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チョれえ。

「はっ」

 しまった!あまりの素敵な響きに、『行きたーい!』という気持ちを前面に押し出してしまった。

 更にまずいことに、それをしまった!と思っているところまで、全て顔に出てしまっている。

 リュカオンは優美で高貴な微笑を微塵も崩さないまま、ばふーッっと噴き出した。

 間の悪いことに、淹れたての茶を口に含んだところであり、茶は逆噴射された後もポタポタとリュカオンの口を伝って零れた。

「え、汚……」

「ローズ、私の茶を返してくれ」

「嘘でしょ責任転嫁?」

 私の変顔そんなに面白かったですか!?


 大した量ではなく、リュカオンはいつも通り椅子に深く座っていた為、逆噴射した茶は全てリュカオンに降り注いだ。他に被害が出なかったことが唯一の救いだ。

「わあぁ、殿下~」

 リュカオンの側近ウィリアムは慌てているが、こんな時良家の御曹司などなんの役にも立たない。茶器を下げ、手ぬぐいを差し出し、テキパキと後片付けしているのは、結局クロードとシャロンである。

「クロードとシャロンの仕事を増やさないでください」

「まったくだ」

 骨の髄まで他人事じゃん。


 リュカオンは側についたクロードに促されて立ち上がり、ブレザーを脱いで渡す。

「スラックスはいかがです」

「大事ない」

「代えのシャツはお持ちですか」

 クロードの言葉に、もう一人の側近パーシヴァルが立ち上がった。

「僕が取ってこよう」

「いい、構うな。ほとんどネクタイとブレザーが吸った。昼の授業が始まる前にロッカーへ寄って着替えるよ」

「ではネクタイを。応急で染み抜きします」

「ありがとう、クロード。世話をかける」

 まったくもってその通りよ。

 

 リュカオンはネクタイを外し、濡れている襟元を大きめに開いた。カフスも外して腕まくりし、寛いで座りなおした。

「……ああ、それで。北西のマリウス山麓にある離宮は、王都からもほど近くて良い保養地だから……」

 すごい。酷い醜態を晒したと直後だというのに少しも動じていない。着崩した姿は、何事もなかったどころか、まるでスポーツに打ち込んだ後のような…いや、誰かを庇って代わりに茶を被ったかのような爽やかさだ。自分で噴き出した茶を被っただけなのに。

「君の友人たちも一緒にどうかと」

「ええ、はい。自分勝手にお返事は出来ませんが、素敵なお話です」

 シャロンが新しく淹れなおしたお茶を受け取り、リュカオンは今度こそ優雅に飲んだ。


 16歳のリュカオンは、まだ細く、さらに着やせして見える性質だが、背丈はスラリと伸びて大人と遜色ない。男らしい直線的な輪郭でありながら顔はすこぶる小さく、中性的な天使の美貌がなりを潜めた分、男性的な魅力は輝きを増している。

 相変わらず、完璧に左右対称で作り物じみた顔をアシンメトリーに整えた銀髪で取り繕い、濃く青い双眸は長い柳眉と相まって、優婉閑雅の印象を端正な頬に落としていた。

 一度見たら忘れられない完璧な美貌は、8年前初めて出会った時の直感そのままに、記憶の中のキャラクタービジュアルと一致した。


 ビジュアルが一致したということは、いつゲームのシナリオが始まってもおかしくない、ということ。

 シャロンがヒロインであるシナリオは一体いつ始まるのか。

 目下の懸念はそこである。

 乙女ゲームのヒロインは大抵15歳から18歳だ。一番可能性が高いのは、アンジェラと同じ17歳の卒業年だろう。こういう設定は踏襲される。つまり2年後だ。

 もし来年別のヒロインがいるならこの推測は確度が高い。 

 しかし油断は大敵。

 知らずに過ぎてしまっては取返しがつかないので、シャロンが15歳になる今年度から警戒はしていた。

 そしてこれ迄のところ、その兆候はない。


 リュカオンと出会って早8年。既に準備は万端整っている。

 シャロンは花も恥らうような美しい少女へと成長し、私と同程度の教養も身につけて、良家の御令嬢に勝るとも劣らない仕上がりになっている。家柄や後ろ盾が必要となれば我が家の養女になるし、乙女ゲームに付き物の困難を切り開く特技もバッチリ完備。抜かりはない。

 私自身もサポートキャラとして、学内と屋敷内の情勢を可能な限り把握し、情報通の地位を築いている。攻略対象にも目を付けており、意気込みもウォーミングアップも充分である。

 万が一の読み違え、悪役令嬢もののド定番、シナリオ強制力的なあれやそれやの煽りを受けて破滅しても大丈夫!自活するための資金と国外逃亡のルートは確保済み!

