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謎解きはディナーの前でも大丈夫

 明けて翌日。いつも通りに登校し、授業を受けた。

 今日ぐらい休んでは、と朝から顔を合わせた者たち全員が言ったが、少し夜更かしをしたぐらいで欠席などしていられない。

 十代の体は回復が早い。若いって素晴らしい。

 昨日私が帰るまで待っていてくれた、体の弱い母や、今日も過密スケジュールで忙しい父の方が、心配なくらいだ。

 午後の授業を終えて放課後、私はいつもの待機場所である図書室横のカフェテラスへは行かず、まっすぐに三階バルコニーへ向かった。

 

 校内が広く見渡せる場所に、バルコニーの主、パトリックは座っていた。

 研究生であるパトリックは、影になる場所に置いたテーブルに、本とノートを広げ、論文を書いているらしい。

 いつも人からの伝聞形ばかりで、普段のパトリックの様子を、ちゃんと自分の目で見るのは初めてだ。

 静かに書き物をしているパトリックの姿は、ふらふらと軽薄な遊び人と言うよりも、穏やかで繊細そうな人間に見えた。


 足音に気が付いたパトリックが顔を上げ、私達は目が合った。

 少し離れた場所に立って、私は正面から彼に向き合った。

「ごきげんよう、パトリック様」

「初めまして、ローゼリカ・バーレイウォール嬢。アンジェラからお噂はかねがねお聞きしています」

 私が来た理由に察しがつかない訳はないだろうに、白を切るつもりだろうか。

「確かに昨夜は、数日分では足りないくらい沢山の事が起こって忙しかったけれど、それでもあなたとのお話を忘れてしまうほどではなかったわ」

 パトリックは静かに息を飲んだ。しかし動揺を見せることなくやがて口を開いた。

「そうでしたか。これまで僕の催眠術が効きすぎることはあっても、効かなかったことはなかったので、少し驚いています」


 パトリックは、机の物を片づけて居住まいを正した。

「では、そっとしておいて欲しいという僕の願いは、聞き届けていただけなかったのですね」

 根深い怒りが一瞬刃物のようにこちらを向いて、すぐに諦めたような落胆に変わった。その感情の起伏に、私は思わずぞっとした。

 こういう闇落ちしてそうなキャラは、何しでかすかわかんなくて怖いわ。

「そうよ。だってあなた達って世話が焼けるんだもの。でも、今日私が来たのは、一つ、どうしても判らないことがあったから。個人的な興味本位の質問だから、嫌なら答えなくてもいいのよ」

「アンジェラの耳にさえ入らないようにしてくださるなら、この期に及んでは何なりとお答えしましょう」

「いいわ。昨日の今日だから、傍に近侍が控えていても許してね。バーレイウォールの近侍よ。秘密は墓まで持っていくから安心して頂戴」

「承知しました。長くかかりそうなお話です。どうぞおかけください」

「そう?あまり長引かせるつもりはなかったけど」

 本当は、パトリックのペースに乗るのは怖かったが、虚勢を張って、なるべく超然と微笑んで見せた。

「じゃあお言葉に甘えて」

 クロードが引いた椅子に座り、彼が少し後ろのいつもの定位置に戻ってから、ゆっくりと話し始める。


「私の疑問は一つ。アンジェラが孤児院時代の記憶もあやふやなのはどうしてなの?」

 本当は二つあったが、催眠術が効きすぎるという発言で察しがついた。

 アンジェラの記憶に靄がかかったようにはっきりしないのは、パトリックの催眠術のせいなのだろう。何か不都合な事実を忘れてもらいたかったのだ。催眠術が効きすぎて、忘れて欲しい事以外も記憶が根こそぎ封印されてしまったに違いない。

