『近侍』は下剋上の夢を見るか?
かつて、執事の時代があった。
猫も杓子も執事執事!ドラマも漫画も小説も。あらゆるメディアが執事モノに手を伸ばし、一大ムーブメントを巻き起こした。
古き良き執事を愛する者の中には、新興勢力との反目もあった。だが誰も執事の魅力には抗えぬ。
議論は議論を呼び、表層に浮かぶもの、深層に沈むもの、混然一体となって皆執事の熱に浮かされたのである。
然して人々の熱狂も冷めやる日がやってきた。執事帝国が栄華を誇ったその跡地には、執事ジャンルという新たなトロパイオンが確立したのであった…。
過ぎ去りし栄光を偲んで歌います。
それでは聞いてください。
『執事はお嬢様のお付きではありません』
『執事』というのは、男性使用人の管理職であって、家の規模によっては身の回りの世話を受け持つ当主の『近侍』と兼任していることもある。つまり、お嬢様に執事が側仕えしている時は、一族全員死に絶えて、そのお嬢様が当主である状況に他ならない。ハッキリ言ってラブコメしている場合ではない。
そりゃあ執事はいいものよ。顔面偏差値と高身長が給金に反映するフットマンの上級職ですからね。長年の経験に裏打ちされた所作の上品さと気配りの良さによって出世したイケオジですからね!その魅力が判らない者は去るがいい!
若い執事も良いでしょう。人の数だけ萌えがあっていい。ただその場合はきちんと設定を作りこんでほしいだけなの!お屋敷の規模が小さいとか実は悪魔だから若く見えるだけとか!じゃないとお屋敷の内情が気になって気になって、話が全然入ってこないタイプの面倒なオタクなの!本当に執事を愛しているなら、そこにひと手間かけてくれたっていいじゃない!!
そんな執事には一家言ある私も、執事研究が進んで近侍や従僕という言葉が出回り始めてからは、にっこり笑顔となったのである。
うちの執事もまだ中年でまあまあ若いのだが、それは外から人を雇い入れずに家臣たちだけでまかなっているからだそうだ。うちの場合、家族全員に付いている近侍ならば、さらに若くても仕方ない。それでも10歳の近侍は若すぎると思うけれど。
八歳の誕生日から三か月が過ぎた。私は勉強と習い事に勤しんでいる。歴史書が面白く、読み漁ったのと、理科である自然科学が前世と同じだったので、授業は算数以外も足りない所を補う形となり、基礎教育は修了間近だ。おかげでシャロンが泣きそうになっている。
もう少しシャロンの理解度に進行を合わせて、応用と習熟度を高めることとした。
一方護身術の授業では、クロードが短期間でメキメキと腕をあげ、私との差は歴然となってしまった。今後はシャロンと一緒に訓練するそうだ。運動なんか大嫌いな私の気持ちのせいなのか、脳処理的なソフトウェアのせいなのか、今世でも私の運動能力には期待出来そうにない。痛くて苦しい護身術の授業が一人きりなのは憂鬱だけど、荒事イベントが来た時後悔したくないから頑張ろう。
「ありがとうございました…!」
護身術の授業を終え、長い長い溜息と共に講師に頭を下げた。
今日までは一緒に授業を受けていたクロードが汗を拭くタオルを差し出してくれた。息が上がってへたり込んでいる私とは違って、涼しい顔をしている。
「お疲れ様でした。今日も頑張っていらっしゃいましたね。ご立派です」
「ありがとう~。クロード優しい~」
生きているだけで褒めてくれるクロードBotの癒しは聖母級。
講師と入れ替わりに大人の従僕が一人入ってきて、ひそひそとクロードに耳打ちし、すぐに練習場から出て行った。
「では、姫様。お召し替えに参りましょう」
「次はダンスの稽古でしょう。このままじゃダメ?」
「ひとまずお部屋に。お仕度しながらお話します」
若すぎる近侍クロードは、まだページボーイでもおかしくない年齢でありながら、すでにどこに出しても恥ずかしくない、痒い所に手が届くような完璧な仕上がりを見せている。
しかしヒロインが侍女のシャロンである限り、クロードのポジションは頼りになる先輩だ。しかも癒し系で守ってあげたくなるタイプの。
近侍設定、生きて無くない?
こんなにいい近侍がいるのに『逆玉の輿ストーリー』がないなんてシナリオライターは何考えてるのかしら。ポンコツ?それとも節穴?
