スニーキングは淑女の嗜み
誤字修正ありがとうございました。
私は催眠術にかかり、聞かれた事を正直に答えた挙句、自分の足でここまで歩いてきたというわけか。
催眠術だなんて、想定外だったわ。
かかるかどうかは人によると聞いたことがある。催眠術が掛かる前提で私に接触してくるなんて、随分思い切った賭けに出たわね。
それとも絶対にかかる自信があったのか。
絶対にかかる催眠術で記憶を奪うなんて反則くさいわね。そんなん出来たら何でもありじゃないの。何て言うか、そういう設定は最初から提示しておかないと卑怯だと思うの。
まっ、この私には効きませんでしたけど!
いや…、本当は前世の言葉で頓珍漢なことを答える違和感がなければ思い出せなかった。
つまり私は運が良かった。
よし!運こそ人生において最も重要な要素!運がいい私、最強だわ!
アンジェラの記憶があやふやなのも、本人の資質ではなく催眠術のせいだろう。いくらなんでも大事な事覚えてい無さすぎる。
私が一人になるのを見計らって、ここへ連れてきた彼の狙いは何なのだろう。
行動の理由になりそうなものは、現時点ですでにいくつか思いつくのだけど、問題はどこを目指しているかってことよ。
忘れてしまう人に向けた最後の独白、悲しい声だったな……。
彼は本当にそっとしておいてほしいだけなのかもしれない。
でもそうは問屋が卸さないわ。
そっとしておいて勝手に幸せになるなら、私だってそうしたけど、あなたたち半年放っておいたらドン詰まりだったじゃない。
ホントに奥ゆかしいわね!世話が焼けるったらありゃしない!
コツコツと規則正しく響いていた足音が止まり、部屋の扉が無造作に開く音がする。
少なくとも、やってきた人物は物音に気を遣う様子はないようだ。
「真っ暗だ。誰かいるか?」
「………」
当然ながら答える声はない。
「誰もいない。本当にこの部屋で合っているのか」
「そのはずだ。研究棟の二階、一番奥の準備室」
私は息をつめて耳を澄ました。男の声が二つ。靴音もおそらく二つ。
あら?でもこの声は…クロード?
「念のため部屋を見て行こう。暗がりにいるのかもしれない」
「のんびりはしていられないぞ」
やっぱりクロードの声だ!もう見つけるなんて流石ね!仕事が早いわ!
もう一人の声は聞き覚えがないけれど、私がいないものだから、屋敷の人間を沢山連れてきたのだろう。
「クロード、ここよ。探しに来てくれたのね」
「誰だ!?」
ガタガタ音を立てて戸棚から這い出ると、サッとランプの光が私の方へ向けられた。
誰だ!ですって。迫真ね。あなたの大事なお嬢様ですけど?
私が立ち上がって顔を上げるのと、明かりが近づいて顔を覗き込んでくるのがほぼ同時だった。
明かりをもっているのは、クロードではなく……
俺様キャラのオスカー・レッドオナー!?後ろにはツンデレ属性のジェフリー・ブルーウィンの姿も見える。
「きゃあああああああああああああああああ!!!!」
腹式呼吸の利いた、耳をつんざくような絶叫が室内に響き渡った。
「うおおっ、声でかっ!」
オスカーの口からクロードの声が出る。
私はそのことに驚き、さらに大絶叫が自分から発せられていることに二度驚いた。
そして本能的にその場を逃げ出した。
オスカーとジェフリーは大声に怯んで、まだびりびりと震えている。
スタン効果は抜群だ!
