シンデレラ系主人公 クロードの抜駆け 5
「人狼って、意味は分かる?」
「うん。以前、姫様に薦められた物語で読んだことがある」
半人半獣。満月の夜に変身し、二足歩行の狼となる。
「ああ、ホラーとか民間伝承みたいな」
「いや、ヒロイックな内容だったよ」
人狼の主人公が、世を忍びながら悪と戦い、やがて本当の理解者を得る物語だった。
「その影響で印象がいいのね。姫様に感謝だわ」
狼の顔は表情が分かりにくいが、ハワードはほっと胸をなでおろした。
祖先は、北のルーシャン皇国でもさらに雪深い森に住む狩猟民族だったという。
「見た目に違うところはないけれど、あたしたちは人間よりずっと力が強いし、鼻も良いの。トリリオンのお家芸である心理術は、汗の種類さえ嗅ぎ分ける嗅覚の恩恵によるものよ」
狩りに適した高い身体能力を持ちながら、占いを生業とし、迫害によって流浪を余儀なくされた一族が、恐ろしげな名に反して、いかに争いを好まない質であったかは推してしるべし。
「動体視力が良いと聞いていたけど……」
「勿論それもある。だけど、そのぶん色が分らないから、目が良いと言えるかどうかは賛否の分かれるところね。どちらにせよ、鋭い嗅覚なしでは片手落ちになるわ」
「色が分らない?」
「そうよ。あたしたち人狼は濃淡の世界に生きている。だから一族の中で、あんたは特別な子なのよ」
レナードが荷物で埋まっていたソファを片してくれて、僕らはそこへ座った。話が長くなるということだろう。
「他に気になることはないか。この機会に聞いておくといい」
向かい側の机に腰掛けたレナードが言った。
「そうよぉ~。6年間毎日顔を合わせていたのに何にも教えてくれなかった家族のせいで、分からないことだらけだもんねぇ~」
「非は認める。だけど、忙しかったのは俺たちじゃなくてクロードのほうだった。姫様はクロードが気に入っていて、就業時間中ほとんど御前から下がらせない」
「へぇ、やるじゃな~い」
ハワードが再び僕の頭をわしわしと撫でた。
気になることか…。いくつかあるが、まずはこれだろう。
「僕も変身する?」
これまでの会話の断片から推測して、人狼一族の全員が変身する訳ではなく、どちらかというと珍しい体質のようだ。
姫様のお人柄を知った今の僕は、異形の姿すら恐れるものではない。なんなら獣人の方が人より姫様にモテそうだ。
だから心配はしていないけれど、確認はしておきたい。可能性があるなら心構えをしておいた方がいざという時困らない。
「あんたが獣化を発症することは万に一つもないでしょう。人と狼のバランスは、外から見えないけれど、指標はある。色を識別できるのは、人のバランスが特に強い証拠だから安心していいわ。……なんでちょっと残念そうなの?」
「そ、そんなことないよ。二つ目の質問するね。背が高いのは人狼の特質?」
最近姫様の身長が急に伸びた。追いつかれそうで焦っている。大柄が人狼の形質で、僕もいつか必ず伸びるなら安心できる。
「関係ないわね。小柄な人狼もいるわ。背が高くなかったら近侍として見栄えが悪いから、みんな必死なのよ?あんたも頑張んなさい」
「はい……」
「たくさん食べて、しっかり運動。ちゃんと太陽に当たって、夜は良く寝なさい」
「はい……」
最後の質問だ。思いがけず一族の秘密が明らかになって、話が逸れてしまったが、僕は元々この質問をするためにハワードの部屋をノックした。
「兄さんは姫様の近侍に戻りたい?」
「戻りたいかって……。どうして?お役目が辛いの?」
「大役を任された僕は、最も幸運なトリリオンだと思ってる。だけど姫様の近侍は、常に1番相応しい者であるべきだ。そうでしょう?」
ハワードは突然感極まって僕を抱きしめた。
「ああ、クロード、可哀想に。それが不安だったのね。大丈夫よ、今更仕事を取り上げたりしないわ」
「兄さんがそんな事をしないのはわかってる。僕だって簡単に譲るつもりはないよ。たとえ争うことになっても。だから正直な気持ちを教えてほしい」
「小さかったクロードが立派になって……。6年はこんなにも長いのね」
「そうだろうとも」
「お前はなんもしてないだろ。保護者面をやめろ」
しんみりしていたハワードが、したり顔のレナードにだけガッと吠えた。
しかしこれは、レナードのことは一人前だと認めていて、僕のことは子供だと思っている表れだろう。そう思うと、仕方がない反面寂しい気もする。
「そうねぇ……。何から話せばいいかしら」
ハワードは僕を犬猫のように抱えて撫でながら、思案を巡らせた。
