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肉を切らせて骨を断つ。そして誰もいなくなった。

 善は急げとばかりに、リュカオンは採寸兼試着室に押し込まれた。

 マヌカンは服をかき集め、お針子や職人たちまでもが裏から慌ただしく出てくる。

「お嬢様はこちらへどうぞ」

 私も試着室へ招かれ、そこに置かれたソファを勧められた。

 中は応接室のようになっており、おそらくリュカオンはカーテンで仕切られた小さな舞台で着替えている。家族や友人同士がゆったりと個室で買い物が出来るようになっているのだろう。家に商人を呼び寄せた状況に近い雰囲気を作り出している。

「支払いは、バーレイウォール家まで請求書を送ってくださる?あ、やっぱり小切手のほうがいいわね?」

「もちろんお屋敷の方まで伺わせていただきます」

「あらそう。こちらとはお付き合いがないと思うけど構わないのかしら」

「いいえ。わたくしどもはエース商会のコンペティションにいつも参加しております。お目に留まることは稀ですが」

 我が家の買い物は、衣類から雑貨、消耗品に至るまで、全てケンドリックの家が経営するエース商会が取り仕切っている。セールスに限らず、どんな人でも一見さんはお断りの門前払いだ。お高くは留まっているかもしれないが、意地悪というわけではない。人の出入りを厳しく制限し、間諜や悪意ある人物が入り込む余地を失くすためである。それに応対の手間を省く目的もある。もし誰彼構わず受け付けていたら、訪問者が後を絶たず、バーレイウォール家の門戸は毎日長蛇の列が出来てしまうだろう。

 しかし今の話によると、エース商会は全ての品物を自前で用意しているわけではないようだ。広く商品を募集して、流行や新しい技術にアンテナを張っているのね。

「あなたさえよければ、次の競合会で私に合わせた品物をいくつか出してちょうだい。ドレスを買わせていただくわ。今日は無理を聞いてくださってありがとう」

「ありがとうございます、お嬢様。仰せの通りにいたします」


 話を付けている間に、リュカオンがカーテンの向こうから出てきた。

 柔らかそうな白いシャツに、揃いのジャケットとスラックス。

 いつもは完璧な採寸と縫製で誂えた、しわ一つないスーツを来ているリュカオンだが、既製服の場合はそうもいかない。ちょうどよいサイズでも、体に沿わない部分が出てしまう。それでもリュカオンの高貴な佇まいは少しも損なわれることがなかった。

 先ほどまでのトンチキな装束でも、高貴さを保っていたからこそ、面白さが生まれず、禍々しく昇華されていたのだもの。

 不吉な圧迫感がなくなって、私はホッと胸をなでおろした。

「鍛えていらっしゃって、胸板がしっかりあるのでよくお似合いです。全体的なバランスでサイズを選ぶと肩回りが少々窮屈そうだったので、シャツの生地はハリのある物より柔らかいものを選びました」

 確かにリュカオンって細く見えてけっこう嵩張るのよね。見た目よりずっと重いから、夏にストレイフ邸で昏倒した時、ジャケットを脱がすのに苦労したわ。 

「お嬢様の装いに合わせて、カジュアルダウンしたご提案をさせていただきました」

 カジュアルダウンて。物は言いようだわ。

「そうね。街歩きするのにちょうどいいみたい。リュ、あ、ゴホン……。あなた様もそちらでよろしいですか」

 名前を呼ぼうとして踏みとどまった。一国の王子が、あのように常軌を逸した、人の尊厳をかなぐり捨てた装いで外を出歩いたことは国家の沽券に関わる。侯爵令嬢の私が堅苦しい敬語を使っている時点で察しはつくかもしれないが、そこは明確にしてはならない事実というものだ。

「うん。気に入った」

 この国の紳士服には、ほとんどバリエーションがない。婦人服はまだレースや刺繍などの装飾が多く、色も形も多岐に渡って華やかだが、紳士服の場合、選ぶのは生地くらいだ。その分生地の良さとシルエットの美しさに特化しており、そういう意味で、小さな差異を楽しむ男性のお洒落は、女性のものよりも繊細かもしれない。シルエットの印象を左右するフィッターとパタンナーは、腕の良し悪しが非常に重要であり、流行を作り出した職人は一代腕一本で頂点を極めることも夢ではない。

 それにしても不思議だ。画一的なはずの紳士服で、専属の衣装係がいる王宮に暮らしながら、リュカオンはどうやってあの明けない夜の如き絶望を具現化したツーピースを手に入れたのだろうか。もはやこれは心霊現象では?