そもそもだ。
『執事とお嬢様の恋』もとい、『近侍とお嬢様の恋』の萌えどころはどこにあるか。
それは『障害』と『秘密の共有』と『立場の逆転』にある。
二人を引き裂く身分の差という『障害』。普段は従順で仕事に徹する男性使用人が、二人きりの時のみ見せる『秘密』の顔がギャップと非日常を生み出す。普段は抑え込んでいる執着と愛情が、短い逢瀬に寸暇を惜しんで極端に爆発する。そうして女主人の所有物であることを望みつつ、自分も相手を所有したいと望む『下剋上』の浪漫こそ醍醐味だ。
実のところ性質の属性は何でもいいのだが、従順である事を良しとしないドSタイプだと、放っておいてもグイグイ来て展開がスムーズなので多く採用されている。
しかし『近侍』はお嬢様とセットの時のみ『近侍』である。侍女と近侍では、関係性は『同僚』だ。ゆえに、シャロンとクロードとの間に『近侍』の恋は成立しない。
ちなみに、『春琴抄』に見られるような、男が慎ましやかで下剋上が起きないパターンを、私は勝手に『下男とお嬢様の恋』と分類している。類似形だが関係性と萌えどころは全く違う別物だ。
ともかく、どんなに近侍設定を惜しんでもシャロンがヒロインである限りは仕方がない。クロードは同じ職場の先輩キャラにジョブチェンジだ。
『先輩と後輩の恋』。これもまた王道の一つである。汎用性の高さから、オフィスモノにも学園モノにも、それこそ現代風からファンタジー風まで広く散見される。
幅広過ぎてシチュエーションが多岐に渡り、その魅力を一言に言及するのは難しいが、敢えていうなれば『身近であること』だろうか。
親近感がわけば臨場感が増す。共通項があれば素敵な妄想にも磨きがかかろうというものだ。
予想されるシナリオは、主人である私の悪逆非道に堪える二人の間に絆と愛情が生まれるというあたりだろう。うーん、さすが。悪役令嬢として私のスペックに不足はないわ。
だからと言って虐めて二人の仲を応援するのは、下手をすれば死亡フラグにもつながりかねない危険行為である。勘弁してください。
ごめんね、クロード。私の意地悪が無かったら、シャロンはあなたのルートには入らないかもしれないけど、もしそうなった場合でも、あなたにはちゃんと可愛い恋人を見繕ってあげるからね!
「姫様?」
いつの間にか自室に着き、クロードが扉を開けて隣に控えている。
「あ、ごめんなさい。ぼんやりしていたわ」
ぼんやりっていうか、本当は近侍語りに忙しかったんだけど。
「お疲れでしょうが、もうひと頑張りお願いします」
クロードが申し訳なさそうに促す。
部屋に入ると、中で待っているシャロンがドレスを広げてみせた。
「ご準備出来ております」
「えっ、そんな気合の入ったやつ着るの?今日何かあった?」
子供用なので足さばきが良いように丈はひざ下だが、ワンピースではなくドレスと呼ばれる代物だ。淡い髪色を引き立てる濃い臙脂で、フリルもレースもなくシンプルだが、たっぷりのタックとドレープで、光沢とシボのある厚手の織生地が贅沢に使われている。さらに同じ色の糸で全面にバラの縫い取りが施され、光の加減によって時々花が浮かび上がるようになっている。
「実はリュカオン王子が」
「えっ、今から来るの?断って明日にしてもらったら」
私も策を練りたいからね。
『実は高貴な血筋を引いていた』とかいう出生の秘密もなさそうなので、メイドであるシャロンが妃になるためには、王室の安寧を揺るがす大事件を解決するというエピソードが必要不可欠になってくる。リュカオンルートならば事件が起きる。これは絶対だ。
しかし陰謀の類は我が家の浮沈にも関わってくるから、全力で阻止させてもらって、代わりにシャロンが王家に嫁入り出来る手立てを考えないといけない。
簡単なのはバーレイウォール家の養女として私の妹になる事。お父様だって王家とつながりが出来るのはやぶさかではなかろうから、機を見計らえばすんなり通るだろう。日ごろから『妹がいればいいのになー』的なジャブを打っておくとしよう。
あとは淑女としての教養と立ち居振る舞いを今から身に付けさせておけば嫁入り後恥ずかしい思いをしなくてもすむ。大丈夫、手配済みよ。
よおし!ハッピーエンドまで一直線ね!
