シンデレラ系主人公 クロードの抜駆け 6
秋になり、学校が始まった。
僕は夏の間に少し背が伸び、姫様から見上げていただくようになった。
これまでより高い目線から、その薄い肩のラインを見ていると……。やはり腹が減る。本当何なのだろう、コレ。
携帯食がかさばって仕方ない。
姫様は同じ講義ではなく、興味がある内容を受講する様にと強い語調でおっしゃった。勉学とはそうしたものだと、至極まっとうなご意見をお持ちなのである。
僕のためであることは間違いないが、べったりと一緒にいて、近侍がいないと授業も受けられない人間だと見なされるのも心外なようだ。
姫様に相応しい聡明なご友人も出来たことだし、女の子同士が親睦を深めようというのに、近侍が張り付くのは野暮というもの。お一人の自由も必要なお年頃だ。
僕は言われた通りに、半分程度は別の講義を取った。
その代わり、シャロンが姫様の護衛として登録されているのとは別に、僕の護衛という名目で学内に間諜を放った。
おそらくケンドリックも独自に姫様の動向を情報収集しているはずだ。
その間諜からの報告によると、姫様は1人の時間、校内の散策を楽しんでいらっしゃるらしい。景色のいい場所ばかりでなく、人気の少ない裏道や抜け道、増改築の継ぎ目などを熱心に見て回り、時には床下を覗き込み、壁に張り付き、高いところに上ることもあるという。
想定内だ。お屋敷でも同様の行動はよく見られる。
姫様はどこに行っても隠し通路や仕掛け部屋をお探しになる。それら自体が好きというよりは、それらが出てくる物語のような出来事が、現実に起こることを期待していらっしゃるのだ。
姫様の思い描く物語に相応しい、景色、装置、役者。そういったものを少しずつ大切にかき集め、用意された状況下で何が起こり得るのかを空想するのが、姫様の秘めたる趣味なのであろう。
なので、入学早々、アンジェラ・ホワイトハートの調査がご下命あった時も、人並み外れて粗忽な彼女が、姫様の想像力を刺激したに違いないとすぐに合点がいった。
密かな趣味まで知りようもないケンドリックは、涼しい顔で拝命しながらも、意図が分からず、まさかあの様な者を召し抱えるおつもりかと、内心戦々恐々としていた。
その後も姫様は人間観察と学生たちのプロフィール集めに余念がなく、ついには趣味が高じて縁結びの相談役まで始めてしまった。
聡明かつ懇篤、目にも麗しい姫様のお知恵をお借りしたいと、万人が願うのは仕方ないことだが、まだ入学して間もないうちから頼りにされてしまうなんて、上級生になった時のことがいささか心配である。
さて、姫様は周囲と円満な友好関係を築き、一定の信頼を得た。定例になった学内の行動範囲やタイムスケジュールに無理もなく、敵対的な存在の有無を確認した秋の終わり頃。冬が本格的に始まる前に、最初の事件が起きた。
姫様がお約束の時間を過ぎても待ち合わせ場所にいらっしゃらない。
ちょうどその頃、僕は散策ルートが安全なものになるよう手を加え、日常に潜む不穏分子を排除して、間諜を引きあげたところだった。
過度の監視は姫様の精神衛生に良くない。万が一バレた時、信用にひびが入っては困る。それは我らトリリオンが最も恐れることの一つである。
姫様のプライベートは、姫様の御身の健やかさの次に守られるべきものだ。ただ安全確保、安全確認のために面目が立つのみ。僕は知り得た事を、同僚の側近にも口外しない。情報を共有せず、僕の中でだけ統括して裁量することを任されている。間諜もそれは同様で、必要な客観的事実以外を語ることは決してない。
最初の10分。この程度で慌てるのは過干渉だろう。姫様はあまり探しに来てほしくないらしく、遅れることはほとんどないが、散策で興が乗ることもあろう。
さらに10分。僕はそわそわと周囲を見回して待った。
もうさらに10分。待ち合わせ場所が視界に収まる範囲で、ウロウロと周囲を見て回る。
約束の時間からきっかり30分。僕は走り出した。
本日の姫様の2講目は国文学史。研究一筋の学生に興味がない教授で、授業は切りが良いところで早めに終わる。この講義でよく一緒にいる女子集団とは、いつも廊下で分かれ、週末はルートEを散策する。
