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金蘭連理の枝

 リュカオンを運び出す間に、私も慌ただしくポリッジを平らげ、車に乗り込んだ。

 後の事は、私の側近ではないバーレイウォールの衛士とリュカオンが連れてきた近衛騎士に任せることにして、私たちはべオルフ城を出た。

 人が死ぬのは嫌だと思ったわけでなく、今の私は疲れすぎていて、取り返しのつかない判断を下す精神力が残っていなかったのだ。シャロンが自身の骨折の報復をするというならきっと止めなかった。しかし彼女の怒りは私のためだった。

 リュカオンに関してもそうだ。彼が私のために怒ってくれたことは嬉しいが、だからといって判断を委ねてしまえば、負い目を感じることになっただろう。

 私は最後に車の窓からべオルフ城をちらりと振り返った。森の中の隠し砦であるため、少し離れただけで外観はすでに見えなくなっていた。代わりに大袈裟に焚いた照明だけが、鬱蒼とした森の中でも明るく光って存在感を放っていた。

 私の希望で、一台の車に全員がぎゅうぎゅうと詰め込まれるように乗った。私のために用意された乗り心地の良い車よりも、一回り大きい車に変えてもらったが、それでもクロードは長い手脚を縮め、イリアスは呆れた表情で閉口し、私とシャロンはリュカオンの上に折り重なるように座った。

 窮屈ではあったが、その分包まれるような安心感で、目を閉じると落ちるように眠れた。


 起きた時、ちょうど車がバーレーウォール邸に着いた。クロードが眠ったままの私を運ぼうとしたところ、少し体勢を変えただけで自然と目が覚めたので、自分の足で歩くことにした。

 身体は重いが、頭は不思議と冴えている。少しずつでも仮眠を取ったおかげだろう。

 早朝と呼ぶべき時間になっていたが、冬のユグドラは夜明けが遅い。外はまだ暗く、朝の気配は遠く東の彼方に沈んだままだ。

 あるまじきことが一度に起こったせいで、邸内は今も慌ただしいのではないかと思っていたが、すでに落ち着きを取り戻していた。かといって、寝静まっている訳でもなく、護衛官だけでなく数多くの家事使用人が起きていて、遠巻きにこちらを見ていた。手やハンカチを振って合図をする顔なじみのメイドとフットマンには、安心させようとこちらも笑顔で手を振り返したが、中には『お帰りなさい』と大きく書かれた大弾幕を掲げている者もいて、歓迎に感謝しつつもどう反応して良いかわからず苦笑するしかなかった。私が帰るまでにあの横断幕を急いで用意したのだろうか、それとも屋敷にもともとあったのか、ささやかながら深淵の謎である。

「あなたが無事に救出されたことは、先に触れ回っておくよう伝令に指示しました。お疲れでしょうから、挨拶は明日以降にするように、とも。ああして姿を一目見ようと集まったことは大目に見てください」

 イリアスはそう言いながら、あちこちに向かって振っている私の手を捕まえて、自分の腕に添わせた。

「皆が待っていてくれて嬉しいわ。全部片付いたら、お休みやお給料を弾むように手配してね」

「はい。そう致しましょう」


 シャロンは移動中に高熱が出始めたそうで、屋敷に着いた時には意識が朦朧としていた。いつもなら毅然と断るだろうに、抗う気力もないシャロンをリュカオンが抱え、クロードが先導して私たちは家に入った。敷地内の女子寮に自室を持っているシャロンだが、今日は治療と看護のため本館のゲストルームに部屋が用意されているとのこと。

 ホールの端にシャロンの両親が迎えに来て、リュカオンは父親にシャロンを受け渡した。一礼した後ミレニアム家は屋敷の奥に帰っていき、リュカオンもまた報告があるからと王宮に戻った。

 私は階段を登って自室へ向かう。中には父と、痛ましいほど泣き腫らした母が待っていた。

 そこでクロードとイリアスも、まだ用事が残っていると言って部屋を出たので、3人きりになる。

 私は歩いて行って、やっとのことで立ち上がった母を抱きしめた。

「ただいま戻りました」


「よかった、ローゼリカ。あなたが無事に戻ってきて、本当に良かった……!」

 静かに、しかしとめどなく涙を流す母につられて私も泣いた。

 こんな状態でも、容貌だけでなく立ち居振る舞いの全てが奇跡のように美しい母は、温室の中の花のようで、少しの動揺でも折れてしまいそうな人を悲しませたのが辛かった。

「お母様、ご心配をおかけして……」

「あなたのせいじゃないわ。あなたは何も悪くない。ただ戻ってきてくれたことが、嬉しいの」

「はい……」

「よく頑張ったね。お前が誇らしいよ」

 父は私と母を二人まとめて抱きしめた。

「すでに無事だと報告は受けたが、顔が見られて良かったよ」

「疲れたでしょう。今日はもう休んで、また明日話しましょう」


 父に支えられながら部屋を退出した母と入れ替わりに、メイドたちが入ってきて頭を下げた。いつも私の世話を焼いてくれる年若いメイドたちではなく、彼女らを指導監督する大ベテランばかりという顔ぶれだ。中にはクロードの母の姿もあった。

