新しい扉よ、こんにちは
悲鳴を聞いて、私たちは声のした方へ一斉に駆け出した。
「先に様子を見てくる。君は後から来なさい」
「そんなわけにいきますか!」
リュカオンの言うことを聞くつもりはさらさらなかったが、単純に向こうの方が足が速い。
私は引き離されて後ろを追いかける形になった。
先にダイニングに到着したリュカオンが、廊下に立ち尽くし、中の様子から顔を背けるのが見える。
警備の厳重な離宮で一体何が起こったの?
リュカオンが直視出来ないほどの惨劇?お願い皆無事でいて!
私は血の気が引く思いで、リュカオンに遅れてダイニングに飛び込んだ。
床に広がる、青いドレス。
みんなの悲壮な表情。
倒れ込んでいるケイトリンとパーシヴァルが……
くんずほぐれつ絡まって……?
元気に喚き散らしている。
「?」
「もう嫌!本当に嫌!!こんな屈辱考えられませんわ!!あっちへ行ってったら!」
「いた!んぶっ!わかった!……から、じっとしてくれないか!」
涙目のケイトリンが、パーシヴァルの顔を力任せにゲシゲシ蹴った。
あっ、わかった!
これラッキースケベだ!!
説明しよう!!
ラッキースケベとは!!
単なるスケベハプニングに非ず!
自分勝手な性への欲望と、善良さの両立である!
欲求の第一段階として、対象の体に触れてみたい。その飽くなき好奇心を満たすため、または読者の期待に応えるため、都合の良い理想が物語世界に託される。これが支点『スケベ』である。
しかし、思春期を過ぎた人間は、他人のプライベートゾーンに許可なく触れてはいけないとすでに知っている。善良なキャラクターがバンバン悪事を働くわけにはいかない。性に奔放なキャラでないなら、行動の統一性も守らなくてはならない。そこで活躍するのが、天からの力点『ラッキー』だ。
運によるものだから、故意ではなく事故。その最強の免罪符がキャラクターの善良性と行動同一性を守り、細かい理屈を粉砕する。
支点『スケベ』の原理を利用したピタゴラスな装置に、『ラッキー』の力が加わることにより、免罪符のスイッチが入り起動するからくり。それこそが『ラッキースケベ』なのである!
人間の基本的欲求に根差した小ネタであるからして、昔から散見され、原点を遡るのは難しい。視覚的意義が大きいため、少なくとも漫画黎明期にはすでに存在するが、同様のネタはもっと古くからあってもおかしくない。
今現在の神がかり的にしっくりくる通称の方が、『ラッキースケベ』そのものの歴史からすれば比較的新しいのだ。
コメディで多く用いられ、特に意味のない賑やかしエピソードの印象が強い。しかし、それだけにはとどまらず、出会いのきっかけや関係性進展の仕掛けとして使われることも少なくない。
スケベのバリエーションとしては
・パンツが見える(スカートがめくれる)
・胸を触ってしまう(男女関係なし)
・風呂で鉢合わせする
・体の一部がくっついて離れない
などなど。
よくご存じのシチュエーションばかりであろう。
これらの大まかな分類をあの手この手でアレンジして、スケベにエンカウントする。
あるいは合わせ技だったり、体質だったり、過激に進化したバージョンもある。
今回のコレは……。①番と④番の複合だな。
うごうごともがいた結果、二人は関節がこじれて、もはやラッキーとは形容しがたいエグい絵面になっていた。
いや、そうはならんやろ。
「そうはならないでしょう!」
ほら、当事者に指摘されちゃってる。
「現になってるんだから仕方ないだろう!!」
それな~。
しかし妙だな。女性ターゲット作品では、スケベはマイルド表現なはず。
風呂での鉢合わせが、上半身の着替えだったり、足がもつれて抱きとめてもらったり。
スケベでラッキーな思いをしても、相手が被害者とは言えないような状況が主流である。
こんな、新しい禁忌の生命体のような物体は、青年誌にしか登場しない。いわんや乙女ゲームをや。
一方的にしか利がない、または双方不本意な状況でのラッキースケベは、性被害に他ならない、笑いごとではないという問題提起もあって、全盛を誇った一時期より、ネタの運用は慎重な傾向にある。
プレイしていないゲームに、こんなシーンが絶対ないとは言い切れないが……コンプライアンス大丈夫なのか……?TVでCMしてるゲームって多分全年齢だよね。
周囲を見回すと、男子は額を抑えたり視界を手で遮って、顔を背けている。
確かにケイトリンとパーシヴァルは目のやり場に困る様な有様だ。
イリアスと目が合うと、彼は青ざめて壁になるように私の前に立ちふさがった。
過保護すぎる。イリアスって、ドラマのキスシーンとかで妹の目を塞いでくるタイプ?だとしても私は妹ではないです。