「まずね、あんたは私の代役ではないの。姫様の近侍は、あたしたちの世代において最も名誉ある役職で、誰もがなれるわけではないけど、たった一人に与えられる栄冠とも違うわ」
幸福すぎて失念していた。目からウロコだ。
「た……、確かにそれはそう……!」
僕たちの生き甲斐のためにバーレイウォールの皆様がいらっしゃるのではなく、主のために僕たちがいるのだ。側近は必要な人数お側に上がるのが道理というもの。
「だから年上のあたしが先に出仕することになっただけで、あたしたち二人とも近侍に内定していたのよ。まだ小さいうちから、抜けたあたしの分まで姫様を支えたあんたには感謝しているわ。教育や訓練も、急に厳しくなったでしょうに、よく頑張ったわね」
長年のわだかまりが、突然氷から雪のように柔らかく儚いものになって、消えていった。
僕は兄の不幸を踏み台にして幸福を得たわけでも、努力を横取りしたわけでもなかった。
これからも、胸を張って姫様の側にいられる。
泣きそうになるのをぐっと堪えた。兄がまた僕を子供扱いしないように。
勇気を出して聞いてみてよかった。
「あたしが本邸を出たのは、獣化の安定と制御のためよ。都市部よりも、寒くて木が多い地方部の方が、狼のバランスが強くなると経験則的に判明しているの。不安定な状態で境目を彷徨うと消耗する上に、制御訓練が難しいからね」
理屈ははっきりしないが、ご領地にいるトリリオンの一族は、王都にいる本家筋よりずっと獣化の発症が多いのだそうだ。
「変身の制御にさほど時間はかからなかったけど、その頃すでに姫様の側近は上手くまとまっていて、あたしが入ってバランスが崩れることは避けたかった。短期間で結果を出した弟の努力を無駄にするなんて、兄がすることじゃないもの」
「上手くまとまったのは、僕の努力じゃなくて姫様がご立派だったからだよ」
「あんたの努力は本物よ。確かに姫様は慈しみが深くて大人びた方だわ。ローゼリカ様が惣領にふさわしい方でも、次世代の後継者が一人きりではとても足りない。それであたしは、人事業務を手伝いながら、バーレイウォール家の親類縁者から人材を探していたの」
「じゃあ、イリアス様が本邸へいらしたのは兄さんが声をかけたからなんだね」
「それが……」
兄は悔しそうに、くっと歯を食いしばった。狼の姿だと、大きな口に鋭い牙が剝き出しになり、いっそう凶悪な雰囲気である。
「イリアス様のお父上の研究に出資する段取りと、その家に見事な赤毛の娘がいることを突き止めたところまではあたしの手柄だったんだけど……イリアス様を見出されたのは、上様ご自身だったの……!あれほどの逸材を見落とすなんて……!不覚!」
「イリアス様なら、きっとどんな形でも頭角を現されたはずだよ」
「ええ、そうね。イリアス様は次世代の中核を担う人物になるでしょう。そんなお方の近侍として呼び戻していただけたのは、我が身の僥倖だわ。イリアス様に、バーレイウォールの道を選んでいただけるよう尽くすつもりよ」
微塵の後悔も見せない兄だが、やはり少しばかりの未練はあったのではないだろうか。
これは僕の勝手な想像だけれど、相応しく、新しい目標として、仕える主を探していたのではないか。そうやって、強引にでも未練を断ち切ろうとするハワードは前向きで強い。
「頑張るあたしのこと、クロードも見守っててね」
「うん」
僕と同じ、明るいヘーゼル色の兄の瞳が、水分を含んでキラキラ輝いていたかと思うと、急に色合いを変えてギラギラし始めた。
「今度はクロードの話も聞かせて?姫様たっての希望で、領主免許を取りに行くことになったそうじゃない?」
今日の話なのに、さすが耳が早い。その意味するところも充分わかっている様子だ。
「バーレイウォール家が、結婚相手に直感と相互理解を重視されるご家風なのは知っているでしょ?だから姫様のご意志だけでなく、あなたの気持ちも確認しておく必要があるの。姫様のお気持ちに応えるつもりはあるのかどうか」
真面目ごかして言う割にワクワクが隠し切れていない。要はそういうことなの?どうなの?と。
こういうノリなのか……。反対されるかもなんて杞憂だった。
「アカデミーには行くよ。でも姫様は通学に道連れが欲しかっただけで、全然そんなんじゃ……というか、もうそろそろお年頃のはずなのに、全く恋愛に興味が無さそうだから、どうなのかな……」
僕ばかりが頑張ってもどうしようもない。同様の虚しさを、リュカオン殿下も感じていらっしゃることと思う。なかなか熱心な行動とお見受けするが、熱風を受けてもまるでなびかない、レース網の帆のような方なのだ、ローゼリカ様は。
