目覚めよ!内なるおっさん
朝食前に温泉を利用したいという希望が通り、着替えやすいドレスに最低限の身支度で宿を出た。朝の散歩がてら、歩いて予約のスパへ向かう。
王都ならみんな働きだしている時間だが、リゾートという土地柄か、人の姿はほとんどなく、店も閉まっていて、早朝の雰囲気だ。
私の外出に、シャロンだけでなく、クロードもフィリップもぞろぞろと付いてくる。
「後ろじゃなくちゃんと隣を歩いてよ」
ドット絵のRPGゲームじゃないんだから。
街は小さく、予約のスパにはすぐ着いた。
淡色の壁に濃色の建具や格子を配し、アースカラーでまとめた異国情緒あふれる外観である。もっとファンシーな店を想像していたので、シックな印象は意外だった。
出迎えた従業員に中を案内されて更に驚く。
そこは、私の予想を遥かに上回る、温泉そのものだったのだ。
それぞれに趣向を凝らした内風呂が4つ、垣根で囲われた露天風呂が1つ。大浴場と呼べる広さではないが、数人でゆったり入れるぐらいの貸切風呂が、更衣室や休憩するスペースも含めて独立した造りになっている。
立ち登る湯煙、コンセプトを持って造られた庭。自然の形を活かした岩風呂、あるいは香りにこだわった木の浴槽。どういう原理になっているのか、ジャグジーもある。内装は外観と同じく濃淡のアースカラーでツートンにまとめられ、差し色のファブリックは店の名前にちなんだスカーレット。そして何より素晴らしいのは、滔々(とうとう)と浴槽を満たしては、溢れていくターコイズブルーの源泉。
南国風に少々アレンジされているものの、ここはまごう事なき温泉だ!
これってつまり……。
私以外にも転生している人がいるのかしら。
それとも、外国には似たような文化があるということなのか。
宿泊施設は付随しておらず、入浴は完全予約制。お風呂だけ楽しめる、貸し切りの外湯ってことね。
まだ他の客が入る前の時間なので、特別に全ての風呂見せてもらい、私は岩の露天風呂に入りたかったのだが、シャロンは薔薇の花を浮かべた内風呂が良いというので、それに従った。
風呂付個室の休憩用テーブルには、受付でも聞いた説明が、事細かに図解された冊子が置いてある。
まず、更衣室で、ガウンのような浴衣のような、前開きの専用ワンピースに着替える。
それから湯に浸かるという性質上、浴室には洗い場があって、ここで一旦ワンピースを脱いで身を清める。この貸し切り風呂には、シャワー室のように一人用に仕切られ目隠しされた洗い場が二つ設置されている。洗い終えたらもう一度ワンピースを着用し、入浴する流れだ。
その後の項目には水分補給の必要性や、のぼせた時のサイン、対処法などがつづられている。
複数人で利用することが想定されつつ、裸の付き合いという文化がないユグドラでも、抵抗なく利用できるよう、風呂とプールの折衷案といったところだ。
私は浴衣に似たワンピースの帯をささっと締めて、長い髪が湯に浸からないよう、シャロンに高く上げてまとめてもらう。入浴の間、クロードは部屋の外で、フィリップは店の外でそれぞれ待機だ。せっかく来たんだから、他の空いているお風呂に入ったらと言ったが却下された。
「シャロンは一緒に入るでしょ?ワンピースの着替え方わかる?」
スパの人もそう認識しているのか、着替えはもう一組用意されている。
「いえ、姫様。私はこのままで浴室の中までお供します」
「えっ、あなたが薔薇のお風呂がいいっていうからそうしたのに。てっきりシャロンも入ると思って」
「あの、そうではなく……、問題ないとは分かっていても、警備上、外の浴室は心もとないと思っただけです」
「そうなの?どうせ中まで入るなら、ついでにお湯にも入ればいいじゃない。温まって、絶対気持ちいいわよ。さあさあ」
強引に誘えば、遠慮がちなシャロンも観念するかと思い、シャロンの腰にとりついた。
ユグドラ人だから他人と一緒の入浴には抵抗があるかもしれないけど、裸ってわけじゃないし、シャロンは水泳の訓練も受けているから平気だろう。
「私は無理です、姫様」
近づいた拍子に、広がったシャロンのスカートの下から、ゴツ、と硬い金属の感触が足にぶつかった。
「え……」
「申し訳ありません」
「帯剣してるの!?」
「はい。ご希望に沿えず心苦しいですが、時間的にも武装を解いて入浴するのは難しいです」
双剣使いのシャロンは、今年に入ったぐらいから、両足に一本ずつ、短剣を吊っていることがある。
私の護衛としてお父上に認められたとか、士官の訓練を経て充分に技量が上がったとか、理由は色々あるのだろうけど、長期のバカンスに持ってくるのはともかく、今は必要ないんじゃない?朝の散歩ついでにちょっと外湯に入りに来ただけなのに。
「なんでそんなの着けてきたの?」
「う……。理由は特に……。しかし帯剣してしまったものはもう仕方がありません」
確かにそうだけど。
「時間には限りがありますので、姫様はかまわず入浴なさってください」
シャロンは我が家に代々使える護衛の家系だ。帯剣を許されるのは一人前のような感じで嬉しいのかもしれない。スカートの下に双剣を佩いているメイドなんてメチャクチャ格好いいし、特に止める理由もないけど、思わぬところでこんな弊害が!
