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ドキドキさせないで

「わぁ〜、美味しそう!」

 船の男の活力を支える、色が濃く味付けも濃そうな肉料理に、届いたばかりの海鮮の、旨味を最大限に引き出しているであろう魚料理。普段よりも刺激的な料理から漂う香辛料の香りは空き腹に効果覿面だ。

 食べやすく和えられたサラダが数種類と、具沢山のキッシュ、目にも鮮やかな南国のフルーツ。ザクセン風の炒め飯、スルト風炒め飯、ダンプリングのスープ、辛味香辛料のシチューなどなど……。

 大荷物を抱え、息を切らせて帰ってきた従僕から袋を取り上げて、ケンドリックといつのほどやら食堂に待機していたフィリップが手早く料理を並べた。

 そこへ、この屋敷ではアルコールの入っていない飲料を探す方が大変だとぼやきながら、水とジュースのボトルを手にイリアスが部屋に戻ってきた。私のグラスに注いだ後、走って飲食街まで往復してきた従僕に水を差し出す。

「やけに早いな。作り置きにしては料理が温かいようだが」

 本当だわ。急いだにしたって、20分では往復時間+調理時間には到底足りない。

「ケンドリック様が召し上がると伝えましたら、数件の店が融通を利かせてくれました。客も快く譲ってくれましたので、ビールとつまみ代のチップを渡しておきました」

 それを聞いて満足そうにケンドリックは頷く。

「よくやった。後で店の名前を聞いておこう」

 店と客が好意的なのは、普段からケンドリックの評判がいいからだろう。

「ケンドリックの日頃の行いのおかげね」

「そうとも言う」


 褒められて照れている従僕は、立派な体格で成人男性かと思っていたが、よく見ると顔つきが幼く、私たちと同年代のようだ。

「お買い物がとても上手ね。センスがあって美味しそうだわ。お疲れ様。あなたのお名前は?」

「な、ナイジェル、と申します」

「ナイジェル、あなたも座って。一緒に食べましょう」

「そんな!自分なんかが姫様のご夕食にご相伴あずかるわけには」

「沢山あって食べきれないから、助けると思って」

「いや、しかし……」

「座れ。姫様に二度言わせるな」

「はい」

 ケンドリックの一喝でナイジェルは即座に座った。

「意地悪な言い方ね~」

「これぐらい、本人の意思が介在しない強引さのほうが、気が楽な時もあるんだ」

「あなたが言うならそうなのでしょうね」

「こいつを立たせたまま食事をするつもりはないんだろ。押し問答で料理が冷めたら台無しだ」

「それじゃ揃っていただきましょう」


 しばし歓談の時間。私は脂質・糖質・罪悪感がたっぷりの食事を思う存分頬張った。しかしお嬢様仕様に調律されたこの体は、食べ慣れない味付けの濃い料理ですぐお腹いっぱいになってしまった。体が重くなり走りにくくなってはいざという時困るので、普段から腹八分目を心掛けているのだが、どうしよう。今日はもうちょっと食べたい気もするし、こんなに用意してもらったのに、料理が残ったら、それこそ申し訳ない。自分が食べないのに、残すなとも言えない。

 料理を前に迷っていると、イリアスが小さく切り分けたケーキの皿を私の前に置いた。

「無理をすると帰りの車で酔うかもしれませんよ。後は俺たちで食べるので心配はいりません」

「うん、ありがとう」


 美少年たちが、優雅な作法で食事する風景も良い物だけど、年相応にガツガツ食べる姿も、それはそれは良いものよ。

 大柄なナイジェルは、最初のうちこそ緊張して周囲の様子を伺いながら、ちまちまと料理を突いていたが、食卓を囲みながら次第に打ち解けて、体躯の期待に違わぬ食べっぷりを見せ始めた。

 イリアスたちもいつの間にやら、襟を緩め、袖捲りしており、指を汚して甘辛く煮た骨つき肉に齧り付いている。

「冷めると肉が硬くなる。早いうちに食べてしまおう」

 手酌で注いだグラスを煽り、スプーンに大盛りした炒め飯を大きな口で次々頬張り、流し込むようにスープを飲んで、魚の小骨を噛み砕き、また肉に手を伸ばす。中には辛味の強い料理もあり、彼らは手の甲で髪をかき上げ、汗を拭いながら食事した。

