シンデレラ系主人公 クロードの抜駆け 4
伴侶候補に選ばれて、嬉しくない訳ではない。
姫様の夫となる者はこの国で一番の果報者だ。リュカオン殿下もイリアス様も、その果報を受けとるに値する傑物である。
問題は、僕には全く勝ち目がない点だ。
幸運を掴むチャンスを与えられれば誰もが喜ぶのと同様に、勝算のない戦いを強いられれば、無力感を味わうのが人の道理である。
お相手がリュカオン殿下お一人の頃はまだよかった。どんなに素晴らしくとも、押し付けられたレールには反感を覚える場合がある。僕は敷かれたレールから逃げ出した姫様を出口で待っていればいい。
しかし選択肢が複数用意されている場合は、そうもいかない。数少ないとしても、自分で選び取ったという事実が、満足感と覚悟を産む。
加えて言うと、人間は三つの選択肢のうち、真ん中を選ぶ傾向がある。最も悪い選択である僕が選ばれる可能性は万に一つもないだろう。心理技能で姫様のお心を少し傾けたくらいでは、二人の貴公子と僕の人間的魅力の差はいかんともしがたい。
僕は一日の仕事を終えて、衣服を緩めながら使用人寮の廊下を歩いた。
先日王宮へお供した時のような特別な日でなくても、僕とシャロンの就業終了時間は早く、夕食前である。ローゼリカ様はことの他入浴がお好きだが、その後の肌と髪の手入れには多大な時間を要するため、午後の空いた時間に済ませてしまわれる。就寝の準備、明日の準備を整え、片づけて、夕食へ送り出し、僕たちはそこでお役御免だ。ダイニングでは専門の給仕が付き、その後は僕たちが整えておいたお部屋で、勉強や読書、それにまつわる空想で一人過ごされる。
姫様はご自分と同じ年ごろの子供が遅くまで働くことを良く思っていらっしゃらない。それからお一人の時間を大切にされているのも本当だ。
寮の一階には食堂、シャワールームがあり、早朝から深夜まで人が行き来している。
主人たちが食事している間に、キッチンとダイニング以外の者も大抵食事を済ませるため、今の時間帯、食堂は混み合う直前、配置の者は準備万端整えて寮生を待ち構えている。
メニューは何種類か組み合わせて選べるが、店ではなく寮のまかないなので、バリエーション豊富とはいかない。出されたものを食べる。それが道理だ。
僕は選んだ総菜を全部大盛にしてもらって、トレイにパンを積み上げ、ペロリと平らげた。
今日も姫様のおかげで飯が旨い。
やむを得ない事情で仕事が長引く時、あるいは上様、お方様がお忙しい時には、お部屋で姫様と一緒に夕食をいただく。
そのひと時は僕の至福だ。
少しでも長く時を過ごせる事、同じ食卓を囲んで同じものを分かち合う事。これだけでも幸福なのに、見ているだけで腹が減る姫様のお顔を見ながらの食事はとても美味しい。
身体的精神的な相乗効果により、単純に少なく見積もっても4倍は旨い計算である。
僕は姫様のお顔だけでパン一斤食べ切れる。冗談抜きで。
昼食は友人や同僚と食べることが多いけれど、少し早上がりの僕は微妙に周囲と夕食の時間が合わない。家事使用人でないケンドリック、フィリップたちは時間が不規則だ。
持ち場を離れられない警護職用に用意された携帯食を数個貰らい受け、食堂をあとにした。
人生における食事の回数は限られている。至福をなるべく沢山享受するためには、結婚の選択肢が断トツ有利だ。これが今現在の最も高い目標。
反対に、絶対譲れない最低ラインの目標は、この命ある限り姫様のお側にお仕えすること。
懐の深い、また信頼関係を築けそうなリュカオン殿下かイリアス様を御夫君と戴けば、この目標は達成したも同然。僕はお二人を支援しつつ、器の小さい有象無象を排除する。
この計画はさほど難しくない代わりに、やはり最低目標だ。見通しが明るいだけで、他人に命運を握られていることに変わりはない。信頼があるとはいえ、この先誰の気がどう変わるか分らない。他力本願は確実な策とは言えない。
よって僕は最低ラインを死守しつつ、最高目標へのルートを潰さないよう立ち回っていく必要がある。
こうなると、僕の勝算はあえて選択肢として上がらず、親の支配を抜け出た先に転がっている拾い物でいることだったのだが……。
