山生まれのトリリオン
腰を抜かした私はクロードに抱えられ、ひとまず3人でその場を離れた。
今はまだVIPルームに人が集まっているが、扉が破られれば、鉄格子と窓に吊るしたロープで外に逃げたことは一目瞭然だ。見つかってしまっては、多勢に無勢でなす術がない。すぐにでも身を隠す必要があった。
一つしかない城門を目指すことは予測がつくとしても、居所が分からなければ捜索に人手を割かれて守りが薄くなるはずだ。クロードが窓の真下に降りるのではなく、少し離れた渡り廊下までわざわざ飛んだのも、足取りをわかりにくくするためだろう。
二階の連絡通路を移動している途中、何度かVIPルームの応援に呼ばれた兵士とすれ違った。そのたびにクロードが兵士の接近を察知し、余裕を持って柱や物陰に隠れてやり過ごすことができた。
匂い袋のせいでクロードの鼻は本調子ではないそうだが、彼は鼻だけでなく耳も良いらしい。
このベオルフ城砦には、もともと兵を集結させる為に作られたのであろう中庭や奥庭があり、それらを取り囲むように通路が繋がり、建物が建てられている。
一本道の通路を切り抜けた後、私たちは正面入り口の城門が斜めの角度からよく見える防衛設備に身を潜めた。
侵入者を火力武器で狙うための狭間があり、そこから城門付近で篝火に浮かび上がる兵士たちの姿が確認できた。
城の規模からすれば兵士の数が少ないとはいえ、到底三人でどうにかなる人数ではない。
脱出するためには、もう一捻り策が必要だ。
「どうやら、なにかもめているようです」
クロードに言われて見ると、確かに兵士たちは城門の外に向かって大声を張り上げている。内容までは定かでないが、和やかな雰囲気でないことは伝わってくる。
「城門を開くことはできないとか何とか……。おそらく到着したバーレイウォールの救出本隊が、城門を開けて中に入れろと要求しているのではないでしょうか」
ならば緊迫した状況を警戒するために、兵士たちは城門に集まっているだろう。そして残りはVIPルームの扉を破る応援で城の奥にいる。ほとんど敵と接触することなくすんなり移動できたのはそのおかげだ。それも扉が破られるまでの話であり、ここからさらに移動して脱出口を探すなら人員が二分されている今がチャンスと言える。しかし。
「潜入してきたクロードが、まっすぐ正面入り口まで戻ってきたということは、他に出られそうな場所は全くなかったということね」
「はい。べオルフ砦の城門は正面の一つだけで、他には小さな通用門も一切ありませんでした。砦として形骸化してからも改築しなかったようです」
肝心の出入口が一つしかない。それが問題である。
「兵を伏せておくための隠し砦だったせいか、外周の城壁に防衛設備がなく、その分高い塀となっています。入ってから気づいたのですが、内側からも登り口はなく、乗り越えることは困難です」
「あなたは?どうやって入ってきたの?」
「無理矢理よじ登りました。僕を含めた10名が先遣隊として最初に到着しましたが、踏み台になったり投げ上げたりと協力し合って潜入できたのは4人だけです」
「そう。私が乗り越えるのは到底無理ね」
クロードは肯定するかわりに自分自身を責めた。
「申し訳ありません。もっと脱出のことを考えて備えておくべきでした」
「あなたがとにかく急いで来てくれたから間に合ったのよ。もう少しで取り返しのつかないところだったんだから。ねえ、シャロン」
「はい。卒倒するといけないので説明は後にしますが、結論だけ言うならクロードさんは私の命の恩人です」
「そうですね。間に合うよりも優先すべきことはありませんね」
「やっぱり私たちは3人一緒の方が上手く行く。それを証明する為にも、必ず無事に帰りましょう」
私は改めて城門の周囲を観察した。
三人でぎゅうぎゅうと身を寄せ合って、小さな狭間から外を覗く。
石畳の通路の脇に大きなレバーのような装置がある。おそらくあれを操作すれば城門が開くはずだ。門さえ開けば、外から応援が入ってくる。その混乱に乗じて何とか脱出できないだろうか。
クロードも同じ考えらしく、身をかがめながら、
「あの開閉装置で門を開きさえすれば後はなんとでも……」
と呟く。
「私もそう思うけど、操作や開門に時間がかかるのじゃないかしら。しっかり時間稼ぎの作戦を練らないと危ないわ」
「跳ね上げ式の門ですから、安全のためにゆっくり開くようになっていると思います。ただ、ああいう構造は開くよりも閉じる方がずっと大変なんです。再び閉まるまでの間に待ち構えているバーレイウォールの救助本隊がなだれ込んできますよ。さほど難しくはないかと」
