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契約結婚系主人公 イリアスの憂鬱 中編

 その巨大にして美しき障害物は、家族だけと聞いていた誕生会でも、さも当然と言わんばかりに席に着いていた。

 大広間に数多く並べられた丸テーブルの前に座る人々の中で、一際異彩を放つ存在感。一度見たら忘れられないほどの美貌。

 神が手ずから粘土をこねた奇跡の造形だ。

 何の因果か、俺に用意された席は彼と同じテーブルだった。


 近くで見るとますます凄い。

 完璧に左右対称で作り物じみた顔を、アシンメトリーに整えた髪で人間らしく取り繕っている。

 あまりの美貌に目が離せないでいると、神の手掛けた彫刻は優美にほほ笑んだ。

「リュカオン・ベネディクト・アルビオンだ。ここへはよく遊びに来る。よろしく頼む」

「リュカオン殿下!?」

 農村育ちの田舎者でも、この国の王子の名前くらい知っている。

 慌てて立ち上がろうとする俺を、殿下は手で制した。

「今日の主役は私じゃない。楽にしていい」

「初めてお目にかかります、イリアス・オーランドと申します」

「虹色のアースアイ。虹の女神イリスの男性形が名前の由来かな」

 イリスはこの国ではなく、母の国の民話の女神だ。

 短い会話からも、王子の知性と教養が窺い知れる。

「よくご存じで」

「話は侯爵から聞いた。私が不甲斐ないばかりに、君に足労をかけたようですまないな」

 ……ん?今遠まわしに、お前の出番はないからすっこんでろと言われたか?

 王子がローゼリカお嬢様に骨抜きだというのが事実なら、確かに俺は邪魔者だろう。

 俺だってお呼びでないのはヒシヒシと肌で感じてるよ。

 だが、ここでしっぽを巻いて逃げるだけでは、連れてこられた意味がない。

 俺は、将来の為に侯爵様からの心証を守らなければならない。

「お気遣いには及びません。努力が徒労に終わった経験はありませんので」

 上手くいっているかどうかはわからないが、なるべく意味深な言い回しをしてみる。

「なるほど。相手にとって不足はない。抜け駆けもだまし討ちもありだが、君には敬意を払おう」

 俺ではあなたの敵役にまったく足りてないと思いますがね。

 庶民から口答えされるとは思っていなかっただろうに、王子は動揺することなく、あくまでにこやかに応じた。さすがの余裕だ。

「どう転んでも長い付き合いになる。仲良くやろう」

「恐縮です。殿下のお目に適いますよう精進いたします」


 そうは言ったものの、容姿も社会的地位も相手の方がはるかに上回っている。とんでもない欠点があればまだしも、見たところ完全無欠の王子様だ。控えめに言って、どこにも勝ち目はない。

 もとより、侯爵の後釜に座れるとは思っていなかったが、やはり甘い夢だったようだ。

 リュカオン殿下ほどの良縁を掴んでおきながら、どういう意図で俺を連れ帰って来たのか、さっぱりわからない。

 宛がわれた婚約者より、少ない選択肢の中からでもお嬢様が自分で結婚相手を選んだと錯覚させるためだろうか。

 当て馬だというなら、それなりの役目を果たさなければな。しかし仕事を張り切り過ぎて、王子の不興を買うのも避けたい。

 さてどうしたものか。


 

 

 誕生会がお開きになり、俺は従業員の宴会に参加するものと思っていたが、家族団らんの方へ引っ張っていかれた。

 学業に出資するだけでなく、家族同等に扱うと言った侯爵様は本気だ。

 しかし上流階級の団欒に馴染めるわけもなく、使用人のように控えて身の振り方について考えていると、ローゼリカお嬢様が気遣うように声をかけてきた。

「慣れない場所で疲れはないかしら。私達、もう姉弟だもの。今日無理をしなくても、仲良くなる機会はたくさんあるからね」

 きょうだい?

