シンデレラ系主人公 クロードの抜駆け 2
事件をきっかけに、僕の忠誠は兄への罪悪感を上回った。
恩寵と忠誠は、バーレイウォールとトリリオンの絆だ。
僕もようやく、主のことを一番に考える本当の近侍になれたのだ。
ところが心境の変化とは裏腹に、僕は業務中ぼんやりと惚けてしまうことが多くなった。
無意識に二回も同じ業務を繰り返してしまったり、気が付けば予定の時間を過ぎていたりする。
誕生日の祝いにと、姫様から金の懐中時計を頂戴した時も、あろうことか御前にて恍惚としてしまい、ご心配をお掛けしてしまう始末だ。
その様な事が続いた後、上様のお部屋へ呼ばれた僕の、戦々恐々とした気持ちがお分かりいただけるだろうか。
少なくともお叱りを受けるだろう。最悪、職務を解かれることもあり得る。
深呼吸をして、震える手で書斎のドアをノックした。
「クロードです」
「入りなさい」
上様の返事があり、中から父が扉を開けてくれた。それから応接用のソファを指し示される。
「掛けなさい」
「えっ」
僕たちは主人と同席しない。飲食の同席を所望されるローゼリカ様が特別変わっているのだ。
着席を促されるとは思わず、隣の父を見上げると、父は頷いた。それから自分が先に座って、僕の手を引く。
一体何が始まるのだろう。
僕はまたどっと冷や汗をかいた。
こうなってしまうと、もう相手の表情や動作を読むどころではない。
「近頃体調が良くないと聞いている。大した事ではないがミスが多いとか。仕事や身体は辛くないか。気分が落ち込む事はないか。気になることがあったら何でも言いなさい」
体調?全然話が見えない。
ミスが多いのは、気分が落ち込んでいるからではなく、フワフワ浮ついているせいだ。
体調も悪いどころか、むしろ健康すぎて、腹が減って減ってしょうがない。
尋常ではなく腹が減りますなんて、上様にはとても申し上げられない。
「……」
「あまり思い出させたくないと機を見ていたんだが、一度きちんと謝らせて欲しい。荘園でのこと、恐ろしい思いをさせて済まなかったね」
あの変質者の話?確かに怖かったのだろうが、そんなものあれから一度も思い出した事はない。そもそも覚えてもいない。
僕の思い出はキラキラと輝く姫様の登場ですべて上書きされている。
「いいえ、上様のせいではありません。どうかお気になさいませんように」
「子供が恐ろしい目に遭うなんて、あってはならない。管理下にある場所で、誰もが油断していた。だからその責任は私たち大人にあるんだ。お前の父上と一緒に、出来ることはなんでもやっていくつもりだよ」
「本当に、大丈夫です。あの時は恐ろしかったですが、今はもうなんともありません」
「しかし……」
遠慮していると思われているのか、上様はまだ気がかりなようだ。
見栄のために、主君に心配をかけるなど、トリリオンの矜持に反する。主の憂いを払うことが我らの存在意義だ。
「上様、恥を忍んで申し上げます」
僕は意を決して顔を上げた。
「近頃ミスが多いのは、ものすごく腹が空いて、注意力散漫になってしまうからです!!」
もじもじしていたら、きっと余計に格好悪いと意気込むあまり、とても元気に腹減り宣言してしまった。
大きな声で一体何を言っているのだろうか。人間慣れないことはするものじゃない。
「うん。お前は成長期だ。腹が減るのは仕方がないことだね」
あっけに取られた上様の表情が、余計に羞恥心を膨れ上がらせ、そして爆発四散した。
後はなるようにしかならない。僕は投げやりな気持ちになった。
「あの、ですから……。体調面に不安はありません。今一度気を引き締めて参りますので、今後も近侍としてお仕えする栄誉を賜りたく存じます」
「そうか。あの子はお前を気に入っている。これからも頼むよ」
「ありがとうございます!」
「ただし、不調を感じることがあったら、すぐ大人に相談しなさい。不調というのは、軽微なうちに直した方が、自分にも周囲にも影響が少ないものだ。賢いお前なら判るね。我慢は禁物だよ」
上様が判ってくださってよかった。
「心得ました。姫様のお側にさえ居られれば、きっと僕は大丈夫です。仕えるべき主人を見つけた喜びで、明かりが灯ったように胸が熱く、多幸感とやる気に満ち溢れているのです。これでやっと一人前のトリリオンに成れたと自負しております」
「へぇ、そういうモノなのかい?」
上様が気さくに父を振りかえると、父は戸惑ったように首を振る。
「なんです、それ……。知りません。怖……」
「えっ!?」
「えっ?」
2人同時に驚きの声をあげて固まってしまった。
この充足感、良き主にお仕えできるトリリオンの習性でないというなら何なんだ?