「それが」
「もう向かってるとか?」
「いえ、すでにサロンでお待ちです」
「何ですってッ!?」
使者は?先触れは?王子ってそんな気軽に出かけられるものなの?
私の絶叫が部屋に響き渡った。
おそらく、コレを見越してクロードは先に部屋へ連れ返ってきたのだろう。練習場で叫んでいたらエコーがかかっていたに違いない。
「何しに来たの…?」
王子に対するあんまりな言い様に、クロードは思わずふき出した。
「お気持ちは判りますが、一先ずお召し替え下さい。私がいては着替えられませんから一度退出します」
私はクロードが退出するのも確認せず、稽古着を無造作に脱ぎ捨てた。
二人掛かりで急げば速い速い。ボリュームたっぷりのパニエを履き、ドレスを頭からかぶる。ボートネックの襟ぐりにオフホワイトの付け襟が際立っている。
「クロード、髪お願い」
戻ってきたクロードに髪を整えてもらい、シャロンが用意した黒いストラップシューズを履けば身支度完了だ。
うむ。出陣じゃ!
「あ、シャロン。あなたも付いてきてくれるわよね?」
「はい。姫様がお望みでしたら」
シャロンはいつもの黒いドレスにエプロンのお仕着せ姿だ。
「そうだ、白地に臙脂のバラ模様のワンピースがあったわね。あなたもそれに着替えていきましょう。お揃いみたいで素敵だわ」
「私の着替えなんか構いませんから、サロンへ急ぎましょう」
「姫様の御仕度だけで充分です。王子殿下がお待ちですから」
「いや、でも」
本当は私が着飾るよりもシャロンがお洒落するほうが有意義なのよ。いつものお仕着せだってマーベラス可愛いけども、この時代の人が、メイドの制服をお洒落とは思わないだろうし…、やっぱり可愛いワンピースに着替えた方が良いと思う。
「着替えなんてすぐよ。お父様に時間稼ぎを頼みましょう。その間にささっと」
「殿下はすでに旦那様への挨拶を済ませておいでです。さあ、姫様」
「でもシャロンは侍女なのよ。もっと目立つドレスを着た方がいいわ」
侍女は趣味の良い装いやお下がりで着飾って、家の裕福さやセンスの良さを示すアイコンでもある。ヒロインと攻略対象の出会いを印象的な物にして、王子を一目ぼれさせてやろうという特別な思惑がなくても、シャロンにお洒落をさせるのは自然な行動のはずだ。
「今日でなくとも良いでしょう。時間がありませんから」
確かにぬかった。こんな事ならもっと早くからシャロンに可愛い仕事着の着用を義務付けておくのだった。
「あなたたちこそ、私を説得するより着替えた方が早いとは思わないの」
「姫様、メイド服の私が恥ずかしいのでしたら、御前へは参りません。ですからどうかお急ぎください」
ちょっと!どうしてそういう方向に向かうのよ!誤解だわ!
「ち、違う違う!あなたはメイド服だろうとなんだろうと、いつだって!めちゃくちゃ!物凄く可愛いわよ!せっかくだからもっとお洒落して王子に見せびらかそうと思っただけよ」
「よかった!じゃあすぐにサロンに向かいましょう」
そうなるか…。自慢したい麗しのシャロンは、メイド服でも可愛いんだから着替えなくてもいいってなるか…。
「なによぅ…、わかったわよぅ」
くっ、まあいいわ。何を着ていたってシャロンの美貌の前には服なんか霞むんだから。素材がいいからプロデュース方法はいくらでもあるのよ。『二度目の出会いはガラリと印象が変わって』コースでもこっちは全然構わないんですからね!
三人でサロンまで急ぐ。あまりの勢いに廊下のフットマンとメイドたちが避ける様に道を譲ってくれる。直前で息を整えてから、クロードが開いた扉をくぐった。
「お待たせして申し訳ありません」
ソファで優雅にくつろいでいるリュカオン王子が振り返った。
「急かして済まなかったな。勝手に来たのはこちらだから、時間の空いた時で構わなかったんだが」
自覚あったんかい。
「ようこそいらっしゃいませ。王子殿下にはご機嫌麗しく」
「うん。リュカオンと呼べ」
「では、リュカオン様。本日はどういったご用件でしょうか?」