笑ってはいけないデーモンパレード
ど……怒涛の勢いだったな……。
特に後半、リリィ・アンの罵詈雑言が。
一度タガが外れたリリィ・アンは、二度とお嬢様風に取り繕うことはしなかった。取り繕っても胡散臭いだけではあるけれど。
上から目線で叱り飛ばされたゴロツキたちは結局、「モニカとカーマインを置いていけ」という要求以外は全てリリィ・アンの言う通りにして、三人を連れて広場を後にした。
モニカとカーマインは恐ろしかっただろうに、決して私に助けを求めなかった。私を巻き込むまいと必死だったのだ。
さて、リリィ・アンは自身がトラブルに巻き込まれることは想定済みで、身を守る準備をしていると思うが、モニカとカーマインまで付いて来るのは予想外のようだった。2人のために、救助隊を編成する必要がある。
周りを見渡すと、無力化された護衛たちが、死屍累々と転がっている。
先ほどまでは頭に血が上っていてよく聞こえなかったけれど、皆同じ言葉を繰り返し呻いていた。
「くさい……くさい……」
どうも、臭いのせいで悶絶しているようなのだ。
単なる臭いならば命の危険はないが、確かに気分が悪くなる効果がある。目に沁みるように感じる場合もあるだろう。
彼らにとっては起き上がれないほど強烈な悪臭であるらしい。シュールストレミングみたいな感じなのかな?
まずは全員を取りまとめて撤収。動けない彼らをどうやって移動させるか。伝令に走れる人もいないから、一緒に屋敷に帰って経緯を報告するでしょ。そこから人を集めて、作戦を立てて……。
えーと……。
修羅場の後片付けって本当に大変だなあ。怪我人が出ていたら、気が動転してとても冷静ではいられなかっただろう。
私は一つ深呼吸した。臭いはあるが、やはり悪臭とは感じない。クロードは目いっぱい息を吸い込む私を見るだけで、また込み上げる嘔吐感を堪えている。
やることはたくさんあるが、焦っても仕方がない。時間はリリィ・アンが稼ぐはず。とにかく報告まですれば他にも頼れる人はいるから、全員無事に家へ帰ることに注力すればいい。
確実に一つずつ片づけて三人を助けに行こう。
「皆聞こえる?ここから離れましょう。自力で動ける者は先に移動して。余裕があれば、症状が重い者の手助けをしてちょうだい」
「ひめ……ざま……」
年長の護衛官がよろよろと起き上がり、掠れた声をあげた。
「われわれ……がらだは動き、耳もぎごえまず……。めど、はなが利がず、ぐら闇にいる……ォオエエェ……」
「わかった。何も見えなくて身動きできなかったのね。私が誘導するから、立ち上がって待っていて。もちろん出来る人だけでいいわ」
すると15名全員がゆっくりと起き上がった。動けない者をどうするか、考える必要はなさそうだ。
「シャロン、風上はどっち?」
「今姫様が正面を向いていらっしゃる方を12時として、2時方向です」
「では一旦そちら側へ臭いを避けてから車へ向かいます」
私はクロードの手を引いて立ち上がり、自分の両肩に掴まらせた。
そして近い順に電車ごっこの要領でクロードの後ろに列を繋げていく。さほど時間もかからず、クロードを含めた16人が一列になった。
そのあいだに、シャロンはゴロツキに倒された護衛の救助に向かう。幸い、護衛は軽傷で、縛られているだけだった。一緒にいた侍女が拘束を解こうとして四苦八苦しているところへシャロンが駆けつけ、鮮やかに縄を切る。礼を言いに来た見慣れない護衛と侍女は、思った通り、モニカの家からついてきたカンタベリー家の者だった。カンタベリー家への報告は、この2人に任せ、私たちもひとまずバーレイウォールの屋敷へ帰ることにした。
「よし、出発。シャロンは殿をお願い」
「お任せください」
16人の列を引っ張っていくのは骨が折れるかと思ったが、身のこなしの軽い男たちは目を閉じていても、私の速度に合わせて歩くくらいは簡単だったようだ。
ちょっとスマートさに欠けるけれど、まあいいでしょう。
広場も大通りも、人影一つなく静まり返っている。持ってきたランプの灯り一つで、私たちの奇妙な行列は進んでいく。
一緒に片付けをしていたはずの、リリィ・アンの従業員たちは、いつの間にか姿を消していた。連れ去られたリリィ・アンのフォローに向かったのかもしれない。
色んなことが起こり、通行人もいないことから、まるで深夜のように感じるが、私たちがカフェから広場に降りてきてから、まだ30分も経っていない。
祭りが終わったとはいえ、9時前にも関わらず、街に人が誰もいないのは今日が冬至だからだ。ユグドラでの冬至は、冬ごもりの準備と冬ごもりを始める境目の日。準備を整えてこの日を迎える感覚は、前世の大晦日に近い。平日でも夕方には閉まる商店が、さらに早仕舞いして、家族そろっての団欒が伝統的な過ごし方だ。
たとえ通行人がいたとしても、すすり泣く屈強な男たちによる、禍々しいこの行列を見かけたら隠れちゃうだろうけどね。私だったらそうする。じわじわくる百鬼夜行って感じだもん。
車を待たせている場所を目指して、大通りを曲がる。車停めは繁華街から少し離れたところにあり、表通りから奥まったロータリー状になっていて、乗り降りで混雑しないように考えられている。しかしこんなに人が少ないのなら、もっと近くに停めておけばよかった。辿り着く前に向こうから男が1人走ってきて、私の姿を見るや、大きく手を振った。
「ローゼリカ様!こちらでしたか。お会いできてよかった!」
男は近づいて、後ろの行列を二度見し、困惑の表情を浮かべた。
「一体何が……」
「詳しく話している時間はないのだけれど、重大なトラブルがあったの。早く帰って報告しなければならないわ」
「そんな!こちらもですか!?」
『こちらも』ということは。
思わず額を抑えた伝令らしき男は何か良くない知らせを持ってきたらしい。
「何かあったの!?」
伝令は、ほんの少し寄って、声を潜めた。
「今日の昼、お出かけになった先の……」
「ヴィオレッタ様!?ヴィオレッタ様がどうしたの!」
「…………」
伝令は言いにくそうに口をつぐみ、沈黙の後、神妙な様子でようやく言葉を切り出す。
「どうやら、姿が見えないようだと……」
ガツンと殴られたような衝撃で、火花が散った。目の前がチカチカする。
頭が真っ白で何も考えられない。
ヴィオレッタが。
失踪……?
