同じように魅惑的な隙間であると主張する為に、『絶対領域」と表現するのである。

 

 まあ……、絶対領域で現実逃避してる場合じゃないけどね……。


 馬の相乗りは、自分で乗れなければ乗せてもらうしかないという点において、バイクの二人乗りのようなものだと思う。

 親密アピールにはなるが、誰と乗ったらいいとか悪いとかいうことはない。

 誰でもよい。

 ゲームのシナリオはおそらくまだ始まっていないから、何か起こるとしたら未来に影響を及ぼす過去のエピソードという位置づけだろう。シャロンがフィリップといい感じになりかけている現状では、イベント的な影響はなさそうだ。とりあえず怪我と死亡に注意さえすればいい。

 よって、私が選ぶべき選択肢は……。


 私は二人の真ん中からサッと腕を振り、シャロンにしがみついた。

「シャロンと乗るわ!」

「ッッシャァ!」

 シャロンはかつてないほど雄々しいガッツポーズを見せた。

 男らしくてもメチャクチャ顔が可愛い。




 砦や離宮を含め、湖と近隣の原生林は広大な台地の上に位置しており、一帯の高地をマリウス山と呼び習わす。

 そこからさらに小高い丘の上に、地の利を活かすべく建てられたのがマリウス砦である。

 草原や林の中を、常歩で景色を楽しみながら、時に襲歩で風を切り、移動すること一時間半。三日間の窮屈な馬車移動を吹き飛ばす良い気分転換になった。

 シャロンの後ろは、久しぶりの乗馬でも、優しい乗り心地でとても楽しかった。


 マリウス砦は無骨な石造の典型的な山城でありながら、巨大な威容で神秘的な威厳がある。

 中には兵舎と大小の演習場を備え、平和な今の時代も騎士団の訓練に使われている現役の砦だ。

 騎士団の駐屯中は一般公開されており、訓練や砦の場内を誰でも見学できる。普通は逆ではないかと思うが、訓練は新兵が行う基礎的なもので機密事項はなく、さらに騎士が大勢いれば、悪党が入り込んでも悪さは出来まいという考えらしい。もちろん訓練の邪魔になったり巻き込まれたりしては危ないので、誰でも立ち入れる場所は一部に限られているが。


 砦へ入ると、道中の護衛に付いてきた離宮の近衛兵五人は離れ、代わりに砦の偉い人と騎士団の護衛がリュカオンへ挨拶にやってきた。私はよく知らないが、おそらく騎士団の上のほうの人なのだろう。

 その人物に請われて、リュカオンは迫力ある演習を観覧し、残りの私たち三人も、付き従って一緒に観覧席から兵士たちを労った。

 女性の見学者が珍しいせいか、若い兵士の一部はおどけて、私やシャロンに貴婦人へ忠誠を誓うポーズを取る。古典作品ではお約束の一節である。

 想いが叶わない高貴の女性や、上司の奥方にプラトニックな愛を誓うのは、今は廃れた風習というか、当時としても相当な美談であって、だからこそ物語の印象的なシーンとなっている。

 その再現をこの砦で、というのはなかなか気が利いている。マリウス砦を題材にしたロマンス小説にも同様の有名なシーンがある。こんなサービスがあると話題になったら、女性客が押し寄せて、大きな収益に繋がりそうだ。

 どれくらい儲かるかなどと夢想しているうちに、案内するという偉い人の申し出をリュカオンがやんわり断ってくれて、後は私たち四人で自由に城内を見て回れることになった。


 砦の見学は、前世での城見学と変わらない。

 侵攻してきた敵兵を阻む仕組みや、城壁の内側から外側へ攻撃するための狭間さまが、やはりこの世界にもあり、砦は創意工夫の宝庫である。

 必要に応じて、洗練されてゆく機能美。その形の理由を知ることは、パズルを解くような爽快感だ。

 その他にも、かつての貴賓室や士官室が当時の鎧甲冑とともに展示されいて、時代の変遷が分かるようになっている。

 この砦は、戦術の王道が変化し、それに伴った武具防具の発展を見守るほど長い間、要所として存在してきたのだ。

 ロマンよねぇ~。聖地巡礼の旅は最高。


 見学工程の半分くらいのところで、物見の塔へと上った。

 階段を登りきって、上がってしまった息を整えるように、しずかに深呼吸すると、シャロンがそれを目ざとく見とがめる。

「お疲れですか、ローゼリカ様。休憩なさいますか」

「ありがとう。楽しいから大丈夫よ。見学が終わったら皆でお茶にしましょう」

「では私は先に行って、借りられる場所や飲み物の用意があるか、確認してまいります」

「最後に全員で探せばいいじゃない?一人で行くことないわ」

「勝手のわからない場所ですから、時間がかかるかもしれません。お疲れのローゼリカ様をお待たせしたくありません。御前失礼」

 引き止めも虚しく、シャロンは行ってしまった。

 物見台からの見晴らしのいい景色、一緒に見たかったのに。


 外周の城壁が、砦周辺の哨戒に適しているのに対し、今登っている中央の物見台は、砦の内部を把握するための建物のようだ。先ほど見た演習場も含め、城内が一望できる。

 敵兵の侵入を許した、または内部衝突で乱戦に陥った場合に、入り組んだ砦内部の状況把握に役立つ。

 しかしさすがにこんなところまで一般公開してしまうのは情報機密として危険ではないのだろうかと思っていたら、物見台を上まで上がらせてもらえたのはリュカオンだから特別だということだ。

