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やるのかい やらないのかい

バーレイウォール邸は王都の北東。誘拐されたローゼリカの現在地は正反対の北西です。

前回の記述が逆になっておりました。脳内の地図を反転して続きをお読みください。

 何がどうなったのかサッパリ判らないながら、私たちは無事に走る車から脱出することができた。車は座席が無人になってもお構いなしに走り続けていく。

 道には車が付けた轍と、クロードが飛び降りた際の衝撃で何か所も地面をえぐった跡と、座り込む私たちだけが残された。

 後ろから駆け寄ってきたシャロンが、立ち上がる私を助るために手を差し伸べた。

 シャロンもクロードも土まみれでドロドロだ。

 私は何もしていないのに息だけ上がっている。

 冷たい風が私の髪を攫い、混乱する頭を少しだけ冷静にしてくれた。


「2人とも怪我はない?」

「ありません。姫様も大事ありませんか。後から痛み始めることもございます。気付いた時点ですぐに仰ってください」

「わかった。私のせいで大変なことになったわね。ごめんなさい」

「我々の落ち度です。しかし反省は家に着いてからにしましょう」

 クロードは私の手を引いて、舗装された街道から、脇の草原に移動した。

 街道脇から防風林までの空間は、手入れがされておらず雑草が生い茂っている。今は冬のため、朽ちていない枯草が折り重なっている状態だ。

「市街地まで戻れば何らかの援助を受けることができると思いますが、ここから街までは徒歩です。ご辛抱ください」

「大丈夫。今日は活動しやすい靴だから、たくさん歩けるわ」

「来た道をそのまま戻るのは見つかる危険があるため、少し迂回しましょう。辛くなったら抱えます。無理はなさらないでください」

 クロードは私の手を引いて、歩きやすいところを確かめながら前を進んでいく。シャロンは周囲を警戒しつつ、私の斜め後ろに続いた。

 路傍は平らでないので足元は悪いが、枯草は掻き分けるほど背丈が高くなく、歩いてもそれほど苦はない。その代わりに身を隠すこともできない。しかし、夜の郊外は街灯が整備されていないせいで非常に暗い。距離さえとれば、おいそれと見つかることはなさそうだった。


「クロード、私はまだまだ元気よ。少し走って距離を稼ぎましょう」

「しかし、走るより早歩きくらいの方が体力を温存できます。汗をかいて体を冷やしてもいけませんので……」

「こんな時のために普段から走り込みをしているの。頑張らせて」

「わかりました。初動が肝心ですから、行けるところまで行きましょう」

 追いかける方からすれば、逃げ出した痕跡の残る場所から離れれば離れるほど、円状に捜索範囲は拡がっていく。範囲が広がるほどに、人員は分散し、見つかりにくくなる上に、見つかっても強引に切り抜けられる確率があがる。実際には動きを予測されたりして、理屈通りに巧くはいかないだろうが、相手の裏をかく余地も生まれる。

 反対に、狭い範囲を大人数でしらみつぶしに探されては逃げおおせることなどとても不可能だ。よって最初にどこまで逃げられるかが、家に帰れる難易度を左右するのである。


 一番遅い私の足に合わせて、私たちは暗闇の中を走った。

「追手が付くとしたら、僕たちがここから最も近い外郭の衛兵詰め所へ駆けこむと想定して追いかけてくるはずです。ですから捜索ルートから外れるために、南へ迂回してバーレイウォール所縁ゆかりの商業施設を頼ります」

 私たちが、街にさえつけば何とかなると考えるのと同様に、追手は街に入られる前に捕まえたいはずだ。だから少し遠回りでも慎重に行動した方が良い。

 しかし、走って充分な距離を取る前に、シャロンが鋭い声でかがむ様に指示した。

「静かに。頭を低くしてじっとしてください。灯りが沢山近づいてきます」

「数は」

「少なくとも6以上あります」

 三人で息を詰めて枯草の間に潜む。乱暴な言葉遣いの会話が聞こえてきた。


「中身が空のまま車が走っていやがった!」

「運転手の奴、無能にも程がある!」

「ここに物が落ちたような跡と扉の残骸がある。この辺りで逃げ出したんならまだそう遠くまで行ってない。探せ!」

 私を誘拐しようとした勢力が、様子を見に来て脱出が露見してしまったようだ。

 馬に乗った数人の男たちが、街道を行ったり来たりして痕跡を確認している。

 暗がりで視認されないだけの距離は空いているが、隠れる場所がないため、近づかれたら見つかってしまう。そして見つかってしまえば、騎馬相手に何の準備もなしに逃げ切ることは出来ない。かと言って、不用意に動けば見つかる可能性が上がる。じっとしてやり過ごせる方に賭けるべきか否か。

「どうしよう……」

 逃げるか?隠れるか?