僕は待ち合わせ場所から、姫様の散策ルートを逆走して国文学史の講義室へ向かった。昼時で静まり返った室内に誰もいないことを、机の下まで確認し、取って返して念のため食堂へ。やはりいない。その後、学内の把握している散策ルートを探して回った。
それでも見つからず、僕の焦りは大きくなる。
こんなことなら、30分も待たず、すぐ探しに行けばよかった。
僕は姫様の匂いをかぎ分けることが出来る。普通の人は出来ないらしいと知ったのはつい最近だ。
残り香からして、講義の後、ルートEを通る途中で横に逸れているところまでは気づいた。それから香りがグルグルと行ったり来たりして、後はもうわからない。
匂いは、空気中についた足跡のようなものだが、進行方向のベクトルがついていない。
一方向ならともかく、道順までは辿れない。
もう一度戻って、他にも逸れている残り香がないか確認しようとした時、奇跡的にも風上から姫様の匂いがサンドイッチの匂いと供に流れてきた。カフェ近くの露店のパン屋の小麦だ。
これまで生きてきた中で、一番速く走った。
そして、辿った残り香の先を、縋るように捕まえた。
「ローゼリカ……!!」
ああ良かった。
心配しました。
大切なあなたに何かあったら……。
もう悪い想像ばかりして。
姫様の細い腕が僕を抱きしめ背中を撫でる。
思わず涙が出た。
それを目にした姫様は、人知れず静かに感情を爆発させた。
以前、ローゼリカ様は感情が爆発することはほとんどないと言ったが、今の様に、慈愛の様な何かが爆発していることは時々ある。しかし、そういった本来穏やかに滲み出るはずの感情が爆発するのはおかしいので、これは僕の理解し得ない、名前のない想いなのだろう。
「泣かないで、クロード。待ち合わせの約束守らなくてごめんなさい」
気を取り直し、姫様は取り出したハンカチで涙をそっと拭ってくださった。その視線が、間近で僕にだけ注がれていると安心する。
「本当に悪いと思っているわ。言い訳になっちゃうけど事情があったの。きちんと説明するから許してね」
「そんなことはわかっています。ローゼリカ様が、大した理由もなく約束をすっぽかしたりなさるような方でない事は、この僕が、一番わかっているつもりです。だからきっと何かあったのだと心配でたまりませんでした」
姫様から驚きと納得と喜びのオーラが立ち上る。
「ありがとう。今回は何ともなかったけど、あなたが心配して探してくれたのは嬉しいわ。これからは頑張って約束守るからね」
泣くなんて大袈裟だとお叱りを受けても仕方がない状況なのに、今後はないように気を付けるとお約束くださった。僕の心配に寄り添ってくださった、そのお気持ちが何より嬉しい。
その信用に、僕も応える時だ。
「あなたがご無事なら、僕からはもう何も」
先ほどまで僕を支配していた焦燥や危機感まではご理解いただけなかったようだが、略取誘拐でも拉致監禁でもなく、実際には貴人への内密な対応だったのだから、状況にそぐわなかったのは僕の方だ。そもそも、学内の安全はすでに確認済みのはずである。
些細な事で騒いでいては、本当の大事で信用を失うかもしれない。
より厳しく束縛するのではなく、有事に備えて対応力を磨くべきだ。
この決意が正解だったのか、誤りだったのか、後から思い返してみてもわからない。
とにかく僕は、試練を迎える。
半年後、学年末も近づいた初夏の頃。ローゼリカ様、二度目の失踪である。
戻ってきたカフェテリアに姫様の姿がなかった時、夕暮れの学内が、一段と日が落ちて暗くなった心地がした。
秋に行方がわからなくなった後、決めておいた、有事の符牒も見当たらない。
荷物もそのままに、片された様子のない茶器と本たち。姫様のお姿だけが風景から消えている。
「ひめさま……」
いや、読んでいた本が閉じられている。しおりの位置は、お側から離れた際より5ページほど進んだ先で、記事は残り2ページだ。
ありえない。返さなければならない本を2ページだけ残して席を立つなど絶対に。
しないのではなく、出来ないのだ。残り少しのタスクを完了せずにはいられない性分。
それが本ならば尚更、たとえ王族が相手でも、何かと屁理屈をつけて読み切るのがローゼリカ様だ。
何かあった。
そう感じた途端、総毛だつ感覚とは裏腹に、ドッと頭に血が上り、何も考えられなくなった。弾かれたように足が動いた。
「御前失礼」
「待てクロード」
走り出そうとした僕の腕を、すんでのところでリュカオン殿下に掴まれた。