 そうか。特別ならばしっかり目に焼き付けておかなくてはならない。

 と言っても、私に砦の構造の工夫など見ただけでわかるはずもなく……。

 物見台は上から下を良く見渡せるだけでなく、下からも目立つようで、私に判ったのは、地上の兵士たちが何人かこちらに向かって敬礼してくれたことぐらいだった。


 しばし展望を楽しんでから、見学の続きに戻る。

 展示室と展示室の間の廊下を歩いていた時、不意に甲高い騒音が響いた。

「わっ、びっくりしたぁ」

 聞いた音からパッと浮かぶのは、展示されていた鎧甲冑が石造りの床に叩きつけられたイメージだ。何らかの理由で倒れたものか。

 イリアスが音のした元来た道の方へ踵を返した。

「念のため、少し様子を見てきます」

「皆で行きましょうか?」

 砦の見学者は私たちだけで、他に人の気配はない。物が落ちただけだろうとは思うが、もし万が一、重い甲冑の下敷きになっている人がいたらと考えると、人がいないからこそ様子は確かめておいた方がいい。

「いえ、人の声も聞こえませんし、大事はないでしょう。音を聞いた砦の兵士が駆けつけてくる可能性も高いです。すぐに追いかけますから続けて見学していてください」


 イリアスもまた、行ってしまった。

 先に見学しておけということは、私の見学のスピードが遅いということ。私があまりに微に入り細を穿つように仕掛けや構造に噛り付くから、時間がかかって退屈だったのだろうか。

「リュカオン様も退屈ですか?」

 意気消沈して聞いてみると、リュカオンはいつもの意地悪で美しい造り笑顔ではなく、飾らない優しい表情で答えた。

「私は楽しいよ」

 これは素の表情だ。

「ですよね!」

 よし!リュカオンが楽しんでいることには、私たち全員が付き合う必要がある。たとえシャロンとイリアスが退屈していたとしてもしょうがない。私のせいではない。

 

 イリアスに言われたとおりに、私とリュカオンは見学のコースを進んで、次の展示室へ入った。

 殺風景な部屋でほとんど展示物がないが、一番奥にある、作り付けのクローゼットの扉が開いていた。

 すぐ隣の調度品に説明書きが張り付けられている。


『こちらはマリウス砦に数多くある隠し通路の一つです。クローゼットの奥から一体どこへ繋がっているのか、あなたの目で確かめてみてください』


 なるほど。

 二人して開かれたロッカーのようなクローゼットの奥を左右から覗き込んでみると、確かに普通のものより奥行きが深い。しかもコートが一、二着しか掛からないほど幅が狭く、石造りの暗い室内で、窓や照明の位置関係もあり、奥まで光が届かない。


 素敵!仕掛け扉の謎を解き、暗くて狭い通路を抜けた先は中庭の植え込みか、はたまた秘密の部屋か!体験型のいい展示だわ。

 穿った見方をすれば、展示として紹介されていることから考えて、外には通じず、近場で無難な場所に繋がっているだろう。同様に展示室として使われている倉庫だとか、廊下だとか。

「行きましょう!」

「よし、行くか」

 リュカオンは無邪気に笑って、床より少しだけ高さがあるクローゼットの中に足を踏み入れた。

 暗がりの中に入ったリュカオンの背中を追いかけて、私も仕掛け扉の様子を伺おうと、クローゼットを覗き込む。


 その時、ほんの軽い力で、しかし確かに背中を押され、私は前方によろけてリュカオンにぶつかった。直後、クローゼットの木の扉が音を立てて閉まり、内部は暗闇に包まれる。

「えっ」

「ローズ?まだ奥の扉が開いていないんだ。真っ暗では仕掛けを探せないと思う」

「あ、はい。そうですよね」

 私は慌てて、今入ってきたばかりの扉を押した。

 重厚な板材は私の力ではびくともしない。

「あ、開かない……?」

「どうした」

 扉をたたきながら外に呼びかける。

「誰かそこにいるの?イリアス?ここを開けてくれない?」

 外は静まり返り、誰の返事もない。

 リュカオンと二人、暗いクローゼットの中に閉じ込められてしまったようだ。


幕間・人物紹介の部に挿絵を追加しました。

イメージが崩れることもあると思いますので、覚悟を持っての閲覧をお願いいたします。

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