『ナマイキ!義弟』枠、参戦 1
ローズは沈思した。
必ず、かの温故知新の属性を暴かねばならぬと決意した。
ローズには弟萌えが分からぬ。
ローズはバディ萌えの民である。
書を読み、ゲームを遊んで暮して来た。
けれども萌えに対しては人一倍敏感であった。
『萌えろローズ』より抜粋
必ず暴く、とは言ったものの、判らないものを知った気になって語っては間違いの元だ。中途半端に語るより、判らんものは判らんとしておく方がまだ正確だ。
子曰く、妹萌えは実際に妹が居らぬ者の幻想だと言う。弟萌えもまた然り。
こればっかりは性癖だから、どうしようもない。
私にあるのは、かつて一度だけ妹萌えの境地に至りかけた経験だけだ。過酷な状況にある、兄の悲しみの物語であった。しかし今、その手応えは露と消え去った。
『萌えは悟りに似ている』
絶えず悟り続けていなければ、心は瑞々しい感覚を簡単に忘れ去ってしまうのだ。
うむ。この一言はローゼリカ金言集に書き加えておこう。
ならば理詰めで、と言いたいところだが、傾向を分析しにくい理由として、弟萌えは妹萌えに比べて、圧倒的に数が少ない。
すわ、愛人隠し子騒ぎかと思ったが、サプライズなのは私だけで、母にはきちんと話が通っていたらしい。そりゃあそうだ。下手をしたら離婚問題だ。
イリアスは遠縁の、一族の男子が、婿に行った家の子らしい。今回の出張は彼を迎えに行くためのものだったのだ。
家族用の談話室で母にイリアスを会わせた後、父母は旅装を解くからと、私にイリアスを部屋へ案内するよう申し付けて主寝室へ引っ込んだ。
ダイニングなどすぐに使う場所を教えながら部屋に案内する私の後を、彼は黙ってついてきた。
イリアスの自室は私のはす向かいの、バルコニーの広い部屋だという事だ。
室内はいつの間にか以前とはガラリと変わって、ターコイズを刺し色に、子供らしい明るい色に模様替えされている。私の部屋の豪勢なドレッサーと手紙用の文机の代わりに、重厚な書斎机が置かれており、いかにも男の子の部屋らしい。
「ここがあなたの部屋よ。ああ、ほら。ようこそ!って。お父様とお母様からメッセージカードも」
そう言って振り返ると、イリアスは柔らかくにっこりとほほ笑んだ。
父と同じアッシュブロンドの髪は真っ直ぐで、ちょっとした首の動きでもサラサラと揺れる。丸くて優し気な緑色の瞳は、色が混ざり合った珍しいアースアイだ。
穏やかで爽やかな風貌は、父によく似た雰囲気を持っていて、だからこそ一目見て隠し子かと冷や汗をかいたのだが、私との血縁関係はハトコよりまだ遠いという。
ハトコの時点ですでに、ほぼ他人ような気もするが、セレブリティは親類縁者がうなるほどいるのが定めというもの。
ただ、配偶者を経由した全く血のつながらない遠縁ではなく、傍流でもバーレイウォールの血筋だそうだ。
クロードの時と同じく、一目見ただけで攻略対象だとわかるほど綺麗な子だ。それにゆったりとした所作は王子然として、上品かつオーラがある。
王子枠はすでに埋まっているし…、年下枠として参戦になるのかな?
「ありがとうございます。ローゼリカ様」
ローゼリカ様と来たか。随分距離を置いてきたな。
根掘り葉掘りといきたいところだが、今日は疲れているだろう。徐々に距離をつめるとするかな。
私はイリアスの表情を真似するように笑顔を浮かべた。模倣は親近感の証よ。
「どういたしまして。今日は移動でお疲れでしょう。夕食まで休んでください。何か聞いておきたいことはありますか?」
「いいえ、お手を煩わせるほどのことはありません」
「私の部屋は向かい側右の扉よ。困ったことがあればいつでもいらしてね」
「はい。お心遣い感謝いたします」
それにしても、誕生日に弟をプレゼントなんて、犬や猫ではないというのに!
