淑歩の術
カメ更新で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします。
私とシャロンは、先ほど蹴破って飛び降りた、窓のない護送車のような車に再び乗せられた。ぽっかり空いてしまった扉の部分は、布で覆って応急処置してあるが、布は風にたなびき頼りない。私でも力任せに引っ張れば、簡単に外れて脱出し放題という風情だ。
しかし、そうはさせないとばかりに、四方八方を傭兵の騎馬が厳重に取り囲んでいる。移動中の再脱走は望み薄である。
シャロンは、暗いながらも補修の隙間から外を窺って、車の速度や方角からおおよその位置を把握するために神経を研ぎ澄ませている。私は邪魔をしないよう、隣に座って静かにしていた。
私は私で、時間稼ぎをするネタの引き出しを増やしておくとするかな。
クロードが順調に街で協力を求め、その後は速馬を飛ばして報告と人手を確保し、救出隊を編成、バーレイウォール邸まで往復したとして……およそ二時間程度だろうか。
つまり、別行動を取った地点から、クロードは二時間遅れで私を追いかけてくることになる。20分くらいは泣きわめいて時間を稼いだので残り1時間40分ね。
きっとこの後、誘拐騒動の首謀者と引き合わされるはずだ。もったいぶって、中々顔合わせにならなければ好都合だが、そうでないならば、自分ひとりで1時間40分の漫談をして時間を稼ぐことになる。高度なトークスキルが要求されるミッションだ。
まずはさっきと同じようにしつこく細かく質問しておいて、全然話を聞かないでおく。
これは腹も立つわ気力もそがれるわで時間稼ぎにはいい方法だ。
あとは、さも関係ありそうな滑り出しで延々と自然科学の雑談をしてみてもいい。宇宙の膨張とか、フィボナッチ数列とか。ざっと30分くらいにはなるだろう。
普通なら話が通じない人のフリも有効だが、その戦いは正気度が高い方が負ける。人質を取って要求を通そうという人間は狂気に取りつかれているに決まっているので、分が悪いかもしれず危険だ。
うーん……。蘊蓄雑学で隙を与えないよう澱みなく1時間半話し続けられるかな?ネタは4つくらいあればいいか?喉も渇くだろうし不安だなあ。
最近お気に入りの新刊のストーリーと見どころだったらいくらでも話せるのに。
いや待てよ?内容は何でもいいのだから得意な話の方がいいよね。ここは千夜一夜物語よろしく、前世で人気だった過不足の無い完璧な物語であるあの兄弟の漫画や、金曜の夜にお馴染みの国民的あのアニメを披露したら、ウケにウケて夜が明けてしまうのでは……!?
天才的閃き!そうと決まればあらすじを復習して引き込まれるように話さなくては!
まず空から女の子が降ってくるところから始まるのよね。
ボーイミーツガールは王道にして最高のロマン……!素晴らしい沼に人がハマる瞬間は金を払ってでも見たいですなあ!
アレがそうなって、ここはこうして、最高潮の盛り上がり、時に叙情的に、神BGMを補うように……。…………。
ガタンと車が段差を乗り上げた振動に驚いて飛び上がる。
「わあぁッ!」
今、確実に意識が飛んでいた。
慌てて周りを見回すが、状況には全く変化がない。
「私寝ていたわよね。ごめんなさい、緊張感がなくて」
じゅるりと口の端の涎を拭う。誘拐途中に寝るなんて能天気すぎる。
「いえ、体力の限界だったのだと思います。まだこれから気を張る状況が続きますから体調を心配していましたが、思いがけず休息を取れたのは幸いでした。姫様はさすがの胆力をお持ちです」
だから。強引な褒めを無理やり挟まなくてよろしい。
いくら私がポジティブモンスターでも、「やったー!私の度胸スゴイ!」とはならないわけ!
しかし散々走り回った後なので、少しでも体力回復できたのは大きい。頭もスッキリしている。今後の正念場で踏ん張りが利くだろう。
布で補修されただけの車は隙間風が激しく、冷え切っていたが、体力回復できたのは体が冷えないように工夫してくれたシャロンのおかげだ。
シャロンは自分と私の外套をボタンで繋げて一枚にし、その中に2人で包まって、お互いの体温で暖を取れるようにしていた。この方が、1人ずつ上着を着ているよりずっと暖かい。
「どれぐらい寝てた?」
状況からして20分くらいだろうか?
