トラブルメーカーは自覚がない
「アシュレイ殿下に確認して、告白する前に振られてしまいました」
アンジェラはぐすんとべそをかきながら部屋に入ってきたが、ヴィクトリアの白い手を両手でギュッと握ってお祝いを述べた。
「でも思いが通じ合う喜びは格別ですよね。おめでとうございます」
「あ、ありがとう、アンジェラ様」
こういう所を見ると、やっぱり悪人ではないのよね、アンジェラは。
ふと扉の方を見ると、クロードが申し訳なさそうに立っている。アシュレイの侵入を許した私同様、アンジェラを防ぎきれなかったらしい。扉は死守したが、アンジェラは素早く窓から入ってしまった。
私はクロードを手招きして近くに呼び寄せておいた。
アンジェラはがっくりと肩を落として呟いた。
「アカデミーに来たのは初恋の人を探すためだったのに、こんな幕切れはちょっと…予想外でした」
私は思わず口を挟む。
「初恋の人と再会して、愛が芽生える夢を見てた?」
「ええ、そういうロマンチックな事が起きたらいいなって」
ふむ。それは乙女ゲームのシナリオとしていいわね。淡い初恋、幼いころの思い出、絡み合う運命。王道だわ。ワクワクする。アカデミーの入学理由でもあるなら、『初恋の人』はシナリオ全体に関わるキーワードだろう。
「気を落とすことはない。ホワイトハートの初恋は、幼いころに結婚の約束をした人だろう?私はホワイトハート男爵家との付き合いはないから、君に会ったのはアカデミーが初めてだ。人違いだよ」
「でもでも、いろんな人の話を聞いて、条件の合う人はアシュレイ殿下しかいなかったんです」
「その理屈で言ったら、私も条件に合ってない」
アシュレイは少々事情を知っているようだ。『初恋の人』を探して攻略対象との絆を深めていくのが話の大筋なのかな?
「放課後、アンジェラ様と交流していらしたのは、初恋の人探しのお手伝いですか?」
「ああ、その通り」
アシュレイはハッとして、腕の中のヴィクトリアを覗き込んだ。
「もしかして、そのことでも君に誤解させてしまったのかな」
「もう過ぎた事は構いません。ただ、アシュレイ殿下はこれまで他の女生徒と特別仲良くされることはなかったので、勘違いしてしまいました。自分の狭量が恥ずかしいからもう仰らないで」
「逆だよ、君に変な誤解をされたくないから、これまで他の女子とは距離を置いていたんだ。でもホワイトハートには、君が嫉妬するような理由が何も見つからないから特に気を使わなかった」
さすがに失礼過ぎでしょ、本人を目の前にして。怒っていいのよ、アンジェラ。
しかしアンジェラは全く意に介する様子がない。デリカシーない代わりに自分も怒ったり傷ついたりしないのは、筋が通っているわ。
「嫉妬してくれたのか?ホワイトハートの人探しを手伝ったのは、君が女子寮の予定で忙しい時だったし、いつでも君の方を優先していたから、そんな必要なかったのに。でも嬉しいよ。凄く可愛い」
赤面して俯くヴィクトリアに、アシュレイは額をくっつけて睦言を囁いた。
囁いたって言ってもばっちり聞こえている音量ですけど。
私たちが居なかったら絶対キスしてるな。いやもう、居てもしそうな勢い。
私はわざとらしく咳払いをした。
何で私がこんなに気を遣わなきゃならないのよ。私まだ12歳よ?我、新入生ぞ?
