デレ見てせざるは勇なきなり
男子生徒は、最後は反論も出来ず、すごすごと帰って行った。
その後姿を見て、シャロンが思案顔で呟く。
「ふうむ……。あの男、少々危険ですね」
「え、そう?あんまり復讐心の強いタイプには見えなかったけど」
勝負で手は抜かない主義といえ、ちょっとやり過ぎちゃったかな?
「ご心配なく。姫様はどんなことからも私がお守りします」
「うん。頼りにしてるわ」
私たちは急いで書類とテーブルセットを片付け、談話室を後にした。今日はこのあともう一件、校外での約束がある。
約束相手のヴィオレッタは、学院の車寄せに、こちらが用意した車の中ですでに待っていた。
「お待たせして申し訳ありません」
「時間ピッタリですよ。謝るのはおよしなさい」
今日もヴィオレッタは頑張ってツンツンしている。
「はい。早速出発しましょう」
かねてからの「駆け落ちの仕方を教えてほしい」という依頼は続行している。
イリアスたちの調査結果によると、ケルン三姉妹の父親である大公殿下は、話が分かる上、娘の幸福を心から願う公明正大な人物だ。ヴィオレッタとセバスチャンの結婚も、おそらくお許しが出るだろうというのが私の見立てだ。
しかし裏を返せば、苦労が目に見えていそうな、明らかに不幸になりそうな結婚には反対されるだろう。やはり当初の予定通り、二人の結婚による「利」を示す必要がある。家の役に立つかどうかではなく、二人一緒なら、幸せになれる方向性で。
気持だけでは突破できない壁がある。何故なら真実の愛はこの世で最も強いかもしれないが、真実でない愛は、生活苦を前にいとも簡単に壊れてしまうからだ。そしてどんな愛も、壊れるまでは真実の顔をしていて、私たちはただ試練の前で祈る事しか出来ない。
ま、それはそれとして。
今日は駆け落ち準備の一環で、お試し同棲に使う家の内見に来た。
ヴィオレッタは社会勉強の名目で、冬期休暇のうちの二週間、市井での暮しを体験する許可をお父上からもぎ取ったのだ。
「まずは近くのカフェでお茶を飲みながら打ち合わせいたしましょうか」
「いいえ。お気持ちはありがたいのだけれど、時間が足りなくなっては困りますから、先に部屋を見たいと思います」
「かしこまりました。そのように」
私は頷いて、クロードとセバスチャンを車からぺいっと降ろした。
「では車の中でお召し変えをお願いします。アカデミーの制服では目立ってしまいますから」
「あ、あの。車が走り出していますがよろしいの?2人が置き去りに……」
「徒歩の生徒が使う路地を使えば近道できるのです。さほど遠くはありませんので現地で合流いたしましょう」
セバスチャンがすごい剣幕で喚いていたが、クロードに何とかしてもらうとしよう。
ヴィオレッタに着てもらいたくて、わざわざケンドリックのドレス工房から選んできたドレスを手渡す。くすみカラーのミントグリーンにモカブラウンで優しさを足した、甘いお菓子のような一着だ。
ヴィオレッタのイメージカラーはアイスブルーなので、全身ブルー系統のメルヘンチックなコーデも捨てがたかったが、あまりに幻想的な美しさで、道行く人の記憶にばっちり残りまくっても困るため、イメージチェンジを狙ってみた。
「お手伝いいたしますか?」
「結構よ。アカデミー入学の時に訓練は充分受けています」
着替えを訓練ですって!ッかーーー!お姫様ムーブたまんない。
脳内麻薬をドバドバ出しながら、私も制服を脱いでそそくさと着替え、髪を二つに編み込んだ。
程なくして着替え終わったヴィオレッタに、ダークブロンドのウィッグが付いた帽子を被せる。高貴な佇まいが街歩きで浮かないように、遊び心のあるカジュアルなデザインを選んだつもりだが、所作が美しすぎて、衣装がランクアップして見える。
服は着る人が大事ってこう言う事よね。
「ヴィオレッタ様、お化粧に少し手を加えてもよろしいですか?」
「よくてよ。お好きになさい」
「シャロンお願い」