確かに私は、常日頃から父親に、「妹が欲しい」「シャロンが妹だったらいいのに」とジャブを打ち、シャロンを養女に計画を地味に実行していた。小さなことからコツコツと。ヒロインブラッシュアップ作戦の一環よ。
だからと言って、妹が欲しいと言っているのに弟を連れ返ってくるとは。
導入の雑な同居モノみたいじゃない!安直だわ!
それに、弟と妹では養子の意味が随分異なってくる。
この国はイギリスと違い、女子にも相続権がある。
伴侶が侯爵になるのではなく、私自身がバーレイウォール女侯爵になれるということだ。しかし相続権は長子ではなく男子優先である。
父は私に侯爵家を継がせるつもりがないのかもしれない。爵位継承の法律は非常に複雑で、私なんかが理解できる範疇を超えているため、ハッキリとは判らないが、男子の養子が来たことは、私の進退に影響がありそうだ。例えば、私が侯爵家を追い出されても継承問題は大丈夫、となる伏線だ。鮮やかな伏線回収とならないよう気を引き締めていかねば。
だがここは、前向きに悪い展開ではないと考えよう。別に女侯爵になりたい訳でなし、弟を連れてきたのであれば、シャロンを妹にする作戦は続行できる。
イリアスの部屋を出て自室へ帰ると、ケンドリックとフィリップが待っていた。クロードに頼んで、部屋へ来るよう伝えてもらったのだ。
「お待たせ。立って待っていたの?座っていれば良かったのに」
「勘弁してくれよ。主人に部屋へ呼び出されて寛げるほど肝座ってねえよ」
クロードと同年で14歳になったケンドリックは背が伸び、骨が太く少年らしい体格になってきた。生意気な口の利き方には磨きがかかったものの、存外繊細なようだ。
「ケンドリックは悪い方向にばかり考えて、顔面蒼白でしたよ」
13歳のフィリップも、背は伸びたがひょろりと手足が細く、金髪巻き毛でお花の妖精さん感は健在である。彼の方がおっとりしていても、肝が据わっているらしい。
「そうなの?まあ掛けてちょうだい。呼んだのは意見を聞きたかったからよ」
ケンドリックとフィリップをソファに座らせて、私はその正面に座った。
一緒に部屋へ帰ってきたクロードと、部屋で待っていたシャロンが協力して全員分のお茶を用意してくれる。
その間、全員に聞こえる様にリュカオンの見合い地獄について、最初の経緯も含めて説明した。
「そんな事気にすんな」
というのはケンドリックの意見。
「だって、他にもっといいお相手を探してくださいって、普通の断り文句だろ」
「僕もそう思いますよ。私には勿体ない程のお方…的な」
フィリップが合いの手を入れる。
「百歩譲って『人を見る目を養ってから婚約者を決めろ』と解釈したとしても、年齢的に未熟な時期に決めない方がいいという意味だと普通は判る。それを短期で見合い50回こなして婚約に持ち込もうなんて力技にも程がある。その歪みが今頃になって出てんだから、自業自得だよ」
「そ、そうよね…?私だってそう思うわよ。だけどいつもニコニコしてるリュカオン様がその時だけは辛そうだから、気の毒だなって…」
「同情引く所まで作戦の内だろうよ。でもまあ、よっぽど婚約してえんだなって、情熱は評価するよ」
「世間知らずな可能性もちょっとは残ってるでしょう?」
「そう思うんなら、契約婚約に応じて差し上げたらどうですかね?」
ケンドリックの意地悪な口調に、私の返答は歯切れの悪いものにならざるを得ない。
「それは。ちょっと。覚悟が決まらなくて…」
「答え出てんじゃん」
「殿下を疑う訳ではないのよ。ただ、一度結んだ約束を無効にするのって、やっぱり難しいもの。それなら初めから約束しない方が良いわ」
「そりゃあそうだろうな。向こうだって、そこを焦点に戦うつもりだろうぜ」