 どちらにせよクロードの意見を聞かねば始まらない。私は暗闇の中でクロードの表情を伺った。

 こんな状況でも、クロードはまだ冷静さを保っていた。クロードは素早く自分の黒いコートを脱いで、頭からすっぽりと私に被せた。首回りで袖部分を結んで、ずり落ちないように固定する。

「こんなに寒いのに上着を脱いだら低体温症になってしまうわ」

「姫様のプラチナブロンドは光を反射しやすいので被っていてください。少しの間くらい、僕なら大丈夫です。それよりしっかりついてきてください」

 クロードは後方の防風林を指し示した。

「まだ距離があるうちに、もっと障害物の多い場所まで目立たないように移動します。今後のことはそこでもう一度相談しましょう」

 私は返事の代わりに、クロードの目を見ながら、手をしっかり繋いで力を込めた。シャロンとも目配せして頷き合う。


 私たちは追手の様子を伺いつつ、そろそろと姿勢を低くして防風林を目指した。枯草を踏み鳴らす音、衣服と擦れる音がパキパキガサガサと鳴る。しかし冬型の季節風が木の葉を揺らす音に紛れることが出来たのは幸いだった。さらに追手は馬に乗っており、その足音や大声での会話で細かい音まで耳には入らない様子だ。

「街道沿いに人影はなかったぜ。どこへ消えたんだ」

「人間が本当に消えるわけはない。よく探せ」

「貴族の女ってのは、牛より歩くのが遅ぇんだ。絶対近くにいる」

 その通りよ。だけどリサーチ不足のようね。私は遅くないし走れるの。

「飛び降りた拍子に怪我をして、その辺に隠れてんだろう」

「馬で踏まないように気を付けろ、死んじまうぞ」

 見つからないからと立ち去って、遠くへ探しに行ってくれれば一番良かったが、敵も馬鹿ではない。手分けして念入りに街道沿いの枯草の間を探し始める。

 早く移動しておいてよかった。でなければ危ないところだった。


 屈みながらの移動で、防風林まであと少しという所まで来た。

 息が上がって、もう周りの音がよく聞こえない。

 追手の様子を見て慎重に移動するので、徐々に距離を詰められてしまったが、障害物の多い林に入ってしまえば逃げやすくなる。

 あと一息。あとほんの少し走れば、逃げ切れたも同然だ。追手が街道周辺を念入りに捜索している間に、私はまんまと包囲網を脱出というわけだ。

 緊張と安堵の狭間。油断の生まれる瞬間だった。

 不意に、後ろにツンと引っ張られた。私はギョっとして思わず振り返る。

 私を後ろから引っ張る者の正体は、何のことはなく、ただの低木で、枝が被っているコートに引っ掛かっただけだった。しかし急に振り返ったのが良くなかった。頭を覆っていたコートが引っ張られて落ちる。ちょうど運悪く追手が灯りを掲げた時であり、私の髪が光を反射してしまった。

 すぐにコートを被り直したものの遅かった。

「誰かいる!あそこだ!もっと良く照らせ!」

「金髪の女だったぞ!こっちだ!!囲め!」

 発見した追手が大声で叫び仲間を呼ぶ。

「走って!!」

 クロードは私の腕を掴み、引きずるように駆けだした。


 全速力で走り出した私たちはすぐに防風林の中に入った。本当にあと少しのところだったのだ。

 後ろを走っていたシャロンが追い付いてきて並走した。

「木の上に隠れてやり過ごしますか!?追手はまだ遠いです。時間はあります」

 林の中は遮蔽物が多く、光も届かない。騎馬の追手は常歩なみあしでしか入って来れないはずだ。捕まえるために下馬して追ってくるなら隠れ場所を探す時間はある。

「駄目だ。見つかる前ならよかったが、今からではいずれ捕まる。巧く隠れられても、警戒は解かないだろう。姫様に木の上で夜明かしするほどの体力はない。このまま逃げ切るか、打って出るか……」