「この立派なお屋敷に、すでに慣れたとは申せませんが、皆さん親切にしてくださいます。ご心配には及びません」

 事実、お嬢様付きの、確実に容姿審査の激戦を潜り抜けたであろう近侍と侍女が丁寧な挨拶に来てくれた。彼らはポッと出の馬の骨で、平民の俺を侮らなかった。

「なら、もう少しお話しましょう。父から何も聞かされていないのよ。良かったらあなたの事を教えてくれない?」

 侯爵様はわざとなのか、忘れたのか、俺が来た理由についてきちんと伝えなかったらしい。

 きょうだいか…。

 欲しがっていた妹の代わりに、弟がやってきたとでも思っているのだろうな。

 確かに、まだ彼女よりも背が低いので、年下と思われても仕方がないけれど、三ヶ月ほど遅く生まれただけの同学年だ。

 俺は自分勝手な身の振り方にばかり思いを馳せ、適当な相槌を打つ。

「そうは仰せられても。ローゼリカ様の喜ばれるようなお話ができますかどうか」

 結婚相手として警戒されるのと、弟として相手にされない状況、どちらがマシだろう。

 難しい選択ばかりだ。先が思いやられる。

 俺は自分のふがいなさに少し苛立った。


「あの…、気を悪くしないでね。うちに来たこと、後悔はない?言い出しにくいなんて、気にしなくていいのよ」

「後悔なんて。バーレイウォール家の養子になれるなんて、誰もが羨むような幸運ですよ」

「そういう問題じゃないわ。何が幸せか、決めるのは他人じゃなくてあなたなんだから」

 俺は幸運だ。しかも、ただ幸運なだけじゃない。途轍もなく幸運なのだ。

 だが、彼女にとってはどうかわからない。

「ローゼリカ様の方こそ、俺が妹でなくてがっかりしませんでしたか」

「ガッカリなんてしてない。ビックリはしたけど、それは、誰でも驚くと思うわ」

 お嬢様は少し焦って、むきになったように否定する。

 俺は妹の代わりに自分が来た経緯を説明することにした。


「妹の代わりに連れて行ってほしいと自分からお願いました。侯爵様は選択肢をくださった。他の娘を探してもいいし、妹が大きくなるのを待ってもいい。それでも来たいなら来なさい、と」

「あなたの意志なら、私も尊重する」

「俺に野心があるとは考えませんでしたか?」

「野心?…はあってもいいと思うけれど」

 その野心が自分に向いているとは、露とも知らぬようにお嬢様は小首をかしげる。

 ああ、この純真無垢な深窓の令嬢を守りたいような、傷つけたいような気持がせめぎ合う。

 物語の中の騎士のように彼女を守るのは、うっとりするほど甘美な幻想だ。しかし現実には、どんな悪意からも守りきるなんて不可能だろう。それならいっそ、誰かに傷つけられる前に、自分の手で消えない傷をつけてしまいたい。

 俺が相反する感情で揺れた一瞬に、彼女はハッと気づいて方向転換した。

「…そうじゃなくて、私が困るような野心を抱いていたらどうするか、という質問よね。えっと、私を追い出すとか、売り払うとか」

 なんでそうなる。

「そんな風に言われると、毒気を抜かれますけど、そうですね。そういう話です」

 なんか反対の方向性に発想が飛んでしまったようだが、まあ…質問の意図としてはそうだ。

 俺に正当なる権利を奪われるかもしれないという話。

「そうねえ…、金策を講じる、かな?」


 何だって?よりによって金の話か?

 自分で買い物をしたこともないかと思っていた。生活するのに金が必要だと言う概念すら持っていないかと。

「それとも、先に生活力を身に着けたほうがいいのかしら」

 違う、そうじゃない。

 いや確かに、生活力は彼女に足りない物だろうけど、その答えじゃない。

 追い出す、売り払う、の前提をスルーしたから良くなかったのか

 それにしたって、重ねて言うが、なんでそうなる。

 もっと恨み辛みとか、恐怖や警戒、相手に対してどんな負の感情を抱くのかという話で、手っ取り早く言うと、もっと俺を警戒した方がいいぞという牽制のつもりだったのだが。

 そんなにわかりにくかったかな?