僕やイリアス様が投入されたのも、現状を憂いた上様が、タイプの違う選択肢を増やすため、それからカンフル剤としての役割を期待してのことだと推察する。
「それに、ハワード兄さんは、てっきりイリアス様を推薦するもののかと……」
「は?お可愛らしい姫様が、妹になるより素晴らしいことがこの世にあるなら、あたしにも教えてちょうだい」
「いやないな。あるわけないだろ」
それまで黙って話を聞いていた次兄のレナードまでもが猛烈な勢いで割り込んできた。
「そうよね。あるわけないわ」
兄たちは目がマジだ。冗談なのだとしたら演技派だし、本気なのだとしたら怖い。確かめる勇気が僕にはなかった。
「イリアス様は素晴らしい方ではあるけど、姫様がまだまだお子様なのだとしたら、尚更クロードに勝ち目があると思うわ」
「上様もそこを見込んでお話を下さったのではないか?」
レナードもいつのまにか椅子を近くに持って来て身を乗り出している。我が一族は基本的に大柄で、二人とも190超えの大男だ。圧迫感がすごい。
「きっとそうよ。なにせ人狼はモテるから。あたしがこんな喋り方してるのも、モテすぎて仕事に支障が出るからだもの」
なんだ、それは。自分で言うようなことか?本来自分で言うべきでないことを自信満々に言うからには、気のせいではなく個人的でもないレベルで、めちゃくちゃ、ウルトラハイパーメガトン級、驚天動地天変地異MAXモテるというのか。聞き捨てならない。その話くわしく。
「ん?行く先々で、メイドが告白する順番で喧嘩しちゃってね。色々キャラ変してみて一番円満だったのがこの方法。話し方と仕草で、好意を異性から女友達的なものにすり替えてるの」
「いや、そこじゃなくて!」
僕がもどかしそうに詰め寄ると、ハワードは声を上げて朗らかに笑った。
「人狼は男しかいないのよ。これがどういうことか分かる?」
そして大変得意げに解説を始めた。
「母親は人間の女性……。あっ、人狼は男でも出産できるのか……?」
「出来るか。そうじゃない」
変身できるのだから、それ位いけるかと思った。人外のさじ加減、よくわからない。
「最初の方向性でいいのよ。母さんどう見ても女性でしょ。人狼が男でも出産できるなら、モテる話消し飛ぶでしょ」
「そ、そっか。そうだよね」
「俺たちは、異種族というハンデを乗り越えて選ばれなければならない。当然、人間の男と同じ条件で争ったら負けて滅びる」
突然、話がモテから種族存亡に……。
「だからね、なるべく簡単に好意を持ってもらえるように、あたしたちの身体からは女性が好む匂いがするのよ」
「効果や実用的な研究は進んでいるが、あまり原理的な内容は解明されていない。とにかく、我々は良い匂いを周囲に振りまいているので、好意を常に嵩上げ状態だ」
「それは有利だね。他と同じことをしても、僕らの方が好かれる」
0を1にする労力は、1を2にするより遥かに大きいという。
ただ近くにいるだけで最初の難所をクリアできるなら、競合相手をスタートダッシュで出し抜ける。
「素早く好感度を稼ぐということは、それだけ沢山の人から好きになってもらえるということよ」
「なるべく間口を広く。それが俺たちの生存戦略だ」
「そうやって大勢の中から、種族の溝を忘れるほど愛する人を見つけるの」
ロマンチックなのか、身も蓋もないのか、どちらかにしてくれないだろうか。
「もちろん、有利なのは最初だけだ。地道に愛情を育んでいく必要があるのは人間と変わらない」
「う~ん……。それだと結局僕の有利にはならないような……」
「一対一のつがい制度が人間の基本的な生態である以上、一歩でも前に出れば、ほとんど勝ちよ。逃げ切り勝負で人狼は負けないわ」
「もっと自信を持っていい。バーレイウォールのご息女の約3分の2はトリリオンの男が賜っている」
「3分の2って結構な割合だね。もしかして、トリリオンの人間に、バーレイウォールの家名を継がせられないのは、人狼だからじゃなくて……」
「そんなことしたら、あっという間にトリリオン家が吸収されちゃうから止めようって家訓で決まってんのよ」
恐るべし。人狼の嫁獲得能力!
「あ、そうだ。最後にもう一つ」
僕の中で、フワフワしてよくわからなかったことの理由を聞くことが出来て、不思議なこと全ての解答を、兄が持っているような気がしてくる。
「姫様のお顔を見ていると無性に腹が空くんだけど、これって人狼の体質か何か?」
「なにそれ……知らないわ。怖……」
えぇ……。