何故……。
言葉にならない想いがぐるぐる渦巻いた。
確かに思い詰めた様子であったが、最後は前向きな言葉が聞けたのに。
私を欺くための演技だったの?それとも、セバスチャンとの話し合いが良くない結果だった?
いや、ヴィオレッタはこの国で最も高貴な女性の1人。無防備なところを悪意や陰謀に巻き込まれたのだとしたら。
そんなはずはない。侍女も護衛も付けていた。……しかし、情報が洩れ、敵に人数を揃えられたら、充分な警備だったとは言い難い。それでも、バーレイウォールの護衛なら、貴人を逃がす時間稼ぎや、報告くらいはやってのけるはず。
けれど万が一。
もし……。
もし、ヴィオレッタの身に何かあったら。
取り返しがつかない。
ドッと冷や汗が噴き出した。
「それで、心当たりや行き違いがあればと思い、伺いを立てに来ました。報告者の間違いか確認不足という線も……」
伝令の声が頭の中で反響するようで、内容が頭に入ってこない。
見えない膜に包まれた様に、全てが遠くに感じる。
「姫様!お気を確かに!」
クロードの一喝でハッと我に返った。
周囲の音が戻ってくる。
ここは夜のミドルタウンで、周りには、私の指示を待つ人が大勢控えている。
「大変な時に煩わせてしまい、申し訳ありません」
「いいえ、報告ありがとう」
たとえ私の手には余る事態でも、諦めて投げ出すわけにはいかない。
能力のある者に、情報共有して収束を任せるまでは私の仕事だ。
「一緒に来て状況を確認してほしかったのですが、今は難しそうですね……」
伝令は、状況がわからないなりに気を使っているようだが、だからといって簡単には引き下がらないだろう。ヴィオレッタの安否がかかっているとなれば当然だ。
「そうね……。人を送って確認するわ。そのためにも、早く帰って人手を確保しなきゃ」
「ではお屋敷までお連れします。こちらの車をお使いください」
ちょうどタイミングよく、車が隣に着いた。伝令がすかさず扉を開く。
「え、でも……」
「こちらとしても早く確認していただかなくては始まりませんので」
それはそうだろうけど。
私は後ろの列に連なる護衛たちに視線をやった。
一時的とはいえ、視力を失っている彼らを置いていくわけにはいかない。
「護衛をこんなところに残して行けないわ。少しでも早い方がいいと言うなら、あなたに報告をお願いするというのはどうかしら」
「気持は分かりますが、トラブルが起きているなら、連れ帰るべきだったと余計に言われてしまいます」
そ、そうなのかな。
「事情は知りませんが、体制が万全でないのなら、主人をいち早く避難させるのが彼らの仕事では」
私が良かれと思ったことで、反対に皆が怒られちゃうのは嫌だな。
列の中頃ほどに居た護衛の隊長が声を頼りに進み出てきた。
「我々のことは気にせず、先にお進みください。連れ出して移動してくださったおかげでずいぶん良くなりました。まだ輪郭がぼやけている状態ですが、じきに視力も回復します」
「大丈夫なのね?」
「はい。どのみちどこかで待機して、体制を立て直すことになります。ローゼリカ様はご自分の成すべきことにご注力ください」
「わかったわ」
私はクロードの手を取って列を離れ、護衛たちに向き直った。
「皆、今日はありがとう。くれぐれも自分の安全を優先してね。また屋敷で会いましょう」
「御意。ローゼリカ様もお気をつけて」
「シャロン、迎えの車で先に帰るわ。行きましょう」
手を引いてクロードと一緒に車に乗り込むと、伝令が焦ったような声を上げる。
「いつもの車より小さいですから、近侍殿も一緒では狭いと思いますが……」
「あら、そう。でも贅沢を言っている場合ではないわね。クロード、我慢して」
「僕のことはお気遣いなく」
「一緒に乗らないという選択肢はないのですね……」
「訳の分からないことを言わないでください」
最後にやってきたシャロンが素早く乗り込んで、これ以上話すことはないと言うように、力強く扉を閉めた。
残った者に見送られて、車は走り出した。