「ではこのシャロンが!サッと行ってバッとやって参ります!あのレバーを反対側に倒せばよいのですね」
シャロンは合点承知とばかりに素早く身を翻した。
「待って!」
慌てて引き留めようとしたが、私の手は動きについて行けず見事にスカった。クロードの長い手がシャロンの腰ベルトをなんとか掴んで引き留めに成功する。シャロンはきょとんとしている。
「ご、ごめんね。シャロンには私と一緒に陽動に回ってもらった方が成功率が上がりそうだと思うの。時間はないけど、もうちょっとだけ考えさせて」
「確かにそうですね。さすがは姫様です」
「姫様が陽動に参加される必要はありません。フィリップがおりますし、残りの二人も仕事を終えたら合流するはずです。それだけでは心元ないので、外にいる応援にも僕と同じ方法で城壁を越えてもらいましょう」
「さっき協力して4人しか越えられなかったって言っていたでしょう?」
「それは踏み台になる人数が足りなかったからです。先ほど合流の合図を送った時の返答から推測して、すでに十分な数の後続が到着しております」
あー。窓から出る時遠吠えしてたヤツね。
「随分到着が早いわね」
「それはもう……お家の一大事ですから。それにべオルフ砦は目立つ建物です。道案内や伝令のために途中で待機していた人員の役目がなくなって、全員集結できたのも大きいと思います」
なるほどね。今城門で中に入れろと圧をかけているのも、突入できる体勢が充分整ったからってわけだ。
「こちらが近くまで来ている事と、内外の陽動から開門を試みるよう伝えます」
クロードは懐から取り出した小さな笛を口に当てがった。
小刻みに息を吹き込むように頬が動くが、肝心の音が聞こえない。犬笛だ。
犬は人間より可聴域が広いため、人間には聞こえない高周波の音に反応することが出来る。それを利用して周囲に気付かれることなく合図を送ることが可能だ。
クロードは合図を送り終わった後、じっと集中して城壁の向こう側を見つめた。私も何を待てばいいのかわからないながら、クロードの反応を見守っていると、クロードはふいに驚いたような表情で瞬きした。
「城門の突破については全面的に任せてほしいとのことです」
…………。
えッ?何も聞こえなかったけど、今外から返事が来たの?
犬笛で合図を送るって、訓練された犬の反応でなんやかんや巧い事やって単純な意思の疎通を図るって感じだと思ってたんだけど……、もしかして犬笛の暗号そのものが聞こえるってこと?クロードをはじめとしたトリリオン一族の耳がいいって、人の限界を超えたそういうレベルだったんだ。
これも山岳地帯出身のなせる業なのだろうか。
山生まれってスゴイ。改めてそう思った。
「ただ、混乱に乗じて正面から脱出する案は、何が起こるかわからないからやめるように、と。代わりに王家の秘密通路を使って良いとリュカオン様から指示が来ています」
「リュカオン様が来てるの?来てくれるにしても、到着早過ぎない?」
それでも、クロードが犬笛の音聞こえる方が驚いたけどね。
「短い暗号文なので詳細はわかりませんが、機密を言伝かってきたのは間違いないようです」
城門の周辺は嵐に備えるように突然静かになった。
「繰り返し送られている暗号文を復唱します。念のため一緒に覚えてください」
「わ、わかった!私メモ帳持っているから安心して」
隠し通路といえば謎解き。謎解きと言えば途中で発見した意味不明の数字の入力。
メモ帳さえあれば数字の桁が多かろうと心配は要らない。その他数学パズルの場合でも何かとお役立ちだ。
私は大きく膨らんだスカートの中に隠した秘密道具のポーチから、携帯用のメモ帳と鉛筆を慌てて取り出した。リュカオンとの出会いで電撃を受けてから早八年。家の中にいる時でさえもこのポーチを手放したことはない。
探し続けた隠し通路の発見に、私の道具が役立つのなら、これまでの努力が今まさに報われようとしているのではないか?
「東棟三階の、女主人の間の真下にある第一侍女の部屋。その隣にある衣裳部屋の反対隣りの納戸に隠し通路あり」
隠し通路の場所、開け方、暗証番号までの全てを二回ずつ読み上げ、最後に私のメモを確認してから、クロードは犬笛を短く吹いて合図を送った。
静かだった城門前が再び、さらに一層騒がしくなり始める。早速陽動作戦が始まったのだ。
人の動向から見て、まだ奥のVIPルームは破られていない。
「ここは南側なので、東棟はあちらです。焦らず慎重に行きましょう」
クロードは私を抱えようとしたが断った。疲労が限界を超えても休めない状況を鑑み、隠し通路というアシストも得て、私の脳みそはアドレナリンを分泌することにしたようだ。今ならいける!!