「あなたは何も見ていません。いいですね」
ひそひそと耳元で囁くので、こちらもつられて小さな声になる。
「このままじゃダメよ。解決しそうにないわ」
「薄目でしか見ていませんが、マズイ状況なのはわかります」
「なら助けましょう。手伝って」
「反対です」
イリアスは厳しい表情できっぱり言う。うろたえて呆然としていたわけではなく、考えあっての行動だったらしい。
「彼女は助けを求めていません」
それは喧嘩の売り言葉買い言葉に忙しいからでは。
「手を貸すために俺たちが今現在の惨状を目の当たりにする方が、ダルトンデールには屈辱です。近づいて巻き込まれたら、更なる恥辱を与える可能性もありますし、迂闊に動けません」
ラッキースケベがもっと過激にエクストリームするってことね。わかるわ。
「私が行って、状況を改善する。呼んだら皆で手伝って。それならいいわね?」
「それが一番いけませんよ!二人合わせてパーシヴァルの餌食になるつもりですか!」
不測の事態に固まっているわけじゃなく、優秀で、法律にも礼儀作法にも詳しい彼ら全員が考えた末に同じ行動を取っているなら、この見て見ぬふりがユグドラの上流階級では最も正解に近い行動なのだろう。
背の高いイリアスに阻まれた向こう側から、ケイトリンの一層ヒステリックな声がが聞こえてくる。
「開き直るなんて最低!!少しは申し訳なさそうになさったらどうなのです!」
「君に恥をかかせて申し訳ないとは思っているが、僕だって好きでこんなことをしているわけじゃない!しおらしくしていたって、どうせあることないことなじるくせに、これ以上どうしろっていうんだ!」
このあたりで、騒動に耐えきれなくなったセレーナが気絶して後ろに倒れ込んだ。
あわわ。大惨事やぁ~。
騒ぎを聞きつけたシャロン達がちょうどダイニングに到着し、すんでのところでクロードがセレーナを支え、近くにあったソファに彼女を横たえた。
押し問答している場合じゃないわ。
私は今一度イリアスに向き直った。しかし向こうも怯みはしない。
「たとえ他の何を犠牲にしても、俺はあなたを守ります」
そのカッコいい台詞、ラッキースケベ以外で使ってほしかった!
でもあなたに譲れないものがあるように、私だって、我が身可愛さに友人を見捨てるなんて出来ないの!
「ご友人の悲鳴が辛いなら、俺が耳をふさいでおきますから、耐えてください」
イリアスの大きな手が私の頬と耳を包み込む。
良かれと思ったことが裏目に出て、結果的に何もしない方がよいことだってあるだろう。
でもリスクを恐れるあまり、何もしないことが最も正しいなんて納得いかない。
最良の道を目指すのが私のやり方よ!
意を決して、イリアスの手を振り払う。
「そういう問題じゃないわ!」
義を見てせざるは勇無きなり!
ラッキースケベがなんぼのもんじゃい!!
私は行くわよ!
「あなたはそこで目をふさいでいらっしゃい!」
ケイトリンに駆け寄ろうとする私を制して、シャロンが横をすり抜け進み出た。
「私が参ります」
待って!あなたこそラッキースケベの犠牲にするわけにはいかないわ。
ん?もしかしたらシャロンのヒロイン力によって、スケベが胸キュンレベルにランクダウンするかもしれないわね?
シャロンに任せてみるべきか……。
いいえ!そんな運頼みの賭けはしない。
私があなたを守る!
たとえこの身がラッキースケベられようとも!
しかし追いかけようとしたところをイリアスに捕まった。
力が強い。引き戻されて、縋るように差し伸べた手が虚しく宙を掻く。
「シャロン!」
カムバッーーーーーーーク!!
シャロンは絡まっていた二人を見事に手早く救出し、ヒョイとケイトリンを助け起こした。
何だったの、一連の茶番は。
「もう大丈夫です。別室へ参りましょう」
一人床に取り残されたパーシヴァルが自力で立ち上がるも、よろけて今度はシャロンに向かって倒れ込んだ。
「シャロン!危ない!!」
私の警告とは関係なく、シャロンはケイトリンを支えたまま、最小限の動きで身をかわし、さらにはパーシヴァルの足を引っ掛け、彼の横っ面を強かに張り倒した。
パァン!と甲高い音がこだまするほど響き渡り、パーシヴァルは再び床に倒れ込んだ。
「これはケイトリン様の分です」
少しも悪びれず、シャロンはうずくまるパーシヴァルを高圧的に見下ろす。
「ありがとう、ミレニアム。君は身体能力が高くて、僕の不運に影響されないから本当に助かっている」
これから赤く腫れあがりそうな頬を押さえて、礼を言うパーシヴァル。
や、やめて〜。自分を張っ倒した美少女に、頬を赤らめて礼を言う絵面は、新しい扉が開いてヘンな性癖に目覚めそう。