 ベテランメイドは、私がバスルームへ向かって移動するのに合わせて、器用に外套や上着を剥ぎ取り、何もかもお見通しという動きをしながら、

「なんなりとお申し付けください」

 と言った。

「こんな時間までありがとう。どうしてもお風呂に入りたいの。手伝ってもらえる?」

「もちろんでございます。冷えたお体を温められた方が、きっとよくお休みになれます」

 汗に埃に散水の水、砂利にクモの巣。それらが湿って肌に張り付き、生乾きになった不快感と悪臭が全身にまとわりついている。疲労困憊の身体では日課の入浴さえ億劫だが、それでも恐怖や悔恨とともに汚れを洗い流したい気持ちが勝った。

 湯舟に毎日つかりたい私が頼んで専用に設えられたバスタブには、良い香りの入浴剤で白濁した湯が、すでに適温で準備されている。

「手間をかけるけど、よろしくね」

「勿体ないお言葉ですが、どうぞ今日くらいは、お気遣いなくなんでも仰ってください。たとえ姫様が、今から王都中の仕立て屋を呼べと仰っても、一番人気の歌手に子守歌を歌わせろと仰せになっても、わたくしども一同、全力でご要望にお応えする所存です」

「なあに、それ。そんなこと、考えたこともないのに」

 メイドは全員にこにこと、私を安心させるように笑っているが、中には堪え切れず目元に涙を浮かべている者もいた。

「今日の姫様はそれくらいご立派だったということです」

 私自身は、あまりそうは思えない。私が判断を間違えなければ、叱責を受ける護衛官や夜通し働きづめになる者も、寒い中今現在奔走している者も居なかった。

 しかし無事に帰れなければ、そんなものでは済まなかったと考えると、これ以上自分を責めるのは止めようとも思えた。

 普段は大抵一人で入浴するけれども、今日はバスタブからはみ出た手足と髪をメイドに洗ってもらう。小さな打撲や擦り傷が、心の傷のように少し沁みたが、温かい湯に溶けてすぐに気にならなくなった。

「果汁やスープはいかがでしょうか?」

「イリアスがポリッジを作ってくれて、移動する前に食べたのよ。だから大丈夫」

「それはようございました」

 入浴を済ませてからも、これに慣れたらダメ人間になるというレベルでちやほやと世話を焼かれ、髪を乾かしてもらいながらいつの間にか寝落ちしていた。


 自然に目が覚めるまで寝ていると、日が高く昇っている時間になってしまった。

 筋肉痛や小さな怪我で体はあちこち痛いが気合の問題だ。動きが不自然になるほどではない。身支度を済ませて軽く朝食を取ってから、私が一番最初にしたのはシャロンの所へ向かうことだ。

 裏口や厨房から近く、大きな窓から庭も見える広いサロンにベッドを運び込んで、シャロンは両親と一緒に滞在していた。入り口付近にはいくつも見舞いの品が届けられている。

 シャロンはまだ高熱が下がらず真っ赤な顔をしていたが、それでも元気に食事を頬張っているので少し安心した。

「あっ、姫様!シャロンに会いに来てくださったのですか!」

「ええ、そうよ。私が無事なのはあなたのおかげだもの。呼んだらいつでも駆けつけるから、大人しく寝ていなくてはダメよ」

 シャロンの腕や顔は細かな傷まで丁寧に軟膏やガーゼで治療され、右手のギプスは昨日より小さなものに、包帯はより整然と巻かれていた。

「骨折以外は元気なものですけれど、熱が下がるまでは大人しくすることにします」

「利き手を負傷して、不便でしょう?なにか必要なものはないかしら」

「姫様の髪を結うのは難しいので、いつも通りとはいいませんが、さほど不便はありませんよ。怪我は初めてではありませんし、左もある程度使えるようにしています」

 そう言って、左手で器用にカトラリーを操って、シャロンは残り少しの食事を口の中へ運んだ。

「いっぱい食べてすぐに治します」

「絶対にそうして。私はあなたがいないとダメなんだから」


 それから私はシャロンの両親に向き直った。

 母親は名をカナリア・ミレニアム。父親の方はダンタリオ・ミレニアムという。

 2人はいつも忙しくそれぞれの仕事をしているが、今日は休みをもらって娘の側にいる。

 カナリアは母の嫁入りと一緒についてきた3人の侍女のうちの一人である。そのことは以前から知っていたが、私の母メイヴィスが、もとはティターニア出身であるという先日の話の流れから、カナリアもまたそうであることが分かった。確かにカナリアは、ティターニア人らしい色素の薄いミルクティー色の髪をしている。