いつも私の化粧を担当しているのはクロードだが、それはクロードが特別器用だからであって、シャロンも手先が不器用な訳ではない。ただ壊滅的に美的センスがないだけで、練習通り、指示通りの作業は得意だ。
シャロンに頼んでヴィオレッタの睫毛と眉毛をウィッグに合わせた色を変え、ついでにアイラインに手を加えてたれ目風メイクにする。これで変装完了だ。
私は仕上がりに満足してノートサイズの三面鏡を抱えて、ヴィオレッタの前で広げた。
「ありがとう。別人みたいで新鮮な気持ちだわ」
しかし次の瞬間、髪とメイクの確認を終えて私に視線を戻したヴィオレッタが、ぎょっと目を見開いて驚きの声を上げる。
な、なんですか。衣装がよくお似合いで嬉しいだけで、何も疚しいことはないですよ、今回は。鼻の下オッケー、口元オッケー。よし、どっちも緩んでないわ。
「ローゼリカ様、あ、あなたどうしてメイド服を着ていらっしゃるの!」
「あ、なんだ、そのこと」
車の中で、ヴィオレッタは商家のご令嬢風ドレスに、私とシャロンは家事使用人お仕着せのブラックドレスに着替えた。自分の着替えに必死だったヴィオレッタは、そのことに今気づいたらしい。
「ヴィオレッタ様ほど高貴なお方が、正体を明かして市井でお暮しになるのは保安上問題があります。機密保持を万全にする為、下見の段階から変装していただくことにしました」
「今話しているのはあなたのことですよッ?」
「それは単純に、街歩きに不慣れな女性が2人より1人の方が目立たないからですね。2人の余所者よりも、1人とそのお付きの方が情報量が少ないのです」
イメージしてみてほしい。住宅街に突如現れた明らかに場違いなセレブ。2人に増えれば、人相風体の情報も二倍。上質なドレスの視覚情報も二倍。言動により判明する追加情報も二倍。情報が増えれば増えるほど人物を特定されやすくなるし、追跡調査もかけやすい。その点、使用人は何人いようとも、使用人というカテゴライズされた印象に落ち着く。
今日の変装のコンセプトは、新しいビジネスの下見に来た裕福な商家のご令嬢とそのお付き。ヴィオレッタに町娘の振りをさせるのは、服装をそれらしくしたところで土台無理がある。よってこの変装こそが、最も現実的で目立たないお忍びの最適解なのだ。
「情報量の問題ですか!」
「はい、そうです」
取りつく島もなく、私が説明を放棄して話をぶった切ったので、ヴィオレッタは納得いかないながらもどうしてよいかわからずオロオロした。
「あなたとわたくしは友人ですのに、使用人のフリをさせるだなんて……」
ヴィオレッタは美しい眉を曇らせたが、私にはご褒美のボーナスステージに入ったな~くらいの感想しかないわ。
「まあ、ヴィオレッタ様。私の変装は半分冗談のようなものです。友人同士はこういった気安い冗談を、許し合うものではありませんか?」
「あら……そう……。確かにそう……ね?そうかも……」
チョロい。
「さあ着きましたよ」
車が止まったので、話を有耶無耶に切り上げ、一番に降りたシャロンに続いて私も急いで車から降りる。ヴィオレッタに手を貸した後はシャロンの隣に同じように並んで姿勢を正した。
内見する家は、松竹梅と三つのランクを紹介し、その中から一つを選んでもらうつもりだ。
一番最初のこの家は車寄せと庭付きで、こじんまりとはしているが、セレブ向けのタウンハウスだ。立地もミドルタウンの中でも治安と見晴らしがよい高級な一角だが、中心地からは外れて少々利便性に欠けるといったところ。裕福な夫婦か単身が旅行やビジネスで長期逗留するのに使われるイメージかな。
この物件を探してきてくれたイリアスが中から出てきてヴィオレッタを招き入れた。
「お待ちしておりました。どうぞ」
中は主寝室、ゲストルーム二つ、使用人部屋二つにリビングダイニング。キッチンや洗濯室は完全に使用人用で同線が別れており、小さい以外はヴィオレッタにも違和感のないであろう上流階級用の住いだ。調度も重厚感があり品がいい。
