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もはやこれまで

「何するのよ、離して!」

 掴まれた腕を振り払おうとしたが、逆に引っ張られて前のめりになる。シャロンが後ろから体を支えてくれなかったら、ソファの間のローテーブルに叩きつけられていた。

 ヴァンサンは体勢を崩した私に顔を近づけて威圧した。

「この娘を残して全員部屋から出ろ。フロラントに連れ帰るつもりであったが、追手が迫っているのであれば急がざるをえまい」

「私が素直に言う事を聞くと思ったら大間違いよ……!」

「せめてもの心遣いが気に入らんようだな。フロラント王室の伝統的な初夜の作法に則って、見届け人に周りを囲ませても良いのだぞ」

 掴まれた腕から、怖気が虫のように首の後ろまで這い上がる。

「こんなの意味ないわ。私はマグノーリア妃の娘じゃない。本当に違う」

 私が顔色を変えたのを見て、ヴァンサンは愉快そうに顔を歪ませる。その一瞬の隙をついて、シャロンが腕を振り払い、私の体を引き寄せた。

 私は勢い余って後ろのソファに倒れ込んでしまい、体制を立て直すのに時間がかかった。

 ヴァンサンは腕をさすりながらも、余裕の表情を崩してはいない。相手がこちらを侮るうちはチャンスがある。兵士たちが部屋の外に出るのはむしろ好都合だ。冷静に立ち回ればうまく切り抜けられる。


「不思議だな。そう思うのであれば、尚更従順にすべきだろうに。その血統が無価値でも愛人として面倒をみて貰いたければな」

 しかしその言葉一つで、私は怒りと恐怖に支配され、冷静さが吹き飛んだ。

「こっちから願い下げよ!かならず後悔させるからね」

「どんな事情があろうと、貴族社会は純潔を失った女に厳しい」

「はッ?な、なんっ……、なんですって!?」

 想像をはるかに上回る下種!厚顔無恥!支離滅裂!!

 頭に血が上って咄嗟に言葉が出てこない。

 しかも被害者に責任を押し付け、社会がそれを容認すると確信している。

「我はただ、逃げ場などないと伝えたいのだ。代々ティターニアの王女には、花にちなんだ名前が付けられる。そなたのように。温室で育てられた花は、野生では枯れてしまう運命だ」

「根拠は花の名前!?馬鹿馬鹿しい!この国に、そんな人間が何人いると思うの」

 そう言ってから私はハッとした。

 もしかするとこの男は、真偽などどうでもよいのではないだろうか。

 奴の野望に必要なのは、本物の王女ではなく、あくまでそれらしい人物。プラチナブロンドと花の名前と、マグノーリア王太子妃の娘として違和感のない年頃の少女なら誰でもよいのではないか?

 であれば、私が本物ではないと理論立てて説明しても意味がない。

 違う意味でゾッと身震いした。

 つまりそれは、亡き王朝の末裔を騙り、王位を簒奪することだ。

 少なくとも、目の前のこの男はその覚悟でやっている。生半可なことでは諦めないだろうし、手段も選ばないだろう。もう理屈の通じないところまできている。


 私はじりじりと身構えて動き出すタイミングを計った。すでに室内から兵士たちは全員退出している。シャロンに目配せで、部屋の閂を再びかけるように指示する。シャロンが頷くことはなかったが、視線の動きからみておそらく伝わった。

 私はヴァンサンの注意を逸らすように、ソファを横に移動して距離を取る素振りを見せた。

「また追いかけっこか?時間がないと言っているだろう」

 ヴァンサンは苛立ちを隠すことが出来なくなってきている。

 私はソファの左端に向かって一歩踏み出し、つられて動いたヴァンサンと同時に体を切り返してソファの背もたれを乗り越え後ろに回りこんだ。これで少なくとも手を伸ばしても掴まれない位置まで離れることができた。

 私たちはお互いの表情を凝視しながら、ゆっくりと対角線上にソファの周囲を旋回する。相手が止まればこちらも止まり、動き出せば動いて一定の距離を保ちながら。

 問題はこの後だ。

 部屋は広く、障害物もあるが、逃げ場がない。

 兵士たちを部屋から締め出してから、シャロンと二人がかりでヴァンサンを拘束するとして、この部屋から逃げ出すべきか籠城するべきか。

 隠し通路を使っての脱出は、出口がどこに繋がっているのか分からず、成功は運しだいの賭けになる。囲まれでもしたら万事休すだ。

 籠城作戦の方が堅実とはいえ、すでに一度踏み込まれており、同じ轍を踏んで失敗を繰り返すのは避けたい。

 攻めの姿勢で行動したいものだが、勝算がなければただの無謀である。さりとて、慎重な方法では事態が好転しないほど追い詰められてもいる。

 シャロンならばどうするだろう。


 私がほんの少し気を逸らした瞬間をついて、ヴァンサンはソファを乗り越え距離を詰めようとした。慌ててソファの周囲を移動した私の動きを見越して、ヴァンサンは体を翻し、センターテーブルの上を突っ切った。伸ばされた手を危うく躱したと思ったが、後ろになびいた長い髪が敵の手に絡めとられ、私は後ろへ引き倒された。