「ま、まあ食欲があって、やる気もあるなら心配は要らないね。励みなさい」
「は、はい。勿論です」
「それはそうと、クロードは、学校へ行くつもりがあるかね?」
また急な話で、僕はびっくりして目を丸くすることしかできない。
「ええと……。使用人寮の勉強室で、基礎教育の過程は終了しておりますが……」
この国の子供には、七歳ぐらいから六年間、学校や家庭教師によって基礎教育を施すことが定められている。場所はどこでも良い代わりに、教師は資格を持った人間でなければならず、国が定める試験をクリアして証書を発行してもらわなければ、過程を修了したとはみなされない。学校は裕福でない家の子供でも通えるように、国費により給食が出るなどの工夫もされている。
バーレイウォール家使用人の子供たちは、トリリオン家が主催する勉強室で、基礎教育と礼儀作法、職業訓練の授業を受ける。通常より少し短い期間で卒業したが、僕も多分に漏れずそうだ。
「お前にその気があるのなら、アカデミーへ行き、領主免許を取得してはどうだろう」
基礎教育を終えた後、一部の秀才と裕福な家庭の子女のみが高等教育機関へと進学する。王立学院、通称アカデミーはその最高学府であり、領主免許が取れるのはそこだけだ。
我が家は使用人といえども、名門バーレイウォール家の家老であり、ひと世代のうち10人程度はアカデミーを卒業する。
「姫様の従者として、一緒に通わせていただけるのでしょうか?」
「いや、お前自身の将来の話だ。ローゼリカの傍に一生いる方法は、近侍でいるだけじゃない」
上様は底が知れない瞳で、僕の内面を見透かすようにじっと視線を注いだ。
「トリリオンのお前に、バーレイウォール当主の座はやれないだろうが、相応しい爵位を継いで、別の立場からローゼリカと我が家を支えることも出来るのだよ」
言葉の意味を瞬時に理解し、僕は思わず目をそらすために叩頭した。
「そんな!……そのような大それた……とんでもない……」
本当だ。姫様はこの胸の輝かしい忠誠を捧げるべきお方。父や兄と同じように、伴侶とは違う絆で、多くの民の命を預かる惣領の、御身と志を守るのがトリリオンの誉だ。
一方、頭の隅で冷静な声がする。
いや、嘘だ。我が一族は何度もご息女を賜った家柄。それも立派な役目の一つと期待していたはず。たとえ純粋な敬愛だとしても、ずっと、誰よりも長く近く傍に在るためなら、手段も立場もどうでも良いと頭によぎった自分本位な想いを、邪と言わずして何というのか。何も疚しくないのなら、上様の目を見て同様に誓ってみるがいい。
僕は顔が上げられなかった。
「道が沢山あると知ってくれたなら今日はよしとしよう。気が変われば言いなさい」
この敬愛の為に手段を選ばなくなったら、おそらくそれは欲にまみれた野心と見分けがつかない。兄の無念を卑劣な方法で裏切る行為だ。
ただ近侍として尽くせばいい。そうするべきだ。近侍として常に一番に選ばれるように、努力し、研鑽を重ねるべき。それが正道であり、僕の道だ。
しかし……、姫様の幸せと僕の幸せが同じもの……だとしたらどうだろう?
ローゼリカ様の幸福のためならば、あらゆることは正当化される。
この時、ケンドリックと同じタイミングで学院に通うことは辞退したが、僕の心には密かな望みが根を張った。
14歳になり、今度は姫様と一緒に進学する打診を受けた時は、以前よりさらに前向きな気持ちになっていた。お側を離れて学校へ通うのではなく、通うことでお側にいるならば、近侍の仕事の範疇だと思ったし、進学は単なる備えであり、僕の野心も敬愛も関係ない。むしろ不測の事態に備えておくことは、近侍として正しいことだ。
というのも、ローゼリカ様はリュカオン殿下と親密にしていらっしゃる割りに、縁談がなかなかまとまらなかったからだ。
リュカオン殿下はこれ以上を望むべくもないほど、理想的な結婚相手であるばかりか、お二人は性格の相性が良く、表面的だけでなく仲が良い。
それなのに婚約へと話が進まないのは、仲が悪い以上に厄介な問題だ。
ローゼリカ様は殿下に好意的な感情を持っていらっしゃるが、同時に恐れてもいる。執着と忌避の複雑な感情が混ざり合っている。
あまりにも信頼を得る近侍は配偶者に疎まれることがあるけれども、リュカオン殿下ならば結婚後も僕を遠ざけたりはなさらないだろう。僕としてもありがたいお相手だ。
僕は人の感情が読み取れるだけで、心の声が聞こえるわけではないので、複雑な思考はわからないが、実は王室に入ることに抵抗があるのかもしれない。あるいは王族の公務が性に合わないと感じているとか?
僕にお鉢が回ってくる可能性が出てきた。
ローゼリカ様を訳の分からない家へ嫁がせるわけにはいかない。
ましてや、僕と姫様を引き離そうとする、器の小さな者との婚姻は断固阻止する。
となると、姫様の結婚相手探しは困難を極める。
求められた職務を果たすのがトリリオンの使命だ。備えは常に万全に。
姫様のお側に居られるなら、どんな形でもいい。
僕の葛藤を嘲笑い、揺さぶりをかけるように、14の初夏、新たな伴侶候補が屋敷へやってきた。
順当に行けば7回分5/7まで毎日更新します
よろしくお願いいたします
 