「えっ!?戦う!?」
「婚約破棄させないように、今度はあの手この手で引き留めるってことだよ。例えば他に好きな人が出来たら破棄するって条件でも、相手の男を含めた三者面談をしないといけないとか。いつまでもそいつと結婚しなかったら自動的に殿下との婚約が再締結されるとか」
「危ない!友情にほだされる所だったわ。破棄できるならいいかなと一瞬思っちゃったわよ!」
「チョロすぎんだろ」
「思いとどまって良かったですね」
嘲笑うケンドリックと、ほっこり苦笑するフィリップの反応の差は、タイプの違いを明確にしている。うむ。攻略対象らしい二人だわ。
私は恥ずかしさを誤魔化すように、声高に宣言して拳を突き上げた。
「ともかく!私に責任がないと言うならこれはチャンスよ!ここで働けば私の手柄になる。貸しを作って、今後の殿下の動きを抑制する。一気に攻め手に回るのよ!!」
「考え方がどことなく軍人っぽいんだよな。出世や手柄に興味ある深窓のご令嬢見たことねーよ」
「それが姫様の良い所よ」
呆れた様子のケンドリックに、シャロンはしたり顔で頷いた。
「つーかさ、その前に一つ聞いときたいんだけど。姫さん、殿下のどこに不満があんだよ」
思ってもみない事を言われた。
「不満?…は特にないわ」
「リュカオン殿下って一度見たら忘れられないほどの美少年なんだろ?」
それはそうね。あまりに忘れられず、前世の記憶が甦るほどの美しさよ。
「やんごとないご身分で、ちっと策謀が過ぎる所はあっても、友情を感じられるようなお人柄」
「概ねその通りよ」
「じゃあもう婚約すれば」
「そんなのおかしいわよ。あなたは相手に不満が無かったら結婚する訳?」
私は、ぐうの音も出ない完璧な理由を披露したつもりだったのだが…
「するね」
「すると思います」
「します」
「私もします」
クロードとシャロンも含め、この場にいる全員からカウンターを食らってしまった。
アウェイだ。この世界観では恋愛結婚は異端だと言うのか。いやいや、そんなわけない。うちの両親だってたしか恋愛結婚だったはずよ。きっと言葉の定義に行き違いがあるのよ。でも今はその溝を埋めている場合ではないわ。
「そ、それはそれとして!婚約以外の方法で多すぎる縁談を阻止しても誰も損しないわ!」
「しくじったら逆効果だぜ」
「それよ!私の計画上手くいくかどうか、あなたに聞いてもらいたいの」
ケンドリックの家は、事業経営で侯爵家の潤沢な資金源となるだけでなく、商売を通じた情報網を我が家の稼業である外交にも役立ててくれている。その跡取りである彼は、情報の分析と運用を厳しく仕込まれているのだ。
「はいはい、お伺いします。どうするつもりだって?」
私はクロードとシャロンも隣に座らせ、ぐっと身を乗り出した。釣り込まれるように全員が顔を近づける。
「噂を流すのよ」
リュカオンには名前も知らない想い人がいる、という噂を流すのだ。
この噂は、リュカオンが王宮で見知らぬ少女に会った話を下地にしている。同じ年頃の彼女を探すために、沢山見合いをしたが、未だ見つかっていない。そういう筋書きであれば、これまでのリュカオンの行動と齟齬がない上に、今後、年の離れた縁談は舞いこまなくなる。
「情報操作か。いいじゃないか」
ケンドリックがパチンと指をならした。その感心した表情を見て、私は思わず舞い上がる。
「そうでしょう、そうでしょう!」
得意満面、鼻高々の有様を周囲は生暖かく見守ってくれた。
「チョロいわりに考えることが老獪だな」
「なんとでも仰い。今の私には褒め言葉よ。作戦の成功を確実な物とするために、皆からのアドバイスを聞きたいわ」
ふふふ。ケンドリックが大絶賛のこの作戦。もう勝利しか見えないわ。