 しかし、孤児院の記憶まであやふやにする理由までがわからない。

「えっ……、そこですか?他にもっと、核心に迫る部分があるのでは……」

「興味本位だと言ったでしょう。核心には関係ないけど、気になるの」

「ええと……、ちょっと想定外で。どこから説明したらよいか」

「話してもいいと思える範囲で」


 手持ちの状況証拠と物語のパターンを照らし合わせて、私が想像しうる事の顛末はこうだ。

 十一年前、パトリックとの婚約式の為に招待されたイエロウモンド邸で、アンジェラは何か不都合な秘密を知ってしまった。

 秘密は、おそらくパトリックへの虐待に関する事だろう。

 パトリックは、本当の意味で女好きではなく、女嫌いで女癖が悪い人物だ。この事から、彼が性的なものか、女性に対してトラウマを持っていることが推測される。トラウマの原因となるなんらかの虐待があった。可哀相だが設定としては予想の範囲内だ。

 アンジェラは、それを知って自分だけが逃げ出そうと考えるタイプの少女ではない。大胆で思い切りのいい性格だ。パトリックに一緒に逃げようと言ったはず。むしろ、パトリックを逃がすことが、アンジェラたち幼馴染三人の目的だったのではないか。

 つまり、アンジェラは誘拐されたのではなく、アンジェラこそがパトリックを誘拐した主犯だったのだ。

 事実に関係ないところは、単なる私の想像だけれど、たぶんパトリックは嬉しかっただろう。誰も助けてくれない毎日の中で、アンジェラだけが手を差し伸べてくれたのだから。

 まあ、そのあたりがパトリックとアンジェラの妥当な馴れ初めエピソードではないかな。


 彼らの家出は、馬を使ったり荷造りしたり、7歳の行動にしては用意周到だ。当時12歳だったパトリックの入れ知恵あってのことだろう。

 しかしジェフリーの話にパトリックの存在は全く出てこなかった。これは彼らが催眠術で記憶を操作された事実を示している。

 理由は、うーん…。単純に虐待されていることを忘れてほしかったから…かな?ちょっと動機として弱いか。

 ああ、そうだ。パトリックは12歳で事件当時は7月。養子にとられた嫡男である彼は、アカデミーへの入学が決まっていたのかもしれない。

あと一月程度我慢すれば家を出られるのに、問題が明るみに出て、廃嫡されたり、アカデミー入学が取り消しになったり、事態が思わぬ方向へ転んではたまったものではない。

アンジェラが虐待の被害者にならないよう、問題を起こさせて破談に持っていきつつ、自分は無関係を装って現状を維持しようとした結果の行動だ。

 七歳の少女を口止めしたとしても心もとない。パトリックはアンジェラに見た事を忘れるよう暗示をかけたが、純真なアンジェラには強くかかりすぎ、自分が何者かも判らないほど記憶が混濁してしまった。

 こんな感じだな。


 細かい経緯はバリエーションがあり過ぎるので割愛するが、記憶が混濁した状態でアンジェラは一人はぐれてしまう。

 孤児院に保護された後も捜索の手が及ばなかったのはそのためだ。資料では、アンジェラは孤児院時代パトリシアと呼ばれている。そう名付けられたのは、保護された時パトリックの名前しか覚えていないような状態だったからだと考えられる。

 アンジェラは孤児院で幼少期を過ごして、15歳の時家事使用人として奉公に出ている、と昨日ケンドリックが届けてくれた資料に書かれている。さらに16歳の時、最初の奉公先から偶然にもホワイトハート家へ雇先を変え、めでたく娘として発見された。これはパトリックの養父であるイエロウフェロー侯爵が死去してすぐのタイミングである。

 この事から判るのは、当主として実権を握ったパトリックが、手引きしてアンジェラ発見を促したであろうこと。それ以前からアンジェラの居場所を把握していたこと。

 パトリックはおそらくいつでもアンジェラの催眠を解いたりかけなおしたりできたはずだ。

 しかし何故孤児院時代の記憶まであやふやにしてしまったのか。その理由がさっぱりわからないのだ。

 一人はぐれてしまった経緯と同じく、話の大筋にあまり関りはないけれど、原因がいくつも思い当たって絞り切れないのと、特に理由がないのとでは大違いだ。


 パトリックはしばらく考えた後、話の道筋が決まったらしく私を見据えた。

「僕の父は、さほど悪人ではありませんでしたが、真性の小児性愛者で…」

「ちょっと待ったァ!」

 このお兄さん、めちゃくちゃブっこんで来るじゃないの。

「それって一番最初の部分じゃないのかしら!?」

「はい。結局それがいいかと」

「よくはないわね!?私は自分の好奇心の為に、あなたの過去を暴くつもりはないわ」

「えっ?そうなのですか?」

「ええ、そうなのよ!あなたは何か理由があってアンジェラに催眠術をかけた。効きすぎて記憶混濁状態になったまま、アンジェラは行方不明になったんでしょ!?それぐらいフワッとした話でいいの」