「じゃあ、帰りにここへ寄った時は絶対一緒に入ってよ?」
「心得ました」
案内通りに手順を踏んで、ワンピースのまま湯に浸かる。
「あ゛~~~~~」
熱い湯に毛細血管が広がる感覚。
私の内なるおっさんが重厚なうめき声をあげた。
家のお風呂とはまた違う、熱めの温泉、最高!
もう難しいことも細かいこともどうでもいい!!
しかし熱い湯に長くは入れないし、朝風呂はサッと入って眠気を覚ますものだ。
私は、指先つま先にまで熱が行き渡ったのを感じると、採光窓から差し込む、朝の光を受けてけぶる湯気を名残惜しく見つめて、風呂から上がった。
さて、気分的にはどうでもいいと思ったが、スッキリ目覚めた今の頭なら、少々聞き取り調査をしておいた方が良いと判る。
この温泉を作った者、おそらくスパの支配人であろう人物が、転生者かどうか確かめるのだ。
礼を言いたいという名目で支配人を呼びつけると、小柄でふくよかな男性が汗をかきながら出てきた。
てっきり、私と同じ年ごろの綺麗な女の子が出てくると思っていたのに意外だ。
「お嬢様。この度はご利用ありがとうございました。ご、ご拝謁賜り、天にも上る様な気持ちです。格別のお手当にも、今一度厚く御礼申し上げます」
こ、このおじさんが転生者……?
緊張感でゴクリとのどが鳴る。
いや……、いくらなんでもデザインがモブ過ぎる。
しかしモブ転生はわりとメジャーな設定だし、あり得るといえばあり得るか。
そう言われて見れば、怪しいような気もする。
なんとかしっぽを掴む方法はないかしら。
「こちらこそありがとう、素晴らしい体験でした。人気を博しているというのも納得ですね。我が国では馴染みのない温泉の利用法ですが、何か参考になさったの?」
「わたくしは温泉に詳しいということで採用された、地元の雇われ店長でございまして、店の成り立ちについてはあまり知らないのです。確か、若い従業員のアイデアで、今のような形態になったと聞いていますが……」
「!……その方のお話が聞きたいわ。こちらに呼んでいただける?」
「いやぁ、今日は来ていないようです。あの子、なんという名前だったかな?」
支配人は少し後ろに控えていた女性従業員を振り返る。
「私もよく知らないのです。すでにお辞めになっているとしか」
「そうかい?昨日見かけたような気がするのは人違いか……」
従業員ってことは、貴族のご令嬢ではないのだな。ここは王都からも遠いし、たとえ転生者だったとしても、登場人物とは限らないのかも……。
私は、たくさん読んだ悪役令嬢モノ、転生モノのパターンを思い浮かべる。
ゲームシナリオとは関係のないところで、静かに生産系スキルで人生を楽しむ話も沢山あったはず。
一方で、出身や設定がどうでも、シナリオに参入してくる方法は腐るほどある。
平民でも奨学生になればアカデミーに入れる。あるいは貴族の庶子として、家に迎え入れられるなんてことも、現実にはほとんどないが、物語ではアルアルだ。
無限に近い可能性の話をしても仕方がない。
そんなことを言い出したら、このとぼけているおじさんが、チートスキルの転生勇者ではないとも言い切れないわけだ。
そう。それに、このスパが一種の舞台装置である説も考慮にいれるべきだ。
理想の世界には、慣れ親しんだ風習の再現が必要なこともある。
つまり、転生者がいるから温泉にそっくりなのではなく、プレイヤーがゲーム内で温泉に入りたいから、温泉そっくりの仕様が再現されている可能性だ。
そう考えると、温泉の謎の解明優先度は低い。
重要人物の足取りも断たれた今、これ以上の深追いは不自然にして不必要だろう。
「そろそろお時間が」
いつの間にか後ろに控えていたクロードがそっと耳打ちする。
「とても楽しかったわ。他の皆様にもお礼を伝えてください。御機嫌よう」
温泉街を出発して馬車に揺られること二時間、王都を立って三日目。私たちはようやくマリウス離宮へと到着した。
マリウス離宮は、開けた平原と風光明媚な湖畔にぽつりと建っていた。
正面ホールは装飾を施した細い柱に全面ガラス張りの繊細な威容で、お伽噺のように幻想的だ。
中庭を超えた先にある居住スペースは、ガラス張りとはいかないものの、避暑地の離宮に相応しい、日差しがよく入り、風通しも良い開放的な雰囲気である。
絵画のように静かだった離宮は、先ぶれの到着によって賑やかになりつつあった。
次々到着する馬車を、離宮の侍従と女官たちが出迎える。長期の旅行に荷物が増えるのは、想像に難くないだろうが、貴族の令嬢が、しかも三人も、期限未定のバカンスとなれば、その有様は引っ越しの様相に近い。
突然に活気を帯びた離宮の中を案内され、進んでいくうちに、到着の知らせを聞いて出てきたリュカオンと愉快な側近の仲間たちに行き会った。
「長旅ご苦労。よく来たな。歓迎するぞ」
結構調子よく書いているのに、貯金が増えないです。
まだストックはあるので、追い付かれないように頑張ります。