 優美な柳眉と薄い色でも存在感のある束感睫毛。かわいいと綺麗を黄金比でブレンドした美女で、今現在100点満点中120点の美少女であるシャロンが、将来はこんな風になるであろうという確度の高いロールモデルだ。

 ダンタリオは当家の治安を守る武門の家系、ミレニアム家の五男で、私の父の警護をしている。16の娘がいるとは思えないほど実年齢も若いのに、細い体躯に童顔でそこからさらに若く見える。シャロンの栗色の髪はダンタリオから受け継いだもので、幼い頃は親子らしく見えたものの、今では少し年の離れた兄に間違われるだろう。武人としては小柄なほうだが、こう見えてバーレイウォール最強の男である。

 この屋敷に来たばかりの頃、周囲に馴染めず手負いの獣のようだったカナリアを、まだ成長期前の小さな少年だったダンタリオが、手合わせで叩きのめしたことが二人の馴れ初めだとか。

 どこのアマゾネスのエピソード?

 ボコボコにした人とされた人の間に、最終的に絆が芽生えるところがシャロンの両親らしい。


「シャロンに怪我をさせてしまったけれど、そのことについては謝らないつもりよ。同じことがあったら、私はまた同じようにシャロンを頼ると思う」

 謝るくらいなら、同じことを繰り返すべきではない。実際シャロンは利き手だけでなく、命まで懸けようとしていた。かと言って、今度は彼女に頼らないというのも違う。

「だからお礼の言葉だけ受け取ってほしい。ありがとう。2人で協力しなければ帰ってこられなかった。この恩には必ず報います」

 いつか恩を返すという意味ではなく、この先ずっと、命運を共にする。

 同じ場所を目指して歩を並べ、志半ばに倒れるならば共に落つ。

 それが、私の意志ならば最期まで戦うと言ったシャロンの献身に報いる方法ではないだろうか。私たちが望んでいて、私たちに最も合っている関係の形ではないだろうか。

 守り守られるだけでなく、シャロンの傷を自分の事のように思い、それを忌避する道を取るのと同じように、私が必要に迫られて身を切る選択をした時、シャロンにも身を切らせよと強いること。そしてシャロンに私の進退の全てを預けること。

 その覚悟が固まった。


 誤解のないように伝えるのは難しいと思ったが、決意した気持ちだけでも聞いておいてもらいたかった。

 しかし、私の言葉を聞いた二人の目を見てわかってしまった。

 きっとシャロンの両親は、8年前、シャロンを私の侍女にすると決めた時に、すでに覚悟を終えていたのだ。

「ありがたいことです。それが主従というものでしょう」

「才覚の足らぬ娘ではありますが、そうであればこそ、無二の主を得る巡り合わせだったのですね」

 カナリアとダンタリオがそれぞれ言った言葉に、身を賭して仕える従者の矜持を垣間見たような気がする。

「それに、礼を言うのはこちらの方です。娘から話は聞きました。剣を抜いていれば、たとえ勝ってもこんな怪我では済まなかったはずです」

「それは判らないわよ。私に覚悟が足りなくて止めてしまったけれど、体格差があったから得物のほうが有利だったのかもしれない」

「いいえ。フロラント王弟は、あの享楽的な性格でも一角の武芸を修めた天賦の才の持ち主です。年齢のことを加味しても、シャロンでは五分の戦いがせいぜいかと思います」

 カナリアはなんだか面識があるかのような口ぶりね。まあ、あの野郎、悪名高そうではあるわね。

「そんなことありまっせーん!あの老いぼれより私の方が強いです!」

 シャロンがベッドの上から大声で主張した。

 それをたしなめるダンタリオに、ため息をつくカナリア。

 この親子、顔がいいな……。

「敵の動きまで制御できなければお守りすることは難しい。利き手を負傷していては、危険な賭けになったはずだ」

「はあ、この性格。私にそっくりでお恥ずかしいかぎりです」

「相手は御身に手を上げることも厭わない卑劣漢だったとか。その状況を一人でしのいだことは手放しに誉めてやるつもりです。しかしそれも姫様の機転あってのことでしょう。娘を無事に返してくださって、ありがとうございました」

 お礼を言いに行ったのに反対にお礼を言われてしまい、少し釈然としないまま、あまり長居もできないとシャロンの部屋を出た。

 しかし不運も重なり失敗もした中で、一番大事な選択だけは間違えなかったことへの誉め言葉として、受け取っておくことにした。

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