「そんなに!?そんなにフワっとしていいんですか?」

「私がいいって言ってんだからいいのよ!行方不明前だけでなく、孤児院時代までアンジェラの記憶がぼやけているのは、あなたが催眠術を掛け直したせいだと、私は思っているわけ!状況から推理すると、あなたはアンジェラの居所を先に掴んでいて、さりげなく発見される手伝いをしているでしょう?記憶を操作する機会はいくらでもあったはずよ。だけどそんな事する必要あったかってことが聞きたいの!」

「それ……あんまり関係なくないですか」

 言い方腹立つわね、コイツ!質問に質問で返すんじゃないわよ!

 状況やセオリーを頼りに、シナリオのパターンを推理しているに過ぎない私にとって、特に理由のない行動は危険分子なのだ。それがなるべく少なければ推理の精度は上がり、多ければ予想に幅を持たせなければいけない。そこのところを確認しておきたいのだが、メタ視点を持たざる者にはわかるまい。

「ま、まあちゃんとした理由はあるけど、言いたくないだけだったら別に構わないのよ」

 どんな理由かが問題ではなく、きちんと理由があるかどうかが問題だ。


「養父の葬式を終えたその足で、アンジェラの元へ出向き、催眠術を解いて過去の記憶を取り戻そうとしました。僕がやっとのことでアンジェラを見つけたのは、その半年ほど前のことで、どうやって家に帰せばいいのか、まだ考えあぐねている途中でした。しかし家の実権を握ったからにはアンジェラ一人を保護するくらい簡単だと思い、急いで迎えに行ったのです。結論から言うと、記憶を取り戻すことには失敗しました。アンジェラは七歳以前の記憶をおぼろげに思い出しましたが、代わりに孤児院時代の記憶まで混同してしまったのです」

 ほーん。なるほど。意図してそうなった訳ではなく、失敗した結果だったのか。

 確かにそういう展開もアリね。参考になったわ。

「後の事はあなたの想像通りです。記憶の不十分なアンジェラが、家族のほうから発見してもらえるように、多少の算段をつけました。アカデミーに入学してくるのは予想外でしたが、孤立しがちな彼女を放っておくことができなくて、さりげなく手助けしてきたつもりです」


「うん。そういう事なら納得したわ」

「今ので!?説明スカスカですよ。頭どうなってるんですか!?」

「言い方あんまりじゃない?そっちは事件の黒幕の癖に」

 慇懃無礼に腹が立って、ちくりと嫌味を言うと、喧々囂々と自分の説明にダメ出ししていたパトリックは押し黙った。

「それは……、すみません」

 それでいいのよ。

「さあ、ここからは政治的な取引のお話よ」

 私は気を取り直して、ゆったりと椅子に掛け直した。

「昨日のローゼリカ・バーレイウォール失踪事件は、表ざたにならず、騎士団などその場にいた者たちの中でも、バーレイウォール家総出の避難訓練だった、という噂がまことしやかに流れるでしょう。犯人は始めからいなかった。捜査は終わり、あなたは明日からも、ただ静かに暮らしていけばいいの」


 パトリックはこれまでの話の中で一番顔色を変えた。

「先ほどの話でもお判りでしょう。僕は催眠術が効かない可能性は露ほども考えなかったが、暴発する危険は重々承知でした。それでもあなたに使う事を戸惑わなかったのに」

「モブの心配など後回しになって当然じゃないの」

「なんて?」

「ともかく!あなたの切り札が効かなかった私の心配など無用よ」

「しかしそんなことが…、許されるはずありません」

「かからなかった催眠術ってどうやって罪に問うのかしら?私は自分の意思であなたに付いて行き、事件の真相を暴いてやろうとしただけよ。精々誘拐未遂か、下手をすれば証拠不十分で不起訴。大した罪には問えないでしょう」