「今だけは無礼ご容赦を」
「君の顔色を見れば只事でないとわかる。傍を離れてどのくらい経つ」
「あ……、10分。いや、15分ほどかと」
「ウィリアム!今すぐ走って行って、正門を封鎖しろ。特別令旨を出す。私が行くまで誰も通すな」
「御意」
リュカオン殿下の思い切りの良さに驚いて、僕は少し頭が冷えた。
まだ何かがあったと決まったわけではない。お気持ちはありがたいが、もしまた前回のように僕の早とちりであったら、令旨を出した殿下の責任問題になる。
「せ、僭越ながら……」
「迷うな。もし勇み足であったとしたら、後で私が、いくらでも頭を下げてやる」
僕の目を見て、そう言い切ったリュカオン殿下は、息を呑むほど美しく、神々しく輝いていた。
やはり、殿下は当代一のお方だ。
まだ幼いのに、統率力も求心力も備えていらっしゃる。
「恐悦至極……」
殿下をお支えする姫様、そのお二人にお仕えする事こそ、僕の幸福なのではなかろうか。
リュカオン殿下の後光を浴びてカリスマ酔いしていると、
「何を言ってる、しっかりしろ!君が頼りだぞ!」
あどけなく中性的な天使の美貌とはそぐわない、雄々しい力で背中に喝を入れられて、僕らは走り出した。
「ここから正門まで、女子の足でゆっくり移動すれば15分以上かかる。抱えられていたら、移動は速いだろうが、守衛に止められ、一筋縄では出られない。ローズはほぼ確実に、まだ学内を出ていない」
「今は課外活動をしている学生の下校時間ですから、門も混み合っていて、さらに時間がかかるでしょうね」
アカデミーは防犯上、高い塀に囲まれており、出入り口は正門一箇所のみ。
学生と教師はもちろん、食堂の調理人や清掃整備の用務員、食材・教材の物品に至るまで、全て正門を通って出入りする。ゆえに、正門は設備も様相も関所のようになっており、格式の高い来賓室を備え、巨大な守衛室には大勢の護衛官だけでなく、検品のための監査官たちも詰めている。
そこから伸びた大きな並木道は、順に学生寮への通用路、通学生の馬車止まり、物品搬入路へと別れ、最後に敷地の内外を分ける外門へと続く。
外門にも衛兵が立ち、出入りを管理しているが、こちらの警備はさほど厳しくはない。
つまり、正門から出さなければ、捜索範囲は非常に狭い。先ずはそこを押さえよ、と。
「この時間帯は人目に付きやすい。万が一、賊が首尾よく正門を抜けたなら、ローズも何らかの痕跡を残しているだろう」
アカデミーは高貴なる世間知らずを沢山預かっているため、人の出入りは非常に厳重だ。
姫様も、貴族の子女として、非常時の助けの求め方は念入りに訓練されている。
「痕跡がなければ、学内に残っている確度はさらに高くなるわけですね」
「少なくとも、私が人攫いならしばらく身を潜めているだろうからな」
歩みの遅い貴族の女子が15分かかる距離でも、僕らが走れば3分ほどだ。
正門は、出られなくなった学生たちで人だかりが出来ていた。
「直属近衛従騎士隊の特別演習である!」
リュカオン殿下が、腹から出した大声で人垣を割る。
「諸兄らの協力に感謝する。さほど手間は取らせんが、やむを得ず、急ぎ帰途に就く必要のある者は前へ出ろ」
皆、早く帰りたくない訳はなかろうが、仰々しい雰囲気に気圧されたのか、おずおずと進み出たのは2、3人ばかりだった。
警戒引き上げの指示を受けた守衛が、規定通りに学生証の提示を受け、有事の為に登録しておいた符牒の確認を行う。
僕は姫様の匂いがしないその3人に興味を失った。
衛士長との打ち合わせで、別室に引き取ろうとするリュカオン殿下に耳打ちする。
「リュカオン殿下、本邸から応援を呼ばせてください」
「許可する。護衛職を一揃い連れて来い。パーシヴァル、お前も行って、兄上の従騎士隊に出動要請を出せ」
「ありがとうございます。すぐに戻るので始めていてください」
僕は再び走った。
迎えに来たバーレイウォール家の車に、至急応援の旨を伝え、それから現在停まっている他の車から姫様の匂いがしないか、念のため確認した。学生寮へ続く道にも残り香はない。
並木の大通りは、少し前から正門を閉めているせいで、誰一人歩いておらず、僕の心象を映したような、美しくも物悲しい景色になっていた。
明日で最後です。
どうぞよろしくお願いいたします。