嘆いても仕方ない。最も幸運な男になることが容易でないのは当然だ。
アカデミーに通うことに決まってしまったし、少し勉強でもしておこうかな。
階段を昇り、自室に帰る途中で、先週まで空き部屋だった部屋から人の声がしてはっとした。イリアス様の近侍として、ご領地で療養していた兄が約6年ぶりに帰ってきている。もともと姫様の側近となるはずだった長兄のハワードだ。
そうだ、この問題もあった。
僕の地位は、ハワードの代わりに手に入れたもの。兄は僕の野望についてどう思うだろう。
それに療養から帰ってきたということは、病気が良くなったのだ。
やはりローゼリカ様にお仕えしたいとは考えないだろうか。
恐ろしいが聞いておかなければ先には進めない。
一瞬迷ってから、深呼吸して覚悟を決め、扉をノックした。
「クロードです。兄さん、相談したいことが」
「どうぞ入って」
僕は目線を下げて部屋へ入り、扉を閉めた。引っ越してきたばかりの室内はまだ散らかっている。
二人分の気配。顔を上げると次兄のレナードと狗頭の大男が目に映った。
「に、兄さん!!」
なんだアレ!レナードが危ない!気付いていないのか!?
僕の呼びかけに目の前の二人が同時に振り返る。
「どうした、急に」
「そんな大きな声じゃなくても聞こえるわよ」
2人は打ち合わせをしていたようで、レナードは、すぐ隣にいる毛が生えた顔に大きく裂けた口を見ても平然としており、それよりも僕の様子を気にかけている。そして狗頭の大男からはハワードの声がした。
「ハワード……?」
ここは長兄ハワードの部屋だ。柔らかな物腰も口調も本人そのもの。人の仕草をつぶさに見分けるトリリオンの観察眼を誤魔化すことは、現実的でないほど難しい。不思議そうに僕を見ている狗頭の男から声がするなら、きっと本人なのだろう。
この場で僕だけが混乱している。
レナードにはアレが見えていない?僕の目がおかしいのか?でも昼に見かけた時は普通だった。なぜ急に……。
「あらぁ、あんた見るの初めてだったかしらぁ?」
狗頭のハワードが、合点がいったようにカラカラ笑った。
次兄のレナードも、ハワードと僕を見比べて納得の声を上げる。
「ああ、そうか。言われてみればそうかもしれない」
「初めてっていうのは……その、……顔……のこと?」
探りながら慎重に言葉を選ぶ。
「あんたはまだ小さかったし、びっくりすると思って詳しく事情を話さなかったんだっけ」
「急な進路変更で慌ただしかったから、ゆっくり話す時間もなかったものな」
ハワードが本邸を出たのは、もう6年も前のことだ。二人の兄は顔を見合わせて当時に想いを馳せている。5歳と4歳年上のハワードとレナードは、背も伸び切って、髪を撫でつけ、責任ある仕事を任されている。僕から見れば年の差以上に大人の男だ。
「仕方がないわ。約50年ぶりの発症で、父さんだって忘れてたんだから」
「そろそろ誰か出るとは言われていただろう」
「だからって自分が当たるとは思わないわよぉ」
6年前に発症して、急な進路変更。つまりハワードはこのせいで、ローゼリカ様の近侍を辞退したということか。
「ハワードの病気ってこのことだったんだね?」
「発症と言っても、正確に言うと病気とは違うんだけど……、ま、似たようなものではあるわね」
ハワードは、よっと掛け声とともに頭を振って、人間の頭に戻った。
目鼻の位置が変わり、体中の毛皮が皮膚に吸い込まれて、少し小さくなった。
「わああ……」
「とまあ、このように、自分でバッチリ制御できるようになったから、今後は心配いらないからね」
裏を返せば、発症直後は意思に関係なく変身してしまったということだ。
それならば僕も、ハワードと同じく、大役を辞退する選択をしたかもしれない。
異形の姿となった戸惑いと混乱の中で、他でもない主人に拒絶されてしまったら……。
想像するだけで心臓が痛くなる。
何かの拍子に壊れてしまう関係を望むのは蛮勇だ。信頼なくして近侍の職は成り立たない。途中で交代するより、初めから人に譲った方が賢明である。