「そうだなあ。あんまりおかしな尾ひれがついても困る。指向性を持たせるために、もうちょっと具体的な方がいいかもな」
「五感と結びついた情報なら記憶に残りやすいですよ。髪の色や香り、ヒントがあって推理の余地があると話題にも上りますから、噂を広める一助となるかもしれません」
いい考えである。クロードは仕事上、噂話を耳にする機会が多いそうだ。
好みのタイプで噂を巻いておけば、自然とリュカオンの気に入る女子が集まってきて一石二鳥じゃないか。
「リュカオン様に好みのタイプを聞いてみるわ」
そう言うと、ケンドリックが渋い顔をする。
「えぇ…、直接聞くのはやめた方が…」
「そう?聞いた方が早いかなって思ったのだけれど」
思わずキョトンと見返すと、彼は額を押さえて考え込んでいる。
「あ~…、ま、いいか。聞け聞け、納得いくまで。どうせ結果は同じだ」
何よ。変な口ぶりね。
しかし結果が同じで止めないのなら、作戦に大した支障はないのだろう。
「実際どうやるんです」
実務的な話を振ってきたのはフィリップだ。
「よくぞ聞いたわ。いい質問ね」
噂には、人間の行動原理に沿った法則が存在する。
そして狭いコミュニティでの噂というものは、出所をたどれるという。人付き合いには限りがあることを考えれば当然だ。
裏を返せば、人の力で噂を作れるのだ。
「地道に色々なお屋敷に出向いてさっきの話をしてくるだけよ」
「それで僕も呼ばれたんですね。お任せください」
フィリップが頷いた。
庭師見習いのフィリップは、我が家の専属ではなく、沢山のお屋敷に出入りしている。庭師を抱えるほどでもない家もあり、またセンスと知識がモノを言う世界では、人気のアーティストはいつの時代も大忙しだ。
フィリップはその行く先々で、休憩時間にでも、ちょっと世間話を提供してくれれば良い。
「フィルなら上手くやるだろう」
ケンドリックの言葉に、クロードもシャロンも頷いた。
「それにね、万が一、噂の発生源がうちだとわかっても、大丈夫なの。殿下と懇意にしているから、と皆納得するはずよ。リュカオン様だって、えり好みの激しい見合い王子から、一途な初恋王子に転身してイメージアップ!見合いの雨は止み、好みの女の子の情報だけが集まって、本物の恋の虹がかかるかもしれないわよ!」
「姫様素敵!!」
芝居がかって天を仰ぐポーズをとると、シャロンだけが掛け声とともに拍手してくれた。男子たちは、白けるというほどでもないが、生温い眼差しを注いでくる。
別にヤラセじゃないわよ。シャロンは優しいのよ。あなた達もシャロンと同じくらい、私に優しくなった方がいいわよ。
でも、彼らが殊更私のご機嫌取りに走らない事は、私が聞く耳を持つ度量のある主人だと信じてくれている証のようでもあり、友情が垣間見える瞬間でもあり、安堵と共に喜びを感じずにはいられない。
「そういや、ウォルターはどうした?」
ケンドリックの疑問にはクロードが答える。
「彼は姫様のお使いですごく忙しい。今日はあちこちのお屋敷を駆け回っているよ」
誕生日前に届いたお祝いメッセージやプレゼントには、明日付けで返事が届くように準備した。分散させておかないと、誕生日後はもっと忙しくなってしまう。
「何時になるか分からないけど、報告に戻ってきてくれるわよ。ウォルターにも、噂を流す手伝いをしてもらった方がいいかしら」
「いや、ウォルターはやめた方がいいな。姫さんの使者というイメージが強すぎる。知り合いの知り合いみたいに、出所は曖昧な方が上手く流布すると思う。俺の方は、侯爵家と関りが薄い商人から、貴族の御用商人に噂が入るよう手配しておく」
皆と楽しく相談して、計画も上手くいきそうだ。
私はホクホクと幸せな気持ちで12歳の誕生日を迎えた。