「あううッ」

「さあ、観念しろ」

 髪を縄のように巻き取って引っ張られたので、髪がぶちぶちと千切れ、抜ける音がする。頭皮の痛みで引きずられるように立ち上がったところを、上向きになるよう首を抑えられて、さらに髪が千切れた。

「30年前、我はマグノーリアの婚約者だった。寂れた離宮で、人知れず隠されて暮らしていたマグノーリアの顔を知る数少ない人物だ」

 だから話に信憑性があるってわけ?王位化粧の問題に、不確かな情報が認めれるはずないわ。

 私は反射的に吠えようとしたが、無理な体勢で声が出なかった。

 至近距離で見上げたヴァンサンは目が血走り、私利私欲に塗れた表情は年齢に関係なく醜い。

「マグノーリア、貴様があの時逃げ出さなければ、フロラントの玉座は我の物だった」

 マグノーリア妃と私を混同してる!?明らかに正気じゃない。

 目の前の現実と錯綜するほどの執着。そこから出た言葉は紛れもなく本心だろう。

 玉座を責任だと考えられない者に王たる資質はない。

 たとえどんな事情があろうとも、こんな人間の手に王冠が渡らなかったのがせめてもの救いだ。

 

 態勢が悪い上に後ろ向きでは、無理やり引きずられてもヨロヨロとふらつくことしか出来ない私に業を煮やしたためか、ヴァンサンは髪から手を離して腕を掴んで引き寄せた。ようやく呼吸が楽になる。

「玉座を奪ったのは奴らの方であり、我はそれを取り戻そうとしている。故にこれは正しい行いなのだ。その手伝いをさせてやることを光栄に思うがいい」

 あまりに稚拙な言い訳に、私は意図せず嘲笑が漏れた。

「他人の犠牲で得るはずだったのなら、最初からあなたのものじゃなかったのよ」

 ヴァンサンが怒りで青ざめ震える。私の手首を掴んでいる方とは反対の拳を振り上げるのが見えた。

 しまったと思ったがもう遅い。言うべきではなくても、言わずにはいられないこともある。

 私はたぶん、避けることも反撃することもできない。けれど気持ちだけは負けない。目を逸らさず、急所を守って、逃げ出す隙を見つけてみせる。

 覚悟を決めた私の前に、シャロンが間一髪で飛び込んできた。

 シャロンはヴァンサンの振り上げた片腕に取りついて、勢いを殺しながら捻り上げる。しかし腕が完全に極まる前に、ヴァンサンは反対の腕に掴んだままだった私を無理やり引きずってシャロンにぶつけた。