 私は1人、彼らを肴にシードルジュースを楽しんだ。

 当然、煩悩がマッハで加速する。

 あ、今、脳が異常にカロリーを消費しているわ。どんだけ食べても実質カロリーゼロよ、こんなもん。

 口の端の脂を指で拭い、大きなため息を最後に、全員が食事を終えた。テーブルの上の料理は綺麗さっぱりない。

 ご馳走様でした。


 さて、食べ盛りたちが食休みしている間に、少し片づけておこうと席を立つと、全員がこぞって起立した。

 しまった。身分が上の者が立ち上がったら全員合わせるというアレか。

 王室のリュカオンとなあなあだから、こういう事に疎くて本当に良くない。

「あなたたちは、まだ座っていていいわ」

「いや、のんびりしていたらどんどん時間が遅くなってしまう」

「あんなに食べたのだから苦しいでしょう。少し休んだら?」

「そのような気遣いは無用です」

「あとは片づけておきますから、どうぞ行ってください」

 ナイジェルがどんと胸を叩いて請け負い、私は背中をぐいぐい押されて、やや強引に、扉から廊下ではなく、隣の続き部屋へ誘導された。

「?」

 なんで元来た通りに戻らないの?

 間取りがよくわからないけど、車泊まりまでこっちが近道ってこと?


 続き部屋は、位置的調度品的に食品収納庫ストッカーのようだが、中央の作業台周辺の通路が広く、大きな部屋だ。奥には厨房へ繋がっていそうな扉が見える。食器やクロスがたくさん置かれている一方で、壁面を埋める陳列棚のほとんどは空いており、がらんとした印象である。ここは商談を行うための屋敷なので、客がある時は商品を並べて、紹介したり吟味したりする場所として使っているのだろう。

 両脇に控えるイリアスとケンドリックが頷き、フィリップが正面の扉付き戸棚を開く。中からごろりと大きくて重量のあるものが転がり出た。

 それが人間であると認識するまでわずか3フレーム。私は悲鳴を上げて飛び上がった。

「にゃああああっっ!!」


 思わず隣にいたイリアスに飛びつくと、彼は私を抱えて数歩後ろに下がった。抜けた腰を支えながら、安心させるように背中をさする。

「大丈夫ですよ」

「なにこれ?ナニコレ!?」

「きちんと拘束してありますし、死体でしたらわざわざお見せしませんから」

 そういう心配はしてない!それを聞いて「な〜んだ、よかった〜」とはなんないっ!


 床に転がっている若い男は反抗的な目でこちらを睨みあげてきた。手足を拘束され、さるぐつわを咬まされて、身動きが取れないだけで、衰弱しているわけではないようだ。

 美と食の楽園から、不穏な魔境へ急転直下。

 夜の倉庫街に似つかわしい犯罪臭ふんぷんたる様から、ミステリーの開幕は待ったなし。

 あまりの急展開に、激しい動機が収まらず、めまいがする。

「うぷ、気持ち悪い」

「吐きそうですか?」

「大丈夫……なんとか……」

「やはり食べ過ぎないで良かったですね」

 イリアス~……ッ!

 驚かせないという選択肢はなかったの!?

 立派な嗜虐性癖にお育ち遊ばされましたこと!

 我々の業界ではご褒美です!!


 まだ状況がよく飲み込めないが、彼に会わせるためにここへ連れてきたってことね。

「それで、だれなの?」

 ヨロヨロと縋って立ちながら問いただすと、フィリップが男の髪を掴んで、良く見えるように顔を上げさせた。

「やだ、もうちょっと丁寧に……」

「この顔に見覚えは?」

「えっ?」

 問われて男の顔を覗き込む。

「うぅん?知らない人……だと思うけど……」

 しばらく見つめてから、私は首を横に振った。

 色白で、シャープな印象の綺麗な顔に濃い色のブロンド。それによく見るとアカデミーの制服を着ている。つまり同じ学校の生徒なのだ。これほどの容貌ならば、めぼしい血筋・肩書・才覚のどれか一つでも持っていれば、攻略対象候補としてロックオンしているはずだ。しかし頭の中のリストを指でなぞりながら往復してみても、該当者は見つからない。赤毛でもないし、学校ですれ違っただけの人なんて覚えていない。


「こいつは先のストレイフ邸での事件で、姫様とクロードを罠にかけた咎で拘束されている」

「あっ、そうなの!?」

 クロードが犬になっちゃった時の、ご都合媚薬の人!

