モブ街道
誘拐されて試練のヒロインルートに入ることもなく
シャロンと仲違いして悪役令嬢ロードを往くこともなく
何の変哲もないモブ街道を、私は驀進していた。
モブかもしれないと様子を伺っていたら、あっという間に四年が過ぎてしまった。正確には三年半ほど。
最初に排除したはずの選択肢に立ち返ってしまうのは、推測がヘッポコな証明であり、誠に遺憾である。
しかし四年の間に、私はヒロインどころか、悪役令嬢を張る自信すらすっかりなくしてしまったのだ。
クロードが痴漢に襲われるという怒髪天を衝く事件が起こった時のことだ。すんでの所で助けに入ったシャロンが、ペド野郎をボコボコにする様子を見た瞬間、もう無理だった。超絶美少女でありながら、凄腕の護衛でもあるシャロンの前に、障害として立ち塞がろうものなら、秒で捻り潰されてしまう。
あの強さを目の当たりにして、まだ彼女をいたぶってやろうと考える猛者に、たとえ前世の記憶がなくとも自分がなるとは思えない。猛者というか、想像力が欠如した只の馬鹿だろう、それは。
ここで悪役令嬢について改めて考え直してみよう。
悪役令嬢という存在は、非常に少女誌的である。
卑怯な手法で陥れ、ヒロインに、試練と読者の同情を与える引き立て役であり、足を引っ張る事ばかりに長けて努力と才覚は足らぬ者である。その字面を見ただけでどんなキャラか想像がつくというほどテンプレートな存在だ。
大抵主人公より上の立場に居り、強敵の場合もあるが、噛ませ犬のような小物であることも多い。ステップアップのための踏み台である。
矛盾するようだが、善なる悪役令嬢というキャラも居る。こちらは非常に誇り高く、自他共に厳しい完璧主義者である。孤高の求道者である彼女らは、死んでも悪事を働かないが、正統派王子を女に置き換えたようなハイスペックで未熟なヒロインを苦しめつつも、上へと引き上げる存在である。
また悪事に手を染めた事は事実だが、それにはやむにやまれぬ事情があったという展開の者もいる。こういうタイプは死ぬか、事件後仲間サイドに加入してくるか動向が分かれる。真性悪役令嬢と善なる悪役令嬢を足して2で割ったようなキャラクターだ。
性質の善悪に関わらず、障害や好敵手となりうる存在を全てひっくるめて悪役令嬢、と私が呼称しているのは、立ち位置の類似、それから主人公を成長させるという役割が同じだからである。
しかし、ゲームでもおなじみの存在かと言うと、そうでもない。
ヒロインがプレイヤーの分身であるせいなのか、あるいは攻略対象の癖が強すぎて出番がないのか、考察は省くが、ゲームでは友好的な女性キャラの方が多い。
この世界には悪役令嬢が存在しない可能性もあるという事だ。
ちなみに、『悪役令嬢モノ』は少女小説だ。つまり、小説内での、ゲームのテンプレートな悪役令嬢というのは、妙なる創作の神髄なのだ!
素晴らしい…!リアリティに溢れ、すとんと腑に落ちるような発想の勝利だ!
好きな事に話が及んで、ちょっと…いやだいぶ興奮してしまった。
ともかく、悪役令嬢がいるともいないとも断定できないし、いたとしてもラスボスから雑魚までランクは様々だ。私ならほとんどモブに近い雑魚悪役令嬢が精々だろうと思い至った。
本当は、出来ればお助けキャラあたりに収まりたいのだが、希望と本来の役割を取り違えてはシナリオを読み違えてしまう。
念のため、悪役令嬢とモブの両面待ち(麻雀用語)で身辺警護にだけは気をつけつつ、情勢にアンテナを張って日々を過ごしている。
シャロンは相変わらず物凄い美少女で、クロードも相変わらず物凄い美少女だ。男だけど。
標準モブ美少女の私は、12歳の誕生日を明日に控えていた。
そしてメインキャラのリュカオンは、性懲りもなく我が家に入り浸っている。
初夏の爽やかな季節だ。リュカオンは今日も一番お気に入りのガーデンテラスで優雅に座っている。
「それで考えたのだが、契約婚約と言うのはどうだろう?」
またロクでもない思いつきである。誰かの入れ知恵だろうか。
300人お茶会の後も、リュカオンの目が怖くて、『第一の女』探しをすることは結局出来なかった。
本人の琴線に触れなかったのなら、案外重要人物ではないかもしれない。今後出てくるようなら、出会った時に警戒出来るだけ、儲けものだ。そう思う事にした。
「致しませんけど。一応最後までいた方がよろしいですか?」
「うん。この斬新にして画期的作戦を聞くがいい」
いや知ってます。
利害一致による表面的な婚姻、もしくはそれに準ずる関係ですよね。
そこから始まるのは、日常の中に見つける小さな幸せの日々。勘違いとすれ違いの両片思いの果てに、真実の愛にたどり着く物語。
はっきり言って大好物です!!!