 何を語るにつけても、今日のリュカオンの装いの異常さに辿り着いてしまう。


 リュカオンが靴を履こうとして、靴ベラを持ったマヌカンの一人に手を差し出した。

「あ、靴はどうしよう」

 服は服屋、靴は靴屋でしか買えない。職人も作業工程も違うからだ。

 もう一軒回る余裕があるだろうか。しかし靴は服以上に、職人と相談しながら個別で誂えるものだ。見本品はあるかもしれないが、沢山歩くのに合わない靴で足が痛くなっては困る。

 靴は履いてきたものをそのまま使ってもらうとしよう。組み合わせが悶絶ミスマッチだっただけで、単品なら大丈夫なはず……。

 自分にそう言い聞かせて試着室前に揃えられたリュカオンの靴に目をやると、そこには確かに怨嗟に満ちた瘴気が立ち上っていた。

 まあ、何かしらアレ。這い寄る混沌そのもの?

「ご安心ください、お嬢様」

 呪いのアイテム・混沌の靴をさっと取り上げ、フィッターは試着室のソファに腰掛けるようリュカオンに勧める。別のフィッターが箱の中から恭しくブーツを取り出した。

「当店では職人を揃え、上の階で靴も取り扱っております。靴は入念なサイズ確認が必要ですが、ブーツであれば足首で固定しますので、細かな調整をしなくても、長時間の街歩きに耐えうるでしょう」

「いただくわ」

 ユグドラには、多種多様の品物を揃えた百貨店は存在しない。職人たちはギルドで横の繋がりを持っているが、それぞれ個別に店を構えている。店を梯子する手間を省くために、貴族やジェントリ相手に商売するのが御用聞きーーエース商会のような、訪問型セレクトショップの外商である。手間賃は高いし言い値だが、好みに合う趣味の良い品を提供してくれる。

 しかし今後既製服の発達とともに、この大店のように百貨店の前身とも言える店が増えてくるのかもしれない。前世の歴史の流れを考えればそれが妥当だ。

 ウチもこのビッグウェーブに乗り遅れないようにしなくちゃね〜。


 などと考えている間に、リュカオンはフィッターにかしずかれて靴を履かせてもらってから立ち上がった。左右にずらずらと、タイやカフスボタンをよく見えるように抱えて並ぶマヌカンの間を、こちらに向かって歩いてくる。

 なんてこと……。ここはランウェイだった?

「ローズ、君が選んでくれ」

「え?あ、はい」

 会ってすぐ着替えろなんて言ったから、自信をなくしちゃったのかな。

 多分ここでお薦めされている品ならどれでも大丈夫だと思うけど……、そんならまあ私が選んでも一緒か。

 私はふと目についたタイを手に取った。ジャケットとパンツは、フォーマル綺麗め寄りの装いが多いリュカオンが、ほとんど着たことのないであろうチェック織り。遊び心があってよろしい。タイに選んだのは、そのチェック柄に使われている一色だ。私も服飾には詳しくないが、これなら間違いはないでしょう。

 タイをリュカオンの肩に掛けると、続いてマヌカンが揃いのポケットチーフを私に手渡した。

 こんなのしたことないんだけど……。綺麗に折り畳まれているし、きっとこのまま胸ポケットに入れればいいのよね?

 形を崩さないようにそっとポケットに入れる。

 うん、いいんじゃない。タイピンとカフリンクスはどうしようかな。

 動物モチーフなんかも可愛いと思うけど、男の人はそういうのキライかしら。やっぱりシンプルが一番よね?やだ、シンプル過ぎると全然違いがわからないわ。それに、ちよっと色が入っている方が、私は好きだし……。