廊下を走り抜け、階段に差し掛かったところで、ようやく我に返ったらしいオスカーとジェフリーの声が背中を追いかけてきた。
「逃げたぞ、追いかけよう!」
「おい待て!逃げるな!!」
逃げるに決まってるじゃない。馬鹿言わないで頂戴。
階段を降りたら、正面入り口とは逆方向の廊下の窓を開け、素早く乗り越えて外へ出た。音がしないよう、小さな隙間を空けて観音開きの窓を閉じ、すぐ下で様子を伺う。
「もう外へ出たのか、クソッ、足はえーな」
「南の通用門へ逃げるはずだ。捕まえて話を聞こう」
クロードだと思って完全に気が緩んでいた。言われてみれば声は同じだけれど、口調が違う。
そんなのあり!?CVが同じなんて卑怯だわ!?昔のアニメのモブじゃあるまいし!!
オスカーはゲーム初代のキャラクター。クロードは続編のキャラクター。あの大人気声優を今作でも起用!ってことね!あー!!はいはい!ありがちありがち!
走っていく二人分の足音を確認して、ほっと息をついたのもつかの間、にわかに周辺で人の声が上がり始めた。
「悲鳴が聞こえたぞ!」
「女性の声だ」
「こっちだ、急げ!」
腰に下げた鞘と具足のぶつかる金属音がする。かがり火のような大きな明かりが突如として沢山点灯し、ゆらゆらと近づいてくる。
ひえ……。なん、何事……!?
私は腰を抜かしそうになりながら、ひとまず校舎の脇から植え込みの中へと移動した。
つい先ほどまで、学内はホラーゲームかと言いたくなるような暗闇包まれ、真夜中のような静寂の中にあったというのに、今は降ってわいたかのように、沢山の人の気配でざわめいている。
カチャカチャという乾いた足音は、甲冑の音だろう。うちでも本職の護衛しか身に着けていない類の重い防具である。重さを感じさせない足取りから、兵の精強さがうかがい知れる。
彼らが本当に降ってわいた訳はなく、つまり私の悲鳴が響き渡るまでは、気配を消してじっと潜んでいたのだ。
何のために?
もしかして私を捕まえるため?
嘘でしょ、私が一体何をしたって言うのよ。
なるべく見つからないように、植え込みの茂みの中で身を低くする。
隠れている時、ここは研究棟だとジェフリーが言っていた。
研究棟は校舎が集まっている区画の東側だ。
校舎はアカデミーの中心部にあるから、確実に囲まれているだろうが、闇に紛れて門までたどり着ければ、門衛が良くわからない人間に生徒を引き渡すことはすまい。
入り組んでいて、茂みや遮蔽物が多い格技場方面へ回り込んで脱出しよう。
引っかからないように髪をまとめ、スカートを短くからげた。柔らかい草地の上を移動するから、靴は履いたままの方が良い。
充分に周囲に気を配ってから、植え込みから植え込みへと移動した。
緊張と、気配に耳を澄まして息を詰めるせいで、さほど走っていないのに、呼吸が上がってしまい、私は肩で息をした。
私は……サポートキャラのマスコット幼女なのよ……。何故こんな……。元特殊工作員による脱出任務のような展開に……。キツイ……、体力が全然足りないわ。
貴族令嬢のスニーキングアクションアドベンチャーって、どういうジャンルよ。誰得なのよ!?そんなのヌルゲーよ!ネタ枠よ!!
目の前の渡り廊下を超えたら、校舎ゾーンは終わり、格技場ゾーンに入る。
深呼吸をして息を整える。周囲に気を配り、タイミングを見計らい、一気に格技場の柱の陰まで走り抜けた。
グッジョブ。ゲーム画面なら、たぶんこれでマップが切り替わって、敵NPCとBGMは警戒モードから通常モードに落ち着いたわね。
そこから通用門付近まで南下するのは、人の気配もなくスムーズだった。
最後に明るい場所に出る直前で、保護してくれそうな門衛がいるかどうか、いつもと違うところはないか、様子を伺っていると、不意に背後から肩を叩かれた。
声にならない悲鳴を上げて振り返る。全く気配を感じなかった。
いや、まだ手の主がクロードやシャロンである可能性もワンチャン残っている。その場合は悲鳴を上げない方が今後の展開がイージーだ。私は悲鳴を堪えた。
振り返って見上げた先にいたのは、大型ワンコ系攻略対象のマーカスだ!