「姫様!」

 シャロンは私が怪我をしないように受け止めることを優先し、そして私をかばってヴァンサンの平手打ちを受けた。

 強かに打たれてよろめきながらも、続く二撃目の拳は軽やかにかわす。

 しかし、拳が空振りした勢いのまま放たれた蹴りがシャロンの腹に吸い込まれるように入った。

 シャロンはまるで軽いもののように後ろへ吹き飛び、少し離れた床の上に倒れ込んだ。

「シャロン!」


 倒れたシャロンを目の当たりにして、私は全身の血の気が引いた。体をめぐる温かい血潮が滝のように落ちて、頭から順に体温が失われていく感覚に囚われる。体が冷たい。

 私が駆け寄るより先に、ヴァンサンが追い打ちをかけ、起き上がろうとするシャロンの右手を踏みにじった。

「ああッ!」

 シャロンの口から思わず悲鳴が漏れる。その声で私も我に返った。

「やめて!やめて!!」

 必死に体当たりしてヴァンサンの足をどかせようと試みるものの、びくともしない。たとえ放蕩者の王子でも、それなりに鍛えている。

 シャロンは最初の悲鳴以来、声を上げないように堪えているが、ヴァンサンがシャロンの手を踏む足に体重をかけるのがわかって、私の方が叫んでしまった。

「やめて!あなたの言う事を聞くからお願い!」


 ふっと抵抗が軽くなり、ヴァンサンは私に押されるまま後ろへ下がる。

「よかろう。素直になるまで時間がかかったが、我は寛容な夫になるつもりだからな」

 こいつの言う素直という言葉は、「正直」ではなく「従順」という意味だ。

 言動から人間性が滲み出るたびに、私の気持ちは陰鬱に曇る。

「ティターニアの護衛侍女もこの程度か、取るに足りぬ。だが心配無用だ。今後は我がもっと良い護衛をつけてやろう」

 ヴァンサンは私の肩を掴んで、寝室がある扉の方へ踵を返した。

 シャロンは、それを阻止するためにドンと床を叩いてすぐに起き上がった。ふらつきを隠すように足を踏ん張っている。

「確かに。あんな虫が止まりそうな打撃に当たるなんて自分の非才を恥じ入るばかりです」

 シャロンはヴァンサンから視線を外さずに、口の中の血を床に吐き出し、無造作に袖で拭った。殴られた側から出た鼻血の跡が肌の上に残った。

「けれど、今の私よりよぼよぼのご老体を制圧するくらいは、この若輩者にも簡単ですから、あなたはご自分のことだけご心配なさっては?」

「頭が悪い犬は良く吠える。扉の向こうには兵士が大勢控えているのを忘れたか。女に生まれたことを後悔させてやる」

 シャロンの挑発でヴァンサンはみるみる余裕と品性を失った。シャロンはお構いなしに追加の油を火に注ぐ。

「御託は結構。明日の太陽にお別れをどうぞ」

「やはり叩き切ってやる」

「奇遇ですね。私もあなたの首と胴体は離れた方がいいと思っていました」

 軽い脳震盪は収まったようだが、シャロンの調子が万全でないことは明らかだ。殴られた頬はまだわずかに腫れているだけに見えるけれども、すぐにもっと無残な様子に変わるだろう。体幹へのダメージは感じられずとも、踏まれた右手は握ることが出来ない状態で小刻みに震えている。

「貴様の主人が従うと言ったのに下僕がそれを反故にするとは、役立たずなうえに不忠義だ」

「そちらは騙してかどわかし、力で屈服させようとしているくせに、清廉潔白を押し付けるな。恥を知れ!」

 ヴァンサンは佩刀に手をかけ、刀身の根本がわずかに光った。シャロンもスカートの下の短剣に手を伸ばす。二人はにらみ合いながら平行移動して、巻き込まないように私から離れた。

 このままでは切り合いがはじまってしまう。私は肺一杯に空気を貯めた。


「そこまでよ」

 小走りに追いかけて二人の視線を遮るように間に入る。

「王弟殿下、私を利用したいのであれば、侍女を人質に取るべきでしょう。違いますか?」

 私の血統に関する真偽を、ヴァンサンがどのように認識しているにせよ、警護の厳しい侯爵令嬢をわざわざ誘拐してくる程に、代わりの利かない人材なのだ。ヴァンサン自身も殺すつもりはないと明言していた。

「私の侍女を殺したら、絶対にあなたの言いなりにはならないわ」

「それはどうかな?侍女がいなくなれば、そなたは抵抗する術を失う。我にすがって生きるしかなくなるのだ」

 ヴァンサンは刀身を再び収めた。私自身の安否が脅しに使えない以上、代わりになるものはシャロンの身代しかないとは考えなかったようだが、少なくとも私が本気だということは伝わったらしい。

「いいえ。何を犠牲にしても絶対にあなたの野望を阻止する。身の内に蛇を飼うのは愚か者のすることよ」

「今の窮地は、そこの侍女の力不足のせいだ。そこまで義理立てする必要があるのかね」

「ただの家事使用人じゃないわ。姉妹のように育ったのよ」

 ヴァンサンは思案顔で、しばし私とシャロンを見比べた。

「ふむ……。『羽根』と呼ばれていたマグノーリアの侍女達も姉妹同然に仲が良かった。拍付けにはなるか……」

「彼女が私の侍女でいる限りはあなたに従う。それでいいでしょう。さあ、今すぐ私をフロラントへ連れて行きなさい」

 バーレイウォールの助けはすぐそこまで来ているはずだ。とにかく目前の危機さえ先延ばしできれば。

「その手には乗らない。そなたには今ここで、我と婚姻関係を結んでもらう」

 私の遅延行動もここまでか。

始めはシャロンが一発殴られた状態で話が先に進んでいたのですが 、そうなると次のシーンで「私はまだやれる!」と全く言う事を聞かなかったため、適度に痛めつけるという血も涙もないトライ&エラーを繰り返していました。正直まだ足りない気もしますが、怪我が大きすぎると今度はローゼリカが発狂するため、ひとまずこれで進行します。

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