イリアスが不動産の仲介人よろしく、書類を片手に解説する。
「こちらは住みやすく美しい小さな邸宅ですが、歴史が浅いので旅行者にはあまり人気がなく、応接室がないためビジネス目的の商人にも使い勝手が悪い間取りとなっております。難があって相対的に家賃が安いためご紹介させていただきました。二週間ほど生活される今回の目的には支障がありません」
「いかほどですか」
「ひと月一万アルバです。ですが借り手がつかないため、家主は半額で二週間の賃貸も歓迎だと申しております」
「なるほど。ここを推奨されるのは安全面を考慮してのことですね?」
「おっしゃる通りです」
そこへ、ジャケットを抱え、シャツを腕まくりしたクロードとセバスチャンが到着した。走ってきたらしく、セバスチャンは息が上がっている。
「どうだ、クロード」
イリアスの質問を受けて、クロードはちらりとセバスチャンを一瞥した。
「足は速いです。体力も、仕官候補のカリキュラムを受けていない割には上出来かと」
「ならば当初の予定通り、護衛は2名で良さそうだな」
二台の車に分かれて、次は少し離れたダウンタウンに移動する。二件目に紹介するのは、住宅街と商店街の境目に位置する住居兼店舗の一軒家だ。店舗となっていた一階部分は物が撤去されてガランとしており、二階はリビングダイニングと個室が一つ。ヴィオレッタの感覚からするとあまりに狭いだろうが、距離が近ければ自然と親密度が上がる。それはそれでアリではなかろうか。年季が入っていて、大切に使われていた風情には味がある。
この国では、家は新しいよりも古い方が価値がある。歴史ある建物に、新しい技術や流行を取り入れてアップデートするのが、お洒落なライフスタイルってやつなのだ。
「こちらの家賃は1000アルバ。店舗として営業できることを踏まえると破格です。店主が高齢を理由に引退し、年明け以降の工事待ちの間のみの入居であることを踏まえると、さらに値下げ交渉できます。加えて、下町の中では比較的治安のよいエリアです。欠点は老朽化が進んで室内が寒い事くらいでしょうか」
王都はこれから北風が暖気を押し出し、最も冷え込む季節になる。寒さやひもじさ、根源的な苦痛は耐えがたいものだ。
私はヴィオレッタの後ろを付いて回りながらイリアスの説明を聞いていたが、ふと思いついて家の中央部にある暖炉を見に行った。家が寒いのなら、暖炉に少し手を加えて環境を改善できないだろうか。
あら、なんだかヘンな形の暖炉ね。どうやって使うのかしら。
質問してみようとイリアスの方へ視線を戻すと、笑顔で前向きなフォローを入れている最中だった。
「しかし短い期間ですから、寒さをしのぐ工夫を見つける良い機会かもしれませんね」
うっ、その方向性の前向きさは脳筋過ぎて怖いわ。よく訓練された笑顔が、完全無欠の爽やかさだから、余計に詭弁っぽくてうすら寒い。あなた、本当は慎重なリスクマネジメント型でしょ?
この件を相談した時イリアスが、大公殿下を説得するよりヴィオレッタを諦めさせた方が簡単だと言ったことを思い出す。
イリアスは現実を突きつけて、心をくじこうとしているのかな。そりゃ、私だって、対処法は事前に身に着けておいた方がいいと思うけどさあ。この家はちょっと心配だな。
どんな物件を紹介するのか、話に聞いてはいたが、私も実際に見るのは初めてだ。ヴィオレッタが気に入った家を自由に選ばせるつもりだったが、一番目の邸宅を選ぶように誘導した方がいいのかなぁ……。
この家の方が気に入ったのか、はたまた庶民の家は勝手が違うため疑問点が多かったのか。二番目に紹介した家をじっくり見て回り、丁寧に質問するヴィオレッタをハラハラと見守ってから、私たちは最後の物件に移動した。
しかし私の心配はすぐ杞憂に終わった。
到着した三番目の物件が、誰の目にも明らかに、イリアスのお薦め大本命だとわかったからだ。




