私の属性は
「まあ……美少女…よね…?」
姿見の前にまっすぐ立ってじっと中を覗き込むと、可愛らしくも豪華な寝間着に身を包んだ鏡の中の少女が神妙な顔して見つめ返してくる。
ゆるやかなウェーブを描く長いプラチナブロンドに、丸く大きな青い瞳はたっぷり潤ってキラキラしている。子供なのでまだ鼻は低いが、細い顎と整った輪郭の顔は小さく、将来にはスタイルにも期待が持てそうな気配だ。
ローゼリカ・ディタ・バーレイウォール
まもなく八歳になる侯爵家の一人娘である。
前世を思い出したはいいが、肝心のゲーム内容に関する知識はなかった。
記憶が曖昧なのではなく、元より知らないのだ。思い出すかもという望みは持てない。
仕方がないから、流れに身を任せて自然体で生きようと一時は決心しかけたが、王子が何の脈絡もなく婚約を申し込んできたことに恐怖を覚え、やはりある程度対策を練っていこうという結論に達した。
ゲームシステムやストーリーは知らないが、ランキングなどでは乙女ゲームに分類されていた。たしかキャッチコピーは
『百花繚乱の恋』
とかなんとか。あれ?十人十色だったかな?まあいいや、とにかくそんな感じだ。
これらの事から推測して、ゲームの主眼の一つは『個性豊かな登場人物たちと花のように色とりどりの恋模様を楽しむ』事で間違いないだろう。
リュカオン王子はメインビジュアルであると共に、物語進行に応じて主人公と愛を育むキャラクター、以後便宜上『攻略対象』と呼ぶ存在だろうから、今後も動向に注意が必要になる。
王子と皇太子の親子はあの後すぐに帰った。父親同士は仲が良いのだから夕食ぐらいと思ったが、予定があるそうだ。
おかげ様で今後の身の振り方についてじっくり考える時間が出来た。
敵を知るにはまず己から!という訳で、今は就寝前に自己分析の真っ最中だ。
そこでまず直面したのは、自分は物語的味方陣営なのか、敵性戦力なのかという問題である。
流れに身を任せていればめでたく王子と婚約だったという状況から考えて、まさかモブということもないだろう。
おそらくヒロインかプレイヤーキャラ、反対に物語と恋愛における障害的存在のどちらかだ。なお、その性質の善悪にかかわらず後者を以後便宜的に『悪役令嬢』と呼称する。
しかしここから先で途端に行き詰ってしまった。
と言うのも。
主人公というほどのカリスマやオーラや特殊技能はなさそうだが、かといって白雪姫の継母のごとき敵役然とした悪辣な印象もないのだ。
判断がつかなくて困ってしまう。もう一度確かめる様にじっくり鏡を覗き込む。
賢そうな形の良い額が見える様に、前髪を左右に垂らしており、その大人びた髪型が良く似合っている。一文字の眉は意思が強そうでもあり、純朴そうでもある。薄い唇は情が薄そうとは思うものの、笑うと案外人懐っこい笑顔で、色素が薄いせいで全体的に儚げながら、表情でガラリと印象が変わり、どれも決定打とはいいがたい。
侯爵令嬢という身分も微妙だ。
王子の見合い相手に選ばれるくらいだから、富も名誉もある高位貴族には違いないのだろうが、今生八年分の知識で系図をたどる限り、王家の血を色濃く受け継ぐ最高の血筋とも言い難い。
実に中途半端だ。
「本では沢山読んだのに、なかなか上手くいかないもんだな…」
一人ごちてよく手入れされた豊かな髪を手に取る。
一度はまとめられた髪を観察するために解いていたので、もう一度緩い三つ編みに直していく。でないとまっすぐでない髪は寝ている間に絡まって朝起きた時に大変なことになるからだ。
今の所、気苦労以外のなにものももたらしていない前世の記憶だが、この状況で一つだけ役に立ちそうなものがある。
それは前世の私の趣味だ。
私の趣味はあらゆる物語を蒐集すること。
そしてそれを研究、というほど大げさなものではないが、分析したり分類したりして、類似点や原典を見つける事。時代による流行り廃れを眺める事。