『契約結婚モノ』も令嬢系物語の一つで、転生要素はない。ヒロインは大抵貧乏で多額の支度金と引換に売られる。しかし持ち前の機転と魅力、そして独特の鈍感力で愛と幸せを掴む。まさに乙女の夢!シンデレラストーリーよ!うっとりしちゃう。
でもこの手の物語は女の子(男でも可)の癖のあるチャーミングさが肝なのよ。十人十色、千差万別の魅力的な女子を、萌えに則り、生き生きと描き出すことこそ最大にして唯一の使命。話の良し悪しも全てそこにかかってくる。
平凡ローゼリカじゃ今後の展開が厳しくてよ。その上パンチも弱いし、語呂も悪いわ。却下。
「私は社会勉強のためとはいえ、見合い50人切りを敢行してしまった。そのせいで第二王子は躍起になって婚約者を探している、というのが一般的な認識らしい」
「そうでございましょうね」
「それが、未だに決まった相手がいないものだから、降るわ降るわ見合いの雨が!」
「いちいち断るより全部お会いになった方が早いんじゃございません?」
王子の結婚相手ともなれば、見合い相手の数にも限りがあるというものだ。
「非道い事を。貴族の娘は毎年生まれてくるのだから、無限ではないが終わりもないのだぞ」
見合いをこなしても決まらなければ年の差が開いていくだけ、ということか。
「失言でした」
リュカオンにしては珍しく、感情を露わにしてじっとりこちらを睨んでいた。見合い地獄はそれほどの苦行ということらしい。発言を撤回するとすぐに相好を崩した。
「それよりもいい方法がある。便宜上、君が婚約者に収まってくれ」
婚約者を探す見合いを終わらせるために、婚約者を据える。確かに根本的な解決方法だ。
私は最初の頃
①お互いをよく知らない
②時期尚早である
③本当に好きな人が出来たら後悔する
という三本の理屈を柱として婚約拒否してきた。しかし今や①の理由は消え失せ、②の理由が無くなるのも時間の問題だ。
「表面的な婚約だから、どちらかに結婚したい者が現れた場合、契約はすぐに解消される。これで君が一番心配している『婚約してから恋を見つけたらどうするか』という問題はクリアした。破棄に関して君の評判が下がることもないだろう。今や見合い王子の異名をとる私だ。また第二王子のえり好みが始まったと皆納得する」
見合い王子の二つ名はそのままでいいのか、リュカオン。さすが鋼の心臓だ。
③の理由を排除されると、婚約を断る拠り所はもうない。
「リュカオン様の婚約者になりたい娘は沢山おります。私でなくともよいでしょうに」
「私の婚約者でいたい者が契約婚約に応じるはずないだろう。これは君にしか務まらない取引だ」
つまり、私が婚約したがらないのを逆手に取った作戦だ。確かに画期的だな。
しかし、婚約を断る理由は無くなっても、契約婚約を了承する理由にはなっていない。
「契約と言うからには、双方に利得がなくては」
「君だって意に染まぬ縁談は他人ごとではないだろう。条件を有利に決められて融通の利く私で手を打ってはどうだ?」
「では、リュカオン様のように、縁談が雨のように降って困った時にはよろしくお願い致しますね」
それは今ではない、と告げると、リュカオンはがくっと項垂れた。
「手強いな…」
「まあそんな。光栄です」
50人見合いは、私がもっと沢山の人を見てから決めた方がいいと言ったせいだと、責を問う事も出来ただろうに、そうしない所は好感が持てる。というか、この四年友達付き合いをしてみて判ったが、リュカオンは公平で聡明な信用に値する人物だ。
私はにぶちん系でもねんね系でもないので、彼からの好意には気づいている。しかしそれは友情の類であって、恋愛感情ではないようだ。執着や報われない焦り、独占欲のようなねっとりした情念を彼から全く感じないからだ。
今だって断られても芯から落ち込んでいる様子はない。それでいて何かと屁理屈をつけて婚約を持ちかけてくるのには、何か意図があるような気がする。
単純に、王室の結婚に友情でもあろうものなら上々だというつもりでいるのかもしれない。
もしそうならば契約婚約だって、彼への信頼から考えれば、助けるつもりで受けたってかまわなかった。
しかし意図がはっきりするまでは、警戒するに越したことはない。何せこちらは何がフラグになってイベントが起こるかさっぱりわからないのだから。
「明日の誕生会で婚約発表したら、めでたさも二倍だと思ったのだがなぁ」
家族だけの明日の誕生会にも、ちゃっかり参加するつもりらしい。
このままではそのうち外堀を埋めてきそうだが、あと数年もすれば乙女ゲームのシナリオが始まる。その時まで、私はただ逃げ切るのみだ。
「見合いの件は気の毒ですから、私の方でも何か打つ手がないか考えておきます」