 まあ本当はかかっていたけど。トンチキな返答をしなかったら危ない所だったわ。

「あなたは有力貴族の一人娘で、僕は後ろ盾も実績もない新米の侯爵です。足元をすくおうと狙っている奴らは山ほどいる。あなたが訴え出れば処遇はどうとでも」

「こんな小娘の一方的な証言で、あなたの力を奪うほどの厳罰が下ったら、わが国の司法に幻滅するばかりね」

「騎士団が出動したのですよ。面目はどうされます、何故バーレイウォール家が泥をかぶる必要があるのです」

「だから取引よ」

「僕に取引を持ち掛けるほどの価値があるとは思えませんが…」

 そうなのよ。それで昨日、今すぐパトリックを捕縛すると言い張るリュカオンを宥めるのが、すごく大変だったんだからね。




 いつもゆったりとした佇まいのリュカオンが矢継ぎ早に聞く。

「パトリック・イエロウモンドとは何者だ」

「現在23歳の研究生で、黒髪、長身痩躯の青年です」

「顔見知りか」

「直接会ったことは、今日までありません。アンジェラ様のご友人の一人で、何かと話題に登る程度です。確か寮住まいをしていると聞いています」

「でかした。寮の周辺を固めろ。私が直接行く」

 リュカオンはすぐさま立ち上がって、マーカスに指示を出す。私は慌ててリュカオンとマーカスの外套を引っ張って引き留めた。

「待ってください!捕縛してもらうために居所を申し上げたのではありません。逆です」

 騎士のマーカスは私の頼みを素直に聞き入れたが、リュカオンはそうは行かない。引っ張る手を掴み、柔術で私をクルリと一回転させて、ソファに尻もちをつかせた。

「待って!違うの、待って!!」

 なりふり構ってなどいられない。倒れこむようにリュカオンの腰にしがみつく。

「放しなさい。これ以上訳の分からない我儘を言うんじゃない」

 オスカーとジェフリーの謎解きを突破し、マーカスの部分は読み間違えたけど、パトリックに繋がる真相までたどり着いた。

 コレ今パトリックルートに入っているんじゃないの?

 そしてここで上手く切り抜けられず、パトリックが捕縛されてしまったらバッドエンドじゃないの!?

 それだけは、絶対に!イヤ!!


 順序だててとは行かないものの、私は必至でしがみ付きながら事のあらましを喚いた。

「寮の周辺を見張るのは構いません。でも彼が逃げ出さなかったら、私にチャンスをください。必ずリュカオン様のお役に立って見せますから!」

リュカオンはまた長い溜息を吐いて、振り払うのを諦め、私の手を引いて立ち上がらせた。

「思い出したぞ、イエロウモンド。二年ほど前に若い当主に代替わりして、碌な引継もしなかった侯爵だな」

「そうです、ですから…」

「今ざっと考えた限りでは、どれだけ希望的に見積もっても、私に利点はない。それよりも、彼を捕まえてバーレイウォール家に恩を売る方が確実だ」

「そ、そんなこと。我が家がこれ以上殿下の恩に浴すのは禍福というもので…」

「反論はないな。ヨシ、出るぞ!待機している騎士団をまとめろ」

「あ゛ーー!!待ってください、気が早い!」

 再びしがみ付こうとして、今度は反対に両腕を捕まえられてしまった。

「そんなについてきたいのならば、君も一緒に連れて行ってやろう」

 論理も物理も相手に主導権を握られてしまった。そういう時はとりあえず弱点を責めよう。リュカオンの弱点て何!?何でもいいからとにかく手当たり次第に!

「で、ではアシュレイ殿下ならばいかがですか!?」

 リュカオンは顔を近づけ、上から私の目を覗き込んだ。

「兄上の?」


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