物語であれば媒体は何でも鑑賞した。小説や漫画はもちろん、ゲームやTVドラマ、映画も沢山見た。音楽の歌詞の中にも物語を見出し、試験の問題文でさえ興味の対象だった。
物語と言えばやはり本だろう。純文学からライトノベルまで、怪談もミステリーも軍記もラブロマンスも、ジャンルは幅広く読んだ。古典からネットの掲示板に至るまで、好き嫌いを問わずとにかく量を読み漁った。
その結果、私は物語のセオリーを見出したように思うのだ。
物語の分類は多岐に渡るので、一口に説明することは出来ないが、私は膨大な物語を蒐集する内に、舞台設定と登場人物を見れば大体の展開と結末が判るようになってしまったのだ。
趣味の話はこれぐらいにするが、とにかく物語に関する幅広い知識が、今の私の拠り所だ。
このゲーム自体の話は知らないので、その他の多くの物語から類推してかじ取りをするのだ。セオリー通りでない物語は先読みしづらいが、その場合でも必ず伏線やフラグは存在する。これらをきちんと回収・管理して、イベント回避すれば平穏な人生が手に入るはずだ!
その為にも、登場人物としての自分の立ち位置を見極めることは非常に有意義だったのだが……
ゲームだからと言ってそう簡単に、見た目で判別がつくわけではないらしい。
まあ確かに、見た目だけでそんなに色々判ってしまっては、この世の悪事はすべて事前に防げることになってしまう。
髪を編み終えると、外見の観察は切り上げてベッドに入る。
では判らないなりに、悪役令嬢だと仮定したらどうだろう?
その場合は今すぐ対策を講じる必要はない。こっちは物語の障害として立ちふさがる強者なのだ。行いを正しく保っていれば、足元をすくわれる心配もないし、すくわれるとしてもずっと未来の事になる。
攻略対象と距離を取り、フェードアウトを図るのは一考の余地ありだが、全く知らない所で話が進行して状況を把握しきれないのはデメリットだ。
近づきすぎないよう、間違っても婚約者になどならないように一定の距離をおいての経過観察が望ましく、これはすでに実行済みだ。よしっ、よくぞ断った。自分を褒めたい。
ではさらにピンとこないが、この物語のヒロインだとすればどうか?
これは先ほどとは違い、由々しき問題だ。
ヒロインと一口に言っても色んなタイプが居るけれども、困難に打ち勝つという点は共通している。
そうでなくては物語にならない。
美しさでも、特殊技能でも、幸運でもなく、試練を乗り越えた経験こそがヒロインをヒロイン足らしめる。
つまりヒロインである限り、降りかかる試練からは逃れられない。
行いの正しさも何も関係ない、いつ襲い掛かるかも判らない災難こそ、今最も恐れるべきなのだ。
例えばだが、ヒロインである場合、私の身分が高すぎる。
ヒロインは圧倒的に下剋上することが多い。これはシンデレラストーリーにおけるカタルシスとして重要な要素だが、侯爵令嬢が公爵令嬢や王女に下剋上してもドラマは薄い。思い切りが悪い。貴族としては一番下位の男爵令嬢やいっそのこと平民の方が、見ている分には気持ちがいいものなのだ。
では私が真にヒロインであった場合どうなるか。
何らかの理由で今の生活から転落する可能性が高い。
今日の王子との出会いは、表舞台に返り咲くための伏線となるわけだ。そうなると王子に求婚までされて印象付けたのは大きい。よしっ、上手くもてなしたおかげだ。自分を褒めよう。
よくある展開としては事故や陰謀で家が没落するか、誘拐されるか。
もうじき八歳の誕生日だ。そのあたりが危ないな。普通は因果関係などないだろうが、何せゲームなものだから。
ふう、と一つため息をついて、念のためポケットに忍ばせた家の紋章が入った指輪を確認して目を瞑る。いざと言う時の身分証明だ。
ヒロインはいつ災難に見舞われるかわかったものではない。
実に、由々しき問題だ…。