 本物の深窓というものは、悪意にさらされた事が無いから、案外こういうものなのか…。

「お料理と掃除は、取り組めばなんとかなると思うのよ。裁縫は苦手なんだけれど、女性の嗜みでもあるから少しずつ練習してるし…」

「そんな前向きな答えが返ってくるとは思いもしませんでした」

 どうやら家事さえできれば、なにかあって家から出ても、生活していけると本気で思っているらしい。

 芯から明るく楽天的。そして自立した精神の持ち主だ。健全で強靭なメンタルに裏打ちされた清らかさとでも言おうか。

 王子が彼女に惹かれている理由もわかるような気がする。


 肩透かしを食らって、緊張の緩んだ俺に追い打ちをかけるように、ローゼリカお嬢様は、潤んだ瞳でぐっと覗き込み、俺の手を両手で包み込んだ。

 思わずどきりとしてしまう。

 違うんだ。別に俺がチョロいわけじゃない。

 将来結婚するかもしれない相手にこんなことされたら誰だってそうなるはずだ。


「私…、私頑張るわ。あなたがここへ来てよかったと心から思えるように」

 もうすでに思っている。

「頑張るって何をです」

「あなたが寂しくないように」

 俺は平静を取り繕おうとして、余計に頭に血が昇り始めた。

 どんなに彼女が魅力的で、ここに来た幸運を噛みしめようと、家族と離れる寂しさとは話が別だ。 

 たとえ全て織り込み済みでここへ来たとしても。

 ふさわしい返事が全く浮かんでこず、馬鹿正直な返答をした。

「それは、どうやったって足りないでしょうね。何しろうちは6人兄弟の8人家族ですから」

「素敵なご兄妹五人分なんてとても無理ね。力不足を認めるしかないみたい」

 人形のように冷たく整った顔が、何気なく緩んだだけで、不思議なくらい印象がガラリと変わった。優しくて体温を感じるような笑顔だ。

 ますます頭に血が昇る。いつの間にか、心臓の音がうるさい。

「でも頑張る必要なんてありませんよ。元々、来年には家を出て学校の寮に入るつもりでした」

「そういうものかしら。そうだ!いつでも帰れるような旅費を準備しておいたらちょっとは気が楽になるかもしれないわ」

 ローゼリカは熱を込めて、畳みかけるようにぐいぐい近づいてくる。

 俺は防戦一方だ。

 なにか、何か傷つけない程度に困らせるようなことでも言って、彼女の勢いを削がないと、俺は返事をする余裕もなくなってしまう。

「侯爵閣下と同じことを仰るのですね。大丈夫ですよ。俺の家は王領穀倉地帯のすぐ外側で、バーレイウォール領よりもずっとここから近いです。馬なら半日もかかりません。帰ろうと思えばいつでも帰れますから」

「わかった。じゃあ、あなたがいつでも使える馬を用意しておくわね」

「帰るな、とは言ってくれませんか?それはそれで、複雑な気持ちです」

「帰ってもいいのよ。でも私の所にも帰ってきて」

 俺は一手を仕掛けたつもりだった。でも華麗にカウンターを食らった。

「あなたは家族が減ったんじゃなくて増えたの」

 ああ、もう限界だ。

 恥ずかしくて、彼女の視線を受け止めていられない。

 俺はなるべく不自然にならないよう、ゆっくりわずかに目を逸らした。顔が熱い。もしかして赤くなっているのだろうか。

 そう思うとますます恥ずかしかった。

「では、あの…」

 何を言えばいいだろう。どう言えば弟ではなく男として見て貰えるだろう。

「ローゼリカ…とお呼びしても良いでしょうか」

「ええ、勿論。ローズって呼んでいる人もいるわよ」

「わか…りました」

「あなたのペースでいいから。私達、ちゃんと家族になりましょうね」

 それって。

 それってどういう意味だ……。

「よ、喜んで」

 期待……してもいいわけはないよな。わかっているつもりだ。

 でも頑張ってみてもいいんじゃないかと思える。

 リュカオン殿下が相手では、勝ち目のない戦いかもしれないが、負けたって失うものはない。

 おそらく俺は、侯爵様の思惑にまんまと嵌った。

 たとえそうわかったとしても、落とし穴に落ちたものに這い上がる術はない。


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