「うーん、これにするわ」

 シンプルなプラチナのタイクリップで、端に二色の色付けした蝶貝がワンポイントでついているものを、結局自分の趣味で選んだ。


「タイを」

「なんです?」

 リュカオンはタイを襟に通した状態で待っている。結んでくれないとクリップが付けられないのに。

「締めてくれ」

「男性用のタイなんて、締めたことがありません」

 ちょっと見栄を張ってしまった。私は男性用どころか女性用ボウタイも締められない。リボン結びが縦になってしまう類の人間である。

 セットのタイクリップと カフリンクスをサイドテーブルに準備して下がろうとするマヌカンを慌てて呼び止めようとしたが、その前にリュカオンが私の手を取った。

「ではこの機会に教える」

「はァ……」

 ノリ気がしないながらも、私は素直に頷いた。思ったよりも早く買い物が決まったから、それくらいの時間はある。あんまり断ると、何かの拍子にリュカオンは策を弄し始めて面倒なことになるため、私は聞ける命令は聞くようにするクセがついていた。

「このあたりで交差して、くぐらせて、次はこちらに。土台になる部分だから、整えてからぐるっと回して……、上から通せば完成だ。さあどうぞ」

 リュカオンはせっかく綺麗に結んだタイを素早く解いてしまう。

 えっ、自分で結べるならそれでいいのでは?

 とは思ったが、私は黙って課題に取り組むことにした。

「今日の買い物は、今年の誕生日プレゼントということにしよう」

 じきにリュカオンの誕生日が来ることは分かっている。私は顔を上げず、タイを結ぶのに集中したまま答えた。

「お気になさることはありませんよ。買い物にお誘いしたのは私ですから。あら……、何だか歪んでいるわ。もう一度やらせてください」

「今日、君が選んでくれたものを、特別な日の贈り物として受け取りたいんだ」

「んん?」

 タイを丁寧に整えて慎重に操りながら、リュカオンの言葉をゆっくり反芻する。

 君が選んだもの……。特別な日の贈り物……。


 突然というべきか漸くというべきか。長年死守してきた防衛ラインが突破されようとしていることに気付いて、私はハッと顔を上げた。リュカオンの表情は優しいが、ドッと動悸が激しくなる。

 リュカオンが毎年私の誕生日には、頑なに身に着けられるものを送ってくるのに対し、私がリュカオンの誕生日プレゼントとして用意するのは絶対に消耗品だ。特別に調合したいい香りのインクだとか、数量限定で漉いた模様が浮かび上がる紙だとか。ああ、ステーショナリーばっかり。

 しかし今、身に着けるものをプレゼントしてくれと迫られている。

「アノ、でも、今日は既製品の衝動買いですし、そんな大それたものではないですヨ。それにリュ~……、あなた様への贈り物はすでに用意してあります」

「では2つともいただこう。来年私も2つプレゼントを用意するよ」

 う~ん!今日の買い物を誕生日プレゼントと言い張る前提!ああいえばこう言う!

 この店の品はお洒落で上質だが、それでも既製品という時点で、リュカオンがいつも身に着けいているオートクチュールとは比べ物にならない。それはリュカオンも重々承知のはず。

 最初は手軽なもので良い。ただ装飾品を贈られたという実績を作るつもりだな。

 この国では、「櫛を贈ったら髪に触れたい。解き髪を見られる時間を過ごしたい」「衣類を贈ったら、着ているそれを脱がしたい。そういった仲になりたい」という暗喩はない。断じてない。それでも一種の所有印・独占欲の現れであり、あるいは契約の先押さえを希望する意思表示でもある。

 明文化されたものではないので効力は持たないが、要は匂わせ。よくある外堀を埋める作戦のひとつだ。

 まさかそのために、起きて見る悪夢のようなあの服を特注したのだろうか。目的のためにに手段を選ばないリュカオンならばあり得る。

 なんて恐ろしい。「肉を切らせて骨を断つ」を地で行く決死の作戦だわ。強力過ぎる諸刃の剣で、双方オーバーキルになったけどね。

「おっと、ローズ。あと少しなのに手が止まっている。そのまま押さえていろ」

 リュカオンは器用にブレードを下へ通し、私の手の上からディンプルを掴んでキュッとしめた。

「ありがとう。これでいい」

 にっこり笑った顔は望みが叶った満足感に満ちていた。

 そのままリュカオンは、じわ……と滲み出るような視線を静かに私へ注いだ。

来週はおやすみです。改訂作業優先で2週飛ぶ可能性があります。

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