無論、ローゼリカ様なら、異形をものともせず、それどころか目を輝かせて、しっぽの付け根の状態や耳の位置の移動過程について、興味津々に質問されるに違いない。しかしそれは、お仕えして人となりを知った今だから言えることだ。
ハワードはもう一度身震いして再び狗頭になった。
いやこれは、狼だろうか。俗にいう狼男。
髪色と同じ黒の毛皮がふさふさと全身を覆う。鼻が長く伸びて、歯が全て鋭く尖った。上背は耳の分だけわずかに高くなったに過ぎないが、上腕と胸筋が発達して膨れ上がったので、二回りほど大きくなったように錯覚する。実際窮屈なのだろう。ジャケットはすでに脱いでおり、シャツとウエストコートは前が全部はだけている。その分足は短くなっているようで、ズボンの裾が余っていた。ウエストのサイズは変わらず、破けていないのは幸いだ。
「今日はこっちの姿の方が楽なの。慣れるまでは怖いでしょうけど許してね」
「大丈夫。それに格好いいと思う」
洗練された物腰は変わらないし、狼の姿であってもフォルムが垢抜けている。変身しても格好良さを維持できるなんて、ハワードはすごい。
「そう?ならよかった。ありがとね」
あまり長くはないが、鋭い爪が付いた手で優しく頭を撫でられる。ついでに言うと肉球はなかった。
「毛が一瞬で生えるのはともかく、引っ込むのはなんか不思議だな……」
「そこが気になるのぉ?」
ハワードは明るく笑う。
「そうねぇ、言わんとすることは分らないでもないけど、いちいち抜けて生え変わっていたら、カサが減っちゃうじゃない」
こんな一瞬で変身するとなると、それもそうか。
質量保存の法則として、どちらの現象が妥当なのか悩むところだ。
急激な変化は身体に負担を掛けそうだが、正確には病気でないというからには、共感覚と同様に一種の誤作動ではあっても身体的な不利益はないということか。
「原因は解明されてるの?」
「原因?変身はトリガーというより、バイオリズムによるところが大きいわ。普段は人間のバランスの方が強いんだけど、あたしの場合、満月前後の夜だけ狼のバランスが強くなる波が来る感じ」
「そっか。いつでも無理して調整してるわけじゃないのはよかった。そもそも発症する原因や条件みたいなものはあるのかなって思ったんだけど、どうかな?」
「そりゃあ、あんた、ち…………」
ハワードは言い淀んでレナードの方を見た。
「ち?……血?」
「あ、いや……。発症の条件は分らないの」
「症例が少ないような口ぶりだったから、解明は難しいのかもしれないね」
ありふれていることだって原因が解明されていないことは数多くある。眼鏡の人が沢山いても、何故目が悪くなるかさえわからないのだ。
「珍しいだけで、誰でもなるのかってちょっと思っただけだから、気にしないで」
兄の言い回しがところどころ不可解なので、不思議に思った点を質問してみただけだ。
しかしハワードは僕の予想以上に困惑してしまった。
「ねえ、あたし、嫌な予感がするわ」
「そうだな。話が嚙み合っていない」
うろたえるハワードに頷くレナード。
「なんで?あたしが行った後、誰も話してあげなかったの?」
「うーん……。きっと叔父さんあたりが気を利かせてくれて……」
「お前がなんもしてないってことだけよくわかった」
ハワードはどすっと重量のある肘で小突くようにレナードを押しのけた後、かがんで僕の目を覗き込んだ。
「あのね、クロード。杞憂ならいいんだけど……もしかして、自分のこと人間だと思ってる?」
「えっ?……違うの!?」
僕は体格の良い兄たちと比べてまだ小さい自分の体を見下ろした。
変身したこともないし、薄着になっても、シャワールームでも、他の同僚と違うと感じたことはない。他人の身体など注意深く見ないのが普通だが、実を言うと僕は、事故で姫様の着替えや裸も見たことがある。基礎教育の授業で習った男女の違い以上の差異は認められなかったはずだ。
というか、兄たちも人間ではない?
「誰かが話していると思ったんだがなあ」
レナードは淡々と他人事のように言い、ハワードは額を抑えてため息を吐いた。
「いいこと?あたしたちは人狼よ。トリリオンは人狼の一族なの」