「あなたは周囲の気配を探るのに集中して。あともうひと頑張りよ」
陽動の成果か、私たちは順調に東棟まで移動出来た。女主人の部屋はその名通りの豪華さで判りやすかったが、第一侍女の部屋と納戸は、似たような作りが沢山あって、荷物が置かれていたりいなかったり。位置関係を聞いていなければ正解の場所を見つけられなかっただろう。
指定の部屋の左奥には造作の棚があり、価値のなさそうな壊れた道具が埃を被ったまま置かれている。その棚に荷物を乗せた状態のまま、棚受けを引き上げるようにすると、ドアノブの役割をして隠し扉が開く仕組みになっていた。
「泥棒は衣裳部屋に注意が向くようになっているし、棚板を動かすには降ろすべき重さの荷物が乗っていないと動かない仕組みになっていて、見つからない工夫がされているのね」
「隣の第一侍女の部屋も位置関係が微妙で、あまり上級使用人の部屋らしくありませんでした。実際には使用しないカモフラージュなのかもしれません」
重い隠し扉がスムーズにスライドして人一人分の狭い通路が現れる。扉が横にスライドした先にも造作棚が組まれているのだが、開いた後は棚板が組木のようにうまく互い違いになっていた。ぶつかるから動くはずがないという心理を利用しているのだろう。一見して無造作に置かれているように見えた荷物も、こうなると実は計算されつくした配置だと判る。
隠し扉を一歩、中に踏み込むと、すぐ突き当りになっていて、回り込む様に通路が続いていた。位置的には第一侍女の部屋の正面奥のところだ。
三人とも通路に入って扉を閉めてから、クロードはようやく灯りを点けた。
パキと小さな音がして、スティック状のライトからじんわりと蛍光色の光が滲みだす。
それは!
夜店でよく腕輪になって売っている奴!
あるいはイベントやライブで振り回したり振ったりするヤツ!!
そんなのあるの?私も欲しい!
ますますボルテージが上がってきた。
「ここから先は足元にお気をつけて」
クロードを先頭に先へ進むと、短い通路の奥に下へ降りる梯子が架かっていた。縦穴は暗く中がどうなっているのかはわからない。
クロードはもう一本サイリウムを割って光らせ、その穴の中に投げた。光は暗闇に飲まれて小さくなっていき、音もなく止まったが、最後わずかに跳ねたことで硬い床があるのだと推測できた。
「地下まで続いているようですね」
私には深いと言う事しか判らなかったが、クロードにはおおよその見当がついたらしい。
「先に降りて様子を見てまいります。灯りを円状に三回振ったら問題なしの合図です」
クロードは私のケープとコートを手早く剥ぎ取り、ドレスの足元を絡げて、まとめた髪とブーツの紐にそれぞれ目印替わりのサイリウムを差し込んだ。
「少し寒いと思いますが、ご辛抱ください。シャロンは姫様が半分くらい降りたら後に続いて」
そう言いおいてからクロードは梯子を下り始めた。
一段ずつ順番にではなく、出動がかかった消防隊員のようにすごい勢いで滑り降りる。あっという間に下までついて、光がくるくると円を描いた。
よし、私の番だ。
クロードがサイリウムで私の足元と視界を明るくしてくれたので、難なく梯子を降りることができた。穴が深い事は頭で理解していたが、暗いので実感がわかず恐怖も感じなかった。
ただし、あまりに梯子が長いので、半分を過ぎたあたりから疲れて息が上がってきた。
暗がりで一人、単調な作業を繰り返していると、徐々に私の体は疲労困憊であることを思い出し始めた。
もし手足に力が入らなくなり、梯子を踏み外してしまったらどうなってしまうのか。思い出した途端、体重を支える筋肉がもう無理だと震え始める。
まずい。冷静になってきた。今正気に戻ったら終わる。
私は気を逸らすため、レベルアップのファンファーレを無限に口ずさみながら手と足を動かした。
そう、レベルアップし続けることで、スリップダメージを受けてもHP0にはならないと自分に暗示をかけるためである。
傍から見れば、さぞやご機嫌な様子に見えたことだろう。
そうこうしているうちに降り進み、最後はクロードが抱えて降ろしてくれて、無事地下に着くことができた。
クロードが「ハァッ!」って言うところまで入れたかったけど、無理でした。
次回「ハァッ!」って言ってたら、ここまで入れたかったんだなあと感慨深くご覧ください。