 このローゼリカに死角はないわ!無敵よ!!

 というより、正直もう待ちくたびれた。8年は長い。

 今か今かと神経を尖らせているよりも、さっさと始めてもらった方が気が楽だ。


 早くシナリオが始まって欲しい理由はもう一つある。

 攻略対象と思しき男子は、たとえサロンに登録していても、危なっかしくて紹介出来ないからだ。


 サロンの婚活男子に登録されている攻略対象予備軍は30名を超える。

 アンジェラのシナリオを踏まえると、攻略対象が本当に30人もいるわけはないんだけど、私はゲームのシナリオも登場人物も知らないので、デザインや設定が凝っているキャラは軒並みロックオンして攻略対象予備軍フォルダに突っ込んでいたらそうなったのだ。

 だからヒロインが私の想定より多いというのは理にかなっている。


 そして乙女ゲームの攻略対象は当然ハイスペックである。

 その基準に合格した、上澄みの30人を保留するとなると、仲介業務は大きなハンデを背負うことになってしまう。不信感を抱かせることにもつながる。

 だからと言って、攻略対象予備軍の男子を不用意に宛がうことは出来ない。

 もしもゲームのシナリオが、紹介した男子を攻略するルートに入ってしまったら、寝覚が悪いではないか。

 婚約者になっていた御令嬢は悪役令嬢になってしまうかもしれないし、そうでなかったとしても、男がヒロインに骨抜きになって蔑ろにされたら気の毒である。その責任の一端は、当然私のサロンにも降りかかってくるだろう。

 そのジレンマを解消するためには、とっととシナリオを始めて、シャロンには相手を決めて幸せになってもらうのが一番だ。そしてあぶれた男子たちには、私が責任をもってお似合いの女子を紹介してあげるって寸法よ。


 まあ、あまりにもお似合いだなって何人かは、私の独断で、相談に来た女生徒とすでにくっつけちゃったんだけどね……。

 実はケイトリンにイリアスを紹介しようと思ったのも、シャロンとイリアスはイマイチ相性が良くないみたいだからだ。

 今後シャロンほどよく知らないヒロインが参戦するとなったら、そういうことは出来ない。

 アフターフォローもしっかり目を光らせておかなくては。


「私は夏季休暇の間中、離宮にいるから、君は気が向いたときに来るといい。夏らしく湖でボートに乗ったり、丘陵地を馬で遠乗りしたり、一週間ほどは飽きずに遊べるだろう」

 夏季休暇は二か月もあるのに、ずいぶん長く滞在するのね。リゾート地でバカンスってそういうものか。ナチュラルボーン・インドア派の私には経験がないことだけど。

 さてどうしようか。

 行くのが嫌って訳ではないが、リスクは無視できない。

 私は今、リュカオンがせっせとアカデミーの女生徒たちに埋めさせている外堀を、なんとか掘りなおそうと試みている身の上である。これ以上の親密アピールは御免被る。


 シャロンとリュカオンが進展するかもしれないという期待も望み薄だ。

 8歳の頃は、シナリオが始まるより前に、メインキャラクターらしきリュカオンとくっ付けてしまおうと画策していたけど、今考えたら無茶な話よね。

 たとえ幼なじみだったとしても、シナリオが開始してから恋愛が始まらないと物語にならないもの。シャロンがヒロインであるシナリオがまだ始まっていない以上、イベントの実績は私の方に降りかかってくる。

 うっかり婚約に王手をかけられたら堪ったものではない。私の『安心!サポートキャラライフ!』は親しい友人だが婚約者ではないという薄氷の上に成り立っているのだから。

 であれば、やはり、なるべく回避の方向性で……。


「リュカオン様は何をして過ごされるのでしょう?」

「私は予習……というところかな。来年の戦術の授業で、マリウス砦の戦いを研究するつもりでいるから、その資料集めをしようかと」

「ご立派でいらっしゃいます。お勉強の邪魔をしないように気を付けなくては」

「逆だよ。君が来ないと息抜きもさせてもらえない」

 絶対来いよってマイルドに脅してくるじゃん。さすが過ぎ。


「夏の離宮というのは、マリウス砦のことなのですか?」

「いや、山頂の砦とは別の、外交用の迎賓館が離宮の前身だ」

「あら!では、建国直前の停戦条約が結ばれたのは、砦ではなく迎賓館のほう?絵画にもなっているあのお部屋が、今でも見られたり……」

「ああ。国王陛下の王太子時代に離宮は全面改修されたが、条約の会議室はそっくりそのまま移築された。と言っても、なんの変哲もない部屋だぞ」

 その口ぶりからすると、リュカオンは見たことがあるんだ!