「こんなところでどうしました?もしかして君がローゼリカ・バーレイウォールか?」
「ッッああぁぁアアア!!!」
返事の代わりに悲鳴を上げて、私は一目散に駆け出した。
マーカスは騎士見習いだ。今も軽鎧を身に着けていた。常日頃鍛えている体育会系男子と、インドア派の私では、向こうの方が、足が速いのは確実だが、門まではいくらも距離はない。辿り着けば何とかなる!
「あっ、待ちなさい、バーレイウォール!」
またしても警戒モードに入り、配置された巡回エネミーがわんさか寄ってくる。
逃げる私に強いスポット照明が当てられ、逆光で追手が黒塗りのシルエットになってしまった。怖い!推理サスペンスものだったら全員犯人だわ!
進行方向に数人の人影が立ちふさがった。
「きゃー!きゃー!!」
なんとか直前で、きゅきゅっと向きを変えて、追手のつかみ攻撃をかわした。
「意外に速い!」
「止まれ!」
「きゃー!いやー!!」
「この…ちょこまかと!」
私は走塁に失敗して、二塁と三塁の間で内野手に挟まれた走者のように、右往左往した。
「何をやってる、早く捕まえろ!」
「ですが、乱暴にするわけにもいかず…」
「そんなことは当たり前だ!」
膠着状態の包囲をやけくそで突破しようとした時、新たに到着した一団から声が上がった。
「ローゼリカ、私だ!」
リュカオンの声に似ている。
しかし先ほどクロードの声だと思って失敗したばかりだ。
強い照明の逆行で姿はシルエットしかわからない。
ああどうしよう。どうすればいい?
次こそ大丈夫?さっき慎重に隠れていれば今頃家に帰れていたかもしれないのに?
リュカオンはいつもローズって呼ぶわ。
そもそもこの逆光が怪しい。顔が見えないようにして声の似ている人をわざわざ探してきたのかもしれない。
呼び寄せようとするのは、そちらの方向に捕まえる用意があるからだ。
私は周囲を見回した。軽甲冑のシルエットが私を取り囲み、様子をうかがっている。黒い影が私をつなぐ鎖のように伸びている。
彼らはなぜか私を力づくで取り押さえるつもりがない。強引に暴れれば隙間を抜けられる。
踵を返し、斜め後ろ方向に逃げ出した。
伸びてきた腕を振り払って叫ぶ。
「痛い!やめて!」
誰にも何もされていないが、暗いせいでよく見えない。私に手が届く範囲の全員が怯んで動きを止めた。その隙に包囲網を抜けた。
これだけ騒いで守衛が出てこないなんておかしい。寮の方へ逃げよう。目撃者が沢山いれば何かされても証拠が残る。
「お待ちください!」
「逃げられます!!」
「聞こえないのか!待ちなさい!」
リュカオンの声が聞いたことのない大声で私を呼ぶ。
その手は食わない。たとえ本物のリュカオンだろうと、私は寮まで逃げることに決めたのだ。
「待て!黒髪と言えば!?」
それは。
去年王宮へ遊びに行った時、戯れに決めた合言葉じゃないか。
知っているのは私とシャロンとクロード、リュカオンの四人しかいない。
「青い瞳!」
「違う!菫色だろう!」
緊迫した場面でも、カマかけに動じない力強い声。
私は無我夢中で声の主の元へ駆け寄った。
明かりの下でリュカオンが腕を広げて待っている。吸い込まれるように飛びついた。
「うえええええっ、流石に怖かったあああああ」
安堵で意地も恥も剥がれ落ちて、ボロボロと涙が零れた。涙だけでなく、鼻水とよだれで顔はべちゃべちゃ、見るに堪えない情けなさだったろう。
「よしよし、よく頑張ったな」
リュカオンは見苦しい顔が周囲に見えないように、制服が汚れるのも構わず胸を貸してくれた。