「込み入った話ですから、立ち話でもないでしょう。あちらのソファへかけられては?」
「ああ、そうしよう」
さっさと退散したいところだが、もうちょっと話を聞いておこう。
対決しないので、セッティングしたテーブルはもう必要ない。私たちは一先ず応接用のソファへ座り、クロードは飲物を用意してくれた。アシュレイはその優雅さを損なわず、堂々と、上品に、ヴィクトリアを膝抱っこして腰を掛けた。
ヴィクトリアは抵抗を試みてアシュレイの顔をぐいぐい押しつぶしたが、どれだけ変顔になってもアシュレイは微笑みを絶やさなかったので、しばらくすると力尽きてぐったりしてしまった。
あと一時間は離さない、という宣言がぶれることは全くないようだ。
「アシュレイ殿下は人違いだと仰っていますが、アンジェラ様は納得がいかないようですよ。忘れていらっしゃるということはないのでしょうか?」
「忘れるも何も、面識があるはずがないんだ。ホワイトハート男爵家は古参の家柄だが、革新派で王室と親しい付き合いがない。子供のころの私が、派閥の違う家と交流を持つなんてありえない。親も侍従も、そんな予定を組まないだろうから」
「でも公務で孤児院へ慰問したことがあると仰っていましたよね。その孤児院に私がいたとしたらどうですか?」
「孤児院にいたらって…。そりゃあ、昔に会った人を全員もれなく覚えているとは言わないが」
アシュレイはアンジェラが孤児院で育ったとは知らなかったらしく、話のつながりがわからず戸惑った。
「私は十年前、誘拐されて、家へ帰れず置き去りにされたんです。そのあと孤児院に引き取られてから、何日も高熱を出したらしくて、記憶が曖昧なんですけれど、金髪と銀髪の男の子のどちらかが、私を励ましてくれました。その言葉に勇気づけられて、これまで希望を持って生きてこられたんです」
初恋の人なのに、記憶フワッとしすぎじゃない?金髪か銀髪、どっちかもはっきりしないの?誘拐のトラウマで仕方ないのかなあ。
「髪の色だけですか?顔や、背丈や、他の特徴は?」
アンジェラは静かに首を振る。
「それが、記憶に霞がかかっていて、よく思い出せないの。名前どころか、顔も何もかも。たぶん三回ぐらい会って、必ず迎えに行くからと言ってくれて…、大きくなったら結婚しようという約束が、とても嬉しかったはずなのに、夢か現実かはっきりせずに諦めかけていたわ。だけど、自分の空想だと思っていた貴族の娘という記憶が事実だったから、初恋の人も実在するかもしれないと考え直したのよ」
「でもそれじゃあ、探しようがないですね。雲をつかむような話だわ」
「そうね。向こうも私を探してくれていると思っていたから、思い出話をすれば簡単に見つかると思っていたけど、考えが甘かったみたい」
仮に再会したとしても、忘れられているようでは、恋愛対象として望み薄だ。
「アシュレイ殿下、私、子供のころの口約束を盾に、まとわりつくつもりじゃありません。ヴィクトリアさんと両想いになられたからには、今更お二人の間に割って入りたいとも思っていません。ただあの日のお礼をいいたいだけなの。嘘つきと周りから言われ続けた私を信じてくれて、どれだけ勇気づけられたか…」
アンジェラの訴えは迷惑はかけないから正直に言ってほしいというものだったが、それは、裏を返せばアシュレイの誠実さを疑うものだった。
それがよくなかった。アシュレイを怒らせたのだ。
アンジェラの言葉の途中で、どっと空気が重くなった。ビリビリと空気が震えて肌に刺さる。アシュレイの聞いたことの無い低音が静かに響いた。
「ホワイトハート、重ねて言うが、やはりそれは私じゃない。君と私が、偶然どこかで出会って、それを忘れている可能性はあるだろう。君を勇気づけられたなら光栄なことだ。しかし、私はこの国の第一王子として生を受け、教育を受けてきた。我々の責任の重さと義務について、物心つく前から繰り返し、繰り返しだ。どんなに年端が行かなくとも、安直に女性に求婚するなんて絶対に許されないし、絶対にしない。軽率な発言は慎みなさい」
こんなに怒るなんて、私が考える以上に、アンジェラの発言は王族としての矜持を軽んじていたようだ。逆鱗に触れるってこういうことじゃないだろうか。
私とクロードとヴィクトリアは全員、空気の重さに耐えられず項垂れていた。暑くもないのにじっとり冷や汗が浮かぶ。
「私、決して軽い気持ちでこんなこと言っているんじゃありません。覚えていない事はわからないじゃないですか。ほんの少し、昔の事を考えてみてくれるだけでいいのに…」
わーん、ばかばか。もうやめてよう。こんな怖い人にまだ口答えするなんて、ある意味大物だけど、身を亡ぼすわよ!私達凡人がいないところで勝手にやってほしい。
「君は、自分の言いたいことばかりで人の話を何も聞いていない。聞かない者に言葉を尽くして何になる?人に何かを求める前に、まず自分の行いを顧みるがいい。私が伴侶にと望んだ女はこれまでの人生でヴィクトリアただ一人。この気持ちを誰にも否定させはしない」
ここでアンジェラは、ようやくアシュレイが怒っていることに気付いたらしく、身を縮めた。
「申し訳、ありませんでした…」
「君の初恋になれなくてすまないね」
ふっと空気が緩んで、怒らせた張本人以外の方が、脱力してため息をついた。
怖かった。寿命が縮むかと思った。
アシュレイは早速ヴィクトリアにかまけて、君に怒ったんじゃないよとかなんとか、イチャついている。もういい。それでいい。この人は怒らせたらいけない人だ。
今の状況はおそらく、アシュレイルートのイベントが起きているが、パラメータが足りていない状態だろうと推測される。親密度か、学力や魅力、もしくは初恋の人を探すという謎解き部分の証拠など、諸々が足りていないせいでバッドエンドだ。
乙女ゲームでバッドエンドになった経験はあまりないのだが、推理モノで選択肢をミスした場合に似ている。謎を残したまま、他に分岐があることを匂わせつつ、物語が途中で突然シャットダウンしてしまう。ナレーションベースで後日譚が語られたら、即スタッフロールのやつだ。
アンジェラの実力が足らなかったせいかもしれないし、私が介入したせいで、時期的にまだ早いのに、終盤のイベントを起こしてしまったせいかもしれない。
アシュレイにはヴィクトリアを、と望んだが、アンジェラがこのままぼんやりと誰も攻略せずに卒業することも本意ではない。
アシュレイが初恋の人だと信じているアンジェラに、本物は別にいると納得させなければならない。
「アンジェラ様、条件に合う人がアシュレイ殿下しかいなかったという事ですが、その条件を教えてくれますか?前提が間違っていたから勘違いしたのかもしれませんよ」
「まず同じ年頃だということ。それから貴族らしい身なりの、とても綺麗な子だったこと。あとは金髪と銀髪の二人連れで行動するような交友関係があることと、誘拐される前の領地も含めて、私の行動範囲内に行った事がある人、という四点よ。本当は他にもあるけど、これ以上の条件は誰も当てはまらなかったの」
ダメじゃん。推理ポンコツじゃん。調査不足だよ、もっと頑張ろ!
