勘違い系主人公 リュカオンの己惚れ 1
やはり間に合わなんだ。
こんなところでストックを使うことになり誠に遺憾。
一章のリュカオンサイドのお話としてお読みくださいませ。
可愛い。
……と思った。
私は人の美醜に全く興味がない。だからこれは、単純に好みの問題だ。
しかし、どうということはない。
同年代の女子というのは、同じ人間だというのに、まだコミュニケーション不能な生物だと過去二回の出会いで学習していたからである。
1人目は意味不明な事を一方的に捲し立て、2人目は最後まで無言を決め込み挨拶一つ返さなかった。
同性の学友たちとは仲良くやっている。性別が違うだけなのに、なんとも不思議なものだ。
この娘もパターンBだろう。
父親の後ろに隠れ、内気そうに本を抱えている。
どんな人間ともコミュニケーションを図り、好意と信頼を勝ち取るのが社交だ。
結果が予想通りだったとしても、努力を怠る理由にはならない。
本の話でも振ってみるかと考えていた矢先。
バチンと目が合った。
茫洋とした色素の薄い瞳が、私を見た途端、じわじわと大きくなっていき、これ以上は無理という限界まで見開かれた。
そうして、生気の宿らないガラス玉だった瞳が、キラキラと燃えるように輝き始める。
私は思わず息を呑んだ。
鳥が水面から飛び立つ刹那の羽ばたきのような。
人形が魔法で人になった境目のような。
生命が宿る瞬間を目の当たりにしたと思った。
それは、これまで味わったことのない感動だった。
私たちは長いこと見つめあっていたように思う。
上気したほほに、わなわなと震える唇。水色の瞳とプラチナブロンドが窓から差し込む光をチカチカと反射して、星屑が散っているようだ。
私がハッと我に返った後も、彼女はまだビリビリと震えるように硬直して、呼吸すら忘れているように見えた。
もっと見ていたい気もしたが、心配になって声をかける。
「どうした、大丈夫か?」
彼女は呆けている自覚があったのだろう。少し困りながら、はにかんで答えた。
「すみません、王子様があまりにキレイで驚いてしまいました」
可愛い。
今の彼女は誰が見てもそう思うはずだ。
「はじめてお目にかかります。バーレイウォール侯爵家のむすめローゼリカともうします。以後おみしりおきくださいませ」
「第二王子のリュカオンだ。よろしく頼む」
これが私たちの出会いだ。
なかなか運命的だ。満足している。
帰りの車の中で、早速父に、他の見合いの手配を頼んだ。
「おや、仲良くやっているように見えたが、気に入らなかったのかい」
「逆です。彼女が気に入ったと証明するために、他の人間にも会ってみる必要がある」
これまで生きてきて、味わったことの無い感動を、今日覚えた。
この直感が間違っているはずはない。
しかし、私が女子をよく知らないのも事実だ。
自分が知らないだけのものを、この世に存在しないと考えるのは間違っている。
とはいえ、彼女より素敵な女性はいないと証明することは不可能に近い。
悪魔の不在証明である。
だが彼女より理想的な結婚相手はいないという証明ならばどうだ?
相応しい結婚相手の数など、たかが知れている。
しかもローゼリカ・バーレイウォールは、資産の潤沢な高位貴族だ。同等以上の条件を持つ貴族はほんの一握りだし、そのアドバンテージを覆すほどポテンシャルの高い令嬢が居る可能性はさらに少ない。
初めから競合相手など、ほとんどいないのだ。
つまりこの勝負、もらった……!!