 ええ~~~、私も見たーい!

 

 マリウス砦の戦いは、それを題材にした古いロマンス小説があって、それ以降何かとオマージュされており、私のような本好きでなくとも、聞きなれた名前である。

 ざっくり言うと、平家物語と吸血鬼ドラキュラを足したような話で……、いや、義経記と人魚姫の方がいいかな?とにかく切ない悲恋のお話なんだけど、だからこそ、ヒロインたちの愛を自分の解釈で描きたい、あるいはハッピーエンドに導きたいという二次創作的意欲によって、現代でもリメイクやオマージュされ続けている。人間の創作意欲の原点なんて、どこの世界でも大差はないのよ。バレエやオペラにもなっているわ。

 あまりにも有名作品だから、創作の設定が一人歩きしていて、それを史実と照らし合わせて検証するのは面白い研究だろうな。


「会議室よりも、砦の方が面白いのじゃないか。マリウス砦は今でも整備されていて、申請すれば誰でも見学できる」

 離宮に泊まれて、砦の見学もできるの!?きっと物語の主人公たちが出会った丘や、逢瀬を重ねた森や、舞台のモデルになった場所が他にもたくさんあるのよね?

 そんなの……。

 そんなの、豪華絢爛聖地巡礼の旅じゃない!?

 行きたくない人なんている!?


 リュカオンはにこにこと満足そうな笑顔で、さらにダメ押ししてくる。

「それから、離宮は争乱時代の名残で、抜け道や隠し扉と言った非常時のカラクリがたくさんある。全部は教えてやれないが、探すのは止めないよ。君はそういうのが好きだったろう」

 はわぁ……。

 カラクリが沢山の王宮……。

 ついに、ついにローゼリカと秘密の部屋的なものがクランクイン???発見しちゃうのかしら?

 私はすっかりその気になって、旅に想いを馳せ、恍惚としてしまった。

 付き合いが長いだけのことはある。リュカオンは的確にこちらのツボを押してくる。

 あう。口元が緩くなっていた。危うくヨダレが垂れるところだった。


「あの、勿論シャロンとクロードも……構いませんよね……?」

「君の家、その二人無しで外出許可が下りるのか」

「そうですね。愚問でした」

「イリアスとの共同研究だから彼も来るし、ここにいるウィリアムとパーシヴァルも私と一緒に滞在する。君もダルトンデールやアーデンを誘っては」

 ケイトリンとセレーナのことね。

 気の合う友人と夏のバカンスなんて楽しみ……!贅沢な青春だわ。しかも男女混合グループですって?リア充になって爆発しちゃうわね!

「二人とも喜びます」

「3人で相談して、日程が決まったら連絡しなさい」


 話の区切りを逃さず、パーシヴァルがすっと席を立つ。

「殿下、そろそろお時間です」

 クロードがすかさず染み抜きしたブレザーをリュカオンの肩にかけた。

「クロードありがとう。離宮へ来た際は友人として寛いでくれ」

「お心遣い、痛み入ります」

「ではローズ、また明日」

「はい。ご機嫌よう、リュカオン様」

 うふふ!楽しみだな。ケイトリンとセレーナに一番早く会えるのはいつだっけ?二人とも、夏の予定は空いているカナ~?

「少し早いですが、我々も移動しましょう」

「うん!」

 にこにこ顔の私につられて、穏やかに微笑んでいるシャロンとクロードを見上げ、そこでようやく我に返った。


「はっ!」

 息を吸うより自然に行くことになってる!!

「あ゛あ゛あ゛~~~!」

 自分の言動を振り返って頭を抱えた。


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― 新着の感想 ―
[一言] さすリュカ…! 腹黒と一言で言われがちだけど、スマートでいいですねーリュカオン様みたいなタイプ。 そして安定の脳内ツッコミ、わたしも吹き出しました。
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