「しかも、記憶があやふやなのに主観的な情報ばっかり……」
普通こういうのって、思い出の品とかあるものじゃない?
「そうなんだ。それで捜索が行き詰ってな。さすがにおかしな勘違いをしているとは思いもよらなかった」
「アシュレイ殿下には銀髪のご学友はいらっしゃらないように思いますが、どう条件を満たしているのですか?」
「弟のリュカオン殿下は銀髪でしょう?だから二人で慰問にきたなら、思い出とつじつまが合うわ」
「リュカオン殿下は五つも年下で今年13歳ですよ。とても同じ年頃とは言えないのでは」
「えっ!?リュカオン殿下ってあんなに背が高いのに、まだ13歳なの?」
そんなこったろうと思ったわよ!そんなので条件だのなんだのちゃんちゃらおかしいっての!
「今年入学されて、誕生日が来たばかりの13歳です」
「あんなに背が高いから、一つ年下ぐらいかと思っていたわ」
リュカオンの背が高いというより、アンジェラが小さいのだ。前世なら平均身長の少し下というぐらいだけど、この国の人間は色素が薄いことから判るように、緯度が高めの所に住んでいる系の大柄な人種なの。この国の平均で考えるとアンジェラはハッキリ言ってドチビだ。
「10年前、誘拐直後くらいの慰問なら3歳ですよ。さすがに3歳に公務はさせないと思います」
ヴィクトリアもはっと思いついたように声を上げた。
「それに、何日も高熱を出されたのよね?危険な伝染病かもしれない人を王子が見舞うことはありませんよ。周りが絶対に許可しません」
「それは…、記憶の混濁が熱のせいと言うだけで、出会った時に熱が出ていたわけではないからだと思います…」
アンジェラが自信なさそうにもごもごいう。
「熱の出た後出会ったなら、記憶があやふやな理由になりませんよ」
「本当だ…。何故なんでしょう?」
ここで質問に質問で返すんかーい!
「ヴィクトリア様ぁ!このかた、思考回路が支離滅裂です!本当にアカデミーの入学試験を通ったんですか!?」
「まあ、その……。短期の特別マナー枠の試験は、あなたが受けられたものより幾分簡単かもしれませんわね」
アンジェラではなく、ヴィクトリアの方が申し訳なさそうに眉間にしわを寄せている。
はあ、仕方ない。
ここでアンジェラを質問攻めにしても要領を得そうにないので、もう私が独自に調べることにしよう。
「記憶はあやふやだという前提ですから、そのことはまあいいでしょう。あともう一つ言いたいのは、子供のころの髪の色は自然に変わることもあります」
「そうなの!?じゃあ、私の初恋の人は他にいるかもしれない!?」
うーん。やっと言いたいことが伝わった。あんまり難しい理屈よりも簡単な事実の方が効くようだな。
「勿論故意に染めることもできますから、あまり髪色にこだわらず、もう少し捜索範囲を広めてみてはいかがですか?」
「ありがとう!!そうするわ!」
途端にアンジェラは瞳をキラキラさせて、私の手をぎゅっと握った。
「あなた、賢そうな喋り方が鼻に着くと思っていたけどいい人ね、考えを改めるわ!」
一言多いよ、一言。
「そうだ、私の人探し、手伝ってもらえない?賢いあなたなら、私の曖昧な話も、つじつまが合っているかどうか判るでしょう?お願い!」
ハイ、来た。
まあそうなりますよね。さあどう出るのが吉か。