「もう一度よく見てください」

 うえぇ……、そんなこと言われても、よくわからないよぉ。

「言われてみれば、こんな感じだったかも……」

 人間の記憶なんて曖昧なのよ。断定されるとそうかもしれないと思えてくるもので、簡単に書き換わる。確かに見たなんて言葉は当てにならないんだから。

「やっぱりダメ。あの時はとにかく暗かったから、自信ないわ。万が一人違いだったら……」

 人違いだったら?

 自分の言葉にサァッっと血の気が引いた。

 人違いだったら時すでに遅いのでは?

「クロードが見つけて捕まえたんだ、それはない」

「クロードが。なら大丈夫ね……」

 ほーっと息を吐く。一安心したが、まだ余韻で心臓がドクドク言っている。

 クロードは心理技能を持っていて、観察眼に優れている。加えて、近侍は人の顔を覚えるのが仕事のプロだ。いつも顔とプロフィールを完璧に暗記して耳打ちしてくれるおかげで、私の覚えなさには拍車がかかっている。

 私の様子を見て、ケンドリックも言質を取ることを諦めたのか、ため息をついた。

「まあ……こんな奴の顔が、姫様の忘れられないトラウマにならなくて幸いだ」

 ヘンなフォロー入れなくても、あんな事があったのに、犯人の顔も覚えてないなんてって素直に言っていいわよ。

 私だって、自分で自分をどうかと思うわ。

 だけどフィリップが、『ダイナミックお邪魔します』で助けに来たインパクトが大きすぎて、相手の特徴どころか、涙も葛藤も全て持っていかれたんだもの。記憶が朦朧としていて、クロードに耳としっぽがついていたような気さえする。

「仕方がありませんよ。その時は黒髪のウィッグで変装していたらしいので、印象は随分違ったはずです」

 あー!それなら仕方ない!髪は印象の大部分を占めるからね。決して、全然、私の危機感が足りないせいではない。


 私は今更ながら、忘れたわけじゃないですよ感を醸し出そうと、曖昧な記憶をなんとか掘り起こした。

「えーっと、えっと……、確か、て、テリー……?だったかな……?」

「本名はセオドア・ランダッグ。来年卒業予定のアカデミー奨学生です。ストレイフ邸では『テオ』と名乗っていました」

 そうそう!そうだった!惜しかったわ。ほとんど正解と言っても過言ではないほどに。

「夜会の準備で人手が足りないのを機に、数日前からストレイフ邸に潜入していたらしい。ストレイフ家使用人に、似顔絵による面通し済みだ」

 そこまでしているなら、私に確認する必要あった?


 だけど、一つ謎が解けたわ。

「セオドアが私たちのことを良く知っていたのは、同じアカデミー生だったからね」

「そのようです。何か聞きたいことはありますか」

 イリアスの言葉を受けてフィリップがさるぐつわを外すと、セオドアはすかさず憎まれ口を叩いた。

「捕まえた間者がペラペラ質問に答えると思ってるなんて、これだからボンボンは」

「事件後、面割れも気にせずのこのこ登校してくる奴が言うことか?……ナメやがって」

 イリアスさん!?優等生キャラの仮面が剝がれていますわ!ご自重なさって!!

「自分が選ばれなかったからって、怒るなよ、オーランド。先に帰らなきゃ、アンタを既成事実の相手に選んだと思うぜ。そしたらこうやって捕まってなかったかもしれないしなァ?」

 これはつまり、あの時一緒にいたのがイリアスであれば、私を守り切れず、今頃犯人捜しどころではなかったはずだという当て擦り。要するに、『お前相手なら負けなかったぜ』という……。

 煽り性能が無駄に高い。こんなの絶対腹立つわ。

 私はゴクリと生唾を飲み込んだ。嫌な汗と一緒に、またどっくんどっくんと動悸が激しくなり、耳元で心臓の音がする。恐る恐る、イリアスの様子を確認すると……。

 イリアスは激高することはなく無表情を保っていたが、すぅっと細めた目が凍えるほど冷たかった。

「その生意気な態度を、いつまで貫けるか見ものだな」


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