「ちょうど二時間です」
「に、二時間!?そんなに!?」
それなのにまだ着いていないの?
シャロンは神妙に頷いた。
「今敷地内に入ったところです」
そう言って、補修布の隙間をチラリと目配せする。
私の位置からは、張られた布まで手が届かない。隙間からは時折灯りが差し込み、人の気配がした。確かに街道沿いや山の中とは雰囲気が違う。私が予想していたよりも人がたくさんいるようだ。
違和感を感じながらも、考えがまとまらないまま車が止まった。
「クロードさんの安全を考えれば、姫様の判断は的確でした。しかし想定外の部分は否めないと思います」
外れた扉の代わりに出入口を塞いでいた布が外からはぎとられた。
私の目の前に現れたのは、大きな石造りの城門、数多くのかがり火、それに負けないくらい無数の兵士たちの姿。
「クロードさんが心配していたのはこう言う事だったのかもしれません」
完全に想定外だ。私はゴクリとつばを飲み込んだ。
私をこの車に押し込んだ司令塔よりも、さらに上品な男が、恭しく膝をついて礼をした。
「遠いところご足労いただき、誠にありがとうございます」
誘拐しておいてご足労とは、随分な言い草よね。腹が立って言い返したかったが、私は気弱な貴族令嬢の設定を守り、視線を逸らすだけに留めた。私の姿を遮るようにシャロンがずいと身を乗り出す。
「あなたがたは、我が主を凍死か衰弱死させるおつもりですか。穴の開いた車で、防寒の備えもなく延々と長時間の移動。今すぐ暖かいお湯を用意してください。でなければ動くことも出来ません。それから十分に暖炉を焚いた部屋も必要です。これ以上体を冷やしては体調を崩してしまいます」
グッジョブ、シャロン!ナイス遅延行動。
その後もシャロンは、気が利かないだの、貴婦人の身支度を覗き見る趣味があるだの、侃々諤々と応対役の男をやり込め、車の外れた扉を再び布で目隠しさせた。
遅延行動ではなく、ただ怒っていただけなのかもしれない。
用意されたお湯に手ぬぐいを浸し、私の手と足を清めて温めながら、シャロンはヒソヒソした声で現状を報告しはじめた。
「距離と方角、建物の規模から考えて、べオルフ城とみて間違いありません」
「べオルフ?」
聞いたことがない名前だ。
「建国当初、王都防衛に建てられた実戦的な砦ですが、300年間本来の目的で使われたことがないため、現在では貴族の保養地や催し会場として形骸化しています。創作物に登場することがないので、姫様がご存じないのはそのせいかと」
なるほどね。
「目立つ建物なら追いかけてくるのに苦労はないわね」
「はい。追跡して場所を突き止めるのは想定より容易です。その分救出は困難になりました」
連れて行かれる先は、ほど近い郊外の廃墟か山小屋、広くてもバカンス用の別荘くらいが関の山だと思っていた。相手は傭兵を雇える程度の貴族か豪商で、時間を稼いでいるうちに取り囲んで制圧してしまえばいいという算段だったのだ。しかし、敵の拠点は思ったより大きく堅固で、想定が甘かった。
「籠城も可能な拠点に、想像以上の人数がいます。救援の数が足りない場合、人数を集めるのに時間がかかります。バーレイウォール邸から非常に遠く、不利な状況です」
私の案の方が安全第一ではあったけど、クロードの案の方があらゆる状況に対応可能だった。二時間も移動すると分かっていたら、もっと逃げ回る方法をとっただろう。
「兵士を制圧するわけではありませんから、やりようはあると思いますが、安全な救出計画の吟味には時間がとられることになると思います」
力技が利かないとなると、そりゃそうよね。
「ただ、私たちが普通に移動していたのに対して、バーレイウォールの救助は死に物狂いで追いかけてきているはず。時間差は縮まっているでしょうから、この点は遠方であることが有利に働いたと言えるでしょう。もう少しのご辛抱です」
私も少し体力回復出来たし、時間差は縮まっている。悪い事ばかりではない。
「じゃあ私たちは時間稼ぎと、助けてもらいやすい場所まで移動できるかが勝利のカギってことね。それでシャロンは、いざという時しっかり走れるように私の足をほぐしてくれているのでしょ」
「その通りです。我々の姫様がとうてい奴らの手に負えないことを思い知らせてやりましょう」
シャロンは目を細めてゆっくりと唇の端を吊り上げた。
あー!美の擬人化、顔面偏差値の暴力!