この程度の事は、実践してみる前から結果が判り切っている。
でなければ、そもそも求婚したりしない。
それでも引き下がったのは、ローゼリカの意見を尊重したいからだ。
彼女が賢い人間であればあるほど、意見を蔑ろにする男と結婚したいとは思ってくれないだろう。
私は彼女を敬い、大切にする。
その信用を得るためにも、やる価値はある。
裏宮に着くと、5歳年上の兄が、このほど正式に決まった婚約者の帰りを見送っている所だった。
少し寂しそうな、それでいて幸せそうな顔で、婚約者の指先に口づけた。
兄は才覚に恵まれ、自信に溢れた明朗闊達な人柄だ。
壊れやすいものにそっと触れるような怯えと、全てを委ねるような恍惚が、入り混じった表情をする兄を初めて見た。
そんな眼差し向けるべき人を見つけたのだと思うと、無性に羨ましかった。
婚約者を乗せた車の背中を見つめる兄。その姿を観察している隙に、父は侍従に呼ばれて屋内へ入った。取り残されている私に、兄は気が付いた。
「おかえり、リュカオン。今日はどうだった?」
「振られた」
「お前を袖にする女子がいるとは。この世は予想外の事が起きるものだな」
「なんの、これからだ。来週誕生日らしい。何を贈ったらいいと思う?」
「その意気だ。気軽に受け取ってもらうなら、花や菓子がいいと思うが……」
「いいや、重くても絶対に受け取らせる。たとえ困らせたとしても、私を忘れられないようなものがいい」
腕を組んで思案顔の兄を見上げた。もういつもの兄だ。
「それなら身に着けるものだろう。指輪は契約の証しだから、軽率に贈るべきじゃないが、それ以外なら何でもいい。印象に残っていることや、誉めたい場所に関するものは、気持ちが伝わる」
ローゼリカの姿が頭をよぎる。
やはり目だ。星が瞬くようにキラキラ燃える水色の双眸。
それから豊かに揺れる、長く柔らかそうな白金の髪。
「装飾品は独占欲を満たしてくれるし、誰かの贈り物だと分かれば、親密な相手がいるという牽制にもなる」
牽制か。いいじゃないか、それ。根回しして、睨みを利かせておこう。
「本来はじっくり時間をかけて用意するものだが、来週では時間がないな」
「仕方がない。御用商人に見つくろってもらうか」
「お前が本気だというなら、受け継いだものや思い出の品から贈ってもいい」
「わかった。そうする」
兄は、車が見えなくなった方向を未練がましく振り返った。
日が落ち、東の空から夕闇が迫っている。
今日は兄の正式な婚約調印を、ささやかに家族だけで祝う予定だ。
「リュカオン、覚えていてくれ」
ほの明るい宵闇の前庭で、黄味が強い兄のイエローブロンドは一番星に似ている。
「王統を繋ぐのは、容易なことではない。父上は後継者として、たった一人で全てを背負い込まねばならなかった。でも私たちは三人いる。三人で助け合う事が出来る。
この先、理想がぶつかる日が来たとしても、互いの声に耳を傾けられる、仲の良い兄弟でいよう」
兄は正式に婚約者を得るにあたり、静かに将来への覚悟を固めているらしかった。
「私は……、年長者の務めとして、王位に就く備えをする。だがお前にも、備えておいてほしいと思っている。いつかシェリダンにも同じことを言うつもりだ」
シェリダンは私たちの末の弟である。確かに三歳の弟に、こんな話は難しすぎる。
「人が生きているというのは、当たり前のことじゃない。今日在った命が、明日無くなってしまうことは、誰にだって起こりうる」
「不吉な話はやめてくれ、まさか病気が見つかったわけでもないのだろう?ヴィクトリア殿が泣いてしまうぞ」
「私は至って健康だよ。ただ、こんなことならあの時こうしておけばよかった、と後悔してほしくないんだ。私ばかり幸福では、良好な兄弟仲とはいかないだろうからな」
兄は茶化して言うが、私は笑う気になれなかった。
物心つく以前から、何事にも秀でた第一王子の兄が、王位を継いでくれることを疑ったことなどなかったのだ。
「覚悟を決めるには時間が掛かる。教養や技術や伝統が王の矜持を作る。継承権を持つ者全員が、矜持を育てておくべきだ」
確かに私に王位が回ってくる可能性は0じゃない。
何も不吉な事が起きなかったとしても、兄が後継者に恵まれなければ次は私だ。
深謀遠慮の兄らしい正論だ。
けれど、良き臣下となることだけを考えていた私には充分衝撃的だった。
「それでもしも、備えた覚悟を無駄にしたくないと感じたら、遠慮なく言ってくれ。
王位には、就きたいものが就くのが良い。なりたい者が王の器だ。
王位争いなど、一番あってはならない。本来合わさるべき三人の力が、相殺されてしまう事こそ損失だ。私には譲る意思がある。
ヴィクトリアにも確認した。王になっても、ついてきてくれるか。そして王位を弟に譲っても許してくれるかと。彼女は私の意見に賛成してくれた」
私は……。
私だって、王になるのなら。
国に全てを捧げねばならないのだとしたら、支えてくれる半身が欲しい。
せめて一つくらい、妥協した代替品ではなく、心から望んだとおりのものが欲しい。
先ほど兄の横顔を見たときと同じ羨望が、腹の底から湧きあがってきた。