「君の手並みに期待しよう。では、今日も振られたところで失礼する」
「意地悪な仰り様ですこと。私は幼いうちの婚約には反対と以前から申し上げておりますのに」
「年齢を盾にするものだから、期待を抱いてしまうんだよ。一足早いがこれを」
リュカオンは懐から小さな箱を取り出して机に置いた。
「あら、いつもお気遣い頂いて申し訳ありません」
「謝られたら切ないな」
「ああ、いえ。いつもありがとうございます。中を見てもよろしいですか」
リュカオンは頷く代わりに、小箱を手に取り、リボンをほどきやすいように差し出した。中に入っていたのはショールや外套を留める大振りのブローチだった。
赤味がかった可愛らしいピンクゴールドで、本物さながらに薔薇が象られ、朝露の意匠に貴石をあしらい、繊細な曲線の宝飾が施されている。
「とても素敵です。大切にいたします」
「ああ、そのうち着けているところを見せてくれ」
リュカオンからは、毎年頑なに身に着けるものを贈られる。こういう所が真意を計り切れないというか、油断ならない。
身に着ける物というのは、下心の含有量が多い贈り物だと思う。例えば着る物なら、その装束を自分の手で脱がしたいだとか、髪飾りなら髪を解きたいだとか。
まだ子供なので、そのような他意はないだろうが、それでも所有欲や独占欲の表れだろう。リュカオン本人からは全く感じられないものが、贈り物からはひしひしと伝わってくるのだ。
これはつまり、贈り物を選んでいるのは全く別の第三者だということなのではないだろうか。そして私たちの結婚を望んでいるのは、その第三者なのではないか。
突拍子もない推測だという気もするが、こういった違和感は大事にしていきたいところだ。
素直に聞いてみるか。
だが『これを選んだのは誰か』などと聞けば、正直に答えるとは限らない上に、悪くすればセンスや真心を疑っているともとられかねない。メリットが少ないのにリスクの多い質問だ。
リュカオンの交友関係を知ればあるいは違和感の正体を突き止めることもかなうだろうか。
「リュカオン様って、ここにいらっしゃる以外はどのように過ごしていらっしゃいますの」
遠まわしに行こう。
「いつも私が来るばかりだからな。興味があるか?」
「はい。お返しを考えようにも、普段のお暮しに想像が及ばないと難しいものがあります」
「なら王城に招待する」
よっしゃ!百聞は一見に如かず!言ってみるものだナ。
「行ってみたいです。その時にはご友人もご紹介してくださいませ」
「……」
リュカオンはいつもの穏やかな微笑を崩さなかったが、やや沈黙してから答えた。
「君に友人を紹介するつもりはない」
バッサリ。一刀両断だ。
「そ、そうですか。勿論、殿下の普段のご様子を伺いしれれば満足です」
ほら。そういうとこだぞ、リュカオンよ。
本命の彼女っていうのは、普通友人に紹介するんじゃない?女を知り合いに会わせない男は怪しいって、昔はよく言ったもんだよ?
彼女ではないけどさ。いや断じて彼氏面してほしいとかそういう事ではないわよ。
なんだか言えば言うほどツンデレっぽくなるけど違うんだって。
本命だったらたとえ彼女未満でも、それっぽく振る舞いたがるもんなんじゃないかと。周知して外堀埋めたりしてもおかしくはないんじゃないかと。これも違和感の一つなんだと言いたいわけ。
門のあたりまでリュカオンを見送りに付いて行き、護衛騎士が馬を曳いてくるのを待っていると、ちょうど父の車が車寄せに入ってくるところだった。
父は一週間ほど出張に出ており、明日の私の誕生日に合わせて帰ってきたのだ。
「卿にも一言挨拶してから帰るか」
「お時間大丈夫ですか?」
「少しぐらい構うまい」
父が外套と荷物を手に、止まった馬車から降りてきた。外交や領地と商会の兼ね合いで忙しい父の出張は珍しいものではなく、私も留守番や出迎えは慣れたものだ。
「殿下、旅装にて失礼いたします。いつもローゼリカと仲良くして下さりありがとうございます。これから、アフタヌーンティーと旅の話でもいかがです」
「こちらこそ、世話になっている。残念だが帰るところだ」
「殿下さえよろしければ明日も是非いらしてください」
「ああ、そうしよう」
いつもなら父と二人でリュカオンを見送った後はお土産の話にでもなるのだが、その日はもう一人馬車から降りてきた。
私と同じ年くらいの、とても綺麗な少年だ。
うッ…!この展開は…!
私が少年を見て、驚きを隠せないでいると、父は悪戯が成功して破顔する。
「サプラーイズ!今日から一緒に暮らすイリアスだよ」
父が両手を広げて、誕生日プレゼントでも手渡すように言う。
父よ…。何故あなたは前振りなく人を紹介するのがお好きなのですか…。