 先ほどまでとは違い、クロードは多方面に注意力を割く余裕がなくなっている。

 私はクロードに引っ張られて、自分の限界を超えたスピードで走っていた。

 息が切れて、声を上げる隙もない。

 辛うじて両足で交互に地面を蹴っているだけで、足が地を離れた瞬間、ぐいぐい前へ引き寄せられ、ほとんど宙に浮いている感じがする。

 自分で移動を制御できる状態ではなくなっている上に、野原と違い林の中は走りにくい。

 遂に、木の根に足を取られて、足が前に出なくなり、前傾で体勢を崩した。


 もうダメだと思った。転んで、怪我をして、もう走れない、と。体を強打し、木の枝や堅い枯草で全身傷だらけになる姿が脳内によぎる。

 しかし倒れる私に気付いたクロードが、さらに強引に腕を引き寄せ、下から掬い上げるようにして自分の体を潜り込ませ、私を肩に担いで何事もなかったように走り続ける。

 人間一人分の重量を抱えても、クロードのスピードは少しも落ちず、むしろ加速したぐらいだ。

「あ、ありが……と……」

「口を閉じてください。舌を噛みます!」

 ホッとしたのも束の間、また新しい問題が浮上した。

 二つ折りで肩に引っ掛かるように担がれていると、走っているクロードが着地する衝撃が、私の鳩尾に直接伝わるのである。胃の中がひっくり返ってしまいそうだ。

 乗馬ですら全身運動で非常に疲れるのに、人間に乗って移動して快適な訳がない。以前フィリップやクロードに抱えられて移動した時は、よほど私に負担がかからないよう注意していたのだろう。今のクロードは気遣いを見せられないほど必死だ。

 その上、振動で肺が圧迫されて、息を吸っても吸っても強制的に空気が出て行ってしまう。私はじきに酸欠になって手足をばたつかせた。肩や胸を叩いても、クロードは身体がぶつかっているとしか思わないようだった。

「止ま……。いき、できな……」

「クロードさん!姫様が真っ青です」

 クロードはそこでハッとなり、大きな木を見つけ、その影に身を寄せて私を下ろした。


 ようやく満足に息が吸えるようになったが、乾いた空気が喉に張り付き、咳こんでしまう。

 私は音が響かないように、クロードにしがみついてその胸に顔をうずめた。

 苦しい。息切れが止まらない。酸欠で頭が痛い。指先が痺れる。

 シャロンが周囲を警戒してから、戻ってきて私の背中をさすった。

「姫様、少しくらい音を立てても大丈夫です。お苦しいでしょうが、ゆっくり息をしてください。そのペースでは過呼吸になってしまいます。なるべく深く吸って……、そう、なるべく長く吐いて……。徐々にで構いませんから」

 シャロンはそう言ってくれるが、ゆっくりはしていられない。

 なんとか呼吸を整えようとしている時に、クロードが小刻みに震えているのに気付いた。

 それが寒さのせいでないことは、彼の体温の高さから容易に判る。


 今クロードの肩には、三人分の安否の重圧が全てのしかかっている。

 クロードとシャロンの主人は私だが、私を含めた三人のチームリーダーはクロードだ。そのことが、彼の重荷をさらに大きなものにしている。

 私は腕の中から、クロードを間近に見上げた。

 クロードは弱音を吐くことこそしなかったものの、目の焦点が定まらないほど動揺していた。

 それほど危険な状況なのだと肌で感じた。

 私の息切れが少し収まったころ、クロードは震えを追い払うように、一瞬だけ私を支える腕に力を込めた。それからすぐに身体を離して目を覗き込んできた。

「ローゼリカ様。今から言う事をよく聞いて、覚えてください」

 一瞬の間に、クロードの目には覚悟が宿っている。その瞳は不思議なことに、いつもよりずっと金色で、暗闇の中でも満月のように光っていた。


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