「そうと決まれば!靴は自分で履くから、あなたも冷えた足を温めて準備万端にして。頼りにしてるわ、よろしくね」
「姫様の期待以上に努めます」
シャロンは手早く靴を脱いで、豪快に湯桶に足を突っ込んだ。私が靴下と靴を履き終えるのと、素早いシャロンが身支度を整えるのは同時だった。
目標が決まると気持ちが明るくなって良い。
私たちは顔を上げて颯爽と車から降りた。
篝火に照らされて陰影が揺れる石造の外壁は武骨で物々しい。私の挙動に注目する兵士たちの無数の視線が恐ろしかったが、私は意に介していないように振る舞った。
高貴な私を傷つけられるはずがないと、疑いもしない事が、大貴族の家に生まれついた子女の精神性だと考えるからだ。庶民の性根が染み付いている中身の私は、それが愚かな思い込みであることを知っているけれど。
物資を積んだ荷車が行違ったり、装備を整えた兵士が騎乗したまま出撃できるように、通路は公道のように広くなっている。その割に正面入り口が小さいと感じて後ろを振り返ると、立派な玄関と車寄せは遥か後方にあった。私を逃がさないように、歩かせないように、出来るだけ城内の奥まで乗り入れ、車は中庭に止まっていたらしい。
鎧戸と外壁は耐久性重視の粗野な造りだったが、一歩扉を潜ると内装は豪華絢爛だった。
外装と調和するように砦らしい重厚感を出しつつ、煌びやかな雰囲気もまとっている。例えば、置いてある調度品はフルプレートや軍旗をモチーフにしたタペストリーであっても、傷一つなく輝くほど磨かれており、細かい刺繍が施されていて、美術品の側面が強い。マリウス砦に展示してあった、ヘコミや傷跡が残る鎧とはまるで趣きが違う。チェストやテーブルも、角ばった厚みのあるデザインに細かい彫刻がびっしり入っていて、剛柔の融合といった風だ。
城内を部屋まで案内される途中、私はしずしずと歩いた。
思い知れ。貴族の女は牛より歩みが遅い。それを念頭に置いていても、実際は想像を上回るほどさらに遅い。
二階の部屋に通された時、平静を保っていたのは応対役の上品な男だけで、周囲を固めている腕の立ちそうな兵士たちは、やれやれやっとだというため息を隠し切れずにいた。
「廊下側の扉の前に見張りを立てます。お許しください」
「判りました。部屋の中に置くと言われないだけ感謝するべきでしょうね」
「そのような必要性はないと信じております」
余計なことをしたらそうせざるを得ないと遠回しに言い、応対役は扉を閉めて下がった。
私は暖炉の前まで歩き、そこから足音を殺して扉の前まで戻ってきて、廊下の様子を伺った。宣言通り、見張りが二人扉の前に残ったようだ。その他の気配は感じない。
その間にシャロンは、室内をくまなく点検した。
案内された部屋は、通ってきた廊下やホールと共通の、重厚な調度で統一されたゲストルームだった。暖炉がよく燃え、暖められていて不足はなかったが……。何というか……巧く説明できないが、気遣いの感じられない部屋だ。
誘拐されてきたのだから、そんなものを求める方が間違っているとも思う。
しかし、何らかの誤解や行き違いを期待してみる気持ちが消え失せるには充分だった。
表面だけ取り繕ったような気味の悪い違和感は、この部屋を用意するよう命じた人物、つまり誘拐を指示した黒幕の人柄そのもののように思えて、ゾッと嫌な予感がした。
車が止まってから、部屋に入るまでおよそ30分。残り1時間10分時間を稼ぎ、その間に身を隠すか外に逃げ出す算段を付ける必要がある。




